洋ゲー

OFF


「あのー…バッター?」

恐る恐る名前を呼ぶと、バッターは私を見下ろしたまま瞬きすらせず「何だ」とだけ答えた。
目深に被った帽子の陰から、バッターの目がギラギラと残酷に光っている。
その眼中に映った自分の怯えた姿を見た途端、私は恐怖を悟った。

しかし逃げ出そうにもこれが全く隙を掴めない。
理由は至極単純。バッターと私の体はほぼ密着しており、加え、バッターは両肘を私の背後の壁につき壁ドンの状態を作っているからだ。
おまけに横持ちになったバットで首を壁との間に挟まれる始末である。
強制的に持ち上げられた顎に当たるひんやりとした木材は、バッターに葬られた亡霊達の血で既にどす黒く変色していた。抵抗したらお前もこうなるぞ、という意味なのか。

いつも頼りがいある背中だけを見ていた身であり、バッターの顔を正面から、こんなに間近で見ることなどそうそう無かった。
そのため慣れない状況に異を覚え、私はろくにバッターと目線を合わせられなかった。
しかしバッターが真っ直ぐに私を見つめているという視線は痛い程感じられた。
震えそうな唇をなんとか慎重に動かして、私は再び声を上げた。

「これ、は、どういうこと?」

「これか?」

バッターは肩ならぬバットをすくめて見せた。
エマを傷つける気は無い。そう言ったバッターを私は信用できなかった。その言葉の後に続く言葉は何かを考えるだけでも心臓が締め付けられた。
そんな私の怯えようにバッターはぎこちない慣れたようでない笑顔を作った。

「その顔を見ているとエルセン達を思い出す」

「だ、だって私エルセンだもの…」

「彼らみたいに怯えないでくれ。俺はただ…」

すぐ鼻先までバッターの顔が急接近する。
私は思わず息を飲んだ。
バッターが口から弱く細い息を吐くと、彼の生暖かい吐息が私の唇を欲するように愛撫した。
その吐息が「キスをしたいだけなんだ」という囁き声だったことを理解した途端、全身を鳥肌が駆け上がった。とてもよく嫌悪感に似ているが、何か他の感情も感じた。
バッターがそのまま唇を触れさせようとしてきたため、私はとっさに彼の胸板を押した。僅かに引き離しただけだが、少なくともクイーンの所有物をバッターの唾液が付着した唇で汚すことは阻止できた。

「こんなところでキスしてる場合じゃないよ…は、早くしないと亡霊が…」

「すぐに終わる」

「そういう問題じゃなくって!」

懲りずに顔を寄せてきたバッターをまた押しのけた。

「私とあなたに、と、特別な繋がりなんてないでしょ!あなたはゾーンの亡霊を退治してくれる人で、私はあなたに亡霊の場所を案内してあげてる、ただそれだけだよ」

思い切ったつもりだが、バッターは私が一喝した後も同じ表情のまま立っていた。

するとバッターはバットを床に投げ捨てて、突然私の体に抱き付いてきた。背中にバッターの逞しい腕がまわされ、その内の片方が私の頭を掴み、かたい胸板に押し付ける。
私は全身が誇張して動けなかった。バッターに抱かれたからではなく、本当に指一本と動かせないのだ。
そのままバッターは両手で私の顔を掴んで無理やり上を向かせると、次の瞬間には唇を貪っていた。
私は目を見開き、バッターの顔を凝視した。私の頭につばを押し上げられたキャップの下から見える瞳は開かれ、私を見つめ返していた。
私はとっさにさっきまでが嘘のように体がほどけたのを感じると、バッターをまた押しのけようと彼の胸板に当てた両腕に力を入れた。しかしバッターはそうすればするほど更に私の体を掻き抱いて、決して離さなかった。

バッターの薄い唇が何度も力強く肉を食み、時に舌を巻きつけて唾液を共有する。今まで決して味わったことのない濃厚なやり方で。
口内で生まれる何ともイヤらしい水音が、ただ淡々と私の頭に響き渡った。
それでも口付けの時間はバッターの言った通り短く終わった。バッターがゆっくりと顔を離すと、互いの唇を儚い透明な糸が引いた。

程なくしてバッターが手を離せば、私の膝はへなへなと力無く床に崩れ落ちた。
バッターもまた私と目線を合わせるためしゃがみ込んだ。

私の視界は鮮明であれど、意識は殆ど奪われ、ほぼ放心に近い状態に陥っていた。
そうさせた張本人、紛れもないバッターは片手を私の頬に添えて、サディスティックな微笑を浮かべていた。

「今、特別な繋がりになった」

艶やかに大人の魅力を感じさせる甘い囁きに乗せ、バッターは静かにそう言った。

ああ、これだからバッターは嫌いなんだ。
再び生を授かったかのように心臓が激しく鼓動するのを感じながら、私は真っ赤になった顔を見られないように俯いた。

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