
Bookso beautiful yet terrific.
オンボロ寮という名の通り、元々は廃墟だったそこに人が住むようになり、現在は建物と庭も手入れが行き届いている。そのオンボロ寮の前庭には色んな花が植えられていた。
少し奥まった場所に初夏に相応しく青々とした葉をつけた樹木があり、その下に設置した木製の白いテーブルと椅子に彼女の姿があった。辺りにはあまり長々しくならないように切り揃えられたカスミソウで溢れている。
「監督生さん。こんにちは」
ふよふよと漂いながら彼女の側に行くと、彼女がテーブルの上に突っ伏すように倒れていた。彼女の右手には蓋が開いて中身が空っぽになった小瓶がある。
咄嗟に、彼女の身体を全てスキャンして安否を確認した。呼吸は規則正しく繰り返されていて、表情は苦しそうではなく幸せそうに瞼を閉じている。それならば、この小瓶は何なのだろうか。
その答えは簡単だった。彼女の下敷きになっているノートには小瓶のイラストと一緒に魔法薬の調合法を示した数式が記載されている。僕は彼女の右手からそーっと小瓶を抜き取り、中身を確認する。ほんの僅かに残ったそれは、煙のようにふわりと消えていった。
不意に、彼女が身体を起こした。彼女は顔を僅かに顰めてから彼女の側に立つ僕を見上げる。それから僕の持つ小瓶に気づいてさらに顔を顰めた。
「それ。勝手に蒸発するから気をつけてね」
「まさかとは思うけど。君、この匂いを嗅いだの?」
「嗅ぎたくなかったけど液体が蒸発して体内に入ってきちゃったみたいなの」
あからさまに溜息を吐く彼女の姿と小瓶を僕は交互に見る。どうやら、魔法薬学の基本であるむやみやたらに薬品の匂いを嗅いではならないということを異世界人の彼女とて理解しているようでホッとした。
僕は小瓶を持ったまま彼女の向かい側の席に座った。
「これ。ピンク色のカスミソウが材料だよね」
「うん。だから、ちょうどお庭にあったのを使ったの」
そう言った彼女の足下には色とりどりのカスミソウが咲いている。その内の一つに、ピンク色のふわふわとした柔らかい雰囲気のかわいいカスミソウもあった。
「君の切なる願いって、何?」
この魔法薬は使うカスミソウの種類によって変化するものだった。カスミソウの花言葉に因んだ目的を達成するためのもの。ピンク色のカスミソウの花言葉は、切なる願いだった。
僕の問いかけに、彼女がああと口を開ける。だけどすぐに首を緩く横に振った。
「願っても無駄だよ」
「どういうこと?」
「魔法薬の調合に失敗したから。それ、空気に触れたら勝手に蒸発して、体内に入った瞬間に眠っちゃうの」
彼女が小さく息を吐いてから、自身の開きっぱなしのノートに目を通す。それからテーブルの上に放っておかれたままのペンを取り、ノートに記載された数式の一つにばつ印をつけた。
「さて。やり直し。頑張って課題を完成させて、クルーウェル先生に提出しないと」
彼女がうーんと伸びをしてから、足下に咲くピンク色のカスミソウを少し手折る。再びノートに向き直る彼女の姿に、僕は尋ねた。
「ねえ。もしも、その魔法薬が完成したら。君は何を願うの?」
僕の問いに彼女が僕の顔を見る。彼女は少しだけ首を傾げたかと思えば、何てことないように言ってのけた。
「元の世界へ帰れますように」
一拍置いて、僕は開きかけた口を閉じる。
「そうだよね」
それ以上は、何も言えなかった。
帰らないで。そんな無責任なことを言える資格が僕にはないから。
2023.05.27
カスミソウ|女監督生受け版ワンドロワンライ