To the End of the World


珍しくココも帰ってしまったある日のこと。
一人虚しく残業をしている私のフロアにぺたりぺたりと誰かの足音が聞こえて来た。このフロアに来る人間はほとんどが皆革靴だ。こんなダルそうな歩き方をする人物に心当たりは一人しかいない。

「……なんだまだ居たのか」
「マイキー」
「ココは?」
「今日は帰ったよ。何か用事?」
「居ないならいい」

私では役不足と言いたげに、マイキーは私に背を向ける。またぺたりぺたりと歩くサンダルの音が聞こえる。自分の居住区であるフロアに戻るのだろうか。しかし、予想外にマイキーはふとその歩みを止めて再び振り返った。
相変わらず色のない顔をしているけれど、目だけは真っ直ぐ私を見ているから何か言いたそうなことは伝わってくる。


「飯食った?」
「え、まだだけど」
「……腹減った」
「ご飯食べに行く?」
「うん」

珍しいこともあるものだ。
いつものマイキーなら私を食事に誘うくらいなら食事を抜く選択をする。あるいは、部下に買いに行かせるかのどちらかなのに。
私はパソコンの電源を落としながら立ち上がる。帰り支度をしながらちらりとマイキーの方を見ると、彼は既にエレベーターホールに向かって歩いていた。慌てて追いかけるけど、彼の歩幅が大きすぎて小走りになってしまう。


「そんなに急がなくても逃げない」
「……いや別にそういうわけじゃなくて……」
「何で慌てるんだ」
「なんだろうね?」


私が首を傾げると、マイキーも釣られたように同じ方向に首を傾けた。その動作に思わず笑ってしまう。やっぱりマイキーにはこういうちょっとした仕草がよく似合うと思うのだ。

二人で事務所を出て並んで歩く。ネオンがチカチカと光る街はまだ眠る時間ではないようだ。
こうして二人きりで歩くのはいつぶりだろう。以前まではそれが当たり前だったはずなのに、いつの間にか随分久しぶりな気がして少し不思議な気持ちになった。

「どこに行こうか? 行きたいところある?」
「どこでもいい」
「食べたいものとかは?」
「……なまえは?」
「私?」
「オレに聞いてばっかだから」

そう言われてみればそうだ。二人で居ることが嬉しくてどうも浮かれているようだ。我ながら恥ずかしくなって顔を隠すために俯けば、隣からの視線を感じた。
横を向けば思ったよりも近い位置にマイキーの顔があって驚いてしまう。暗がりでもわかるほど近すぎて照れてしまう。

「……どうしたの?」
「別になんでも」
「なに?気になる」
「……顔赤いぞ」
「あーもう!見ないで!」

慌てて両手で顔を隠せば、今度はクスリとした笑い声が聞こえてきた。さっきまで無表情だったくせに、一体何を考えているのか。悔しくて軽く睨むとさらに笑われただけだった。本当になんて奴なんだこの男は。


「ねえ、早く行こ。どこ行く?」
「肉」
「あ、そういえばこの前、春千夜においしい熟成肉のお店教えて貰ったんだ。そこ行ってみる?」
「……なまえ」

ふいに名前を呼んで、立ち止まるマイキー。そしてそのまま黙って私の頬に触れる手はとても冷たいけれど優しかった。壊れ物に触るように撫でられる指先が心地よく感じるくらい。まるで私の存在を確かめているみたいだと思った。

「……春千夜とヤったのか?」
「へっ?」

唐突すぎる言葉の内容に変な声で反応してしまう私。マイキーはじっと私の瞳の奥底を見つめているようだった。
どうしていきなりそんな話なのかわからないけれど、答えない理由もない。というか、ここで嘘をつく意味がない。
私は素直にコクリと首を縦に振った。

「アイツからオマエの匂いがした気がした」
「……そっかぁ」
「付き合ってんのか?」
「まさか」

即答すればマイキーの眉間にシワが寄る。ああこれは不機嫌な時のサインだとすぐにわかった。
しかし、何故彼がこんなにも不愉快そうな顔をするのかわからなかった。私にとってはただの性欲処理に過ぎない行為なのに。それを咎める権利などマイキーにはないはずだ。それに、もし仮に私が他の男と関係を持っていたとしてもそれはきっと今更の話。私を自分から遠ざけて、会おうとすらしなかったのは他ならぬマイキー自身なのだから。


「それとも何か?アイツに乗り換えたか?」

私は思わず息を呑む。
どうしてマイキーはこうもしつこいのだろうか。しかもいつもなら考えられないくらい食い気味に、早いレスポンスで捲し立てるのだ。余程腹に据えかねているらしい。だけど残念ながら私にとって彼以上に心を揺さぶられる存在はいない。マイキー以外の人間を選ぶなんてありえないのに。私はゆっくりと口を開く。その先の言葉を紡ぐことは少しだけ怖かったけど、それでも言うべきことに変わりはないからだ。
そうして言い聞かせる。大丈夫、今までだって乗り越えて来たじゃないか。
私は一度深呼吸をして真っ直ぐマイキーの目を見てはっきりと答えた。

「マイキーに殺されるまで私はマイキーの人生から居なくならないよ」

それが私たちの約束だった。
マイキーが東卍の解散を決めた時、「なまえだけはオレの人生から消せない」と私に言った。その言葉は私にとってはプロポーズであり、地獄への片道切符だった。あの頃の私たちはお互いに依存していたし、相手の人生には自分がいないとダメだと思っていた。だけど実際は違った。そんな生温い関係じゃなくて、もっと深く重いものだった。だからこそ、彼の決断を受け入れざるを得なかったし、同時に絶望した。
結局はお互いに依存していたんじゃない。依存することでしか生きていけなくなっていただけだ。マイキーが私を必要としてくれたように、私もまたマイキーが必要だった。


「マイキーが嫌なら春千夜とはもうそういう事しない。私に必要なのはマイキーだけ」
「……」
「私ね、マイキーが好きだよ」
だから絶対に離れたくないのだと、本音を吐露した。
マイキーは相変わらず無言のまま何も言わない。呆れられたかな? 不安になって様子を伺うも、暗くてよくわからなかった。
恋は3年で覚めるという。それなら10年以上一緒に居る私たちの間にあるものはもう言葉では言い表せないものに変わっている。


「肉」
「へ?」
「肉食いに行く」

私の決死の告白は無視されたのか? 突然のことにぽかんと口を開けていれば、いつの間にか手を引かれていて歩き出す。先ほどまでの沈黙が嘘のようにスタスタと迷いない足取りで進んでいく背中を見ながら、私は慌ててついていく。

「ねぇ!ちょっと待って!」
「待たない」
「場所分かるの?」
「うるさい。肉ならどこでもいいだろ」

振り向きもせずに答えるマイキー。
私の気持ちを伝えたはずなのに、この態度は何なのか?いくら考えてみても答えなんて出ない。10年経っても暴君は相変わらずのようだ。
だけど繋いだ手を振り解こうだなんて、これっぽっちも思えなくて。

店に着くまであと数分。肉をたらふく食べたら、もう一度ちゃんと話をしよう。
今夜は長い夜になりそうだ。私とマイキーの夜はまだ始まったばかりなのだから。