Bookso beautiful yet terrific.

 葛城に召銃されてから後日、この国の将軍に御目通りが許された。葛城と一緒に将軍とその貴銃士に謁見した直後、使いの者が帰ろうとしていた俺達に声をかけてきた。

「お嬢様がお待ちです」

立て続けの将軍家所縁の人物との謁見に葛城の緊張がさらに高まり、頭の先から湯気が上がる。それもそうだ。葛城は将軍に会うだけでも全身全霊でやって来たのだから。
 将軍達とは別の部屋に通された。この部屋も広い。俺と葛城は一段下がった下座に並んで座る。それを見計らったかのように一段上の上座に着物姿の女性が姿を現した。葛城が畳に額を擦りつける勢いで畳に手をつけて頭を下げる。顔を上げたままだった俺に気がついた葛城は慌てて俺の首根っこを捕まえて畳に伏させた。思いっきり額を畳にぶつけて痛い。内心苛立ちながらも相手の出方を待った。

「急な呼び立てをしてしまい申し訳ありません」

高座に座しながら女はそう言った。葛城は上擦った声で情けないほど噛みながらとんでもございませんと叫ぶに近い言葉を述べていた。

「表を上げなさい」

ようやく顔を上げて上座にいる人間と対面した。まだ成熟していないあどけない少女さが抜けない顔立ちをした女がそこにいた。彼女が、例のお嬢様なのだろう。

「マスターの葛城、ならびに貴銃士八九。今日は足を運んでいただき、感謝しますわ」

長い睫毛に縁取られた大きな目に、ふわふわと緩やかに肩に流れる黒髪をハーフアップにし上物の織物で作られた大きなリボンで結っている。にこりと微笑んだ唇には薄らと薄紅色が飾られていた。おまけに色白の柔肌。マジかよ、めっちゃくちゃかわいいじゃん。というのが俺の感想だった。
 これが、俺と彼女の出会いだった。


 桜國泰澄の歳の離れた妹である彼女は次期将軍と呼ばれている。将軍家の人間として恥ずかしくないよう彼女は日々、舞に琴に薙刀に読み書きにとあらゆるお稽古ごとに勤しんでいた。学校も、皇族や将軍家に果ては政財界の大物のご子息ご令嬢が通う名門校に彼女は在籍していた。あの容姿でごきげんようなんて言われればみんなが振り向くに違いない。俺も、振り向く自信がある。彼女の上っ面しか知らなければ。
 自衛軍の訓練を終えて小腹が空いたからおやつでも食べようかと思い自衛軍の基地から程近い駄菓子屋に向かった。その道中。見覚えのある黒髪ロングを大きなリボンでハーフアップに結んだ後ろ姿が視界に入った。俺は咄嗟に彼女に駆け寄った。

「あんた、勝手にうろうろしたらまずい立場だろ」

俺に声をかけられた彼女はくるりと振り向いた。大きな目を数回瞬きさせてからかわいらしい唇をにんまりと歪ませる。それからしーっと人差し指を自らの唇に当てた。

「兄上達にバレなければ問題ないですわ」

「いやいやいや!!!見つかったのが俺でよかったな。何か良からぬ奴等だったらアウトだぞ」

「その時は、まあ、仕方がないですわね」

「それで済まねえだろ」

げんなりと顔を歪める俺に対して彼女は全く悪びれる様子もなくころころ笑う。そうなのだ。こいつは見た目こそ良家のおとなしいお嬢様のそれだが、中身は破天荒でやんちゃでわがまま娘である。

「八九もめんどくさい部類に入るので、わたくしにしたらアウトですわ」

はあとあからさまに溜息を吐く彼女に対してぴくりと俺の頬の筋肉が動いた。このくっそ生意気な姿を兄上とやらに見せてやりたいわ。

「で?護衛もつけず何処に行く気だったんだよ?」

彼女の生意気な態度を咎めずとりあえず目的地を尋ねることにした。このまま野放しにして万が一彼女が行方不明になれば俺も葛城も無事では済まない。それを分かっているだろう彼女はぱあっと華やいだ表情を隠しもせずに口を開いた。

「行列のできるラーメン屋に行くところでしたの」

「お嬢様のくせに?しかもラーメン屋?」

「まあ、失礼ね。お嬢様は行列に並んではいけないしラーメンを食べてはいけないなんて法律は無いですわ」

「いや、うん、そうだけどさ」

むすっと拗ねる彼女に思わず呆れる。だいたいお嬢様なら、ラーメンが食べたいなら行列に並ばず桜國邸自慢のお抱えの料理人に作らせればいいのに。そう内心思っていると、彼女は俺の心を読んだかのように反論してきた。

「並ぶから価値があるのです。そうだわ!八九、あなたここにいるのだから暇ですわね?今からわたくしに付き合いなさい」

「はあ!?行列に並ぶとかマジ勘弁。無理。断る」

あからさまに嫌な顔をしてやると彼女は顎の下に指のつけ根を当てて考え込む。嫌な予感がした。

「それならば、わたくしとここで会ったことは忘れてちょうだい。もしもわたくしが帰らないことがあっても、兄上に目撃情報を提供してはいけませんよ。いいですわね?」

脅しじゃねえか!ってツッコミを入れたいがぐっと我慢した。相手は将軍の妹だ。立場上、俺に勝ち目はない。

「分かった分かった。ついてってやるよ」

「ありがとう、八九」

ふわりと花が綻ぶように笑う彼女に俺は言葉に詰まる。かわいい女の子ってやつを現実で見ることが極端に少ない俺には刺激が強すぎる。しかも、いきなり難易度がめっちゃくちゃ高いお嬢様属性ときた。今ならギャルゲーの主人公の気持ち、よく分かるわ。
 自衛軍に所属している間は葛城の目を盗んではよく彼女に会いに行った。放っておけば一人勝手に何処かへ行ってしまう彼女が心配だと理由をつけてはいつも彼女の背中を追いかけた。時折邑田と在坂の凄まじく怖い視線を感じるが必死に気づかないようにした。
 そんなこんなで、彼女のわがままに付き合って月日が経過した頃、俺は縁あって新しくイギリス人のマスターに引き取られることになったのだった。


 彼女の私室で、俺と彼女は対峙していた。今、この部屋にいるのは俺と彼女の二人だけ。彼女は相変わらず一段高い上座の高座に座し、俺は一段下がった下座の畳の上に直に座る。

「そうですか。イギリスの士官学校へ行きますのね」

話を全て聞いた彼女はなんてことのないように言ってのけた。俺は彼女から視線を外して何故か目を合わせられず下を見る。理由は分からないが日本を去ることを後ろめたかった。

「今までありがとう。八九の働きに、心から感謝いたしますわ」

凛とした声に釣られて彼女を見る。あどけなさを残す顔立ちのくせに、そこにいたのは間違いなく将来この国を背負う将軍という地位に相応しい女性だった。その瞬間、悟った。
 俺と彼女じゃあ、立場が違った。


 イギリスにあるフィルクレヴァート連合士官学校の貴銃士特別クラスに配属されてから俺は現実を突きつけられた。
 日本ではほとんど触れられることなく、自衛軍も桜國幕府もまったく気にしてなかったが、俺は間違いなく七年前の革命戦争の加害者だった。元世界帝の銃、それが俺。それは戦争孤児も多い士官候補生達に後ろ指をさされるには十分すぎる理由だった。

「あいつから離れて、正解だったな」

一人になった時、いつも思う。いつか全ての日本国民が俺が戦争犯罪者だと認識するようになったら、俺と一緒にいるだけで彼女も攻撃対象になる。桜國泰澄の妹は売国奴なんてレッテルを貼られでもしたら、将来を担うための努力に励む彼女がかわいそうだ。それならば、俺は日本にいない方がいい。俺一人なら、異国の地で何を言われようとも、事実なのだから我慢すればいい。
 季節は再び巡る。そして、士官学校にも入学式のシーズンがやってきた。真新しい制服を着て顔に緊張を滲ませながら式典へ臨む新入生の列を見かけた。世界連合軍配下の士官学校だけあって色んな人種がいる。別に興味があるわけではないが、へえーと思いながら列から視線を外した時だった。遠くに艶やかな黒い髪を後ろできゅっと一つに結った女性徒がいた。まだあどけなさの残る横顔に息を呑んだ。その女性徒がこちらを振り向く。長い睫毛に縁取られた大きな目が数回瞬きをし、やがて、ゆっくりと唇に弧を描いた。

「なんで、」

ふいっと視線を外した彼女は新入生達と一緒に足早に式典へ行ってしまった。残された俺は呆然としたままその場から動けなかった。
 入学式が終わり、事あるごとに彼女を追いかけては呼び止めた。彼女は俺が声をかけても特に驚く様子はなく挨拶を返した。

「こんにちは、八九さん。昨日も任務に出ていらっしゃいましたね。お疲れ様でした」

あら、八九。ごきげんよう。これから訓練?ご苦労様。サボってないでしっかりやりなさい。いいですわね?
 自衛軍にいた頃と全く違い、士官候補生の一人となった彼女は俺に会釈と気遣いの言葉だけ残して足早に去っていく。あのお嬢様言葉で、高飛車に話すことはない。それは俺に対してまるで彼女から一線引かれている気がして虚しくなった。
 ラッセルと恭遠なら彼女の士官学校入学について何か知っていると思って尋ねたが特に何か知っているわけではないらしい。普通に一般生徒と同等の手続きを済ませて入学しているので国同士の結びつきとやらで無理やり異国の学校に放り込まれたわけではないようだ。ただ、強いて言えば桜國幕府からは彼女の素性を生徒達に明かさないようにくれぐれもよろしくと連合軍上層部に念を押しているらしい。
 それならば、俺は尚更彼女を放っておくわけにはいかなかった。護衛もつけず万が一のことがあったらと思うと俺は気が気ではなかった。


 元世界帝軍の貴銃士である俺が彼女に構うのは彼女の立場上、良くないことは分かっていた。邑田と在坂からたまに咎められもしたが、それ以上にあの二人だって世間知らずのお嬢様のことを内心では心配している。お互いに分かっているからこそ、彼女のことを結局は俺だけではなく邑田と在坂も気にかけ声をかけた。授業も、訓練も、食生活も、交友関係も、逐一目を光らせた。事情を勘づいているライク・ツーからは、過保護かよってよく言われるが。
 俺だけではなく邑田と在坂からも毎日のように交代で声をかけられるから彼女は諦めたように少しずつ俺達三人と言葉を交わすようになった。そして、話すうちに彼女が俺だけではなく邑田と在坂すら相手に壁を作った理由を察した。世界的に見れば貴銃士は憧憬の的である。謂わば、神格化されていた。それを分かった上で自衛軍の頃のような主人と従者のような扱いなんぞできるわけがない。頭のいい彼女はすぐに態度を改める、そういう人だった。
 それでも、俺の前だけでもいいから素でいてほしかった。あのお嬢様言葉で、八九、と呼んでほしかった。高飛車でくそ生意気な態度で、命令してほしかった。素性を隠して一般生徒として過ごしていても、俺にとっては確かに桜國泰澄の妹だ。正真正銘の、お嬢様だから。


 彼女から一線を引かれた虚しさがどうしても勝ってしまったある日、勢いのまま言った。

「あんたもさ、俺の前だけでもいいから素に戻ってくれよな。じゃないと、自分と違う自分ってのは、疲れるし」

ふとした瞬間、彼女の背中を見て思うのだ。俺より小さな背中を、自衛軍にいた頃のようにずっと見ていたい、と。
 それ以来、彼女は俺と二人の時には素のお嬢様に戻った。近くに人がいない時を見計らって話してくれるお嬢様言葉に俺は心が満たされた。どうやら彼女は邑田と在坂ですら他人行儀の敬語のまま話すらしい。つまり、彼女は俺にだけ素でいてくれるのだ。それが俺を優越感に浸らしてくれた。このまま俺と彼女の関係がずっと変わらなくていいと思い安堵した。だから、安心しすぎて考えもしなかった。そもそもここは日本の桜國家のお膝元ではなくイギリスにある士官学校だということを。
 今の彼女は士官候補生の一人だった。そのせいで。そのせいで、彼女は。


 アウトレイジャー討伐の任務が終了し、士官学校に戻ってきたのはもう暗くなってからだった。共に任務に出ていた貴銃士は邑田と在坂とライク・ツー。そして、俺達のマスターだった。
 時刻はとっくに夕食の時間を過ぎている。今から食堂へ行っても良いメニューは期待できないだろう。それなら自室に備えてあるカップラーメンを食べる方がずっといい。ただ、麺だけだと腹が満たされないからご飯だけは食堂から貰ってこようか。そんなこんな思案しながら寮に入り、お疲れさんって言い合ってからそれぞれ自室へ向かって足を動かす。しかし、妙に寮内がざわついている。それだけではない。よく見ると校舎の方からも何人もの教官達が表情を青ざめながら口々に何かを言っていた。

「見つかったか!?」

「いや、こっちはまだ!!!」

その様子に邑田とライク・ツーは眉を顰め、在坂は小首を傾げる。俺の近くにいたマスターが教官達に話を聞こうと足を踏み出そうとした。

「まずいことになったな。あの子、噂だと将軍家の血筋らしいぞ」

「もし耳に入ったら幕府が黙ってないだろう。私達もただでは済まないじゃないか」

マスターの足がぴたりと止まった。話の内容を耳にしたマスターが俺を見る。頭の中が真っ白になった。俺は邑田とライク・ツーが止めるのも聞かず教官達に掴みかかった。

「何があった!?あいつに何があった!?答えろ!!!今すぐ答えろよ!!!」

少し離れた場所に居合わせた恭遠が俺に気づいて慌てて羽交い締めにして止めようとする。そんなことはお構いなしに俺は恭遠諸共教官達に食ってかかった。

「八九よ、とにかく落ち着け」

そう言った瞬間、右ストレートが俺の顔面を直撃した。勿論、やったのは邑田。俺が怯んで動けなくなった瞬間、先程の教官達が足早に去っていく。俺はまだその場にいる恭遠の両肩を掴んで懇願した。

「頼む。何があったか教えてくれ。あいつに、一体、何が、」

情けないほど声が震えた。恭遠は鎮痛な面持ちで口を開いた。それを聞いた俺は形振り構わず士官学校を飛び出した。
 俺達が任務に出て一時間後、士官学校に応援要請が本部より入った。士官学校から程近い小さな農村で火事が起きたので救助活動に出向けとのことだった。そんなに大きな火事ではないので教官達は特別授業として現場には一年生を一クラス送り出した。勿論、受け持ちの教官二名と共に。火事自体は残念ながら一軒の家が全焼してしまったが、その住人も村人も幸い怪我人は出なかった。消化活動を終え、あとは連合軍本部の人間に任せようとなり、教官達は士官候補生達を連れて士官学校へ帰還する。その時だ。農村に突如アウトレイジャーが複数現れた。連合軍本部の人間は前線に、まだ一年生の士官候補生達は村人の避難とアウトレイジャーと対峙する本部の人間の後衛に回った。しかし、相手はアウトレイジャーだ。アウトレイジャーを倒すには貴銃士の持つ絶対高貴または絶対非道の力がないと倒せない。だから連合軍本部は慌てて士官学校へ再び応援要請をした。貴銃士を寄越すように、と。貴銃士特別クラスで授業中だった恭遠は連絡を受けた瞬間、すぐにその場にいた貴銃士達を現地に派遣した。貴銃士達が到着した瞬間、ほとんど押されていた連合軍の人間は一気に盛り返した。しかし、応援を待っていたかのように農村中から突如として爆発が起きた。立て続けに何発も爆発し農村は瞬く間に炎の海と瓦礫の山に成り果てた。当然、現場はさらなる混乱に陥った。その場に居合わせた貴銃士の一人であるジョージの報告によると、増え続けるアウトレイジャーの討伐と炎に焼かれる家屋から村人を守るだけで精一杯だった。なかなか収まらない混乱の中、連合軍の人間が増員された。これ以上は実戦経験を積んでいない一年生の士官候補生達には危険だと判断し、生徒達は士官学校へ戻された。既に怪我人も大勢いる。士官候補生ならびに連合軍の負傷者達は、重傷者は連合軍管轄の病院へ、軽傷者は士官学校の医務室へ運ばれた。
 だから、この騒ぎの最中、全く気がつかなかったのだ。一人の女性徒が忽然と姿を消したことを。
 俺は恭遠から聞いた情報を頼りに例の農村へ向かった。俺が到着した時には暗くなった中でも分かるほど文字通りの焼け野原がそこに広がっていた。想像以上に被害は酷かった。俺の後を追ってきた任務帰りの面々があまりの惨状に揃って言葉を失った。マスターはぐっと唇を噛むとすぐに連合軍本部の人間に声をかけた。

「行方不明の士官候補生の件、何か聞いてませんか?」

「ああ、例のご令嬢のこと、だよね?」

連合軍の人間はマスターをその場に残し、さらに上の人間を連れてきた。その上官はマスターと、一緒にいた俺達に視線を向けて手招きした。

「今、軍議を終えたところだ。話に寄ると一連の犯行にトルレ・シャフが絡んでいることは間違いない。トルレ・シャフと思しき構成員の目撃情報があった」

「つまり、攫われた、ってことだな?」

軍議の内容を最後まで聞かず、ライク・ツーが口を開いた。ライク・ツーの指摘に上官は苦々しい表情を浮かべながら俺と邑田と在坂を見る。ゆっくりと肯定の返事した。

「間違いないだろうな。彼女はあの桜國家のご令嬢だ。奴等が狙うには十分な理由だろう」

「じゃあ、なんで気がつかなかった」

上官に問いた。だけど、返事はこない。それが俺をさらに苛立たせた。彼女が入学した時点でいつかこうなることが予想できたはずだ。いくら上層部の間だけでと桜國家から口止めされていても、彼女が将軍家のご令嬢という立場は変わらない。事が起きてからでは、全てが遅すぎるのだ。

「あの、アウトレイジャーはまだ出没しているんですか?」

マスターが口を挟む。上官はあからさまに俺から視線を外し逃げるようにマスターを見た。

「いや。もう出没はしていない。恭遠審議官が貴銃士達を派遣してくれたおかげでつい今しがた片付いたところだ」

「分かりました。なら、我々は誘拐されたと思われる士官候補生の捜索に向かっても構いませんか?」

我々とは、俺と邑田と在坂、そしてライク・ツーとマスターのことを言っているのだろう。上官は一瞬面食らった様子だったが、すぐに了承した。

「君達に任せる。頼んだぞ」

上官の了承を受けたマスターがぐるりと俺に振り向いた。まっすぐに、俺の目を見る。相変わらず、意志の強さが込められた綺麗な瞳だった。

「八九、行ってこい!」

ぐっと親指を立ててマスターは言った。ハッとした俺は息を呑む。それに対しマスターは親指を立てたままウィンクしてみせた。

「ほらほら早く!プリンセスが待ってるぞ!」

今度は茶化すように言われた。俺はマスターに頭を下げてから一目散に走り出す。その直前に、むんずと首根っこを掴まれて動けなくなった。

「八九、これを忘れてる」

俺より小柄な在坂は俺の首根っこを掴まえたままびくとも動かずこの辺りの地図を渡してきた。俺はありがたく地図を受け取った。

「ありがとよ」

頷いた在坂は手を離した。俺は今度こそ彼女の元へ向かって走って行った。
 息を切らせて走っていると変わり果てた農村から遥か離れた場所にある山が見えた。その山の麓に灯りが薄らと見える。俺は在坂からもらった地図を確認する。その灯りが示す場所は集落すらない所だった。まさかここに敵のアジトがあるのかと思いながらさらに足を動かす。そろそろ麓に近づこうとした時だった。

「逃がすな!!!必ず捕らえろ!!!」

怒声と共に大勢の足音が聞こえてくる。薄暗い中、武装したかなりの人数の人間に追われた士官学校の制服を着た人物がこちらに向かって走ってきていた。

「お嬢様!!!」

後ろに気を取られていた人物が俺の声に反応してこちらを見る。俺は迷わず彼女に向かって手を伸ばし自身の背中に隠した。

「怪我は!?何かされてねえか!?」

彼女の様子を見たくてもじっくりと見る暇はなかった。俺が彼女に問いかけている間に彼女を追ってきた奴等が俺の前に対峙する。全員、銃口を俺に向けていた。

「見覚えのある人影かと思ったら、あの世界帝軍特別幹部だった89様ではないですか」

大勢の人間を掻き分けて紳士風情の男が現れた。俺は相手に向かって銃口を突きつける。左手は彼女を庇うように後ろに向けたままだ。

「だから何だって言うんだよ?昔話でもしたいってか?」

「昔話、ですか。良いですね、それも」

胡散臭い声音で言ってのける男に嫌悪する。こういう人間が一番信用できないのは七年前から変わらない。

「八九。あの人達、トルレ・シャフです。わたくしのことも、知ってますわ」

「やっぱりそうか。じゃ、倒すしかねえな」

俺は左手を動かして宙を彷徨わせる。ようやく見つけた彼女の細い手首をぐっと掴む。

「なあ、何かされてないか?怪我してねえか?」

ぴくりと彼女の手首が動く気配がした。一瞬だけ、彼女の手が震える。だけどすぐに凛とした声が耳に入った。

「大丈夫です。何もなかったですわ」

「本当か?」

「強いて言えば、背後から薬を嗅がされそうになったのでその方の手を噛みついてやりましたわ」

「そっか」

掴んだ先を彼女の手首から手に移動した。ぎりぎりと引き金にかける指に力が込もる。怒りで、頭がおかしくなりそうだ。

「俺のお嬢様に触れやがって!!!てめえら!!!覚悟はできてるよなあ!?」

その瞬間、身体から禍々しいオーラが出た。恐ろしく強い力が身体中を駆け巡る。絶対非道の力が今にも溢れ出しそうだった。

「は、八九!?わたくし、本当に何もされてませんの。だから、」

「あいつらを許せってか?冗談じゃねえよ。俺のお嬢様を攫いやがったんだ。こいつら、全員、ぶっ殺してやるよ!!!」

さらに力が増幅した。俺は頭に血が上ったまま引き金を引く。大勢の人間相手に俺は絶対非道の力を使いひたすら戦った。俺と彼女に向けられた鉛玉は俺の身を挺して庇う。身体中が痛く風穴が空いても気にせず俺は無我夢中で暴れ回った。もはや制御不能に陥った俺を止めたのは一発の銃声だった。綺麗に心臓を撃ち抜いたそれは俺の意識を掠め取っていく。瞼を閉じる直前に見たのは俺の返り血を浴びたお嬢様の泣きそうな表情だった。


 目が覚めると寮にある自室のベッドの上にいた。そこには俺の部屋の椅子に座ったまま俺の顔を見るマスターがいる。マスターは目が覚めた俺に気づき歯を見せて笑った。

「八九、気がついたみたいだね。邑田に撃たれた時は肝が冷えた」

はあと大袈裟な溜息を吐いてみせるマスターを見ながら俺は身体を起こす。確か、トルレ・シャフの構成員に囲まれて戦っている時に、心臓に一発命中し、そこから覚えていない。というか、まさか。

「俺を一撃で仕留めたの、邑田かよ!?」

「うーん。仕留めないと手がつけられなかったから。こっちも今死んでも困るしさ」

あははと苦笑いを浮かべるマスターに俺はハッとする。あの時マスターと共にいたのは現代銃だけだった。俺が容赦なく絶対非道の力を使いまくったからマスターには相当のダメージを食らったはずだ。

「悪い。その、後先考えずに戦って」

「別にいいって!問題ないない!だいじょーぶ!」

ぱちんとウィンクしてみせるマスターに、やっぱり最近ジョージに似てきたなと思う。

「まあ、ほら。そのおかげで、プリンセスを無事に救出できたしさ」

プリンセス、その言葉に俺は慌ててベッドから這い出る。そんな俺をマスターは止めることなくニコニコ笑いながら見守っていた。

「なあ、あいつは!?」

俺の言葉を最初から分かっていたマスターは親指を立ててみせた。

「プリンセスならお待ちだよ。プリンスの帰還をね」

俺は思わず盛大に吹き出した。マスターは朗らかに笑っている。俺は顔を真っ赤に染めたままマスターを睨みつけたが、マスターは全く気にする素振りを見せない。ふと、マスターが真剣な表情に変わる。マスターは静かに瞼を伏せてから、もう一度目を開けた。

「私は、八九のマスターだ。だけど、他の貴銃士のマスターでもある」

俺は思わず姿勢を正してマスターを見る。マスターは時折逡巡しながらも言葉を続けていく。

「しかし、彼女には常に守ってくれる貴銃士もいないし、従者もいない。これから先、彼女の立場は益々悪くなる。常々、危険と隣合わせだ」

マスターの言う彼女とは一人しかいない。嫌な予感がした。その予感は当たった。

「今回一件で、彼女の素性は教官達にバレた。それどころか、公表していないのに生徒の間でも噂になっている」

「つまり、これからは外部だけじゃなく内部の人間からも狙われるってことだな?」

「そうなるね。でもさ、」

マスターの表情が柔らかくなる。俺に向ける真っ直ぐな瞳には迷いがなかった。

「プリンセスにはプリンスが傍にいるものだろう。ね?八九?」

「はあ?それって」

「八九がどんな結論を出しても、私は応援する。だから、私のことは気にしないでいい。私には、心強い仲間がいる。勿論、八九だって仲間だ。どんなに遠く離れても、変わらない。友情ってさ、フォーエバーだと思うよ!」

マスターがにこやかに笑った。俺はようやくマスターの言いたいことを理解した。俺は今、この目の前にいる人物に従う貴銃士だ。それは何処に行っても変わらない事実。だけど、マスターは俺に彼女の元へ行けというのだ。マスターに召銃された俺を縛ることなく、自分の決めた道へ進むよう背中を押してくれた。

「なあ、マスター」

俺は込み上げるものを感じながらも深々と頭を下げた。

「ありがとな。俺、あんたがマスターで良かった」

「こちらこそ、サンキュー!」

相変わらず飄々とした態度を取るマスターに俺は頬を緩ませる。それから顔を上げた俺は、マスターに向かって笑ってみせた。

「俺、あいつのところに行ってくる」

マスターはにこやかに手を振った。俺はマスターに背を向ける。しかし、マスターは何かを思い出したように声をあげた。何事かと思って振り向くとマスターは苦笑いを浮かべる。

「いや、あのさ、勝手に私達で盛り上がっちゃったけど、まずはプリンセスの意見を聞いてあげてね?」

は?と思いながらマスターを凝視する。マスターは視線を右往左往させてから、そーっと俺を見たのだった。

「まあ、その、うん。もしも振られちゃっても、気まずくならなくていいよ!オッケーね?」

そりゃあそうだ。俺と彼女は残念ながら駆け落ちするような間柄ではない。何故だろうか、どっと疲れが湧いた。


 世界連合軍配下の病院内を歩く。ロビーにある受付でマスターに聞いた入院棟の面会手続きを済まし、病院職員に案内された病棟に向かう。この病棟には昨日のアウトレイジャー襲撃で重傷を負った士官候補生達で溢れていた。その一番奥の廊下を曲がり、別棟へ行く。こちらの病棟は今まで歩いてきた病棟とは違い静かだった。さらに奥の方に向かうとようやく受付で聞いた個室が見えた。扉をノックするとすぐに聞き慣れた声で返事がくる。そのことに安堵しながら俺は扉を開いた。

「八九!無事でしたのね」

彼女はベッドで寝ているわけではなかった。ベッドの上に広げた荷物を片付ける手を止めて振り向き、俺の顔を見た瞬間、心底安堵したように眉を下げた。どうやら、帰り支度していたらしい。俺は何も言わずつかつかと彼女の元へ行く。間近に来た俺に彼女は数回瞬きを繰り返すが俺は構うことなく両手を伸ばし俺より小さな身体を抱きしめた。彼女の身体からは戸惑いの雰囲気が出る。それでも、俺は彼女を離すつもりはなかった。

「無事でよかった」

抱きしめる腕にさらに力を込める。俺に痛いくらい抱きしめられているせいで彼女が身を捩った。

「わたくしも、八九がご無事で安心しましたわ。あの時、八九が身を挺してわたくしを守ってくださったから助かりましたの。心から、感謝いたします。本当に、ありがとう」

凛とした声がすぐ近くで聞こえた。本当はダメだって分かってる。彼女と俺では立場が違う。それでも、もっと近くで彼女の声が聞きたくて彼女の頬に自分の顔を寄せた。

「怖がらせた、よな?」

「ええ」

「でも、あれが俺だ。世界帝軍にいた頃も、ああやってたくさんの人間を殺してきた」

「きっと、そうだったのでしょう」

「これから先も、どうせ俺はあんたを怖がらせる」

顔をあげて彼女の顔を見た。あどけなさの残る少女と成熟した女性の真ん中みたいな顔立ちをした彼女が俺をじっと見ていた。彼女はふむと少し考え込む。だけどすぐに俺を見て微笑んだ。

「あの時の八九の顔、本当に怖かったですわね」

ふふふと思い出し笑いを始める彼女に俺の肩の力が抜ける。相変わらず笑ったままの彼女に尋ねた。

「まだ詳しく聞いてないんだ。あんたが攫われた理由を」

彼女が表情を変える。数回瞬きを繰り返し、ああと思い出したように口を開いた。

「たまたまですわ」

「は?」

「士官候補生達が現地へ派遣されて、そこにたまたまわたくしがいたの。偶然にも、桜國家と八九を知っていたトルレ・シャフの構成員がわたくしと出会し、捕まってしまったというわけです」

「そんな偶然、あるかよ?」

「まあ、運がなかった。ということですわね」

彼女は小さく溜息を吐いた。僅かに眉間に皺が寄る。それからめんどくさそうな表情を浮かべながら愚痴を溢した。

「その運の無さが原因で、士官学校の教官達にわたくしの素性がバレてしまいましたわ。おかげさまで何か大事があってはならないからと検査まで受けさせられましたのよ。しかも、この病室、特別室ですわね。見るからに。まったく嫌になりますわ。こうなることが分かっていたから素性を隠していたというのに」

心底嫌そうにする彼女を見て呆気に取られた。普通は、攫われたことに恐怖心を抱くだろう。しかし、彼女にその素振りは全くない。

「本当に、大丈夫なのか?何ともないか?」

「八九まで心配しすぎないで。わたくしはこの通りピンピンしておりますわ。検査も終わりましたし、異常もないの」

ふうと息を吐く彼女を見ながら、安堵した。とにかく、何もないならそれでいい。

「これから士官学校でのわたくしの立場も悪くなりそうですわね。どうせ、将軍家のコネ入学とか生徒達に陰口叩かれそうですわ」

「あんた、こんな目に遭って士官学校辞めねえのか?」

「何故辞めなければならないの?わたくし、こんなことで怖気付きませんわ。将軍家の女子、舐めないでくださる?」

彼女がむすっと頬を膨らませるので俺は目を見開いた。てっきり、彼女の身を案じた桜國家に日本に強制送還されると思っていた。俺は思わず長く息を吐く。正直、彼女がまだ俺の近くにいてくれることにホッとした。

「これからもさ、俺があんたを守る。もう攫われてたまるかっての」

「攫われないように気をつけますわ。あんなに怖い顔をした八九をまた見たくないですし」

彼女がふふふと小さく笑う。その表情がとても愛らしくて思わず彼女の頬に手を滑らせた。

「まあ、怖がらせたっていいか。俺は、あんたが無事でいるためなら何だってしてやる。世界中の人間をぶっ殺したっていい」

「それはやめなさいね」

ふと、彼女が真剣な表情を浮かべた。彼女の頬を滑る俺の手を取り両手できゅっと握る。

「あなたが姿を消して銃に戻った時、とても怖かったの。あなたを失ってしまうのではないかって、わたくし、ずっと不安でしたのよ。またお会いできて、本当によかったですわ」

彼女の瞳が僅かに揺らいだ。彼女に他意がないことは分かっている。彼女は俺を男として見ていない。俺はずっと、出会ったあの日から下心しか持ってなかったというのに。

「お嬢様を一人残して消えねえよ」

彼女の手を振り払った。突然のことに彼女が目を丸くする。その隙に俺は両手を伸ばして彼女の頬を包むように触れた。

「悪いな、お嬢様」

ぐっと顔の距離を詰めた。彼女は数回瞬きを繰り返してからハッとする。彼女の両手が俺の胸板を押し返そうとした。

「人を呼びますわよ?」

「呼んだっていい」

さらにぐっと顔を近づけた。至近距離で彼女と見つめ合う。相変わらず、かわいらしい顔立ちだと思った。

「俺はもう、あんたに容赦しない。誰かに奪われてたまるかっての」

彼女が何かを言う前に勢いで唇を塞いだ。塞いでから、ようやく冷静さを取り戻した。これって、まずいんじゃね?だって、よーく考えてみれば彼女の後ろにいるのって、将軍じゃないか。と思っても身体は正直で彼女の唇に触れられた嬉しさの方が勝っている。そっと、彼女を解放した。

「え。その、わたくしは、」

明らかに狼狽する彼女がそこにいた。残念ながら自分の唇を奪われたことではなく、彼女は全く違うことで狼狽えていた。

「ごめんなさい。八九を、そういう目で見たことがなくて」

俺にとっては嫌われるよりつらい言葉だった。彼女の背中をずっと追ってきたのだから彼女が俺に抱いている感情が信頼であって恋愛ではないことを知っている。

「八九は、わたくしをそのように見ていらしたの?」

「ああ」

「いつから、です?」

「分からねえ。気がついたら、あんたの背中をいつも追ってた」

彼女はうーんと首を傾げる。その表情には困ったなあと言いたげだ。

「そんなに困ることなのか?俺に好かれるのは」

段々と苛立ってきた。男に唇を奪われたのだからもう少し恥ずかしそうにしてくれてもいいじゃないか。それなのに、彼女にとって俺との口付けなんぞなかったことになっている雰囲気だった。

「困るというか、驚いてしまって。わたくしにしてみれば、近しい人から突然キスをされてしまったのですから。八九だって、葛城から何の前触れもなくキスをされたら困るでしょう?」

「はあ!?その例えマジでやめろ困るのレベル超えるわ!!!」

彼女がきょとんとした表情で俺を見る。この顔は本気で俺が何を言っているのか理解していないやつだ。

「あんた、薄々気がついてたけど、だいぶ世間知らなすぎじゃね?」

「そう言われましても、色恋に関しては今まで兄上から知らなくてもいいと教えられてきましたし」

出た、兄上。犯人はおまえか。お嬢様だから蝶よ花よと愛でられて育ったのは分かる。だけど、世の中それじゃあやっていけないわけで。

「じゃあ、俺が、あんたに恋人になってくれって言ったらどうすんの?まさか兄上に聞くのかよ?」

「当然ですわ」

間髪入れず返ってきた答えに俺は開いた口が塞がらない。一方彼女は至極当然だと自信満々の態度でいる。

「我が桜國家には、交際もしくは結婚を決めた相手を見つけた場合速やかに親類縁者に紹介し判断を仰ぐしきたりですの」

「えーと。マジ?」

「マジですわ」

確かに将軍家の血筋だとそうなるのだろう。世継ぎ問題が絡んでくるから仕方がないとは思うけど。ふと、彼女は突然瞬きを繰り返す。それから何かを考える素振りを見せてから再び口を開いた。

「ところで、八九はわたくしと恋仲になりたいんですの?」

思わず盛大に吹き出した。彼女はじっと俺をまっすぐに見つめている。面と言われると事実でも反応に困った。

「恋人、か。俺はただ、あんたの傍にいる理由が欲しかっただけで。でも、あんたが誰かに攫われたり他の男に触られるのを見るのは嫌だな」

「それならば、わたくしのボディーガードをしてくださる?八九がわたくしの傍にいる理由になりますわ」

「いや、そうじゃなくて。やっぱりさ、恋人がいい」

彼女の大きな瞳を縁取る睫毛が震えた。再び数回瞬きが繰り返される。うーんと考え込んでからまた口を開いた。

「貴銃士って子供を作ることができますの?」

俺は再び盛大に吹き出した。何を言い出すのかと思いながら彼女を見ると、彼女が冗談を言っているわけではなかった。

「銃の化身ですから、人間ではないですわね」

「化け物だって言いてえの?」

「化け物でも構いませんわ。将来、子供を成すことができるのなら。それで?どうなんですの?」

頭に冷や水がかけられた気分だ。彼女は将軍家の血筋だ。だから、彼女に意思はない。お嬢様だからわがままに気儘に生きてきたと思ったが、根本的に彼女の自由なんぞなかったのだ。いざ交際を迫われたら将来を見据えて返事をしないといけないほどに。

「子供が作れない身体なら交際はできねえってこと?」

「そうなりますわね。桜國家が認めませんわ」

相変わらず彼女の瞳は真剣そのものだった。俺は心の中で悪態をつく。お嬢様ってめんどくせえ。それでも、俺は彼女が好きだ。彼女の家柄ではなく、彼女自身が大好きだ。

「じゃあ、俺の選択は一つだな」

すっと手を伸ばして彼女を抱き寄せた。そのまま彼女の膝裏に手を回して抱きかかえる。俺にお姫様抱っこされたと理解していない世間知らずのお嬢様は照れることもなく小首を傾げて俺を見上げた。

「八九、これは一体?」

予想以上に近い顔の距離に俺の方が照れる。唇を奪っておいてあれだが、好きな女を目の前にして冷静でいられる男はいないだろう。

「俺はもうあんたに容赦しないって言ったよな?」

「ええ。そうでしたわね」

「だから俺が、このままあんたを攫ってやるよ」

彼女がまた瞬きをした。すぐに、表情が変わる。明らかに狼狽した。当然、俺の照れる内心もすぐに消え失せる。

「嫌ですわ!わたくしを攫えば兄上が許しません」

「兄上、兄上って。ブラコンかっての」

「八九!」

キッと彼女が睨みつけてきた。俺に攻撃的な目を向けるなんてことはたった一度もなかった。それでも俺は怯むわけにはいかない。

「俺の気持ちは?」

「八九の、気持ち?」

「そう。あんたを好きになった男の気持ち、少しは考えてもよくね?」

口を引き結んだ彼女は何も言わず俺から視線を外した。俺の心が重く沈む。彼女はそもそも俺のことなんか何とも思っていない。それを考えろとは無理な話だった。俺は彼女を抱きかかえたまま歩き出す。彼女にどう思われてもいいから何処かへ攫ってしばらく二人で暮らしたい。いつか、彼女を桜國家へ帰すのだから、少しの間だけでも。

「八九。待ちなさい」

彼女の手が胸板を軽く押した。命令されると足を止めてしまうのは彼女がお嬢様だから。つい、俺は彼女をその場に降ろした。

「わたくしを攫うのはやめなさい。いいですわね?」

床に降り立った彼女は凛とした声で予想した通りのことを言った。俺は無言のまま彼女から視線を外す。しかし、次に言われた言葉は予想していないものだった。

「家柄を抜きにして、ちゃんと考えます。あなたがわたくしに向けてくださった気持ちを、受け止めますわ」

え、と思いながら彼女を見る。彼女は意志の強さを込めた瞳でまっすぐに俺を見ていた。

「時間をください。あなたのことを、もっと知ってから返事をしたいの。強行突破は、それまで待ちなさい。いいですわね?」

俺に向き合おうとしてくれる彼女に眩しいものを感じた。あのあどけなさが残る顔立ちで、しっかりと俺を見る。やっぱり、将来上に立つ人間は違うなと思った。

「俺は貴銃士だ。どうせ、あんたとの間に子供は作れない」

「ええ」

「俺は人殺しだ。旧世界帝軍の特別幹部だった。その事実は変わらない」

「知っていますわ」

「それでも、俺は、」

彼女の左手を取り、片膝をつく。目を逸らさないよう顔を上げ、彼女をまっすぐに見つめた。

「お嬢様のことを、心からお慕いしております」

彼女が数回瞬きしたのち、途端に、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。その愛らしさに俺の頬が赤く染まる。相変わらず、めっちゃくちゃかわいいお嬢様だ。

「八九。これからもわたくしの傍で励みなさい。あなたの活躍を、期待していますわ」

高飛車に命ずるその声に俺の心臓がどぎまぎした。そういえば、以前彼女が言っていた。俺の趣味、これじゃあ否定できねえわ。


 その後、俺と彼女の関係は大きくは変わっていない。俺は相変わらず彼女の背中を追い、彼女は俺の一歩前を歩く。強いて言えば、周りの目なんか気にせず俺があからさまに彼女を構うようになったことだろうか。そのせいで俺がいない時に彼女が生徒達に捕まり、俺に付き纏われてかわいそうと言われている。しかし、彼女はまったく気にせず言ってのけるのだ。

「彼がそうしたいのならそれでいいじゃないの。私は構いませんよ」

にこやかに返す彼女にそれ以上何か言おうとする人間はいなかった。
 変わったことがあるとすれば、俺のマスターのことだ。

「Hi!プリンス!プリンセスとはまだ進展しないのかい?駆け落ちするならいつでも大歓迎だぞ!」

あからさまにおもしろがっているマスターには頭を抱えている。ちなみに、マスターがこんな感じなので最近はジョージにもからかわれている。

「Hi!八九!プリンセスとは進んだか?何処まで進んだんだ?もうちゅーはした?なあなあ?教えてくれよ!めっちゃ気になっててさ!な?ライク・ツー?」

ぐいぐい来るジョージの後ろにいたライク・ツーの顔には俺を巻き込むなよと書いてある。というか、人前でデカい声で言うのやめろ。
 それからしばらくして、俺は彼女に声をかけられた。いつもは俺から構うのに、彼女直々に俺の部屋にやってきた時は心底驚いた。

「八九、お話がありますの」

部屋に入るなり、その場に立ったまま口を開いた彼女に何を話すのか想像ついた。俺はその場に直立不動で彼女に向き直る。彼女は固くなった俺の雰囲気を見てころころと笑った。

「別に身構えなくてもよろしいですわ。今日は、あの日の返事をしに来ましたから」

余計に俺の身体が固まる。一方彼女は気にすることなく言ってのけた。

「わたくし、あなたに言われてからちゃんと考えましたのよ。わたくしにとっての、八九の存在を。それで、ようやく気づきましたわ。八九はわたくしの中でとっくになくてはならない存在でしたの」

真っ直ぐに彼女が俺を見る。相変わらず、意志の強さを感じる瞳だった。俺は、息を呑んだ。

「わたくしも、八九と一緒にいたい。八九になら、わたくしの全てを捧げますわ」

「えーと、それって、」

「お世継ぎ問題なんてクソ喰らえってやつですわ。だから、桜國家から交際を反対されたあかつきには、わたくしを連れ去ってくださる?」

愛らしく微笑んでいるが彼女の頬は赤く染まっていた。僅かに瞳の奥が揺らいでいる。俺は彼女の言葉を理解してハッとした。そっと彼女の頬に手を伸ばせば彼女の細い腕が俺の背中に回る。よく見ると、彼女の耳も赤い。

「何処へでも連れ去ってやるよ」

彼女がまっすぐに俺を見る。ふふふと小さく笑う姿に堪えきれそうにない。

「キス、していいか?」

「あら。あの時と違って紳士的ですわね?」

「まあな。だってあんたは、」

こつんと額と額を合わせた。大きな目が恥ずかしそうに俺を見てはゆっくりと瞼を閉じた。それを合図に俺は唇を重ねたのだった。

「ずっと大切にしてきた、俺だけのお嬢様だからな」

2022.08.30
Title by ユリ柩