
Bookso beautiful yet terrific.
「へーい!かーのじょっ!俺達と一緒にお茶しない?」
声をかけられた彼女はうんざりとした顔で振り向いた。彼女の両隣で並んで歩いていた友人二人は彼女とともに足を止めて声をかけてきた男達を見る。それから黒い髪の友人は彼女に小さく耳打ちした。
「おまえの知り合いか?」
「私をナンパした勇気あるチャラ男」
「そうじゃなくてさ。というか、言ってる場合か?」
間髪入れずに帰ってきた返事に黒い髪の友人は苦笑いを浮かべた。一方、赤に近い明るい髪色の友人は呆れたように声をかけてきた男達を見ていた。
「いや、ナンパって。俺達もいるのに」
「男連れの女に普通声かけないんだゾ」
明るい髪色の友人の腕に抱っこされていた猫型の魔獣も嫌そうな顔をしている。そんな彼女と友人達を無視しナンパ男達は気にせずにさらに距離を詰めてきた。
「そっちのお友達なんかより俺等の方がずっと楽しませてあげるよ。だから、こっちにおいで」
数人の男達のうちの一人が彼女の腕に向かって手を伸ばすが、その場にあったはずの腕がなかった。
代わりに、離れた場所に彼女のスカートが揺れるのを見つけた。
「だ、誰か!」
彼女の走った先には老婦人が恐怖に染めた声をあげていた。事態に気づいた友人二人と魔獣はナンパ男達をその場に残し老婦人の元へ走る。しかし、それよりも早く、老婦人のバッグを無理やり奪ったフードを深く被った男が逃げた。はずだった。男が前を見た瞬間、スカートの中からすらりと伸びる足が勢いよく脇腹に命中する。その瞬間、男は呻き声をあげながらその場に崩れ落ちた。それと同時に男の両腕が素早く背中で纏められ、体重をかけられる。友人二人と魔獣、その後ろからナンパ男達が駆け寄って来た時には男は彼女によって取り押さえられていた。
騒ぎを聞きつけた交番勤務のお巡りさんも現れたので男は無事に連行された。老婦人のバッグもちゃんと持ち主の手に渡った。
「あの、なんとお礼をしたら。せめて、お名前だけでも」
「名乗るほどの者ではございませんので」
一生懸命礼を述べようとする老婦人をさらりとかわした彼女はその場を足早に去る。友人二人と魔獣は口々に老婦人に気遣いの声をかけてから彼女の背中を追いかけた。
ナンパ男達を含めたその場に残された人達は感嘆の溜息を吐いた。なんて素敵な女性なのだろう、と。
仮面越しにも分かるにこにことした表情を眺めながら私は口を引き結ぶ。学園長室の重厚なテーブルの上に並べられた資料を見つめながら、目の前の人物から出る次の言葉を待った。
「さて、あなたは将来何になりたいですか?」
学園長の長い指が一つ、また一つ、そのまた一つと資料を示していく。
「このナイトレイブンカレッジを卒業したとなればあなたが優秀な逸材になること間違いなしです。魔力がなくてもある程度はあなたが望む就職先へ行けますよ。例えば、警察官はどうでしょう?魔法執行官は魔法士でないとなれませんが、交番勤務でしたら非魔法士もたくさんいます。他にも、弁護士や税理士も問題ないでしょう。あとは、魔法医術士は無理ですが、非魔法士向けの医学の道もありますよ。そうだ!一般校向けの教師にもなれる。よかったですね」
一息に言ってのける学園長の言葉を聞いて、私はようやく口を開いた。
「元の世界へ帰る話はどうなりました?」
途端に学園長が狼狽する。学園長は資料をせっせと集めながら再び口を開いた。今度は早口で捲し立てるように。
「も、ももも勿論!探していますよ!ええ!で、ですが!ま、万が一ということもありますので!このまま年月が経てば卒業は必ずやってくることですからね!ね?そうですよね?私、優しいので!」
私に押しつけるように資料を渡した学園長はわざとらしく忙しそうにしながら席を立った。もっとも、学園長の言っていることは遠からず近からずでもないので私は資料を持ったまま席を立つ。その瞬間、学園長室に電話が鳴り響いた。学園長はこれ幸いと電話に出る。私は学園長に頭を下げて退出した。
教室に戻るとエースとデュースとグリムが私に気づきすぐにやってきた。
「学園長、何だって?」
エースが真っ先に口を開いた。私は押しつけられた資料の束を机の上に置きながら返事した。
「就職先見つけなさいだって」
数々の資料を見たデュースが察したようにああと口にした。ようするに、元の世界帰るという不確かな未来より、必ずくるナイトレイブンカレッジの卒業後を考えなさい、ということだ。
「まぁ、間違ってはないけどね。今のところ、元の世界に帰る方法が分からないわけだし」
私の言葉にエースとデュースは苦笑いを浮かべた。グリムはうーんと首を傾げるだけ。こればかりは簡単に解決できる話ではない。
その時だった。急に教室の外が騒がしくなる。あまりの騒々しさに私と二人と魔獣も揃ってそちらを見る。すると、クラスメイトの一人が血相を変えて私達の元へやってきた。
「監督生!おまえ、今、大変なことになってるぞ!?」
思わずグリムを見ると物凄い勢いで首を横に振られたから違うらしい。それでは、一体何なのか。答えは私が尋ねるより先にクラスメイトが教えてくれた。
「このマジカメに投稿されてるの、監督生だよな!?」
見せられた動画にエースどデュースとグリムがああと思い出したように頷いた。そこには先日賢者の島内にある街へ出かけた時に遭遇した引ったくり未遂の一部始終が写されていた。それよりも、私には気になることがある。
「この、#クールウォーター現る、って何?」
指でハッシュタグを示した。その瞬間、クラスメイトが驚愕した表情を浮かべる。
「まさか知らないのか!?」
驚いた顔して私の両肩を掴んできたのはデュースだった。私は視線だけを目の前のデュースからエースに移す。エースは私から視線を外した。私は疑問を抱きながらクラスメイト達を見る。話を聞いていたクラスメイト達も驚きを露わにしていた。
「ごめんなさい、知らないの。だから、教えてくれる?」
どうやらこの世界では常識らしい知識を教えてもらうことになった。ちなみにグリムも知らないようだ。仲間がいてホッとした。グリムだけど。
クラスメイト達が黒板に文字をたくさん書きながらこちらを向いた。私はグリムと共に最前列の席に座りながら黒板を眺める。
「刑事千人という特撮刑事ドラマがあって、クールウォーターは、チームの紅一点なんだ!!!」
刑事千人って多くない?というツッコミを入れそうになるが私の顔を見たエースが緩く首を横に振る。どうやらツッコミを入れてはいけないらしい。
「メインキャラクターは千人。で、刑事が千人いるわけではなくて、警察関係の人間が千人いるというわけなんだ」
私の隣の席で拳を握りしめながら力説するデュースには悪いが、別に刑事千人について詳しくなりたいわけではない。とりあえず、クールウォーターの存在を知りたいのだが。
「それで、刑事千人の紅一点であるクールウォーターのことはわかった。そのハッシュタグがどうして引ったくり未遂の動画につけられているの?」
私が知りたいのはそもそもそれだ。普段の専従捜査班の刑事から世義のヒーローに変身したクールウォーターの決め台詞、美しき水鏡に代わって私がお仕置きしてあげるわ!を知りたいわけではない。あからさまに顔を顰める私に、その場にいる全員を代表してエースが迷いながらも口を開いた。
「前々から思ってたんだけどさ。おまえ、似てるんだよね。クールウォーターに」
うんうんと方々から頷かれるが、私はさらに顔を顰めるしかない。
「いや、似てないでしょう。どう考えても。誰か刑事千人のホームページ見せてくれない?」
「そうじゃないんだよなあ。なんつーか、クールウォーター役の女優とおまえの顔が似てるんじゃなくて、クールウォーターの雰囲気がおまえと似てるってこと」
そうなんだよ!!!と方々から力強く相槌を打たれるので思わず引いた。私はエースからデュースに視線を移す。するとデュースは目を輝かせながら私を見ていた。怖いなあ。
「クールウォーターの卒業は今シーズンの初回放送で突如発表されたのでファンはみんなショックを受けてたんだ。クールウォーターは一番初期のシーズンから出演していたし、まさかシリーズ八作目にして卒業するだなんて。僕もすっっっごくショックだったし、落ち込んだ。でも、まさか、入学式の時から思ってたんだけど、僕の目の前にクールウォーターが現れるだなんて!それに、クールウォーターとマブダチになれたんだ!僕ってなんて幸せ者なのだろう!」
「いや、だから、クールウォーターじゃないからね」
落ち着こうよ、声をかけるがデュースには届かない。どうやらデュースはそのクールウォーターとやらの熱烈なファンだったらしい。
「もうさ、おまえの就職先、専従捜査班で良くね?」
「だからね、私はクールウォーターじゃないし」
エースの投げやりの言葉に私は全力で否定した。確かに刑事にはなりたいが、特撮ヒーローになりたいわけではない。
「それで。この#クールウォーター現るというハッシュタグがつけられてた動画はこれからどうなるの?というか、大変なことになってるって言わなかった?」
最初の話題に話を戻すと、この話を持ってきたクラスメイトがハッとして私を見る。クラスメイトは廊下の外を気にしてから私を含めた周りの人間に手招きし幾分か小さくなった輪の中で小さな声で囁いた。
「この動画、めっちゃバズっててさ。監督生が身バレしないようにイグニハイド寮の友達に削除するよう頼んだけど、追いつかなくて。だから時期に、ここにも人集りができると思うよ」
クラスメイトが私を真っ直ぐ見る。好奇心と少しばかりの憧憬を込めた表情に私は思いっきり嫌な顔をしてやった。
「ナイトレイブンカレッジの紅一点、学園が誇るクールウォーターを一目見ようとする輩がね」
その言葉に絶望感を味わうのは十分だった。遠く離れた場所から地鳴りが響いてくるし、最悪だ。
私は幼い頃から刑事ドラマが好きだった。推理小説も好きだった。まだ絵本しか読んだことのない幼い頃に推理小説を読みたくて、必死に辞書で調べて読んだ推理小説に夢中になった。だから、私の将来の夢は警察官になることだった。しかも、刑事になりたかった。剣道、柔道、空手を極めたし、六法全書を持ち歩き時間が許す限り読み込んだ。いつか大人気刑事ドラマバディの主人公である右京さんみたいにエリートで優秀で天才と呼ばれる刑事になりたかった。そうやって、私は生きてきたのに。
「つまり、おまえは、クールウォーターじゃなく右京さんになりたかったってこと?」
エースが少し引いたように私を見る。私は多方面から来る痛いくらいの視線に顔を顰めながらミートボールスパゲッティをフォークに絡めて口に入れた。
「おまえの頭の中が無駄に筋肉で締められている理由が分かったわ。努力したんだな。うん」
エースも私と同じメニューのミートボールスパゲッティを食べる。その瞬間、外野がうるさくなった。
「あいつ!!!クールウォーターと同じメニューを食べるなんて!!!」
「なんて羨ましいやつなんだ」
あからさまにうんざりとした顔をするエースを横目にデュースはシーフードクリームスパゲッティを食べている。
「僕もあいつらの気持ち分かる。おまえ羨ましいぞマジで。クールウォーターと同じ物を口にするなんてずるいじゃないか。僕もクールウォーターと同じメニューを共有したかった」
「おまえ落ち着けよ目を覚ませってば」
デュースが別人に見えた。エースのツッコミにも同意する。私は小さく息を吐きつつ食事を再開した。ランチタイムの食堂には学生達が集まり賑やかだった。それはいつものことだけど、今日はマジカメの件もあるのでさらに騒がしい。
「あんまりにも他人にじろじろ見られながら食事するのも気分が滅入りそうなんだゾ」
グリムがしょんぼりしながらツナオイルパスタをフォークで突つく。私とグリムとエースはそれはそれは大きな溜息を吐いた。デュースだけは瞳をきらきらとさせながら私を見ているのでつらい。
「お困りであれば、相談に乗りますよ」
嫌な予感がしながら顔を上げるとそこにはめっちゃくちゃ良い笑顔を浮かべるアズール先輩がいた。アズール先輩の手には唐揚げ定食がある。この先輩、カロリーのことばかり気にしてるから唐揚げ食べるなんて意外だなと内心思う。それよりも、だ。
「相談に乗っていただけるのは嬉しいですが、私、モストロ・ラウンジのスタンプカードたまっていませんので。お気持ちだけで十分です。ありがとうございました」
早口に言ってのけた。正直、守銭奴と有名なアズール先輩にスタンプカードがたまっていたとしても相談したくない。どんな対価を要求されるか怖すぎる。というか、そもそもモストロ・ラウンジに通っていないし。
「そんなことですか。どうぞお気になさらないでください。このアズール・アーシェングロットが慈悲の心であなたをお救いしましょう。さあ、遠慮なさらず」
空気を読んでくれないアズール先輩はにこやかな笑みを顔に貼りつけたまま私の向かいの席に座った。流石に、瞳をきらきらさせていたデュースの顔に影が落ちる。エースはあからさまにその場から逃げようと席を立とうとしたが、少しだけ考える素振りを見せてから再び椅子に座り直した。一方、グリムは怯えた表情を浮かべながら私の膝に座っては私にしがみついた。どんな組み合わせかと色んな意味で私達のいる席が生徒達の視線を集めている。
「それで、名前さんのお困りごとは、この状況で間違いなさそうですが。違いますか?」
この状況とは、クールウォーター騒動のことを言っているのだろう。生徒の弱みを握りたくて色んなことにアンテナを張り巡らせているアズール先輩には今まさに渦中のクールウォーター騒動を耳にするのは簡単なことだ。
「静かに食事ができるようになりたいです。まあ、噂なんて時間が経てば忘れていくと思いますが」
そう言った私は残りのスパゲッティを口に入れた。エースとデュースは無言でスパゲッティを口に運んでいる。グリムは恐る恐る自分の席に戻り、食事を再開した。アズール先輩は唐揚げ定食をナイフとフォークで優雅に食べ進む。私の言葉を聞いたアズール先輩は唐揚げを咀嚼し終えてから口を開いた。
「あなたの言うことはもっともです。しかし、それだと噂が消える日までずいぶんと時間を用することになりますが?」
「そこはもう諦めています。別に、害があるわけではなさそうですし」
アズール先輩の言葉に間髪入れずに答えた。現に、#クールウォーター現るのハッシュタグがついた投稿がマジカメに出回ってから今まで何かされたわけではない。ただ色んな視線を集めているだけだ。ついでに言えば、本人目の前にして話題の種にされているが。
「そういうわけですので。お話を聞いていただきありがとうございました」
ごちそうさまでしたと最後に付け加えてから私は空になった食器を持って席を立つ。エースとデュースとグリムも会話が終わるタイミングを待っていたかのように席を立った。しかし、残念ながらアズール先輩は話を終わらせてはくれなかった。
「では、こうしましょう。この一件、僕に預けていただけますか?二、三日もあれば片付くと思いますし」
えー、と思いつつも顔に出してはいけない。相手は先輩だ。しかも、オクタヴィネル寮の寮長だ。敵にまわしたくない。
「対価は何になさいますか?」
エースがやめとけと耳打ちするがこの一件のせいでアズール先輩に付き纏われるのは嫌だ。ならば、さっさと片付けるに限る。
「対価などとんでもない。ご安心を」
その場から立ち上がったアズール先輩は胸に手を当ててからそれはそれはにっこにこの素晴らしい笑みを浮かべたのだった。
「対価は必要ありませんよ。この一件、僕個人の問題でもありますので」
私は今度こそあからさまに顔を歪めてみせた。勿論、エースとデュースとグリムも訝しむ。私達の失礼な態度に対してアズール先輩はにこにこ顔をやめて眼鏡の奥の瞳をぎらつかせたのだった。
「僕、クールウォーターの大ファンなんです。それをにわかが湧いて出てきてとても不愉快なんですよ。イデアさんの言葉を借りるなら、同担拒否ってやつですね」
私達は思わず顔を見合わせた。お互いの顔にはうっわと引いた表情を浮かべている。一方、アズール先輩は私の返事を聞く前に作戦の算段を立てようとスマホで電話を始めている。めんどうなことにならないよう祈るばかりだ。
結論から言えば、クールウォーター騒動が収まるのに三日もかからなかった。アズール先輩がイデア先輩に根回ししたので例の投稿された動画もそれに関連したコメントもろとも一斉に削除されたのである。しかも、それを拡散させたユーザー達のアカウントを停止したのだから恐ろしい。被害者でもある私ですら同情する。そんなこんなでマジカメに拡散する材料を失った元ユーザー達がすっかりおとなしくなったので自然と騒動は落ちついたというわけである。
さて、騒動は片付き平和が戻るはずだったのだが、あれから一週間が経過した今も何故か私はアズール先輩に護衛と称して付き纏われていた。
「おはようございます名前さん。今日もとても良い天気ですね」
生憎土砂降りですが。そこにツッコミを入れる勇者はここにはいない。ザーザーと地面に叩きつけるように激しく降る雨の中、私はグリムを抱っこし、エースとデュースもそれぞれ傘を持ってメインストリートに立っている。いつも通り三人と一匹で登校しようとしたら清々しい笑顔を浮かべるアズール先輩に足止めされたのだ。
「おやおや、これは名前さん。おはようございます」
「小エビちゃんおはよー」
立ち尽くす私達の元へ双子のウツボ先輩が現れてしまった。三人と一匹は顔を見合わせる。しかし、その様子をおかしそうに眺めていたジェイド先輩はにこやかに微笑みながら言ってのけたのだった。
「ところで外野のみなさん、少しは空気を読んだらいかがです?うちのブルーマウンテンがクールウォーターに大事な話をするところなのですが」
私とグリムは瞬きを繰り返してからエースとデュースを見る。というか、ブルーマウンテンって誰よ。しかし、何かを察したエースと顔面蒼白にさせたデュースは突如私からグリムを掻っ攫う。それから二人と一匹は物騒で有名なウツボ兄弟と共に足早に校舎へ向かったのだった。残された私はあからさまに嫌な顔をしながらアズール先輩を見る。アズール先輩は相変わらずにこにこの笑みを貼りつけたまま私を校舎に向かって歩くよう促した。雨の中立ち止まるのは嫌だった私は断る理由もなくとりあえずアズール先輩の隣を歩く。アズール先輩は聞いてもいないのに刑事千人のこれまでのお気に入りのシーンについてぺらぺらと語り出した。だから私、刑事千人っていう特撮刑事ドラマは知らないんだけど。
「さて、この話は一旦ここで置いておきましょう」
置くも何も私聞いてないし。とは言ってはいけない。相手は先輩だ、敬意を払わないと。警察も縦社会だから上には逆らえないって憧れの右京さんも嘆いていたし。
「今週末、モストロ・ラウンジの厨房を手伝ってもらえませんか?」
「私が?」
「来週末、ボードゲーム部で催し物をやるのでぜひお越しくださいね」
「ん?」
「ちなみに、今日の放課後。僕と一緒に刑事千人の鑑賞会をしましょう。本日の授業が全て終わりましたらあなたのクラスまでお迎えにあがります」
ぐいぐい来るアズール先輩の言葉に私は段々と言い返せなくなる。圧が凄い。
「それ、全て対価を払うんですよね?」
「何故です?僕があなたから対価をもらう理由はありませんが」
さも当然のようにアズール先輩が言ってのけるので困った。正直、めんどくさいことになったなあと思う。それでも、アズール先輩がクールウォーター騒動を収める手助けしてくれたのは事実なので私はぺらぺらと並べられた言葉の中から一つだけ手に取ることにした。
「今週末の、モストロ・ラウンジのお手伝いならさせていただきます」
「それはそれは、感謝いたします。ところで、他の返事はもらってませんが?」
「モストロ・ラウンジのお手伝いには行きますね」
念を押した。他は行きませんよ、と。アズール先輩は再度にこやかに笑ったかと思えばさらりと言った。
「それでは、放課後。迎えに行きますので」
「え?ちゃんと話聞いてました?」
もう黙っていられなかった。思わず口をついて出た言葉にアズール先輩がハッとした顔で私を凝視する。その数秒後、それはそれはとっても嬉しそうな表情を浮かべた。
「あなたの直球すぎるお言葉、これからもぜひお待ちしてますね」
何故だろうか。背筋がぞっとした。その理由は何かは分からない。
「あなたは誇り高きクールウォーターなのですから」
雨の中、上機嫌のアズール先輩が正直怖かった。アズール先輩の私に向ける瞳には私ではない違う人を映している。私は口を引き結んでアズール先輩を見た。表情には何も出さないようにして、ただじっと、その瞳の奥を覗いた。
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ぐずでのろまのタコ。幼い頃、ずっとそうやってバカにされて生きてきた。誰よりも早く泳げない僕は誰よりも頭の良い人魚になることを決めた。必死こいて勉強して、博識になって、僕をバカにしてきた奴等をいつか絶対に見返してやろうと心に誓った。狭くて暗いお気に入りの蛸壺の中、僕はたった一人戦った。しかし、それは孤独だった。本音を言えば、ぐずでのろまのタコのまま誰かに受け入れてほしかった。少しでも気を抜けばどうしようもない孤独と悲しみが襲ってくるので、常に気を張る生活を余儀なくされた。ちょうどそんな時だった。クールウォーターと出会ったのは。
蛸壺の中で必死に勉強していたはずなのに、また気が抜けて暗い影が落ちた。僕は息抜きのつもりでテレビをつけた。陸の流行りは何だろうとほんの少しだけ好奇心はあったが、本当に何気なくチャンネルを回しただけだった。
「まだ、諦めない。私は、彼等を信じてる」
一人の女性刑事がぼろぼろになりながらも国立競技場に仕掛けられた爆弾を探していたところだった。その最中、爆弾を隠した犯人と出会した。マシンガンを手に持った犯人が女性刑事に向けている。そして、引き金を引いた。絶対絶命の瞬間、女性刑事はぼろぼろの身体に鞭打って変身した。眩い光の中から現れたのは普段の専従捜査班の刑事ではなく、特殊スーツに身を包んだクールウォーターだった。
「美しき水鏡に代わって私がお仕置きしてあげるわ!」
決めポーズをして、意志の強さを感じる凛とした声で話すクールウォーターの姿に僕の胸が高鳴った。大量の弾がマシンガンから発射されてもクールウォーターはまったく怯まずに華麗に避けてみせた。その瞬間、クールウォーターの頭上で爆弾が破裂した。上から瓦礫が崩れ落ち、クールウォーターに降り注ぐ。それでも、クールウォーターは諦めなかった。
「私は諦めない。この命が燃え尽きたって構わない。あなたを逮捕できるなら、私はここから引かない。絶対に!!!」
逆境の中、クールウォーターは負けずに立ち向かう。僕は、その姿に心を奪われた。クールウォーターに、恋をした。
あの日からクールウォーターの存在が僕の励みになった。毎年の夏クール、毎週水曜日夜九時から放送する刑事千人を観るのが楽しみになった。常に冷静沈着だけど心の底に燃えるように熱い正義が隠れている。クールウォーターは僕の初恋の人だった。
何度も言うが僕はクールウォーターが大好きだ。クールウォーターの同僚のブルーマウンテンがクールウォーターに恋心を寄せているようだがそれを上回るほど僕はクールウォーターのことが好きだ。だから、ショックだった。悲しみのどん底に突き落とされた。まさか初期から登場しているクールウォーターが、シリーズ八作目にして刑事千人を卒業するだなんて。
学園では平然としているが内心それどころではなかった。今までクールウォーターの存在を支えにオクタヴィネル寮の寮長やモストロ・ラウンジの支配人という忙しい日々もやってこられたのに。クールウォーターが卒業してしまい、僕の心の支えがなくなりパキンと折れた。それはボードゲーム部のイデアさんも気持ちを分かってくれた。
「推しが引退した時の気持ち、拙者もよく分かるよ。推しのこれからの幸せを願う、その思いは確かにあるのに、心の中はとんでもない焦燥感に襲われるんだよ。あれはほんっとつらいですわ」
イデアさんの言葉は僕の気持ちにぴったりだった。クールウォーターが幸せになれるのならと見送っても、正直納得しきれない僕がいる。複雑に絡み合う感情のせいであらゆることに手がつかなくなった。それでも、僕は学園での立場がある。オクタヴィネル寮の寮長としても、モストロ・ラウンジの支配人としても、ここで僕自身が崩れ落ちるわけにはいかなかった。クールウォーターのように、強く気高く誇り高い人にならなければ。
心の支えであるクールウォーターを失ってからも僕は懸命に生きてきた。立ち直るわけではないが必死に自分を鼓舞して何とか前を向いている。そんなある日のことだった。
泣きながら廊下を走る魔獣を見つけた。あれは入学式で問題を起こしたグリムさんだった。グリムさんの後ろからは数人のナイトレイブンカレッジ生が追ってくる。全員手にはマジカルペンを握っていた。
「この得体の知れない狸のくせに!!!堂々と伝統あるナイトレイブンカレッジに通ってるんじゃねえよ!!!」
生徒の一人が叫んだ。ああ、弱い者いじめか。そう思いながら僕はぐずでのろまのタコと呼ばれたあの頃を頭の中に浮かべた。その瞬間、複数人がグリムさんに向かって同時に魔法を放った。グリムさんの絶叫が廊下に響き渡る。あーあ、かわいそうに。無事では済まされないだろうと思いながら僕は見て見ぬふりをした。いや、したかった。
僕の横を颯爽と走り抜けた一人の少女がスクール鞄を手にグリムさんの元へ行く。彼女はグリムさんを左手で抱きしめると右手に持った鞄を向かってくる魔法弾に突きつけた。複数の魔法を受けた鞄はぼろぼろの灰になり崩れ落ちていく。それに構うことなく彼女は使えなくなった鞄を投げ捨て、グリムさんを廊下の隅にそっと置いた。
「な、なんだよ!?やるのかオラァ!!!」
突然現れた彼女に怯んだのは向こうだった。マジカルペンの矛先が彼女に向く。しかし、彼女は放たれた魔法を全て察知し、華麗に避けてみせた。そして、彼女は身一つで敵陣の懐に突っ込む。当然、この学園で唯一魔法が使えない少女が怖気付くことなく間合いに入ってきたのだから発端となった生徒達は慌てた。その隙を見逃さなかった彼女は迷うことなくその場に屈み、一番手前にいる人物の脛を容赦なく蹴った。続いてその後ろに立つ人間の前に現れた彼女は右手で相手の襟首を掴みあっというまに背負い投げをしてみせる。倒してきた奴等を見向きもせずさらに後ろに控える人間の脇腹をスカートからすらりと伸びた足で蹴る。呻き声をあげるそいつの鳩尾を再び蹴り、後ろにさらに控える人間達諸共弾き飛ばしていった。その時間は、僅か十数秒も満たないだろう。
ふと、彼女がくるりと振り向いた。凛としたその姿に僕は息を呑んだ。彼女の姿は僕が恋したクールウォーターそのものだった。
振り向いた彼女はつかつかとこちらに向かってくる。いや、正しくは廊下の隅で怯えたように疼くまるグリムさんの所へ。
「こ、子分?」
「もう終わった」
彼女の言葉にグリムさんはわーわーと泣き喚きながら彼女の胸に飛び込んだ。彼女は何も言わずグリムさんを抱きしめて頭を撫でている。その時、例の生徒達がやって来た方角からハーツラビュル寮の一年生が血相を変えて走って来た。この二人も入学して早々あのリドルさん相手に喧嘩を売ったと聞いたので知っていた。いつも監督生と魔獣と一緒に連んでいる、エースさんとデュースさんだ。
「無事か!?グリム!?」
倒れた生徒達を容赦なく踏みつけながらデュースさんがグリムさんと彼女の元へ駆けつける。一方、エースさんは立ち止まり、足元に転がる生徒達に視線を向けた。
「え?これどういう状況?」
困惑するエースさんの視線がぐるりと辺りを見回し、役目を終えた崩れ落ちた鞄に目がいく。次に視線を向けた先はその場に立ち尽くす僕だった。
「もしかして、」
「エース」
何かを言いかけるエースさんを遮り彼女はグリムさんを抱きかかえたまま立ち上がった。
「誰かこのこと知ってるの?」
「え?あー、リドル寮長と学園長に知らせたけど」
彼女の問いにエースさんは僕から視線を外して答える。彼女の肩を労わるように叩いたデュースさんはエースさんの代わりに続けた。
「あいつらに追いかけられるグリムを見つけた時に、急いでローズハート寮長に連絡したんだ。そうしたら、ローズハート寮長がすぐに学園長室へ向かってくれて」
ほら、とデュースさんが示した先からバタバタと走ってくるリドルさんの姿が見えた。その後ろにはトレイさんとケイトさん。さらに後ろから学園長とクルーウェル先生が続いた。やって来た面々にエースさんとデュースさんが説明する。グリムさんも小さな身体をぶるぶる震わせながら懸命に話した。詳細を聞いた面々が、ふと、僕を見る。しかし、彼女は僕を見ないままようやく口を開いた。
「あの方がこの状況を見ていたかは分かりません。ご本人に聞いてみないことには」
凛としているが冷たい声だった。彼女がやっと僕を見る。その表情からは何を考えているかは分からない。ただ、瞳の奥には強い意志を感じた。悪は、許さない。そう言っているかのように。
その後、僕は見たままを話した。クールウォーターが命懸けで仲間を救った瞬間をなかったことにはできなかった。
そして、グリムさんが心底羨ましいと思った。僕が助けを求めた時には彼女のように自らを犠牲にして戦ってくれる仲間はいなかった。僕も、欲しかった。頼もしい背中で正義を語る彼女のような存在が。
クールウォーターに、焦がれた。
マジカメに投稿された動画を見た時、ハッとした。#クールウォーター現るの文字に僕は怒りに震えた。ナイトレイブンカレッジに通う紅一点。それをクールウォーターだと外野に囃し立てられるのが許せなかった。彼女の存在は僕が誰よりも先にクールウォーターであると気がついた。ただの興味本位で近づいていい女性ではない。
だから、僕は、彼女を守ることにした。強くて気高い彼女に僕ができることは何かずっと考えた。そして、気がついたのだ。彼女を、僕の傍に置いておけばいいのだと。
何故なら、僕は、幼い頃に出会ったあの日からずっと、クールウォーターに恋をしているから。
2022.08.20