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Apex Legends


今宵もパラダイスラウンジは試合帰りのレジェンドたちで賑わっていた。
エマとブラッドハウンドは店内の隅に設けられたテーブル席に向かい合って座り、酒を酌み交わしては話の種に花を咲かせていた。二人は互いを親友と呼び合う間柄だ。エーペックスゲームに参加したあとはこうして二人で酒を飲み、その日の試合中の出来事や日常のことなどを語り合うのが彼らの日課である。
ブラッドハウンドの話に声を出さずに笑ったエマは酒を一口呷り、ほうと穏やかに息を吐いてグラスをテーブルに置いた。既に半分酔いがまわってきた彼女の頬は熟れた桃のように薄紅色に染まっていた。
次の話題は何にしようか悩んでいたエマは、少し考えたのちに何気なく口を開いた。

「この時期になると、小さい頃にタロスの別荘で過ごした時のことを思い出すわ」
「タロスに別荘が?」

ブラッドハウンドはエマの言葉に意外そうな顔をしてガラスのジョッキから酒を飲んだ。
エマは微笑むとブラッドハウンドに頷いた。

「父が所有している別荘がタロスの避暑地にあったの。毎年夏になると父と二人で丸々一ヶ月滞在していたのよ」
「それは良いな。他の者は中々口にしないが、獰猛な野生生物の生息地という点を除けばタロスは休暇を過ごすのに最適な星だ」
「でしょう? それにあなたの故郷だもの、ブラッド。淀みの無い川に、青く生い茂った草木、それから時間によって姿を変える渓谷なんかは幼い私にとって最高の景色だったわ」

「もちろん今もそういったものは大好きよ」とエマは素早く付け加えてもう一口酒を飲んだ。
ブラッドハウンドはエマの話に嬉しそうに微笑むと「ああ、まさしく我が愛しの故郷だ」と頷いた。
履歴書とエマ自身の話によれば、彼女の両親はそこそこ財産を築いた家柄らしい。オクタンやライフラインの家ほど裕福ではないが、少なくとも中流階級には属している。故郷の土地には両親の所持する大きな家があり、芝生の生えた広い庭では時々友人や親戚を呼んでのバーベキューも楽しんだそうだ。ブラッドハウンドはそんな恵まれた家庭環境にあるエマが、どういうわけか血塗られたエーペックスゲームに参加していることについては、いつも疑問を浮かべてしまうのであった。最も他の参加者同様、エマもそのことについて多くは語らないので真相は謎のままである。自分も含めて人は他人に知られたくない過去を持ち合わせているものであるため、ブラッドハウンドも無理矢理彼女からそれについて聞き出そうとは思っていない。ただ親友としていつの日か自分に打ち明けてくれることをじっと待ち続けているのであった。
ともあれエマはそんなタロスでの思い出を楽しそうに語った。学校が夏休みに入ると周りの子供たちが殆どサマースクールへ行かされる中、エマは父親と二人でタロスの別荘へ遊びに行っていた。よく別荘の周りの森を探検したり、自然を楽しみつつ父親とバードウォッチングに励んだりもしたと言う。昼間は間欠泉から湖に飛び込んで天然のウォーターアトラクションを満喫し、夜になると別荘のテラスから星空を眺めたらしい。
「狩りはしなかったのか?」と、ごく当たり前のように聞いてきたブラッドハウンドにエマは思わず吹き出した。
「するわけ無いでしょ。虫の殺し方も知らないくらいの箱入り娘だったんだから」エマは自虐的に返した。そうは言っている彼女も今では両手に銃を握り、果敢に戦場を駆けて敵を屠るレジェンドたちの一員なのだから、人生とは分からないものである。
そんなやり取りで思い出したのか、「ああ、そう言えば……」とエマは続けて口を開いた。

「昔……本当に昔、その避暑地で一度だけタロスの地元民を見たことがあったの」
「地元民と言うと都心部の者たちか、それとも……?」
「いいえ。あなたのような狩人たちよ、ブラッド」

ほう、とブラッドハウンドは興味深そうな声を出した。

「彼らは動物の皮や植物で作った服を身につけて、まるで日常の一部のように狩りを行っていたの。私はそれを遠くから見ていただけだったけど、なぜだか自分は邪魔者のように感じられてすぐに父のいる別荘へ帰ったことを覚えているわ」
「確かにタロスの原住民はよそ者に慣れていない。ハモンドの連中のこともある。仮に彼らに見つかったとしてもすぐにその場から立ち去るよう言われていたかもしれないな」
「そうかもね。あれはブラッドのいた部族の人々だったのかしら?」
「さあな。だが私の部族は様々な土地に点々と集落を築いていた。お前が目にした彼らもその内の一つだった可能性はあるだろう」

「なるほどね……」とエマは納得する。幼い頃の記憶は殆ど薄れ、もう彼らの姿は大まかな印象でしか思い出せないが、当時のエマにとっては物珍しいものに感じられた。
互いに酒を口へ運び、二人は何かを考え込むようにしばらくの間会話を止めた。
すると、それから少しして「そう言えば……」と今度はブラッドハウンドが唐突に口を開く。「今の話で思い出したのだが、実は私も幼い頃に不思議な体験をしたことがあったのだ」
テーブルに頬杖をつき、グラスの縁を指でなぞっていたエマは視線だけをブラッドハウンドに向けるとにっこり微笑んだ。

「聞かせて」
「あれは、ハモンド・ロボティクスが悲惨な事故を起こしてから何度目かの冬を越した時のことだった……」

ブラッドハウンドの脳内で当時の様子が思い起こされる。両手でジョッキを掴み、まだその中に残った酒に写り込んだ自身の顔を見つめながら、ブラッドハウンドは静かに語り始めた。
その時ブラッドハウンドは叔父に引き取られ、全く新しい環境に戸惑いつつも彼の家族たちと生活をしていた。
ブラッドハウンドの叔父は現代文明から完全に隔離され、機械を遮断して古の理にのみ従って生活をする小規模な部族を率いていた。ブラッドハウンドは将来彼らを導くために古来より伝えられる神々のしもべ、すなわちブロス・フゥンダルとなるべく叔父の下で修行を積んでいたと言う。修行は決して楽なものでは無かったが、こうしてブラッドハウンドが卓越した狩りの腕を身に付けることが出来たのは叔父の教授のお陰だろう。
その日もブラッドハウンドは叔父から課せられた試練で、独り、森の中を散策していた。巨人のように高く伸びた木々の間を歩き回り獲物の痕跡を探っていたブラッドハウンドは、やがて開けた場所にある湖へたどり着いた。そこで、ブラッドハウンドはとある物を目にした。それは、ブラッドハウンドと差ほど歳の離れていないであろう一人の少女であった。
「女の子? 森の中に独りで?」エマは話の途中にも関わらず、つい口を挟んでしまった。しかしブラッドハウンドは特に気にせず彼女へ頷いた。
「私も初めて少女を目にした時は、思わず目を見開いていた。彼女は我々とは全く違っていて、そして……とても美しかった」ブラッドハウンドは感慨深く言った。それから話を続けた。
その少女は見たこともない綺麗なドレスを身に纏い、ガラスか金属製の美しい装飾品を身に付けていたと言う。少女の髪は森から注がれる木漏れ日で艶めき、絹のように白い肌は遠目から見ても滑らかだった。くりくりと丸い目から伸びる睫毛は長く、繊細で、少女がまばたきをするたびにまるで小さな蝶の群れのように愛らしく動いた。
少女はその時湖のほとりに敷いたギンガムチェックの黄色いレジャーシートに腰を落とし、読書にふけっていた。その姿は神話の一部分から切り取ってきたかのように神秘的だった、とブラッドハウンドは表現した。
初めて少女を見た瞬間のことを、今でもブラッドハウンドは鮮明に覚えていると言う。まるで目の前の世界が一気に広がったような、春の訪れに草花が一斉に芽吹くような、そんな強い衝撃だった。その一時だけはタロスの森の凍てつく空気も温かく感じられるほどであった。
ブラッドハウンドはしばらく木の影に隠れ、遠くからじっと少女を観察していた。読書に集中している少女はブラッドハウンドに一切気付く様子が無い。
ブラッドハウンドは少女の読んでいる分厚い本の装丁より、彼女の端麗な横顔からその聡明さを垣間見る事ができた。既に少女の格好からでも伺える通り、彼女がどこかの上流或いは中流階級に属していることは明らかだ。
ブラッドハウンドは少女のそばまで行って、ここで何をしているのか話しかけたい気持ちに駆られた。しかし少女の神秘的な様子が、同時にどこか近寄りがたい印象も抱かせてくるのであった。
すると、ふと何かの気配を察したのか先ほどまで俯いていた少女が突然こちらに振り向いた。慌ててブラッドハウンドは身を隠す。自分の心臓が今までに無いほど激しく高鳴っていた。
鼓動が落ち着きを取り戻し、しばらくしてから再びブラッドハウンドは湖の方を覗き込んだ。しかし、その時には既に少女はいなくなっていた。少女が座っていたレジャーシートも無くなっており、まるで彼女は森の精霊か何かだったかのように綺麗さっぱり痕跡を消していたのであった。
「それきり、何度同じ場所を訪れようともあの時の少女に出会うことは無かった」ブラッドハウンドは残念そうに言った。

「再び彼女に出会えるよう主神に祈りもしたが、その願いが届くことは無かった。もしかすると、運命が我々は道を交えるべきではないと言っていたのかもしれないな」
「へえ……確かにすごく不思議な話ね。森の中で会ったミステリアスな少女、か」

エマは目を丸くし、ブラッドハウンドの物語に魅了されていた。体に回った酒の酔いもすっかり覚めてしまった。
あの時、ブラッドハウンドが少女に対して抱いた感情が果たして特別なものだったのかはいまだに分からない。つまり、少なくとも自身が初めて愛を捧げた人物はあの少女ではなくブーンであったからだ。それはブラッドハウンド自身、はっきりと明言できることだ。それにあの時は両親を失ったことや、叔父の下での修行等、幼い子供にとっては目まぐるしい日々だったため、今となっては恋をする余裕も無かったように思える。それでも、あの少女の存在はブラッドハウンドの記憶に強烈に刻まれているのだ。そう、その人は語った。
ブラッドハウンドの話を全て聞き終えたエマは、ふうんと唸って感心した。まるで子供向けのファンタジー小説のような体験談は、様々な疑問が浮かぶとは言え今まで聞いてきた中で一番興味深い内容であった。

「素敵な物語ね。聞かせてくれてありがとう」
「いいや。こうして誰かに話すつもりは無かったが、思い出したついでだからな」
「ねえ、今でもその子に会いたいって思う? もう一度だけでも?」

エマの言葉にブラッドハウンドは一瞬目を丸くさせた。それから小さく唸って考え込むが、すぐに口元を緩ませると「いいや」と首を横に振った。

「再び相見あいまみえる事があるとしても彼女は私を覚えていないだろう。なら、私だけがあの特別な夏の日を記憶に留めておけば良いのだ」
「夏? てっきり冬か、秋の出来事かと思ったけど」

エマが首を傾げる。そんな彼女へブラッドハウンドは意味深に微笑むと、「いいや、今のは聞き流してくれ」と席から立ち上がった。

「酒も無くなってきたし、そろそろ帰らねば。今夜は私から奢らせてくれ」

そう言ってブラッドハウンドは二人分の酒代をテーブルに置き、出口へ向かおうとした。
「ま、待ってよブラッド」その背中を慌ててエマが引き留めようとする。「その少女って、まさか――」まだ確信していないがエマは何かを察した様子だ。しかしブラッドハウンドは足を止めて肩越しに彼女へ微笑んだだけでそれ以上は語らなかった。

「また明日、戦場で会おう」

ブラッドハウンドは最後にそれだけ言うと、そのまま店を後にする。独り、席に取り残されたエマは困惑した表情でブラッドハウンドが出ていった店の扉を眺めているのであった。

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