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Apex Legends


オリンパスの研究所でアシュレイ・リードは夜遅くまで研究を続けていた。しかしそれは見せかけで、本当の狙いは研究員が皆出払った時間帯を狙って仲間の傭兵組織に定期連絡を取るためであった。こんなに遅くまで研究所に籠っている自分は他の研究員からすれば単なる努力家に見えるだろうし、誰も怪しまないだろうと思ったからだ。実際、完璧主義者として常に慎重に行動していたリードは、今まで誰かに見張られていたりだとか邪魔をされたりといった障害にあたったことは無かった。
しかしただ一つだけ、大きな悩みを除いては。

他の職員達が全員退室し空っぽになった研究室内を見回して、今夜もリードは傭兵組織に連絡を取るため耳に取り付けた無線を起動させた。
「私よ、リード。目的の物はまだ――」デスク近くの椅子に座り、注意深く無線の向こうへ囁き始める。しかしそう言い掛けた所で突然背後にある研究室の扉がノックされ、咄嗟にリードは無線を中断させた。

「リード博士、いらっしゃいますか?」

金属製の扉が少しずつ開き、その先から百合のように愛らしい声が聞こえてきた。リードが肩越しに背後を睨むと、そこには研究所に雇われたパート従業員のエマが扉から顔だけ出して室内の様子を伺っていた。
「あ、リード博士!」エマはリードの姿を捉えるとパッと顔色を明るくし、室内に入ってきた。その両手には白い湯気をたてたお茶のカップを二つ乗せたお盆を持っている。
リードは眉を潜ませ、エマに聞こえないよう小さく舌打ちをした後、無理やり表情をほぐすと彼女の方へ振り向いた。

「また遅くまでお仕事をされているんですね。今日は何の研究ですか?」
「いつもの通り、オリンパスの人々を救う研究よ」

会話が面倒くさく曖昧な返答をしたリードだったが、エマはそれをリードなりのユーモアと捉えたのかくすくすと笑った。

「それは大変ですね。あの、きっと毎日こんな時間までお仕事をされてお疲れでしょう? またお茶を淹れたのでそろそろ休憩をしてください」
「いいえ、その必要は……」

リードは一刻も早く研究室からエマを追い出すため彼女の提案を断ろうとしたが、リードが言い終える前にエマは目の前のデスクにお盆を置いた。
ニコニコとした笑顔でエマはカップをそれぞれ自分とリードの側に置く。カップを配置し終えたエマはリードの隣の椅子に腰掛けた。わざわざ二つ用意されているのだから、もちろん初めからエマはリードと一緒にお茶を飲むつもりだ。

リードの悩みと言うのは正に目の前にいるエマの事だった。
以前までこの時間帯は誰にも邪魔されずに過ごせていたのだが、ここ最近はやたらとエマが自分のもとへ訪ねに来るのだ。しかもリードが一人の時間をわざわざ狙って。何度か場所を変えてはみたがそれでもしつこくエマは自分を探し当ててくるため、そのせいで満足に傭兵組織への連絡も取れなくなっていた。
初めは純粋に研究尽くめのリードを心配して彼女に一杯お茶を淹れてくれる程度だったが、ばつの悪い事についニ、三日前からはエマも休憩に同席するようになった。
こういった仕事をしているとリードはどうしても周りの人間に対して疑い深くなってしまう。もちろんその目はエマに対しても向けられており、リードは彼女がこうして自分に会いに来るのには何かしら訳があるに違いないと考えていた。例えば、リードの正体を探っているのではないかと言った。
一見無害な民間人風に見えるエマでも、本当の彼女と言うものをリードは何も知らない。もしかしたら、自分のようにその姿を隠すのが得意なだけという可能性も……。

「リード博士、どうされたんですか?」

エマの声にハッとしてリードは意識を取り戻させた。自分でも気付かぬ内に考え込みすぎていたようだ。
リードは慌てて笑顔を作ると首を横に振った。

「なんでもないわ。あなたの言う通り疲れているのかも」
「でしたらこれ、食べてみてください。手作りなんです」

そう言ってエマはお盆の上の茶菓子を一つ取ってリードに差し出した。
カップの次は茶菓子が追加されたのか。そんなことを思いながらリードは指先でそれを摘まみ、しげしげと観察する。どうやらクッキーのようだ。エマが手作りと言っていたそれは花型にくり抜かれ、真ん中に赤い大きなドレンチェリーが飾られていた。
「疲れたときには甘いものが一番ですよ」とエマはリードに対して無垢な笑顔を浮かべる。その素直すぎる表情を伺うに毒物は入っていないようだ。
リードは少し安心したが、いつでも吐き出せるよう覚悟して恐る恐るクッキーを口に運んだ。
サクッと心地よい音が鳴り、口内にほろほろとした甘い食感が入ってくる。アーモンドパウダーとバターがふんだんに使われているのか、優しい香りが鼻を抜けていった。どうやら、これはどう考えても普通のクッキーのようだ。
想像していたよりもかなり自身の舌に馴染むその味にリードは思わず関心した。甘くなった口内をスッキリさせるため飲んだお茶も程よい濃さだ。
単なる茶菓子とは言え、こんな風に温かみを感じられる食事を口にしたのはいつぶりだろうか。

「ありがとう、疲れた体に染み渡るようだわ」

お茶を飲み終えてリードはほうっと穏やかに一息吐いた。半分は素直な言葉だった。その様子を見てエマは嬉しそうに微笑んだ。
「そう言って頂けて嬉しいです。リード博士はいつも忙しそうにしているから……」そこまで言い掛けてエマはハッと目を丸くさせると慌てたように両手を横に振った。「ああ、いえ、その、たまたま遠くから見た時に目に留まっただけなんですけれど」
エマの異様な様子にリードが怪訝そうな目を送ると、彼女の頬はほんのり赤みを帯びていた。エマは前髪を正し、そのまま気まずそうにリードから視線を逸らした。

ああ、そういう事だったのか。そこまで来て察しの良いリードはようやく合点がいった。
研究室の窓から自身に対して送られてくる視線。毎晩淹れてくれたお茶。やがて自身に同席するようになったエマ。そして恥ずかしそうに赤らめられた彼女の頬。リードはそれら全てがエマから自身に向けられた好意によって引き起こされていることを理解した。詰まるところエマはリードに対して恋心を抱いているのだ。そしてそれは実際、的を得ているのであった。
パート従業員として研究所で働いているエマは初めてリードの存在を目にした時からその名状しがたい美しさに魅了されていた。単なる一目惚れか、それとも傭兵という正体を隠しているリードの気迫に無意識に魅力を感じたのかもしれない。彼女のために雑用をこなすだけでも幸せだったエマだが、それではあまりに会話の機会が少ないと感じられた彼女はある日リードが終業時刻後に一人で研究室に残っていることを知ると、それを利用することにした。やたらこの時間帯に会いに来ていたのも、休憩と称してお茶に同席していたのも全てはリードと二人きりで過ごすための口実に過ぎなかったのだ。
リードはそれを理解すると心の中でほくそ笑んだ。スパイと言った傭兵仕事をするにあたって、こうした事は過去にも何度か経験がある。そしてその場合、どうすれば最大限に相手を利用できるのかその方法もリードには分かっていた。

「嬉しいわ、エマ。そんなに私を気に掛けてくれていたなんて」

そう言ってリードはふとエマの手に自身の手を重ねた。色目を使うために作った笑みを向けてやれば、エマは途端に肩を強ばらせて緊張した眼差しをこちらに送ってきた。
予想通りな反応をするエマにリードは思わず吹き出してしまいそうになるのを必死に堪えた。
薄桃色の口紅を塗った唇を滑らかに動かし、リードは先程よりも妖艶な声色で話し始めた。

「ねえ、分かるとは思うけど……こういう仕事をしているとどうしても孤独になってしまうの。だからあなたみたいに優しい子が私の心配をしてくれると、それだけでもありがたいのよ」
「そ、そんな。リード博士は優秀ですし、私だけじゃなく研究所の皆が博士の事を好いていますよ」
「ええ、皆が私をチームの一員として受け入れてくれているのは知っているわ。でもね、エマほど私を見てくれている子はいないと思うの」

一言喋るたびにリードが段々とエマに顔を近付けていく。
急に積極的になったリードに怯えているのか、それとも緊張しているだけか彼女に対して少し逃げ腰になるエマ。しかしリードはそんなエマを逃がさないよう重ねたその手に指を絡めた。
エマの心臓はドキドキと鼓動を早め、まともに息をするのも困難だった。こちらをじっと見据えるリードの瞳は吸い込まれそうな程に綺麗だ。

「今まで言っていなかったけど、こうして終業後にあなたが会いに来てくれてとても嬉しかったわ。あなたと二人きりで話すのは楽しいもの」
「わ、私もです。リード博士と話すのはとても楽しくて、二人きりで過ごしているのはまるで夢みたいな時間に感じられて」
「ありがとう。でも私はともかく、ただの従業員のあなたがこんなに遅くまで研究所に残っているのはいけない事よ。エマはそんなに悪い子だったかしら?」

くすくすとリードは困ったように笑い、そのまま人差し指でエマの顎の下をくすぐった。
エマの心臓ははち切れんばかりに激しく高鳴り、とうとう顔から湯気が立ち上りそうだった。そんな風にリードに優しく触れられるとエマの体は自然と快楽を感じてしまい、あと少しのところで思わず甘く吐息してしまいそうになった。
細められた目でリードはエマの様子を観察する。ちょっと目を見て手を触れさせただけで面白いくらいに顔を真っ赤にしてしまうエマが愉快で堪らない。女性に色目を使うのは初めてであるため少し不安だったが、この分には十分過ぎるくらい上手くいったとリードは安堵した。
リードは最後の仕上げに取りかかるため、体を少し乗り出してエマの体にしなだれ掛かった。消毒剤のにおいに紛れてシャンプーの甘い香りがエマの鼻を掠める。リードの長い茶髪が首元を撫で、エマの体にぞくぞくと電撃が走った。
エマの肩に手を置いたリードはそのまま彼女の耳元へ顔を寄せると囁いた。

「今度からは昼の休憩時間に会いに来てくれる? 誰にも邪魔されないよう二階の隅にある研究室を空けておくわ。そこで待っているから」
「は、はいっ……わ、私こそ、また博士のところに来させてください」
「ええ、もちろんよ。もっとあなたと二人きりで過ごしたいわ、エマ」
「わた、わたしも、博士ともっと二人で、その……」

リードが囁き掛けたエマの耳が真っ赤に染まっている。それを確認してリードは不適に微笑んだ。
「いい子ね」最後にそう言ってエマから体を離し、リードは飲み干した二人分のカップをお盆に片付けた。

「今日はもう引き上げるわ。あなたも帰りなさい、エマ」
「はいっ。あ、これは私がやりますね……」

まだどこか上の空にいるエマだったが、リードの一言に慌てて意識を取り戻させるとお盆を持っていそいそと椅子から立ち上がった。それでもエマの心臓はまだ激しい鼓動を繰り返しており、扉の方へ行こうとしても目の前がふらふらとするのでまともに歩くふりをするだけでも精一杯だ。
リードからの思わぬ誘惑にエマは内心驚きながらも、これ以上無いくらい幸せな一時に今にも空へ飛び立ってしまいそうなほど幸福を感じていた。さらにはリードから直々に誘われ、エマは単なる比喩ではなく本心から今すぐ死んでしまっても構わないとすら思うのであった。
今夜はいい夢を見るどころか、興奮で眠れないかもしれない。
自然とエマの口角は彼女ですらも抑えきれないほど上がっていた。

「では、お疲れさまでした……リード博士」
「ええ。帰り道には気を付けるのよ」

研究室の扉の手前でエマは一度振り向き、まだ背後のデスクにいるリードへ軽く会釈をした。
椅子に座ったリードは背中でエマを見送った。

「ああ、エマ、待って」

しかしふと何かを言い忘れていた事を思い出したリードは咄嗟にエマを引き留めると彼女の方へ振り向いた。
既に半分扉へ手を伸ばし掛けていたエマは怪訝そうな目でリードを見た。そんなエマにリードは柔らかい微笑みを作った。

「クッキー、ありがとう。美味しかったわ。良ければまた今度も作ってきてね」

そんなリードからの褒め言葉が意外だったのか、エマは一瞬目を丸くするとすぐにその顔を嬉しそうな笑顔に変えて「はいっ」と大きく頷いた。そのまま上機嫌な足取りでエマは研究室から立ち去っていくのだった。
エマが扉を閉めると、それまで笑顔を張り付けていたリードの顔は瞬時に無表情へ戻った。扉の先でエマの気配が無くなるのを注意深く待った後、リードは再びデスクへ向き直るとようやく傭兵組織との無線を再開させた。

「私よ、リード。さっきは中断させて悪かったわ。邪魔者が入ったけど、もう大丈夫……むしろ利用できる駒が手に入ったかもしれない」

完全に人気の無くなった研究室内でリードの囁き声だけが微かに響く。
思わぬ展開ではあるが、エマという利用価値のある存在を手に入れられたことでリードは今回の作戦への期待が高くなった。エマの従業員という立場を活かせば何かしらの役には立つかもしれない。それ以上に自身に対するエマの好意は必ず良い結果をもたらしてくれるだろう。
ただ、リードには一つだけ不可解な事があった。エマのように純粋無垢な心で自身を慕ってくれる女を果たして単なる捨て駒にしても良いのだろうか。もちろん目的のためなら犠牲者を一人や二人出すことに殆ど抵抗を感じないリードではあるが、それでも愛らしく微笑みながら自身に接してくるエマを思うとほんの少しだけ彼女に対して罪悪感を抱いてしまう。
リードの頭の片隅で不意にかつて同僚を裏切った時の出来事が過った。上から命令された事とは言え、自身の手で彼女を宇宙に置き去りにした時の事を思い出すと未だに良心が痛む。しかしリードはそう思うたびに、あくまでも自分は仕方無くやったのだから彼女がどうなろうと関係は無いのだと無理やり自身を納得させてきたのであった。
リードは頭を横に振って無用な考えを払い除けようとした。少し取り乱したリードの様子を無線の先から察してどうしたと聞いてきた仲間に対し、リードは何でもないとだけ返した。
エマも、どうせこの研究所にいるからには無事では済まない。従業員用の契約書でも―テロ行為に関する記載は無いだろうが―研究所につきまとう危険については確認しているので同意しているはずだ。過去の犠牲者たちと同様、彼女も単に運が無かっただけなのだ。そうしてリードはまた自身を納得させた。
無事に定期連絡を終え、無線を切ったリードは目を瞑って俯いた。それまでの緊張がどっと抜けたようにため息を一つ吐く。やがて顔を上げると、睨むように開かれたその目には強い決意が宿っているのであった。

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