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Apex Legends


ストームポイントの密林に雷の轟音が響き渡る。枝の上で休んでいた鳥達がその音に驚いて一斉に羽ばたき去っていくと森には再び静寂が訪れた。
それから程なくして今度は刀が擦れるような音が一定のリズムを刻みながら森の中を横断していく。それは一見小気味良いように思えて、よく耳を澄ませばすぐに背筋が凍りつくほど恐ろしい音であった。まるで避けられぬ運命を定めようとしているかのようにその音は注意深く周囲を探っていた。

「エマ、かくれんぼはそろそろ終わらせましょう」

今度は機械音混じりの女の声が響いた。言葉とは裏腹に彼女の声色はどこか楽しんでいるようで、自分から獲物が逃げ隠れている事すらも彼女にとっては戯れの一部であるかのようだ。
刀のように細く鋭い両脚でゆっくりと地面を踏み鳴らしながら、その女――アッシュはエマの居場所を探っていた。
エマはアッシュから数メートルも離れていない岩影で彼女の様子を伺っていた。今にも見つかってしまわないか不安と恐怖に駈られながら歯を食い縛り、額に汗を滲ませている。
エマの傍らには負傷して苦しげにあえぐホライゾンが岩を背にして横たわっていた。アッシュに付けられた傷は深く、ホライゾンが押さえつけた腹部からは絶えず血が流れ落ちて彼女の手を赤黒く染めていた。

「エマ、あんただけでも逃げな……」
「だめですソマーズ博士。仲間を置いては行きません」

エマはアッシュから目を逸らさずホライゾンに即答する。ホライゾンは彼女の気遣いが嬉しいと同時に申し訳なかった。
森の中でアッシュから奇襲を受けたホライゾンをエマは咄嗟に援護してくれたが、彼女もそのせいで相当な深傷ふかでを負ったのだ。エマは戦闘不能状態に陥ったホライゾンをなんとかこの岩影まで担いで逃げてきたが、二人はもう一歩も動けそうになかった。
もしエマが回復を、或いはホライゾンを蘇生しようものならその音でアッシュに居場所がばれてしまう。彼女らは正に八方塞がりだった。

「これがあなたの戦い方ですか? 私から怯えて隠れているだけが戦略だとでも?」

アッシュはどこにいるか分からないエマに向かって挑発的な言葉を浴びせる。エマはそれに小さく舌打ちをした。
どのみちここに居座ってもいつかは彼女に見つかる。どうすれば良いか、何か打開策は無いかとエマは必死に頭を回転させた。
するとそんな風に悩む彼女を見ていたホライゾンがふとエマに体を寄せて囁いてきた。

「ねえ、エマ。アタシに考えがあるんだ。本当に最悪なアイデアだけど、あいつに勝つためにはもうこれしか無い。聞き入れてくれるかい?」
「……私を囮にしろ、なんて言ったら例え博士でも殴りますよ」
「ふふ、やっぱりか。でもね、アタシはどの道助からない。だけど何もせずこの身をあいつに差し出すつもりも無い。とにかく今回だけはどうか聞き分けのいい子になっておくれ」

まるで小さな子供に言い聞かせるようにホライゾンはそう言って苦しげに微笑んだ。
エマは鋭い視線だけを彼女に向けたまま何もいわなかった。
頷きもしないエマをホライゾンはそれが了承ということだと願い、そのままそっと彼女の耳に口元を寄せた。
しばらくしてアッシュが足を止め、周囲を見渡す。するとすぐ側の岩影からかすかに蘇生音が聞こえてきた。
アッシュはそこへ振り向くと黄色い瞳を恐ろしげに光らせ、背中に背負った剣に手を伸ばした。
次の瞬間岩影の後ろにアッシュがフェーズティアを展開して回り込んできた。彼女は素早くそこへ銃口を向けるが、視界に写った予想外の光景に思わず手を止めた。

「自己蘇生……?」

岩影にいたのはエマでは無く、ホライゾン一人だった。彼女は自身の体に注射器を指して自力で応急手当をしているところだった。
ホライゾンはアッシュを見てにやりと血まみれの歯を覗かせた。

「あんたも早とちりする事はあるんだね、でくの坊? エマ、今だよ!」

ホライゾンがそう叫ぶと、岩から一歩退いた木の裏に隠れていたエマが懐からアークスターを取り出し、それを勢いよくアッシュに投げつけた。
反応の遅れたアッシュの胸元へ鋭い刃が食い込み突き刺さる。
気付いたアッシュは再び刀を振るうが、逃避用のフェーズティアはたった今使用したばかりだった。
「しまった……ッ!」アッシュの体が痺れる。それでも彼女はなんとか両脚を走らせてその場から避難しようとした。

「待ちな!」

しかしすんでのところでアッシュの脚をホライゾンが掴んだ。そのままアッシュは地面に転倒した。
アッシュは心底腹立たしそうに唸ると後ろへ振り向き、まだ自由になっている片足でホライゾンを引き剥がそうと何度も彼女の手を蹴った。しかしホライゾンは決して彼女を離さなかった。

「ああっ、離せッ!」
「いいや離さない! 今度こそはあんたも道連れだよ!」
「チイッ……!」

アッシュが大きく舌打ちをし、それをホライゾンが勝ち誇るように嘲笑う。
そして次の瞬間、ホライゾン共々アッシュの体を強烈な電磁パルスが貫いた。
まるで機械が激しくショートするかのようにアッシュが凄まじい悲鳴をあげる。
彼女のシールドは完全に砕け散り、爆発の衝撃で地面に崩れ落ちたまま一切手足を動かせなくなった。そこへ重たい足音が近付いてくる。
ホライゾンと共に事切れたアッシュをエマは静かに見下ろした。その眉は僅かにひそめられ、複雑な目をしていた。
体から火花を散らせながらアッシュはセンサーアイだけをぎょろりと動かしてエマを見た。

「……何を待っているのです? 早く私を――彼女を、殺せ」

アッシュの声にエラーが生じ、一瞬彼女の中にいるリードが自我を現した。
エマは銃口をアッシュの眉間に向けると、彼女を見つめたまま無言でトリガーを引くのであった。



試合後の医務室でエマはホライゾンのベッドの脇に座って彼女の看病をしていた。
爆発の影響や出血でぼろぼろになったホライゾンの全身には真っ白な包帯が巻かれ、腕には点滴が刺されていた。
バトルロワイアルと銘打ってはいれど、試合で負傷したレジェンドたちに提供してくれるシンジケートの医療技術は常に最高の物だ。
こんな風に試合後は体中に包帯やギプスを身に纏った仲間の姿をエマは何度も見てきた。適切な治療と時間を与えられれば彼らはすぐに快復し、また一緒に戦えるようになる。だから今回もエマはそれほど心配していない。
けれど彼女は未だにホライゾンを囮として使ってしまったことを悔いていた。ホライゾンから申し出た事とは言え、大切な仲間をこの手で犠牲にするのはやはり心が痛む。

「ソマーズ博士、ごめんなさい。私がもっといい戦略を出せれば良かったのに」
「まだそんな事を言っているのかい? アタシが無理言ってあんたにやらせたんだ。ユメは気にする必要無いんだよ」

ホライゾンはそう言って目元に皺を寄せながらエマに優しく微笑んでくれた。
「……ありがとう」エマはそんな彼女に苦く笑い返しながらも、ホライゾンの温かい母性に沈んだ心を安らげるのであった。
しばらくホライゾンの様子を見守った後、エマは医務室を後にした。
今日の試合はエマのチームがチャンピオンを取って終了だ。あとはユニフォームを着替えて帰宅するだけとなったエマは更衣室へ向かった。
ふと廊下の前方を人影が横切っていった。あ、とエマは立ち止まって息を飲む。その人影はアッシュで、試合中に破壊された体はすっかり修復され新たに美しい姿でエマの前を通りすぎていった。彼女が向かう先はアリーナの管理室へ続いている。
ユメは少し悩んだが、せめて帰宅する前に挨拶くらいはしておこうという気まぐれでアッシュの背中を追いかけることにした。
アッシュが部屋に入った後、遅れてエマも入室する。きいと少し錆び付いた音を鳴らせて扉を開けると、照明も付いていない暗い室内で沢山のモニターを眺めているアッシュの後ろ姿があった。
「アッシュ」とエマが呼び掛けると彼女はゆっくりと後ろへ振り向いた。モニターの様々な光に照らされたアッシュの顔が不気味な程くっきりと輪郭を浮かび上がらせている。
エマはアッシュの方へ歩み寄って行きながら口を開いた。

「その……さっきの試合、お疲れさま。やっぱりあなたと戦うのは相当苦戦したよ。まだ傷がズキズキしてる」

そう言って苦く笑いながらエマはアッシュから撃たれた箇所に手を添えた。
アッシュは少し振り向いて彼女を見つめたまま何も言わない。
エマはアッシュの目の前まで来ると立ち止まって彼女に片手を差し出した。

「いい試合をありがとう。帰る前に挨拶をしておきたかったんだ。その、迷惑で無ければだけど」

例え敵であろうとエマは素晴らしい戦いを提供してくれた相手には常に敬意を欠かさない。そうして彼女は次の試合でも全力で相手と対峙できるのだ。
しかしアッシュはそんな彼女をしばらく見つめた後、ようやく身動ぎしたかと思えば鼻で笑っていた。
エマはアッシュが握手を望んでいないことを悟ると静かに差し出した手を下ろした。

「ああ、私もあなたには感心させられましたよ。負傷して動けなくなった仲間を囮にして相手を誘き出すなんて、まるであなたは無慈悲な兵士のような考え方をするのですね」
「あれは……私じゃなくて、ホライゾンのアイデアなの。彼女が自分からそうして欲しいと言った。私にはそんなことをする勇気は無いよ」
「でもあなたはそれを承諾して彼女の自己犠牲を受け入れた。どちらにせよあなたには仲間を見捨てる決断力がある」

アッシュがゆっくりとエマに歩み寄る。刀を鳴らすような足音が静かに響く。
エマは少し恐ろしさを感じて後ずさるが、アッシュは彼女が逃げられないようにその体に手を回して壁に押し付けた。
壁を背にしてエマはアッシュと見つめ合う。アッシュはエマの顔の横に肘を付き、彼女の顎を掴んだ。
エマの顔が持ち上げられたと同時に彼女は目を見開き、深く息を飲み込んだ。アッシュの美しい顔が今にも触れそうなほど近くにあった。その口元がふと微笑んだように見えた後、アッシュは再びボイスモジュールを開いた。

「あなたのように感情に囚われず正しい判断を下すことのできる兵士は好きです。あなたは私を感心させるだけの素質を持っている」
「それはどういう意味なの?」
「先の試合を通して、あなたに一つ提案をしようと思っていたのですよ。ユメ、私のもとでもっとその素質に磨きを掛ける気はありませんか? あなたは私にとって数少ない優秀な弟子になるでしょう」

アッシュの言葉を聞いてエマの疑う目が今一度大きく見開かれた。
まさかアッシュから「自分の弟子にならないか」なんて言われるとはエマは思ってもいなかったのだ。そもそも彼女がそれほど自身に興味を持つとすらも思っていなかった。
エマは複雑な気持ちになった。確かに仲間を犠牲にしたとは言えそれも決して本心から望んでやった訳ではない。そうしなければ勝てないから苦渋の末に決断したことだ。それがアッシュの言う無慈悲な兵士のすることだと言われてもエマは納得がいかなかった。アッシュが思う素質など自分の中には無い、と。
しかしアッシュは未だにエマの中に何かを見出だしているようだ。間接の露出した親指でエマの唇を端までなぞり、彼女は含み笑った。

「私……私はアッシュが思うような人間じゃない」
「ええ、あなたはそう自覚しているのでしょう。けれど私の目には違って見えています。私が共に在ればあなたは今よりも、もっと驚異的な存在になれる。チャンピオンを獲得できる確率も今より高くなるでしょう」
「そ、そんな提案には乗れないよ。悪いけど、私は別に勝ちを追求したい訳じゃ無い。仲間を犠牲にするなんて事も本当はもう二度としたくないんだから」
「なら、こう考えてみてください。あなたが私の下で戦闘技術を鍛えれば先ほどの試合のような出来事は起こらなくなります。あなた自身が今よりも強くなれば同じ部隊にいる仲間の犠牲も最小限に抑えられるのですから」
「それは……」

思わずエマは口ごもる。
アッシュの言葉にも一理ある。今のエマは熟練のレジェンドたちと比べればまだまだ怠る。しかし元パイロットであるアッシュから直々に技術を学べば彼らに近づく事も、むしろ追い抜く事さえ出来るかもしれない。エマ自身が今よりも、もっと敵を蹂躙していければ彼女と共に戦う仲間が危険にさらされる機会も格段に少なくなるだろう。
エマは一瞬アッシュに頷こうかと思ってしまった。しかしホライゾンから話を聞いていたことで彼女の残虐性を知っていたエマは咄嗟にそれを抑えた。
絶対にアッシュは親切心で自分に提案をしてくれているわけではない。彼女はただ自身のように心の無い戦闘機械を作り上げたいだけなのだ。ひとたび彼女に引き込まれてしまえばエマはきっとそれまでの自我を忘れてやがて仲間への思いやりすらも消し去ってしまうだろう。そんなものはエマがなりたいレジェンド像では無かった。
エマは俯いて目を閉じた後、勢いよく顔を上げてアッシュを睨んだ。

「断るよ。あなたの助けはいらない。私は仲間と一緒に強くなりたいんだ。あなたのような慈悲を知らない機械にはなりたくない」
「……今の言葉は聞かなかった事にしてあげましょう。次はよく考えてから物を言ってください」
「違う、これが私の答えだよ。あなたの提案には乗らない。だからもう手を離して」

暗い室内の空気が一瞬にして張り詰める。エマとアッシュは睨みあったまま沈黙した。
どれほどアッシュから甘い提案をされようともエマは決してそれを受け入れようとは思わなかった。エマにとっては単なる勝ちよりも仲間との結束、そして絆が何よりも大切なのだ。それを切り捨ててまで勝利に拘るくらいならば二位止まりでも彼らと全力で背中を預け合った方がずっといい。
アッシュはエマの決意が固い事を悟ると心底失望したと言うように深いため息を吐いて彼女を解放した。

「残念ですよ、エマ。あなたなら優秀な戦士になれたでしょうに」
「アッシュの思う戦士と私の思う戦士は違う。あなたがこんな私でも興味を持ってくれたのはありがたいけどね」
「フン。その仲間への思いやりがあなたの弱みとなっていることを理解していれば良いのですが」
「そうだね。でもそれだけの価値がある物だよ。いつかアッシュにも分かればいいね」

エマはそう言うと少しユニフォームを正して出口に向かった。
「とにかく……」扉を開けて管理室を出る前にエマは後ろへ振り向いてアッシュに声を掛ける。

「今日はありがとう。また次の試合でもアッシュと戦えるのを楽しみにしているよ」

それだけ言い終えると最後にエマは笑顔でアッシュに手を振り、そのまま管理室を後にするのであった。
暗い部屋にアッシュはまた独りで取り残された。彼女はエマが去った後の扉をじっと見つめたままその場に固まっていた。
それだけの価値があるものだよ、と先ほどのエマの言葉がアッシュの頭の中で反響する。

「仲間……」

アッシュはぽつりと呟いた。やがて彼女の意識は沈み、代わりにリードが浮上してくる。
アッシュの黄色い瞳は僅かに色を変えてどこか寂しげに虚空を眺めていた。

「強いんだな、あのエマという女は……」

そう呟いてふとリードは口元を緩ませた。しかしすぐに彼女の意識は闇に引きずり戻され、壊れたおもちゃのようにガクガクと全身が痙攣した後に再びアッシュの人格が浮上した。

「いいえ、違います。仲間などただの足枷に過ぎません。私にはそんなものは必要無い」

そう言ってアッシュはリードの考えを振り払うように首を横に振った。

「エマがそんなものに固執する限り、彼女は決して私を越えられない。次は二度と敗れませんよ」

アッシュの口元が不適に笑む雰囲気を醸し出す。彼女はそのまま拳を握ると自分の握力で指にひびが入ってしまう程にそれを握りしめるのであった。

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