洋ゲー
OFF
「バッター、あなたは虹を見たことがある?」
エマは私に顔を向け、そう切り出した。
ゾーン1はまだ小雨が降っている。
「いいや、無い。その…ニジとか言うのは何だ?」
「虹はね…」
エマは濡れたベンチから立ち上がり、キョロキョロと赤い海の向こうを見て。
「あそこ!」
人差し指を突き出した。
私も立ち上がり指された場所に目をこらしたが、ワニ型のグールが弧を描き水面を跳ねただけだった。
多分漫画なら描かれるだろうハテナマークを浮かべ、エマを見る。
エマは突き出した手を少し曲げて、私に笑って見せた。
「グールのことか?」
「違うよ。多分、虹が出るならあそこらへんかなあって」
「…私は場所を訊いたんじゃない。虹そのものとは何かを訊いているんだ」
「そうだったね、バッターは余計な話が嫌いな人だから」
けらけらと無邪気にエマは笑う。
彼女の言葉には少しムッときたが、実際その通りなので否定はできない。
虹っていうのはね。そんな私を察したのか、エマは口を開いた。
「この雨があがると、空の傷を直すように掛かるキレイな橋なんだよ」
色は七色。細長く、海の向こうまで延々続いている…。エマは過去の記憶をそのままはがしたように語った。
そして、虹の向こうには幸せがあるのよ、と。
雨があがったら虹を追いかけたいね、と。
窪んだ黒い瞳に光を散らし、少年の顔つきでエマは言った。
私は俯いて自身の手に握られたバットを見た。木でできた原始的なバットは亡霊達の血をいっぱいに浴び、所々黒く変色していた。
ごめんよエマ。罪悪感が押し寄せる。
私はここを含め全てのゾーンを浄化しなければならない。
ゾーンを浄化するということはつまり、ゾーンの守護者を倒すこと。守護者を倒すということはつまり、ゾーンが無に還るということ。ゾーンが無に還るということはつまり、エマを含め全てのものが…。
ポロリ。一粒の雨が目からこぼれ落ちた。
エマは知らないのだ。私がもうすぐエマの存在を消してしまうことを。彼女が働いている内に、私を忘れている内に。
ごめんよエマ、ごめんよ。
私には君に虹を見せられない。私には君に幸せを与えてやれない。
君が"いる"内にこの雨が止むこともない。
私が守護者の頭蓋骨を割った時、君はゾーンと共に消えて浄化されてしまうんだ。苦しみも幸せも虹もない所へ。
ごめんよ、ごめんよ、ごめんよ…。
心の中で繰り返す言葉に気付かないまま、私に微笑みかけるエマ。その笑顔が痛々しくて、苦しくて。
今すぐエマを抱きしめて、「大丈夫、雨は止む」と頭を撫でてあげたいのに。
つい数秒前、キーボードに置かれた指が私に自力で動くことを許さなかった。
プレイヤーがトイレから帰ってきた事にこれほど悔しい思いをしたことはない。そう奥歯を噛んだのも束の間、私の脚は動き出しエマからどんどん離れていく。
「ばいばい、バッター」
背後から聞こえた声はどこか強がりで、弱いエマを隠しているようだった。
「プレイヤー、準備は良いか」
アルマに堂々と鎮座したデーダンのオフィスを目前にして、私はディスプレイを隔てた先、依然黙して淡々と私を操る人形使いのプレイヤーを見上げた。
と言うが、こちらから彼を目にする事は不可能のため、私の目線の先には灰色の雨雲がひしめき合った空しか無いのだが。
それでもプレイヤーが意を決したのは彼の操り方からすぐにわかった。
「…早くデーダンを浄化しなければな」
そうだね、とプレイヤーが答えたように感じた。
デーダンのセンスであろう毒々しい紫色で塗り固められた建物の内部を進んでいく私、それを操るプレイヤー。冒険心で興奮した彼の鼓動が私の全身にしっかりと伝わってくる。
しかしわくわくとしたプレイヤーとは反対に、私の脚は人知れずその指に必死に抵抗していたのだった。
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