
Bookso beautiful yet terrific.
五月の大型連休を利用して海外旅行に出かけた記憶がある。初めて行ったロサンゼルスはまるでテレビの向こう側を見ているみたいだった。宿泊先のホテルの前にある広場では私と同年代の少年少女がストバスに興じている。幼馴染の影響で私もバスケを嗜んでいるので迷わずその輪へ入った。英会話教室で覚えた下手くそな英語だけど案外会話がちゃんとできたらしく仲間達とすぐに打ち解けたことを覚えている。その広場の隅に設置されているベンチに座り退屈そうにテニスラケットのグリップを握りながら器用にくるくる回している少年がいたので私は思わず声をかけてしまった。
「器用だね」
それ、と私は少年のグリップを握る手を示す。少年は今度は自慢気に自分の顔の位置に合わせながらラケットをくるくる回してみせる。それでも少年が退屈していることは明らかなので思わずストバスに誘ってみることにした。
「ねぇ、一緒にバスケしようよ」
綺麗な顔立ちがラケットから私に視線を向ける。私よりもずっと幼い顔をしているので年下のようだ。それに、意外にも異国の地で出会った少年は私と同じ日本人みたいな顔立ちをしている。もっとも多種多様の民族が暮らすアメリカでは珍しいことではないのだろうけど。
「無理」
英語でぴしゃりと言い放たれた言葉に最初は少年から発せられたとは思わなかった。それもそうだろう。まさか自分よりずいぶんと年下の男の子が年齢に似合わず大人びているとは思わない、普通は。しかし、少年のあからさまに嫌そうな表情を捉えたので私はようやく理解する。
「もしかして、バスケのルール知らないの?」
「興味ない」
ふいっとそっぽを向かれてしまったので私はどうしようかと考えながら首を傾げた。本人が嫌がっているのに無理やり誘うのも気が引ける。すると、少年は考え込む私に視線を向けないまま再び口を開いた。
「早く行ってやりなよ。あいつら、あんたを待ってるみたいだし」
少年の視線の先を辿ると先程輪に入れてもらったストバスの仲間達が私に向かって早くと急かすように手を振っている。私は小さく声をあげてからもう一度少年の顔を見た。
「でも、」
「あんた、バスケが好きなんでしょ?」
少年の口から発せられた意外な言葉に私は瞬きを繰り返す。そんな私に少年は短く溜息を吐いてみせた。
「それくらい、さっきから見てれば分かる」
バスケに興味がないと言うわりにはストバスを楽しむ私達のことをよく見ているらしい。少年の言葉を聞いた私は尚更少年をこのまま放っておけなくなった。たぶん、あまり表情の変化が乏しく素直じゃないところが私の幼馴染に似ているから親近感みたいなものを勝手に抱いたのかもしれない。
「少し待ってて」
少年が怪訝そうな表情を浮かべるので私は唇の端をあげてニッと笑ってみせる。それから仲間達の元へ一度戻り事情を説明して別れ、再び少年の元へやってきた。
「はい、パス」
その辺に適当に落ちていた数あるバスケットボールの中の一つを拾い少年に向かって投げて渡す。突然のことに驚いた少年は咄嗟にボールを受け取った。
「危ないんだけど」
「私がバスケを教えてあげる」
少年の口から間の抜けた声が出る。私は少年の反応に特に触れず今度は片手をあげてボールをこちらに投げるよう示した。
「一緒にバスケしよう」
少年の表情が迷惑そうに歪むがすぐに渋々とラケットをベンチの上に置く。それからしっかりと両手でボールを掴んでから精一杯の力で私に向かって投げた。下手くそに弧を宙に描いたボールは何とか私の手の中に辿り着く。
「興味ないって言ったのに」
「でも、興味ないけどストバスは見てたんでしょう?」
「たまたま視界に入ってきただけなんだけど」
会話が一区切りするのを見計らってまた少年に向かってボールを投げる。両手を伸ばして必死にボールを掴む姿に素直じゃないなと思わず苦笑いを浮かべた。
「今日だけ私に付き合ってよ」
「嫌って言ってもしつこそうだよね」
先程よりも少し上手に弧を描き私の元へボールが来る。少年の唇の端が満足そうに上がった。
「ナイスパス」
「これくらい誰でもできるし」
私の賞賛はなんだかんだ言っても少年の気を良くしたらしい。私の好きなことを共に共有できることに私自身も嬉しくて気分がいいのだ。
基本的な動作であるパスとドリブルを教え、次に簡単にルールを説明し、それからゆっくりではあるものの1on1を始めた。少年は飲み込みが早く時間の経過と共にあっというまに上達していったのである。やがて、お互い夢中になりすぎて気がつけば日が暮れており広場にいるのが私と少年だけになっていた。いいかげんホテルに戻らなければと私が焦り出した時だ。
「ねぇ、あれ見て」
焦る私とは対照的で少年は落ちついた物腰のまま空に視線を向けた。私は渋々ながらも素直に空を見上げる。するとそこには橙色に薄らとかかる群青色があり、更にその先には僅かに輝きをみせる星がたくさん散りばめてあった。
「綺麗だね」
ぽつりと思わず呟いてしまう。子供ながらに夜空が綺麗であることは理解していた。夏になると幼馴染と共によく天体望遠鏡を覗くので何となく星座の名前をいくつか知っている。一際目立つ二つの星がある呼称を連想させた。
「南十字星に似てるよね。実際は違うと思うけど。あれはハワイなどの南半球でしか見えないみたいだから」
ふーんという相槌がすぐ隣から打たれたので私は少年がいつのまにか近くに来たのだと頭の隅で理解した。しかし、悠長に天体観測をしている場合ではない。
「大変、早く帰らないと。あなたのお家は何処?」
言いながら私は少年の手を取る。少年はぼんやりと眺めていた空から私に視線を向けて手を握り返してきた。
「観光客のあんたに住所を教えたって分からないでしょ」
「あ。それもそうだよね」
「しょうがないから送ってあげる」
呆れるような少年の視線を受けながら私は苦笑いを浮かべた。少年は太い息を吐いてから私の手を引いて歩き出す。空が夜に覆われていくせいで辺りもどんどん暗くなってきた。
「南十字星が終着駅だったらよかったのに」
「何の話?」
「北十字星が始まりなら目指すところが同じって意味」
ずんずんと歩いていく少年に連れられるまま私は幼い足をひたすら動かした。少年の話はよく分からない。なんとなく天体の話をしていることだけは分かるけど。
「明日もここに来るの?」
さらりと変えた話題に私は戸惑いつつもうんと返事する。少年はそっかと呟いてから無言になり、またすぐに続きを述べた。
「それじゃあ、明日もあんたに付き合ってあげる」
少年は前を向いたままなので私は少年の背中に向かって返事と共に頷くしかない。私の返事を聞いた少年の態度は相変わらず素っ気ないものだった。
「また明日」
結局土地鑑のない私は自分よりずいぶんと年下の少年にホテルまで送ってもらった。少年の家はホテルの近くらしく私を送り届けた後さっさと帰っていったのである。
結果的に少年とはそれっきりになってしまった。翌日の午前中には観光をしながら空港に向かい帰国することになった私は最後に広場に顔を出したが少年の姿はなく代わりにストバスの仲間達だけがそこにいた。仲間達曰く、テニスラケットを持ち歩く例の少年はよく広場に来るが時間帯は午後の方が多いらしい。旅行の記念にと仲間達と写真を撮った私は家族と共に広場を去った。それから観光を満喫し、飛行機に乗り込んだ私はようやく少年の名前を知らないことを思い出したのである。もっとも、所詮は一期一会。一日限りの少年と過ごした日々は帰国すると共に徐々に忘れていったのだった。
数年後、あの時の写真はスクラップブックに貼り付けたままになっている。というのも、幼馴染と共にバスケ部に所属したので連休中に家族で海外旅行に行く暇がなくなったのだ。せっかく覚えた英会話もいつぞやから記憶から薄れるように人生で一度だけ行った海外旅行の思い出も朧気になりつつあった。それもそうだ。思い出というのは年齢を重ねるに連れて増えていき、古いものは忘れていくものなのだから。
出会いというのは唐突に訪れる。高校に入学してから数日後、桜の花びらが舞い散り、地面を桃色に染めたある日のことだった。桃色の中に一つだけぽつんと残されている茶色の猫のキーホルダーに思わず手を伸ばす。それから辺りを見ると私の背後にたった今すれ違っただろう小さな背中があった。
「あの、」
私が声をかけるが小さな背中は反応を示さない。私は仕方なく背中を追いかけ今度は近くからもう一度声をかけた。すると、ようやく歩みが止まり私に振り向く。知らない人に話かけられたせいで彼の表情から僅かに警戒の色を覗かせた。しかし、途端に彼の大きな目が私の顔を凝視する。私は彼に不審人物と思われたくないのでさっさと用件を済ませることにした。背の低い男の子は真新しい制服に身を包んでいたのでおそらく彼も私と同じようにこの春学校に入学したばかりなのだろう。彼の着る制服は私の家の近くにある有名私立中学校の物に似ていた。
「これ、もしかしてあなたのでしょうか?」
彼は私の手の中にあるキーホルダーに視線を向け、すぐにハッとしたように自分の鞄を探す。合点がいったらしく彼の表情からほんのりと緊張感が解かれていく。それから素直に手を伸ばした。
「どうも」
無愛想に返された言葉を聞きながら私は彼の手の中にキーホルダーを渡してあげる。目的を済ませたので私は彼に向かって軽く手を振ってから踵を返し再び学校へ向かって歩き出した。
「ま、待って!」
あの無愛想が誰かに似てるとか思っていると予想以上に大きな声で呼び止められたので振り向いた。彼は何か言いたそうに口を開け、だけどすぐにゆっくりと頭を左右に揺らしてしまう。彼のよく分からない行動に私は首を傾げつつもう一度手を振ってから背を向けた。
大型連休も終わり鮮やかな新緑が美しい五月のこと。そろそろ高校生活初めての中間試験を視野に入れつつと言いたいところだが私は幼馴染の影響でバスケ部のマネージャーを務めているので結局勉学は二の次になりそうだ。もっとも、部活の先輩達から部員である私のクラスメイトの成績があまりにも悪いので常々面倒を見るように命じられている。このことについて幼馴染は迷惑そうだ。勿論、私も同じことを思っているわけだけど。
話は変わるが、大型連休中は部活の合宿のため都心から少し離れた施設に滞在していた。その合宿所では私達バスケ部以外にもいくつかの他校の運動部も利用していたので結構大きな施設だったのである。それで、何が言いたいかというといくらたくさんのスポーツマンが施設を利用していたとしても私の知り合いには一人も会わなかったわけなのだが。
「従兄弟?」
「はい。名前の従兄弟だと名乗る中学生が体育館に来ているので」
私は日誌を書く手を止めて幼馴染に視線を向けた。窓の向こうから入り込む夕暮れの光を浴びながら真ん丸の目をした表情の変化に乏しい幼馴染が僅かに眉間に皺を寄せている。放課後の校庭からは連休明け最初の部活動が盛んに行われているが、今の私には幼馴染からの突拍子もない言葉のせいで見る気にもならない。一方幼馴染は校庭を気にしてはそわそわしているらしくおそらく部活を途中で抜け出したことが気がかりなのだろう。
「だいたい私の従兄弟なら、あなただって知っているでしょう?幼い頃よく一緒に遊んだじゃないの」
「僕が知らない従兄弟とやらが来たから困っているんです」
「え?どういうこと?」
「とにかく、さっさと体育館に来てください」
幼馴染の手が無遠慮に私の腕を掴んで引っ張ってくるので私は仕方なく書きかけの日誌を持ちながら席を立つ。とりあえず幼馴染に言われるまま私は体育館に向かうことにした。勿論、その途中で職員室に寄り日誌を置いてくることも忘れない。そんなこんなで体育館に向かいながら先に部活に参加していた幼馴染に状況を説明してもらう。私の従兄弟を名乗る人物は突然体育館に現れたかと思えば私が来るまで待ち続けると言ってのけたらしい。幼馴染の話を聞きながら思わず軽く溜息を吐いてしまう。めんどくさい人が来ちゃったなとまだ見ぬ相手に内心文句を言いながら体育館の扉を開く。すると、部員達の視線が一斉に私を見た。
「遅くなってすみません」
条件反射で一声かけると、練習中の部員達の他にステージに座っていた小さい影も反応する。それからすぐに私の元へやって来て仁王立ちしてみせた。
「ずいぶんと待ったんだけど」
私より遥かに背が低いこの男の子が自称私の従兄弟のようだ。私は思わず苦笑いを浮かべながら中腰の姿勢を取り彼と視線を合わせた。
「あのー、どちらさま?」
私の隣で幼馴染も首を傾げる。一方彼はあからさまに溜息を吐いてから制服のポケットから何かを取り私に差し出した。
「どうせそんなことだろうと思ってたけどね」
私は差し出されたそれをまじまじ見つめる。それは私の生徒手帳だった。私は生徒手帳を受け取りながらもう一度彼に視線を向ける。そこでようやく彼の顔を思い出した。四月のある日に会った人物のことを。
「あの時の、猫のキーホルダーの子」
一瞬だけ彼の表情が歪んだ気がしたが、すぐに彼はふっと表情を和らげてみせるので本当のところはよく分からない。私は中腰をやめて元の姿勢に戻り、隣にいる幼馴染に彼のことを簡単に説明した。
「なるほど、そういうことでしたか。ところで、名前の従兄弟とは、一体?」
幼馴染の疑問は当然私も同じだ。私達の疑問は彼が何てことのないように答えてくれた。
「校門を通った時すれ違った教師が俺を見て不審な顔をしたから、その生徒手帳を見せながら名字名前の従兄弟ですと言ったらすんなり体育館に案内してくれた」
私の生徒手帳を示しながらしれっと言ってのけるが本来はいそうですかと流せる内容ではない。しかし、彼がわざわざ私の生徒手帳を届けに来てくれたのもあり私は目を瞑ることにした。
「まぁ、いいや。遅くなっちゃったけど、私の生徒手帳を届けてくれてありがとう」
礼を述べると彼は僅かに視線を逸らしぶっきらぼうに返事する。髪の間から覗く耳が少し赤く染まっているのでどうやら照れているらしい。
彼の登場に部員達を少しざわつかせたことを平謝りしてから私は先輩の許可を貰い彼と共に体育館を出る。せっかく見知らぬ学校に来てくれたのにこのまま返すのも悪いので中庭にある自動販売機でジュースを奢ってあげた。
「今日はわざわざありがとう。生徒手帳、何処かに置き忘れていたことすら忘れてたよ」
へらりと笑う私に彼が呆れたように目を細める。ジュースの蓋をその場で開けて飲み始めたので彼はまだ帰る気ないらしい。
「受付のおばさんが困ってた」
「受付って、何処の?」
「合宿所に決まってるじゃん。あんたの学校も来てたでしょ」
そこで私は合点がいった。どうやら私の生徒手帳は大型連休中に利用した合宿所の何処かで落としたか置き忘れたのかしたのだろう。
「それじゃあ、あなたも合宿所に来ていたのね」
「俺、いつもテニスコートにいたから」
彼は背中に背負っているケースからテニスラケットを取り出し、私に見せつけるようグリップを握り器用に回す。そういえばとあの合宿所には他校の運動部も利用していたことも思い出した。
「ごめんね。私、あなたがいたこと気がつかなかったよ」
「知ってる」
「それにしても器用だね」
それと指差しながらラケットを握る彼の手を示す。すると彼は上目遣いにちらりと私に視線を合わせた。もっとも、キーホルダーを拾ってあげたとはいえほとんど他人に近い彼と正面から会ったところで私は分からなかったと思う。それは彼も承知のようで表情を変えないまま相変わらずラケットを回している。
少し沈黙の間ができた。会話が一区切りしたことをいいことに私は無意識に体育館へ目を向けてしまう。そろそろ部活に戻りたいと内心思っていたら彼がラケットをケースの中にしまい、飲み終わったジュースの容器をゴミ箱へ捨てた。
「俺、もう行くから」
「うん。今日はどうもありがとう、気をつけて帰ってね」
彼は私に背を向けて数歩だけ進み再び立ち止まる。それから私に振り向き、一拍置いてから口を開いた。
「また、来てもいい?」
「勿論、いいよ」
彼からの言葉にただの社交辞令だと思った私は即答する。彼はそっかと小さく呟いてから再び歩き出したのだった。
私が彼の名前を知らないことを思い出したのはあれから二週間くらい経った雨の日だった。平日の放課後、我がバスケ部は相変わらず部活動に精を出している。一方野球部を始めとする屋外で活動する運動部は雨のため活動は休止となっていた。
「どうも」
何の前触れもなく現れた彼は二週間前と同じように背中にラケットを背負っている。スポーツバッグがほんのり濡れているのは大きすぎて傘に入りきらなかったことを容易に想像できた。彼は勝手知ったる顔で玄関に靴を脱ぎ堂々と体育館の中へ入ってくるのだが、彼は部外者のはずだ。
「こんにちは」
スコアをつけていた私の隣にやってくる彼に私が声をかけると何故か彼に目を背けられた。それから誰の許可もなく手持ち無沙汰に体育館の隅に落ちているボールを拾い弄る。
「部活はどうしたの?」
「今日、雨だから休み」
どうやら彼の学校の屋外運動部も私の学校と同じ理由で休みになってしまうらしい。不意に彼がそっと私を見上げてくるので目が合った。でもすぐに視線だけを逸らしてしまうので顔は向き合っているのにお互いの焦点だけは合わない格好になる。
「また来てもいいって言ってたから」
彼の言葉に私は二週間前の会話を思い出す。あれはただの社交辞令だと思っていたので彼が本当に来るとは考えていなかった。もしかして私が部活のことを聞いたから責めていると解釈したのかもしれない。どうすれば彼を傷つけないように会話を続けるか考えたが、結論は次の言葉で落ちついた。
「来てくれて嬉しいよ。ありがとう」
無難に礼を述べると彼の視線がゆっくりと私に合わさる。それから彼は僅かに頬を緩ませた。
会話が止まったことをいいことに私は再びコートに向き直りスコアをつけることに専念した。彼もしばらくは私の隣にいたのだが気がつけば体育館の壁に背中を預けて座り目を瞑っていた。やがて外がすっかり真っ暗になった頃部活が終わる。この後自主練に残る幼馴染を待つことが私の日課なのだが、今日は彼がいるので先に帰ることにした。その旨を幼馴染に伝えると幼馴染は一瞬だけ間を置いてから頷き、ぽつりと言ったのである。
「名前も罪ですね」
意味が分からない私が幼馴染に聞き返すが幼馴染はそれ以上教えてくることはなかった。
居眠りしている彼をつれて二人揃って体育館を出ると雨はやんでいた。幼馴染以外の男の子と二人きりで帰宅したことないので何を話せばいいのか分からない。しばらくお互いに無言で歩き続けると彼とすれ違ったあの道に出る。そこで私はハッとして彼の方を見た。
「あなた、家は何処なの?」
単純に考えてあの日すれ違ったということは彼の家は私が通う高校がある方角にあるはずだ。実際私の家は彼が通う中学校の近くにある。
「別に、この辺だし」
「それなら送っていくよ。夜道は危ないから」
ぴたりと歩みを止めた彼が私を見上げる。暗がりでよく見えないが彼が少し怒っていることは雰囲気で感じ取れた。
「あんたはどうして、」
彼の言葉が途切れたので私は暗がりの中でも彼の表情を見ようと目を凝らすがやっぱり見えないものは見えないままだ。
「子供扱いするのやめてくれない」
「子供扱いって。あなたまだ中学生じゃないの」
溜息混じりに言われた言葉に私が思わず苦笑いを浮かべると不意に彼がずいっと距離を詰める。だけどすぐに首を横に振りまた元の位置に戻った。
「もう少し先のコンビニまで一緒に行ってあげる」
「でも、」
「俺がコンビニに寄りたいから。ほら、さっさと行くよ。夜道は危ないからね」
先程の私の言葉を彼はしれっと言ってのけてから先に歩き出してしまう。私は年上として内心躊躇うが有無を言わせない彼の背中に仕方ないと思い結果的に彼の言う通りにした。
「送ってくれてありがとう」
「別に。ついでだったし」
コンビニの前で礼を述べると彼はそっぽを向いてしまった。相変わらず耳は赤く染まっているので照れているようだ。
「それじゃあ、バイバイ」
軽く手を振ってから私は彼に背を向けた。でも、すぐに声をかけられたので私は首だけを彼に向ける。
「どうしたの?」
彼が口ごもるので私は彼の声がしっかりと聞き取れるように結局彼に身体ごと向き直る。すると彼は私に視線を合わせないまま再び口を開いた。
「青学に通ってる」
「ん?知ってるよ」
「テニス部だからまたすぐには行けないと思う」
どうやら彼は私の学校にこれからも来る予定らしい。私は無意識に苦笑いを浮かべながら彼の次の言葉を待った。
「だから、その、」
彼は頬を指で軽くかきながら明後日の方角へ向いてしまうので私は首を傾げることしかできない。やがて、彼が制服のポケットの中に勢いよく手を突っ込んだかと思えば私の元へズンズン歩み無理やり何かを押しつけてきた。
「連絡くらいする時間はあるから」
押しつけられた何かを思わず受け取ると彼はさっと後ずさる。それから私と目を合わすことなく背を向けてしまった。
「またね」
名前、と私の名前を本当に小さな声で呟いてから彼は早足で元来た道を歩いて行ってしまった。残された私は物凄い早さで小さくなっていく彼の背中を見つめていたが、不意に頬が緩む。
「まったく。名前さん、でしょうよ」
緩む表情を隠すことなく私も帰路へ向かって歩く。彼から押しつけられた紙には彼の名前と連絡先が記入してあった。もしかしたらコンビニという言いわけはこれを渡すためだったのかもしれない。無愛想な彼にも案外かわいいところがあるようだ。
それから私も彼もお互いに部活が忙しいため極たまにしか会うことはなかったが、連絡だけは取るようにしていた。もっとも、彼から連絡来るので私から連絡することはないのだが。いよいよ季節は夏。夏休み直前の今日、先輩の都合で珍しく部活が休みなので私はHRが終わるのと同時に幼馴染と共に学校を出ると校門で見慣れた小さな影を見つけた。
「どうも」
私と幼馴染の顔を見た途端にぶっきらぼうにされた挨拶に私は相変わらずだと思いながら苦笑いを浮かべる。一方幼馴染も彼の態度には慣れているので普通にこんにちはと返していた。
「僕は用事がありますのでお先に失礼します」
幼馴染に用事があるだなんて初めて聞いたけど幼馴染はさっさと私達に背を向けて歩き去ってしまう。その場に残された私は彼に視線を向けた。すると彼は幼馴染の背中をじっと見つめている。
「私達も、帰ろう?」
私の言葉に彼は私に視線を向ける。感情の読めない瞳はすぐに逸らされ彼は短く同意した。
二人並んで帰路を歩くと不思議な感じがした。メールや電話でしか会話がないので私と彼の間におしゃべりする雰囲気はあまりない。それでも最初の頃に比べると彼の無愛想も気にならなくなるくらいには友人としての距離はだいぶ近づいたような気がした。
「あのさ、バスケやろうよ」
唐突に言われた彼の提案に私は間の抜けた声をあげてしまう。一方彼はそんな私にお構いなく私の学校の近くに位置する公園の一角に作られたストバスのコートへ歩いて行く。私も慌てて彼の背中を追いかけた。
「急にどうしたの?」
「別に」
素っ気ない返事をしながら彼はベンチの上にスポーツバッグとテニスラケットを置き身軽になる。私も鞄を置いた。
「ルール、知ってるの?」
「昔、凄くお節介な人に教わったからそれくらい知ってる」
「そんな人、いるんだね」
「ついでにその人、超絶忘れっぽいし鈍感で困るんだけど」
彼はコートの隅に落ちていたボールを拾い一度地面目掛けてバウンドさせる、それからすぐに私に投げて渡した。慣れた感触が私の手に残る。彼は足早にコートの中央に立った。
「1on1しようよ。先、そっちのボールでいいから」
ディフェンスの体勢を取るところを見ると彼は冗談でやっているわけではないようだ。私は意味が分からないまま彼の前に立ち、仕方なくドリブルを始める。ボールがコンクリートの上に響く音を懐かしく思いながら私は一歩大きく踏み込んだ。彼もぎこちない足つきで私の行き先を阻もうとするがあまり大きな効果は得られず私はあっさりとゴールを決めた。
「相変わらず、楽しそうだよね」
ゴールから落ちたボールを拾っていると彼がそう言ってきた。私は彼に視線を向ける。すると彼が片手をあげたので今度は私から彼へボールを投げて渡した。
「楽しくなかったらバスケ部のマネージャーなんてやらないよ。リョーマくんも同じでしょう?」
「本当にそれだけ?」
私の質問は彼からの違う質問で返された。彼がボールを私に向かって投げるので思わず受け取る。
「それだけって、他に何の理由があるの?」
苦笑いを浮かべる私を彼はじっと観察するように見つめてくる。やがて、彼は深く息を吐き出した。全てを吐き切るような呼吸を繰り返してから彼は私に向かって歩き出した。
「あんたがバスケの話をする時は幼馴染が必ず出てくる」
「そりゃあ、私がバスケを始めたきっかけは幼馴染だもの」
「でも、あんたはプレイヤーではなくマネージャーになってる」
「バスケするのも好きだけど、私は幼馴染がバスケしているところを見る方が好きだから」
「やっぱり、幼馴染じゃん」
「確かに、結局私がバスケに携わるのは幼馴染が理由になっちゃうみたいだね」
へらりと笑う私の目の前で彼がぴたりと立ち止まる。不意に彼はすっと手を伸ばして私の手の中からボールを奪っていく。それからおもむろに彼の頭上にあるゴールへボールを放った。ゴールから乾いた音が鳴りネットをくぐってボールが地面に向かって落ちる。地面に叩きつけられる音がやけに大きく響いた。
「あ、ボール」
ころころと何処かへ向かって転がっていこうとするボールを追いかけようと私は走り出すがそれよりも先に私の腕をパシッと掴まれてしまったので動けなくなる。身体のわりに彼の手は私より大きな手で力強かった。
「好きだ」
はっきりと耳に届いた声に私は彼の顔をじっと見つめてしまう。頭の中で復唱した内容は繰り返すごとに現実味を帯びてきて私の顔が熱くなった。
「あ、ありがとう、かな?」
何て返せばいいか分からなくてとりあえず礼だけ述べた。彼の真剣な眼差しがまっすぐに私を射抜くので彼が冗談でこんなことを言っているわけではないことは分かる。
「本当に?ちゃんと意味分かってる?」
ぐいっと引かれた手と彼が踵をあげたことは何となく気配だけで感じた。その先から全てスローモーションのようで。目の前に広がる瞼を閉じた彼の顔が誰かと重なった。私の唇に彼の唇が軽く触れる。一瞬だけくっついた唇はすぐに離れていく。驚いて瞬きを繰り返す私を見た彼は泣きそうな顔でくしゃりと笑った。
「幼馴染じゃなくて、俺を見てよ」
私の顔が一気に赤く染まったことを鏡を見なくても容易に想像できる。だけど、恥ずかしさに彼から逃れたくても彼に私の腕が掴まれたままなのでどうしようもできなかった。
終業式を迎え、これから部活で忙しくなると頭の中で分かっているのにそれ以上に彼にされたことを思い出しては溜息ばかりが出た。そんな私の様子を幼馴染は冷たい視線で見つめ続けている。内容があれなので悪いけど幼馴染に相談できるわけがない。しかし現実は私に物思いに耽る時間なんかくれずあっというまに夏合宿へとまっしぐらだ。あれよあれよと忙しさを理由にして彼からの連絡に一切応じていない私は後に彼の行動力を甘んじていたことを思い知ったのである。
夏合宿も数日を迎えたある日、私は夕食を終えてから一人合宿所の近くに位置する海岸へ足を運んだ。真っ暗な世界から聞こえる海の音が心地良く思わず浜辺で寝転んでしまう。仰向けになったまま空を見上げると一際目立つ星がたくさん夜空を散りばめていた。
「あれって確か、北十字星だったっけ」
幼い頃誰かが私に言った。南十字星が終着駅ならよかったのに、と。当時は意味が分からなかったけれど最近になってそれが童話である銀河鉄道の夜のことを示していることに気がついた。不意に携帯の着信音が鳴るので私は相手を確認しないまま通話ボタンを押して耳にあてる。
「やっと、出た」
もしもしという私の声は電話の向こうの声にかき消された。彼にしては珍しく切羽詰まったような声音をしている。今まで散々連絡に応じなかったくせに私は彼の声を聞いて安堵した。胸が甘く締めつけられる。こんなの、初めてだ。
「あのね、リョーマくん。私、」
ぷつりと通話が切れるのと夜空が見えなくなるのは同時だった。私の顔を覗き込む彼の表情が酷く悲しそうに歪んでいる。突然のことに驚いた私は慌てて身体を起こしてから彼を見つめた。
「どうして、ここに?」
「電話にも出ない、メールの返信もなし、やっと声が聞けたと思ったら虚ろな声で俺を呼ぶし俺がどれだけ心配したか分かってる?」
彼の感情的な声が辺りに響いた。私は小さく声をあげて、思わず俯く。
「ごめんね。その、あれから恥ずかしくって」
「年上のくせに」
「年下のくせにあなたの方がマセすぎなの」
すっと隣に彼が座ってくるので私は彼を盗み見る。一方彼は空を見上げていた。
「いつかいなくなるのならお節介なんかされても迷惑だった」
ぽつりと呟いた彼の声を聞きながら私も一緒に空を見上げる。空を覆うカーテンのように天の川は相変わらず綺麗で眩しかった。
「悔しいけど、俺、あんたの幼馴染に勝てる日は来ないと思う。あんたがここにいることを俺に教えてくれたのも、あんたの幼馴染だった。それに、あんたが幼馴染の影響を受けてバスケをしてなかったら、俺はあんたに出会うことすらなかったんだろうね」
どちらからともなく交わった視線は逸らすことができなかった。彼は私の幼馴染に対して何かしらの劣等感を抱いているようだ。その劣等感には私のことが絡んでいるらしい。私は思わずうーんと首を傾げる。正直彼の劣等感を私は深く考え込むことはできない。
「別に私の幼馴染に勝てなくてもいいと思うけど」
「バスケの話をしてるわけじゃないからね」
「分かってるよ、それくらい。でも、似たようなものだと思う。だって、私の幼馴染がリョーマくんにテニスで勝てる日が来るわけないでしょう?それぞれ同じ時間を費やしてきたけれど、根本的に違う。私と幼馴染はバスケに、リョーマくんはテニスに時間を使ってる。つまりね、お互いに知らないことがあってもいいの」
彼が少し考える。途端に彼は盛大に声をあげて笑った。というか、他人の話を聞いて笑うとか失礼だと思うけど。
「意外と年上っぽいことも言うんだね」
「バカにしているでしょう?」
「違う、そうじゃない。俺とは違う考え方ができるのが羨ましいと思ってさ」
「どういうこと?」
「知らないことを知りたくてたまらなくなる。だから、理屈では納得できそうにない」
彼の視線が再び空に向けられた。私も彼にならって空を見上げる。哲学っぽい話をする彼が何処か遠い星からやってきた人みたいに思えた。
「リョーマくんって、星の王子様みたいね」
「なんで?」
「星を見ながら哲学っぽい話をするから、かな?あ、どちらかと言うと屁理屈の間違いか」
「あんたって失礼だよね。そもそも俺が屁理屈になるのはあんたが俺の告白を無視したことが始まりなんだけど」
「え?そうなの?」
「本当、鈍すぎ。まぁ、それ以前の問題もあるけどね」
年下にここまで言われるとはなんだか悲しい。わざとらしく不貞腐れたように膝を抱えてみせると彼が鼻で笑った。
「このまま汽車に乗って銀河の旅でもできたらいいのにね。もっとも、二人して終着駅で降りたら心中したことになるのだろうけど」
「それって銀河鉄道の夜の話でしょう?」
「知ってるんだ」
「冥界と現世を結ぶ意味もあるって解釈もあるよね。本当の幸いを探したり、親友を失ったり、そんな話だったと思う」
「俺は親友を失うくらいなら幸いより共に死を選ぶだろうね。あ、でも、それよりつらいのは親友に忘れられることだろうな」
「まるでジョバンニみたいね」
膝から顔をあげると彼が私に視線を向けて柔らかく微笑んだ。解釈は人それぞれなので彼の意見に特に反論するつもりはない。だけど、これだけは伝えることにした。
「心中は嫌だな。死んだら何もなくなっちゃうもの」
「あんたならそう言うと思った。これ、フラれたって解釈すればいい?」
「何故そうなるのよ。私だって、色々と混乱していて。そもそも幼馴染以外の男の子とこんな時間まで二人きりで話したこともなかったわけだし」
ふと、私の脳裏に何かがよみがえる。いつかも私はこうして銀河鉄道の夜について話したと思う。相手は確か、男の子だった。突然鮮明になる記憶に私はハッとする。私の目の前にいる彼が記憶の中の人物と重なった。
「変なこと、聞いてもいい?」
「何?」
「私達、何処かで会ったこと、ある?」
私より年下でずいぶんと無愛想だった少年の瞳が私に向けられた気がした。その瞬間、彼の目が見開かれる。それからあの無愛想な表情を崩しくしゃりと笑う。遅すぎと呟いた彼の声が海の音に攫われて消えていった。
幼い踵が四つ、暗闇の中歩いていた。小さな手と手はしっかり繋がれている。見上げた空にはたくさんの星が散らばっていた。
「お星様に乗ってこのまま何処かへ行けちゃえばいいのに」
へらりと少女は笑う。突然少年の世界に現れた少女は非日常を告げるきらきらと輝く王子様みたいだ。少年は無愛想のまま少女に言ってのけた。
「銀河鉄道に乗れば可能かもね」
「そうなの?」
「北十字星から出発して南十字星が終着駅。ジョバンニとカムパネルラも汽車に乗って銀河の旅をしたらしい」
少女の顔がパッと華やいで再び空を見上げる。少年もまた少しだけ頬を緩めながら空を見上げた。次の日、まさか少女がカムパネルラのようにいなくなると思いもしないまま。
2018.05.31
心中|救済措置様