Bookso beautiful yet terrific.

 物理学研究室を出て、大学の敷地内を歩く。白衣を着たまま出て来ちゃったことを外に出てからようやく気がついた。というか、物理化学を専攻している私は実験が多く白衣を着ることが多い。だから、白衣は私服の一部とさえ思っている。それでも、繊細な実験が多いので白衣に付着した微量な成分が何かに誤って反応する場合がある。頭の隅っこで分かってはいるのでとりあえずベンチに腰かけてから白衣を脱いだ。
 ベンチの真上には大きな銀杏の葉が広がっている。他にもこの辺りには紅葉した木々があり、地面には鮮やかな色をした落ち葉とどんぐりが散らかるようにそこにあった。だってここのベンチ、理学部棟の裏庭にあるから理学部生以外ほとんど近寄らないため落ち葉掃除が疎かだし。
 大して興味のない景色をぼんやりと眺めながらベンチに座り続ける。肌寒い空気が私の髪を揺らした。

「あー、いたいた」

穏やかな声が私にかけられたらしい。らしいというのは、その声の主を私は知らないからだ。とりあえず、私は振り向く。一方、彼は表情を変えることなく私の元へやってきては本を一冊手渡した。

「これ、物理学研究室の教授から頼まれて」

私は彼から受け取った本を眺める。それは数日前に私が何処かで無くした物だった。

「無くしたと思って、探してたの。ありがとうございます」

「教授も見つかってよかったって言ってたよ。名字さんがせっかく新刊買ったのにって落ち込んでたから」

私は思わず苦笑いを浮かべた。実は数日前に参考書を買おうと本屋に行ったら私の好きな作家の新作のミステリー小説の発売がされていたのだ。当然、参考書と一緒に本も買ったのだが、昼休みに早速読もうと持ち歩いている間に何処かに置き忘れてしまったのだった。無くしたと気づいた時には半泣きになりながらゼミの仲間や教授を捕まえて散々尋ね歩いたのを覚えている。確かに、あれだけ騒いでいれば教授もそっとしておくわけにはいかなかったのだろう。とにかく、手元に戻ってきてよかった。

「教授にも改めてお礼を言わないと」

「うん。そうしてあげて」

うんうんと頷いた彼は遠慮もせずに私の隣に腰を下ろした。正しくは、私と二人分くらい離れた場所に座っている。彼の視線が私ではなく前を向くので私も彼にならい前を向く。だけど、見る景色も特にないので足元に散らかる落ち葉達を眺めた。
 そんなに長い時間ではないけど、沈黙が流れる。別に意気投合と彼と話したいわけではないが、大して親しくもない人と二人でいるのは気まずい。思わずちらりと彼を盗み見る。もしかしたら、同じ講義を受けたことがあるのかもしれないけど、大学に入学してからこの半年間顔を合わせたことがない。つまり、冷たい言い方をすると私はこの人とは他人だ。全く知らない人になる。
 まあいいか、私がこの場所から離れれば。そう思いながらベンチから立ち上がろうとした時だった。

「三日前、俺の知り合いが女の子に告白されたって自慢してた」

ぴくりと私は反応する。立ち上がろうとした足に力が入らず私はベンチから動けなくなった。

「告白したの、名字さんだよね」

正直に言って驚いた。だけど、冷静に考えれば私の好きな人の友人なら知っていてもおかしくはない。私は視線を宙に彷徨わせてから力なく笑った。

「振られちゃったけどさ」

三日前、違う学部に在籍する好きな人に告白して振られた。というか、その好きな人、めっちゃくちゃモテる人だから無理なのは分かっていたけど。

「サークル仲間とご飯行った時に、王様ゲームってやつに負けて、罰ゲームで告白することになっちゃってさあ。それで、みんなが見ている前で盛大に振られたの。笑っちゃうでしょう?」

その場はみんなが罰ゲームだからと笑っていたけど、私は本気だった。本当は、罰ゲームなんかで告白したくなかった。まあ、しょうがない。運がなかったと思うようにしている。

「そう言うわりには、名字さん泣いたよね」

「まさか」

「化粧で誤魔化しているけど、瞼が腫れてる」

いやいや、見ず知らずの人が私の何を知っているのさ。そう言い返したいのに私の口から出た言葉は違うものだった。

「本当は、すっごく好きだったの」

言った瞬間、涙が溢れた。一粒、二粒、と増えていく涙が止められなくて私は慌てて服を弄る。そういえば、ハンカチは脱いだ白衣のポケットの中だと思い出し、急いで白衣を広げる。すると、すっと目の前に綺麗なハンカチが差し出された。

「使って」

驚いて彼を見ると彼はじっと私を見つめてから頷いた。私は一瞬迷ったけど、とりあえず涙をなんとかしたくてハンカチを受け取った。

「ごめんなさい。ありがとう」

そっと目元を押さえる。化粧、崩れなければいいなと思いつつも泣くのをやめられそうにない。

「いくらでも汚してくれて構わないから」

嫌な言い方だなあと思いながら涙を拭く。その隣で、彼は何てことないように言ってのけた。

「でもさ、名字さんが振られてよかったよ」

「え?酷くない?」

「だってあいつ、2股どころか20股してるから」

びっくりして涙が引っ込んだ。思わず顔を上げて彼を見ると、彼は至極真面目な表情だった。どうやら、冗談で言っているわけではないらしい。

「信じられない。あんなに誠実で真面目そうなのに」

「誠実で真面目な人間が日替わりでデートに行くと思う?」

「しかも日替わり!?」

驚きすぎて吹き出して笑った。私、男の人を見る目がないと思う。

「20人もいれば、日替わりにもなるか。というか、デートだけでめっちゃくちゃ忙しいじゃん」

あははははと声に出して笑う私を見て、彼がほんのり頬を緩ませた。

「やっと笑ったね。名字さんはさ、笑った顔が凄くかわいいんだから、もう泣いたらダメだよ」

「そうなの?よく分からないけど、ありがとう」

お世辞が上手だと思いつつ、今度は笑いすぎて出た涙をハンカチで拭う。一方彼は抑揚のない声でさらに続けた。

「俺が今、名字さんと付き合ったら、あいつにこの泥棒猫って殴られるかな?」

真面目な口調で聞かれるものだから余計に笑いが込み上げる。まずい、私、過呼吸になりそう。

「大丈夫。まず殴られることないから。というか、泥棒猫って昼ドラみたいだね」

「殴られないのか。残念」

心底残念そうにする彼にもう何処からツッコミを入れればいいか分からない。だけど、おかげさまで好きな人に振られたことなんぞどうでもよくなった。

「気を遣わせちゃってごめんなさい。私の話、聞いてくれてありがとう」

まだ笑いが止まりそうにない。20股の日替わりデートの破壊力が腹筋にかなり効いた。それにしても、20股している人間が私の告白を断るとはどういう心境だったのだろう。21股くらい大して変わらないと思うけど。

「私、明日からあの人の顔見れないや。今度は違う意味で」

何故なら、何食わぬ顔して20股している人間とどう顔を合わせればいいか分からない。つい先程までは振られて気まずいから会いたくないが理由だったというのに。

「え?名字さん、振られてからもあいつに会ってるの?」

「会うも何も、同じサークルだし。ああ、でも、振られる前からもここ最近あんまり会わなくなったような気がする」

うーんと首を捻る。そういえばと思いながら気がついた。私は好きな人とサークルであまり会っていない。というか、避けられたように会わない。だから、三日前のサークル仲間と食事に行った時が久々に好きな人の顔を見た気がしたのだ。

「それなら、大丈夫だね。あいつが名字さんに近づくことはないよ」

穏やかというか淡々と言われた内容に私は数回瞬きをした。私は彼に視線を合わせる。

「それ、どういうこと?」

あからさまに訝しむ私に対し、彼は表情を変えることなく言ってのけたのだった。

「あいつに、名字さんに手を出したら許さないと言ってあるから」

当たり前だと顔に書いてあるが、私には理解ができない。

「ごめんなさい。ちょっと、何言ってるか分からない」

「え?名字さん、俺とコントしてる?」

「二人組のサンドウィッチの人じゃないからね」

ゆるゆると頭を振って考えるが状況がさっぱり分からない。ふと、彼との距離が近いことに気づく。私達の間には二人分の距離があったはずだが、今は一人分までの距離になっている。

「あの、」

「近いって言いたい?」

「うん」

「セクハラだ、って殴ってくれていいよ」

「え?なんで?」

この人、私が困惑する姿を見てなんか楽しそうにしている。怖いなあ。もはや、呆然としてきた。だけど、彼は私の態度なんぞ気にせず再び口を開いた。

「俺、名字さんがあいつの21股目になるの許せない。だって、ずっと好きな人が誰かに遊ばれるのは我慢ならないから」

ぱちくりと瞬きする。彼を見れば彼はやんわりと頬を緩めていた。私は彼に言われた言葉を頭の中でもう一度復唱する。いや、まさかと思いつつも、否定しきれない自分がいた。

「いやいやいや。あなたと私、学部も違うし。というか、今まで面識なかったじゃないの」

「やっぱり、俺のこと知らなかったんだ。俺は知っていたのに」

彼の顔から表情が消えた。ぞくりと背筋が震える。怒らせてしまっただろうかと思いながらそっと視線を彼から外す。これだと私が悪いことをしている気分になる。

「ごめんなさい。その、あなたとは学部もサークルも違うみたいだしさ。だから、」

何を言っても言い訳にしかならない。私があわあわとしていると彼は自らの顔を両手で覆って俯いた。

「酷いわ!私、ずっとあなたのことを信じていたのに!」

「いやいやいや!?その浮気された妻のノリやめて!?」

これ、誰かに見られたら修羅場扱いじゃん。そう思えば余計に慌てた。だから、気がつかなかった。最後の一人分の空白を自分で詰めてしまったことを。

「ねえ、名字さん、」

ぱっと顔を上げた彼が私の両手首を掴んだ。私の手から膝の上にはらりと彼のハンカチが落ちる。彼の両手がしっかりと私の手首を捕まえているおかげでびくともしない。そこから彼の体温をじわじわと感じるせいで、私はようやくあまりにも近い距離を理解した。

「離して」

「嫌だ。だって、やっと捕まえたから」

彼の視線が真っ直ぐに私に向いている。彼の真剣な瞳に私はどうすればいいか分からなくて視線だけを彷徨わせた。

「ずっと好きでした。ずっと笑うあなたの隣にいたかった。ずっとあなたと学校に通いたかった」

「ね、熱烈すぎる、かな?」

「ずっと、姫路が羨ましかった」

ん?姫路?と思いながら彼を見る。ぱちくりと瞬きする私の反応を気にせず、彼は穏やかだけど淡々とした声音で言ってのけたのだった。

「姫路、言ってなかった?俺が姫路の幼馴染だって」

「中学も高校も一緒だったけど聞いてないよ。というか、姫路って自分のことを話すタイプではなかったし。そもそも、姫路ってよく私のことを睨みつけてたから私のこと嫌いなんだろうなあと思ってたくらいだから」

まあ、眼鏡の奥の瞳から睨みつけられるだけで何かいじめられるわけではなかったけど。勉強も見てくれたし、生徒会の資料運びも手伝ってくれたし。あれ?これって嫌われてなくね?私、好かれてたの?あの姫路に?分かりづらいなあ。

「あの人、目つき悪いからなあ」

思ったことを口に出した。それを聞いた彼がすぐに同意した。

「姫路、ずっと名字さんのことを見守ってくれてたんだ。名字さんに変な虫が寄生しないように」

「さらっと怖いこと言わないでよ。というか、私に彼氏ができなかった理由って姫路だったの?」

「だって、名字さんって、東校ナンバー2の女だから変な虫に寄りつかれても困るし」

「ん?」

身に覚えのない話にただただ困惑するしかない。そもそも私、東校ナンバー2の顔を知らないし。というか、東校って不良校で有名だ。私は中学校から高校まで南校なので東校と縁がない。

「もうさ、頭の中がパンクしそう。急展開すぎてついていけない」

「東校ナンバー2の女だから南校時代に彼氏どころか男すら寄ってこなかったって理解できればいいよ」

「そこが急展開すぎるんだってば」

はあと思わず溜息を吐いた。彼はまだ私の手首を離してくれない。

「だいたい、東校生どころか東校に行ったことないし」

「南校生の名字さんならそうだよね」

「西校なら行ったことあるけど」

「まさかの?」

「頻繁ではないけど、たまにね。西校に幼馴染いるから」

「ついでに聞くけど、そいつの名前は?」

「桜田だよ。桜田旭」

「え?それ、西校の番長じゃん」

「そういえばそんなこと言ってたなあ、あいつ」

ちょっと、いや、だいぶおバカな幼馴染を頭の中に浮かべた。幼い頃はお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃーん!!!って泣きながら私の背中を追いかけてきたのに、今では西校の番長だもの。大きくなったなあとしみじみ思う。

「あのさ、一人で思い出に浸るのやめてくれない?」

彼の声でハッとする。私はつい緩んでしまった頬を隠すこともなく笑った。

「ごめんなさい。あの子達、放っておくと不摂生な食生活送るから。喧嘩するならまずは体力作りから始めないと」

「北校みたいなこと言ってるけどヤンキーは別に部活じゃないからね?というか、噂で聞いてたけど、定期的に西校に超豪華な重箱持って出入りする女がいたって、それって名字さんのことだったんだ。まさかの」

「え?噂になっていたの?知らなかった」

彼がきゅっと掴んでいる手に力が入る。そのせいでほんの少しだけ私の手首が痛くなった。

「妬けるなあ。それとも、そういうプレイ?」

「相変わらず何言っているか分からないんだけど」

「彼氏に嫉妬された彼女が監禁されて縄で縛られるけど自力で脱出して怒った彼女が仕返しに彼氏を監禁して縄で縛って痛めつけて高笑いするという解釈でオッケー?」

「どんな解釈!?まったくオッケーじゃないよ」

期待に満ちた眼差しで彼が私を見つめてくるので私の頬が引きつる。とりあえず、手首が痛いので離してほしい。

「とりあえずさ、この手を離そう。ね?」

「それはできない」

「ちゃんと話は聞くから」

「聞くのはこのままでもできるよ」

「いいかげん腕が疲れるの」

「それがたまらないんじゃないか」

そうだよね?みたいな顔して同意を求められても困ります。薄々気づいていたけど、この人やばいやつだ。私がうーんと首を捻る間に、彼の手が動いた。私の手首を離し、するすると指が上に動く。辿り着いた場所は私の手だった。両手ともに彼の両手に掴まれて、そのまま指が絡められていく。流石にこれには私の頬が恥ずかしさに赤く染まった。

「あの、本当に離してよ」

「あ。顔、赤くなった。かわいい」

「お世辞いらない」

逃げるように手を動かせば想像以上に強い力が彼の指先から伝わる。思わずじとりと睨むと彼が途端に嬉しそうに瞳の奥をきらきらさせた。ダメだ、この人。めっちゃくちゃめんどくさい人だ。

「俺、名字さんのことが好きだよ。小学生の時からずっと」

「想像よりもずいぶんと前からでびっくりです」

「最初は、近所の塾に通う名字さんの姿を見てかわいいなあって思ってた。そうしたら、同じ中学に通った姫路と打ち解けてくれたって聞いて、いい子だなあって思った。しかも、姫路と同じ高校に通って、同じ生徒会で切磋琢磨して、たまに姫路を罵倒してくれて、凄く羨ましくなった」

「ごめんなさい。最後めっちゃ引いたわ」

今度は真剣な目をしている彼。しかし、私は首を捻るばかりだ。というか、あのツンツンした姫路が私と親しくなった認識の方が気になる。どの辺りで認識したのやら。

「と、言われても。私達、直接会ったこともないよ。それで好き嫌いの話になってもねえ」

「あれから俺は姫路から聞く名字さんの話と姫路と会うたびに見せてもらう名字さんの写真に惚れたんだ。たまに俺の夢の中にも現れてくれてとても嬉しかったよ。この無礼者!私に跪きなさい!って赤いヒールの裏を俺の顔面に向ける姿に何度ときめいたことだろう」

「それ私?私なの?もう一度聞くけど本当に私なの?というか、あなたの想像で作られた私に惚れられても困るわ」

姫路に問いたい。あなたこの人に私のどんな話をしたのよ。なんだか頭が痛い。とりあえず、今の私にできることは一つだけだった。

「あなたの中の私はどうかと思うけど。でも、好きになってくれてありがとう。だけど、今は付き合うとかはできないよ。お互いに、よく知らないし」

「うん。振ってくれてありがとう。すっごく嬉しいよ」

「待って待って待って!?話の流れおかしいよね!?」

私はがっくりと項垂れた。掴まれた手がいいかげん疲れた。しかし、力を抜いても特に問題はない。何故なら彼がしっかりと指に力を入れているのですり抜けることはなかった。

「まずはお互いによく知ろうよ。いや、知りたくはないこともあるけど」

「分かった。じっくり教えてあげる。ずっと遠距離恋愛だったし、寂しい思いさせたからね」

「もうツッコミ入れません」

はあとあからさまに溜息を吐いてから違和感を感じた。そういえばと思いながら彼を見る。私と目が合った彼は頬を緩めた。

「ところで、私から青春を奪ってくれた東校ナンバー2って、誰なの?」

「え?俺だけど」

私の疑問に間髪入れず返ってきた言葉に私は瞬きした。いやいやいや、まさか。と、思いつつも再度尋ねてみる。

「東校ナンバー2って、どなた?」

「うん。だから、俺です。まあ、卒業しちゃったから、元ナンバー2だけどね」

姫路の幼馴染ってヤンキーなんだあと呑気に思う。というか、思わないとやっていけない。

「そうそう。今、噂が立ってるんだ」

「すっごく嫌な予感がするんだけど」

「理学部の名字さんは元東校ナンバー2の女だから手を出さない方がいいよ。だってさ」

頭を抱えたい。いや、手が自由ではないから頭を抱えることをできないけど。

「おかげさまで20股男に引っかからず済んでよかったと思うことにするよ」

力なく言う私に彼が声を出して笑った。彼はずいぶんと楽しそうだ。私にしてみればちっとも楽しくないですが。
 ふと、私は繋がったままの両手を見る。これ、いつ外してくれるのだろうと思う。

「とりあえず、この手を離しましょう」

「それはできない」

「この会話、あと何回続くのかな」

はあと大きく溜息を吐いた。ぴくりと彼の両手が僅かに動き再度ぎゅっと指に力を入れた。私は半分うんざりとしながら彼の顔を見る。しかし、先程まで距離があったはずだったのに私の目の前に広がるのはずいぶんと近くなった彼の顔だった。私の額にあたたかいものが押し当てられる。それはほんの一瞬ですぐに彼は元の位置へ戻った。

「離すわけないよ。だって、ずっと待ってたから。名字さんに会えるのを」

彼が嬉しそうに言うから私は言葉が出なかった。代わりに口を出たのは半分諦めに近い返事だった。

「元東校ナンバー2には敵いませんね」

 一際、強い風が吹いた。木の枝から降る枯れ葉と地面から舞い上がる落ち葉と同時に私の膝の上にあった白衣と彼に借りたハンカチも飛んだ。その瞬間、彼の両手が私からぱっと離れた。彼の手が伸びて飛んでいく白衣とハンカチを掴む。私は彼の動きを見ながらようやく自由になった手をおろした。一方彼はハンカチを自ら洋服のポケットにしまい、私の白衣をおもむろに広げる。真っ白な世界が目の前を移動し、私の頭の上に広がった。

「やっぱり。これ、ちょうどいいね」

そう言った彼は白衣を被せた私の顔をじっと覗き込む。何がと私が問う前に彼が緩んだ頬をそのままに口を開いたのだった。

「大好きだよ、俺の女王様。このまま監禁して縛りたいくらいに」

「今の一言で全て台無しだよ」

私はあはははと思わず声に出して笑う。マイペースな彼のせいで、失恋した痛みなんぞとっくに忘れてしまっていた。

2022.09.04
秋|救済措置様
(秋企画のため救済措置様では11月公開になります)
Title by エソラゴト。