僕を君の唯一にさせて

「結婚することになりました」

そんなメールが届いたのは、僕がなまえを探すのを止めて三日目のことだった。
なまえは、僕と付き合っていた最中、忽然と姿を消した。荷物は整理されていたし、住んでた家も引っ越していた。なまえは呪術師だったけど、その日から仕事に来ることはなかった。計画的なのかと思いきや、誰もその行方を知らない。原因がなにかも分からない。ただ、自分の意志で行方を眩ませたことだけは明確だった。
もちろん僕も周りの人間も、なまえを探した。僅かだが呪霊に襲われた、あるいは呪詛師に連れ去られた可能性を否定できなかったからだ。本当は分かっていたのかもしれない。僕や、呪術界が嫌になって逃げたのだという事実を。ただ確かめたかっただけなのかもしれない。言って欲しかっただけなのかもしれない。僕のせいじゃないと。


深く息を吐いて、高専の片隅にあるベンチに座り込む。なまえが居なくなって、三年が経って、僕はなまえを積極的に探すことを諦めた。諦めた、という言い方は語弊があるな。正確に言えば、諦めさせられた。時間さえあれば、なまえの情報を探し回り、街へ出ればなまえの面影を探した。そのために出来る無理をするのは当然。けれど、それが僕以外の人間には『無茶』に見えていたらしい。諦めるきっかけになったのは、硝子が何気なく言った「なまえを見つけてどうするつもりだ?」という一言だった。それに僕は即答できなかった。聞きたいこともある、やり直したい気持ちもある。けれどその全ては僕の独りよがりだと気づいてしまった。だから諦めようとしたのになぁ。


「タイミング悪すぎ」

スマホに届いたSMSを再度確認する。そこには紛れもなく『結婚』の二文字が綴られている。その相手は僕じゃない。僕じゃなかった。崖っぷちに立っていた自分の背中をトンと軽く押された気持ちだった。唯一の救いは、なまえが生きていてくれたこと。それが僕をギリギリのところで留まらせていた。おめでとうなんて絶対言わない。思わない。言えない。言えない…。

鉄の味が口の中に広がる。あぁ、午後からの仕事やる気でないな、と背もたれに凭れ掛かり天を仰ぐ。流れる雲を眺めていると、手の中のスマホが再度着信を告げる。身体を起こして、内容を確認する。


「悟の家に私のパスポートがあると思う。悟の都合のいい日に取りに行かせてください。」

届いたメッセージは、自分を気遣うものではない。というより、最後通牒のようにすら感じられた。なまえの未来から自分が排除される、そんなような。「いつでもどうぞ」そう返して、スマホの電源ボタンを押した。




なまえが来たのはその日の夜だった。せっかちなところは相変わらずだな、と思いながらリビングに通す。細い背中も相変わらず。手を伸ばしても姿すら見えなかった背中が、今目の前にある。


「悟?」
「やめちゃえよ、結婚なんか」
「何言ってるの。ありえない」
「なら僕と結婚すればいい」
「悟、離して」


思わず手を伸ばしてしまった。その華奢な肩を抱いて、温もりを確かめた。愛しい思いが溢れ出る。泣きそうなほどに。もう離したくない。絶対に。言い訳をしなきゃいけない。そう頭では分かっているのに、浮かんでくるのは「やだ」「離れたくない」なんて子供じみたわがままばかり。いつもみたいに「なーんちゃって」って言って誤魔化して、なまえを開放すればいいだけなのに、それができない。今まで意地でなまえを探していると思っていた。でも、そうじゃない。僕がなまえを探し続けた理由は、そうじゃなかったんだ。


「なまえ、行かないで」
「悟…」
「ずっと探してた、なまえのこと」
「ごめん」
「なんで、僕の前から居なくなった?」


返事の代わりに、手の甲に水滴が落ちてきた。自分が泣いているのかと思ったが、その水滴は僕のものではない。泣いているのは、なまえだった。



「悟、ごめん、ごめん、ごめんね」
「なまえ?」
「わ、私、私も悟とずっと一緒に居たかったよ」
「ならなんで?」
「悟と私だけの物語じゃなかったんだよ、私たちは」


ぽろぽろと涙を零しながら、なまえが語った現実はひどく残酷なものだった。五条家の人間が、なまえに圧力を掛けて、なまえを潰そうとした。なまえも僕のために抗い続けたけど、腐ったミカンは腐ったミカンだ。なまえに自力より重い任務ばかりを与え、なまえを追い詰めた。追い詰められたなまえは逃げるしかなかった。全ては僕の責任だ。何も知らない、何もできなかった。僕の責任だ。


「今の人のこと、なまえは愛してる?」
「……好きだよ」
「好きと愛してるは違うでしょ?」
「悟と一緒に居られるなら一緒に居たい」


僕の腕の中でなまえの身体が震えていた。泣いているせいだ。その涙は僕のせいだ。それならその涙を拭うのは僕の役目、僕の仕事。「こっち向いて」となまえに語り掛ける。こっちを向いたなまえの目には涙が溜まっていた。まだ間に合うだろうか。『卒業』の映画よりまだ簡単だ。今、目の前に居るなまえを幸せにするだけなのだから。

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