
Bookso beautiful yet terrific.
ナイトレイブンカレッジには水泳の授業がある。学園の敷地内にあるプールは衛生や適温のために2、3日に1度の頻度でいくらかの水を抜いては足すを繰り返している。プールの水そのものには塩素を注入し、浄化槽を作動させたままにして衛生を保っている。
さて。そのプールの管理は本来教職員が行うはずなのに、何故か私が放課後のプールサイドにいた。学園長曰く、浄化槽の調子が悪いのかプールの水が1日で汚れかけているので見に行って来てください、だそうで。
私はプールの中に落ちないように気をつけながらプールサイドにしゃがんで学園長に教わった通りにキットを使って水質検査を始める。本来なら学園の薬剤師が行うものだけど、正式な検査ではなく水が汚れているかどうかの確認だけだから私でいいと学園長が言い出す始末なので呆れる。これ、違法じゃないよね?私に何か巻き込んだりしないよね?と、当然私の内心は物凄くビクビクしていた。
「監督生さん?」
思わず、びくりと肩が跳ねて呼ばれた方を向く。すると、プールを囲むフェンス越しに私を見て小首を傾げるアズール先輩と目が合った。
ぼちゃんと音を立てて私の手から水質検査キットがプールの底へ落ちて行く。私が慌てて水の中へ手を伸ばすと、私の身体がぐらりと大きく傾いた。
ハッとした私は次に来る衝撃に耐えるようにぎゅうと強く目を瞑る。だけど、プールの底へ真っ逆さまに行くはずの私の身体は、瞬時に強い力に引き寄せられるだけだった。
「大丈夫ですか!?」
切羽詰まった表情を浮かべたアズール先輩に至近距離で顔を覗き込まれた私は息を呑む。たった今までフェンスの向こうにいたはずのアズール先輩に私は抱き寄せられていた。
「あ、」
ありがとうございます。そう言いたいのに、アズール先輩の腕の中にいるせいで、男の子の体温をしっかりと感じ取ってしまい私の心臓が異常なほど早鐘を打っている。
「どうかしましたか!?顔色が、」
アズール先輩の言葉を最後まで聞かずに、つい両手で強くアズール先輩の胸板を押し返してしまった。
「え、」
「あ、」
アズール先輩が眼鏡越しに目を丸くさせて私を凝視する。私は咄嗟にやってしまったことに何と言いわけすればいいか分からずそれ以上、言葉が出なかった。
長い沈黙がお互いの間に気まずい雰囲気を漂わせていった。嫌な空気にどうしようと後悔しても、一度してしまったことは取り返しがつかない。
それに気づいた私はアズール先輩と目を合わさないように勢いよく深々と頭を下げた。
「助けていただきありがとうございました」
そのままアズール先輩を横切り、私はプールサイドを走って敷地を出ては全速力で学園長室へ向かう。心臓が、壊れそうなほど身体中に振動を響かせていた。
男の子に抱きしめられたことなんて今まで1度も無かったからって。あの態度はあまりにもアズール先輩に失礼だった。
もうすぐ学園長室に辿りつく前に、私の走る足が止まる。そのまま、ずるずるとしゃがんで膝を抱えた。
「どうしよう、」
それは何に対して溢したのか自分でも分からなかった。水質検査キットをプールの底へ落としてしまったからなのか。それとも、アズール先輩に失礼な態度を取ったことなのか。或いは、この治まりそうもない心臓の苦しさのことなのだろうか。
膝に顔を埋めたまま、ぎゅうと強く目を瞑った。その直後、コツンと乾いた靴の音が目の前に現れる。その人物が私の正面にしゃがんだことは気配で分かった。
革靴の音に、あと少しで学園長室に辿りつくところだったことを思い出した私は相手が学園長だと勝手に思い込んで顔を上げる。しかし、そこにいたのは学園長ではなく先程プールサイドに置き去りにしてきたアズール先輩だった。
「あ、」
驚いて思わずぺたんと廊下の上に座り込んでしまう。すると、アズール先輩がぎょっとした表情を浮かべて前のめりに膝をついた。
「待って!!!」
その言葉と共にアズール先輩の手が私に伸びてくる。瞬時にびくりと肩を揺らす私にすぐに気がついたアズール先輩は、伸ばした手を宙に彷徨わせてから自身の膝の上で拳を握った。
「あなたを驚かせてしまったことを、謝りたくて」
アズール先輩の目が眼鏡越しに私を見る。ゆらゆらと揺れる瞳に、私の心臓がぎゅうと締めつけられる錯覚がした。
「あなたが男性を苦手なのは重々承知しています。ですが。僕は、あなたを怖がらせたくない」
そう言って、アズール先輩が俯いてしまう。私はハッとしてぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違うんです!男の子を苦手とか怖いと思ったことは無いです!アズール先輩のことだって!苦手とか怖いと思ったことは1度も無いです!ただ、その、」
私の言葉に、アズール先輩が顔を上げてゆっくりと私と目を合わせてくる。私は夢中で必死に続けた。
「水質検査キットをプールの中に落としちゃったし。男の子に抱きしめられたの初めてだったし。アズール先輩が突然目の前にいて。色んなことにびっくりしちゃって、」
支離滅裂になっていく言葉に自分でも何を言いたいのか分からなくなった。段々と、萎んでいく声と共に私も俯いていく。
不意に、私の手に骨張った手が重なる。まるで火傷したように熱を持つそれに耐え切れなくて自分の手を引っ込めようとしたけれど、向こうは私の手が逃げ出す前にしっかりと掴んでみせた。
クスクスと柔らかく笑うアズール先輩の声音に私の顔が熱くなっていく。恐る恐る顔を上げてアズール先輩の顔を見ると、優しい顔をしたアズール先輩が私を見ていた。
「水質検査キットをプールの中に落としたことは僕も一緒に謝りに行きましょう。というか、その検査は本来学園の薬剤師の仕事のはずですが?それから、先程のプールでも今もあなたの目の前に突然僕が現れたのは転移魔法を使ったからです。驚かせてしまいすみませんでした」
ああ、そうそう。と、アズール先輩が続けていく。
「僕も。女の子を抱きしめたのはあなたが初めてです」
ぎゅうと重なった手に力が込められていく。私の身体中の血管が騒ぎ立てていくけれど、アズール先輩は気にせず手を離してくれそうにない。
「こうやって手を握るのも、あなたが初めてです。ね?こんな僕を、笑ってやってください」
少しだけ恥ずかしそうに笑うアズール先輩の頬が、ほんのりと赤い気がする。私の顔なんて、赤い通り越して真っ赤に染まっているのだろうけど。
お互いに、顔を凝視してしまう。そして、2人して声に出して笑った。
「あなたのお顔、真っ赤ですよ」
「アズール先輩も、赤いです」
「理由を聞いても?」
「理由、ですか?」
「ええ。とっても気になります」
「アズール先輩のお顔が赤い理由も知りたいです」
「僕が?何故でしょうねえ」
さらに強く握ってくるアズール先輩の手を、私も震える指先できゅっと握り返してみる。私より大きい男の子の手に、緊張と恥ずかしさに眩暈がしそうだ。一方のアズール先輩は、ほんのり程度の赤い頬をさらに色濃くさせていく、私の指先が動くたびに。でも、きっと、私の思い込みだろう。
これは全部。暑い、暑い、夏のせいだと私は自分に言い聞かせた。
2023.07.15
夏らしい台詞を最後の一文や一コマに入れた作品|女監督生受け版ワンドロワンライ