マドレーヌに掛けた願い事

「七海さんお待たせしました」

待ち合わせ場所に着くと、もう七海さんは待ち合わせ場所に立っていた。化粧も服も変じゃないかな?ってトイレで鏡と格闘してないで、もっと早く来ればよかった。七海さんなら時間より早く来ているだろうことは想像できたのに。今更ながら後悔した。


「待つのは慣れているのでお気になさらず」

読んでいた本をパタンと閉じて、七海さんは鞄の中に仕舞う。その動作の間にも、近くて遠い場所から「あの人背高くない?」「それにイケメン」「あ、でも隣に女いるじゃん」と称賛の声が聞こえてくる。七海さんのことを褒められると自分のことのように嬉しい。思わず口元が緩くなってしまうくらいには。


「なに笑っているんですか」
「七海さんってモテるんだろうなぁって」
「そもそも出会いがないですよ」
「出会いがあったらモテるってことですか?」
「そんなこと言ってません。モテるのは五条さんの専売特許でしょう」
「あー、あの人見た目はいいから」
「第一印象は大事ですよ」


そんなことより行きましょうか。と七海さんは歩き出す。今日はホワイトデーのお返しに七海さんがカフェに連れて行ってくれる約束だ。隣を歩くべきか少し後ろを歩くべきか迷って、少し後ろを歩くことにした。彼女とは思われないまでも、なんとなく隣を歩くことに引け目を感じてしまったからだ。


「歩くの早いですか?」
「大丈夫です」
「なら隣に来てください。話しにくいです」


そんな風に七海さんに言われてしまえば、断る理由はない。荷物を持ち直して、七海さんの隣を歩く。なんだかくすぐったい。私服の七海さんの隣を歩いていいって認められたって言っていいんだよね?これ。


「なまえさんにお返しが二つあるのですが」
「え?」
「マドレーヌとチョコレートです。意味は分かりますか?」
「あんまり分からないです」


今まで女子らしい友人がいたことのないわたしにとって、それは物理の問題と同じくらい難しかった。もしかしたら、バレンタインの時に無礼があったのだろうか。わたしは七海さんに失礼なことをしてしまったのかもしれない。そう考えると、全身から血の気が引いていくような気がした。


「違いますよ、これはあなたに選んでほしいと思って選んだんです」
「七海さんってエスパーなんですか?」
「全部顔に出てます」
「え???」

咄嗟に両手で顔を隠した。顔が見えなければ感情が読み取られることもないだろう、そう思っての行為だった。けれど、それは逆効果で。前が見えなくなった私は、目の前の障害物にぶつかって倒れそうになった。そんな私を片手で七海さんは軽々と支える。まるで子供みたいな自分に自己嫌悪の気持ちが高まる。


「何をしているんですか」
「呆れましたか?」
「いえ、可愛いと思いました」
「ちょっと今日の七海さん意地悪ですよ?」
「そうですか?これが本来の私なのですが…。そんな私は嫌いですか?」
「そんなこと!あるわけないです!」


否定の気持ちが強すぎて、声が大きくなってしまった。今日のわたしは全然だめだ。きっと占いも最下位に違いない。落ち着かないままのわたしを見かねて、七海さんが近くにあったベンチに腰掛ける様に促した。素直に従って、ベンチに座る。すると七海さんが鞄から二つ、ラッピングされた箱を取り出した。


「ここに二つの箱があります。一つにはチョコレート、もう一つにはマドレーヌが入っています」
「はい……」
「チョコレートの意味は『あなたの気持ちは受け取れません』、マドレーヌの意味は『もっと仲良くなりたい』です。ここまでは大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「大人の私としては、あなたが高専を卒業するまで待ちたい。けれど、もう一人の私はあなたを誰にも取られたくないと思っています」
「七海さん、あの」
「まだ話は終わっていません。私は大人でずるいので、選択をあなたにさせようとしています。それを踏まえて、どちらの箱を選ぶか決めてください」


ぎゅ、と掴んでいたスカートを握りしめた。ちょっとでも、わたしの気持ちが伝わればいいと渡したチョコで、七海さんがここまで考えてくれたことが単純に嬉しかった。お互いの立場を考えれば、チョコレートを選ぶべきなのだろう。でも、わたしが高専を卒業するまでの間、七海さんがわたしを好きで居続けてくれる保証もどこにもない。


「七海さん」
「はい、なんですか?」
「わたしはまだ子供なので、ずるいこと言ってもいいですか?」
「どうぞ。初めに卑怯な手を使ったのはこちらですから」
「どちらもください。予約させてください。七海さんの隣を」


七海さんの両手からラッピングされた二つの箱を受け取ると、七海さんは、箱を握ったままのわたしの手に手を重ねて、少しだけ口角を上げて微笑んだ。そして、「私の負けですね」と口を開いた。握っていた手を解いて、七海さんは「約束、しましょうか」と小指を立てた。返事の代わりにわたしは七海さんの小指に小指を絡ませた。