Bookso beautiful yet terrific.

 授業が終わりエースとデュースとグリムと一緒に談笑しながら移動教室から戻っていると、実験室の方から生徒達の騒つく声が聞こえてきた。

「お、おい!!!見たか!?」

「やべーよ。あれ」

「薬品の効果が切れても近寄り難いよなあ」

騒ついているのは実験着姿の2年生だった。本人達はひそひそ話しているつもりでも、実験室内外で話す生徒達の声は残念ながら小さくはなく寧ろ大きいくらいだった。
 流石に、何事かと気になった私達は揃って足を止める。すると、ひそひそ話の仲間入りしていたらしいジャミル先輩がこちらに気づきすぐにやって来た。

「ちょうどよかった。君達、アズールを見かけなかったか?」

ジャミル先輩の問いかけに私とエースとデュースとグリムはお互いに顔を見合わせてから首を横に振る。そんな私達の反応に、ジャミル先輩は深く息を吐いてから声量を落として言ったのだった。実は、と。


 ジャミル先輩の話を聞いてから私は持っていた自身の教科書や筆記用具を全部エース達に押しつけて走り出した。学園中の廊下や空き教室を片っ端から探して走る。時折、私が廊下を走る姿を見つけた先輩や先生に注意を受けるけれど、とりあえず謝ってその場やり過ごし、また走るを繰り返した。
 そうして、探していた人物がようやく見つかった場所は鏡舎に向かう道中にある、普段誰も使わず窓も無い暗い非常用の階段だった。

「あ、」

アズール先輩。そう呼びたいのに私の声はそれ以上出て来なかった。
 非常階段に蹲るように1人きりで座っていたアズール先輩が途切れた私の声に反応したらしく顔を上げて私に視線を向けた。その瞳は、暗く沈んだ色をしていた。

「こんな所まで何しに来たのですか?」

言い放ってから、アズール先輩が階段から立ち上がり、ゆっくりと私の目の前にやって来た。それと同時に、ボタボタとインクが床を染め上げていき、禍々しい空間を作り上げる。つまり、私と対峙するアズール先輩は、オーバーブロットしたあの日の姿だった。
 思わず、私は一歩下がってしまう。ジャミル先輩からアズール先輩の状況を聞いてはいたけれど、いざ会うと少しだけ怖い。だけど、アズール先輩はそれを咎めることなく曖昧な表情で笑うだけだった。

「ほら。あなただけには会いたくなかったのに」

ガラガラとした声なのに、不思議と優しさが含まれているように感じた。いつも話している時と同じように。
 私は深く息を吸ってからゆっくりと吐き出した。恐怖で僅かに震える指をきゅっと握りしめてアズール先輩に向き直ってみせた。

「ジャミル先輩からアズール先輩が実験中に、使用者自身が恐ろしく思う姿になる変身薬を被ってしまったとお聞きしました」

「授業でハロウィーンの仮装用に使用する変身薬を調合していたのですが、一緒に組んでいた方のドジのせいでこのざまですよ」

はあと溜息を吐くアズール先輩は、見た目こそあれだがやっぱりいつも通りだった。そう思うと、不思議と恐怖心が柔らいでいく。だからなのか、私の緊張は解けて普段通りに会話できるようになった。

「いつ頃変身が解けますか?」

「さあ。どうでしょう。まだ完成品を提出する前に薬品を暴発させてしまったので。時間がかかるかもしれませんねえ。あるいは、」

言いかけて、アズール先輩が口を閉ざす。そして、くるりと私に背を向けた。

「さて、と。おしゃべりはここまで。あなたはお友達のところへ戻りなさい」

「あの。アズール先輩は?」

「僕は熱りが冷める頃に教室に戻りますので」

つかつかと早足で歩いたアズール先輩は再び非常階段に座った。私は実験室内外で騒いでいた2年生達の姿を頭の中に浮かべた。あの雰囲気だと、熱りが冷めるにはまだまだ時間がかかりそうだった。それに、冷めたとしても、アズール先輩がオーバーブロットした姿のまま教室に戻れば再び騒ぎになるのだろう。
 こんな暗い場所で1人で時間を潰すのは退屈だろうなあ。そう思った私はアズール先輩の隣に1人分空けて非常階段に座った。と言っても、私なんぞにアズール先輩を楽しませる話術は無いが。

「私も、ここにいます。一緒にお話しましょうか」

「何故?あなたがわざわざ僕と一緒にいる理由なんか無いでしょう」

アズール先輩が苛立ったように私を見る。私はうーんと考えてから、理由ならあると伝えた。

「アズール先輩にはいつも助けていただいてばかりですから。今日くらいは、私がアズール先輩の退屈凌ぎになれればなあと思いまして」

「つまり。僕はあなたにとって、ただの恩人ということですか」

「え?そう、なるのかもしれません」

「ならば、」

突然、アズール先輩が1人分の距離を詰めた。ずいと私の目の前にアズール先輩の顔がある。ごくりと、アズール先輩の喉が上下に動いたのが分かった。

「今の姿の僕が怖くないと言うのなら、僕の唇にあなたからキスをください」

インクに塗れたアズール先輩の手が私の顔に伸ばされていく。あまりにも突然すぎるアズール先輩からの言葉に私はどうしたらいいか分からず思わず下を向くことしかできなかった。
 一拍置いて、アズール先輩の乾いた笑い声が私の耳に入った。

「ほら。やっぱり怖がる。気をつけた方がいいですよ。こうして、あなたの善意や優しさにつけ込む輩もいるのですから」

私がハッとして顔を上げるのと同時にアズール先輩の手が私から離れていく。別にアズール先輩の姿が怖いわけではない。ただ、男の子とキスなんてしたことないから恥ずかしくて戸惑うというか。

「私は、」

言いかけて、きゅっと唇を噛む。どう伝えれば良いのか分からず口籠る。だって、こんなに男の子といっぱい話せるようになったのがナイトレイブンカレッジに来てからのことだったし。寧ろ、アズール先輩と関わらなければ、私が自分から男の子と話すことなんぞなかった。
 きっと、アズール先輩がいなければ、私は男の子に対して臆病で引っ込み思案のままだったのだろうなあ。あの七夕の日に、アズール先輩と話すことが無かったら、私は、今も。
 不意に、頭の中にアズール先輩との記憶が流れた。手がぶつかっただけで緊張したり、プールで助けてもらったり、私にたくさんの魔法をかけてくれたり。その全てが、アズール先輩の優しさで溢れていた。
 私は離れていくアズール先輩の手に自分の手を伸ばしてきゅっと握った。それと同時に僅かに目を見開いては驚きを露わにさせるアズール先輩と目が合った。流石に目を開けたままキスする勇気は無いのでぎゅっと瞼を閉じてから、ゆっくりと自らの顔を近づける。唇に、お互いの息が当たった気がした。
 その瞬間、パンッと何かが弾けた音がして、辺りに眩い光が降り注ぐ。驚いて思わず目を開けると、窓の無い暗い非常用の階段には、何も無い上からたくさんの光の雨が降っている。やがて、その光の雨の下にいたアズール先輩は、インク塗れの禍々しさが無くなり、オーバーブロットの姿ではなく元の姿に戻っていった。

「あ、」

どちらからともなくパッと離れた。アズール先輩は自身の手を見たり顔を触ったりしては自分の姿を確かめていく。戻ったと認識したらしいアズール先輩は、しばらくは心底驚いた表情を浮かべていたけれど、やがて、力が抜けたような微笑みを浮かべた。

「ありがとう。あなたのおかげです」

唐突に言われたアズール先輩からのお礼に私はよく分からず首を傾げる。そんな私に、アズール先輩は優しく告げた。

「優しく勇敢なあなたが、醜い姿の僕に臆さず愛してくれたおかげですよ」

何だか小っ恥ずかしいことを言ってのけるアズール先輩に私は曖昧な表情を返すしかできなかった。だけど、アズール先輩は私の反応を気にせずに、ところでと再び口を開いた。

「さて。キスはまだですか?」

 聞き間違いかなと思った。私がつい瞬きすると、アズール先輩が芝居かかった態度で溜息を吐いてみせた。

「せっかくあなたから愛のキスをいただけるはずだったのに。魔法が解けたから無しとは、あまりにも酷な話です」

ちょっと何言ってるか分からないんだけど。そう言いたいのに言葉がうまく出て来なかった。思わず、私はアズール先輩から距離を取る。しかし、アズール先輩もまた比例するように私との距離を詰めた。

「あの、」

「何か?」

「私、あまり男の子と距離が近いのは、その、」

「そうですね。他の野郎共と距離が近いのはやめましょう」

「アズール先輩も、男の子ですが、」

「はい。それが何か問題でも?」

不意に、伸ばされたアズール先輩の両手が私の両頬を優しく包み込んだ。びくりと肩を揺らしては、その場に固まる私をアズール先輩は逃してくれそうにない。
 私の顔をじーっと至近距離で見つめたアズール先輩が、ふと、瞬きした。そして、私から僅かに視線を背けた。

「あなたも初めてだと思いますが、僕も初めてですのできちんと覚えておいてくださいね」

今度は、私が瞬きする番だった。

「え?何が初めてなんですか?」

そう尋ねる私に、再び視線を合わせたアズール先輩が言ったのだった。

「何って。決まっているでしょう」

ずいとアズール先輩が私に顔を近づける。それから、大層顔を赤く染めたアズール先輩は、照れ笑いを浮かべたのだった。

「好きな人とするキスです」

2023.10.18