洋ゲー

Apex Legends


「暑い……も、もう耐えられない」

荒野のキングスキャニオンを歩きながらエマはぼやいた。両腕をだらしなく垂らし、固い砂を踏みしめる足元はふらふらとして覚束おぼつか無い。体中からじんわり滲む汗がユニフォームを濡らす不快感も先程から彼女を襲っていた。
今日のキングスキャニオンは一段と暑い。通常ゲーム会場に選ばれる地域は激しい天候の変化が起きない場所となっている筈なのだが、今日だけはいつもよりも陽射しが厳しいように感じられた。

「エマ、脚を休めるな。早く目的地まで移動しなければ」

そう急かすのはエマと同じチームのブラッドハウンドだ。歩くのも限界そうなエマと違い、その人は先導を進み続けていた。

「ブラッド、よく平気でいられるね。こんなに暑いのに」
「狩人はいかなる環境にも対応しなければならない。これくらいは耐えられる」
「さすが熟練者は説得力がある……」

ブラッドハウンドの言葉にエマは目を丸くさせた。暑さとはまた違う汗が伝う。自身よりも厚着に見えるのにブラッドハウンドがバテないのはそれなりの理由があったのだ。
二人はしばらく荒野を進む。陽射しは依然エマを厳しく照り付けてくる。ブーツを履いていても地面の砂が熱を発しているのが足の裏まで伝わってきた。心なしか遠くの景色がぼやけて見える。

「はあ、はあ。ダメだ、ちょっと休憩させて」

エマはそう言うと丁度よく近くにあった木に向かい、その木陰に座り込んだ。大きく息を吐いて顔の汗を拭う。それからユニフォームの襟元を掴んで扇いだ。
「エマ!」と叱りつけるようにブラッドハウンドも立ち止まって背後に振り向く。マスクで表情は伺えないが、声色から機嫌が良さそうで無いのは明らかだ。

「エマ、こんなところで立ち止まってはいけない。敵から丸見えになる」
「だって凄く暑いんだよ。ちょっと休むだけだから」
「その気の緩みが我々の死に繋がりかねない。目的地まであと少しなんだ、頑張ってくれ」
「悪いけど無理……お願い、本当にちょっとだけだよ。ブラッドは先に行って。後から追い付くから」

ブラッドハウンドはエマを急かすが、彼女も自分の意見を変えようとはしなかった。
ブラッドハウンドはしばらくエマの様子を伺うと、やがて彼女に背を向けて歩き出した。そのまま一人で目的地に向かおうとするが、数歩進んだ後にすぐ脚を止める。それから考え込むように立ち止まり、結局踵を返してエマのもとへ戻っていった。

「ブラッド。先に行ってて良かったのに」

目の前のブラッドハウンドを見上げ、エマは目を丸くさせる。ブラッドハウンドは地面に片膝を付いて彼女の側に屈んだ。
「私は同志を見捨てはしない」そう言うとブラッドハウンドは上着の下から金属の丸い筒を取り出した。蓋を外し、ブラッドハウンドはそれをエマに差し出す。どうやら水筒のようだ。

「飲め。私の水を分けてやろう」
「え……いいの?」
「ああ。お主を戦場に捨て置くくらいならここで看病してやる方がいい。だがそれを飲んだらもう行くぞ、いいな?」
「うん、わかった。ありがとうブラッド」
「私への礼は無用だ。主神の恵みは誰しも平等に与えられる」

エマはブラッドハウンドに笑顔を向けると水筒を受け取った。彼女は普段から信心深い方では無いが、今回だけはブラッドハウンドの言う主神に感謝したいくらいだった。
ぐいとエマは一気に水筒をあおる。よく冷えた水が気付かぬ内にからからになっていた喉を一瞬で潤した。
「はあ、生き返るう」大袈裟に聞こえて実際その通りの言葉を吐き出す。「ありがとう。お陰で助かったよ」濡れた口元を拭い、エマはブラッドハウンドに水筒を返した。
「もう行けるか?」ブラッドハウンドは水筒の蓋を閉めながらエマに問いかける。エマは、うん、と強く頷いた。すっかり元気になった彼女の様子を伺い、ブラッドハウンドは安心してマスク越しに微笑んだ。
ブラッドハウンドは水筒をしまうとエマに片手を差し出した。エマはその手を掴み、ブラッドハウンドに助けられながら立ち上がった。意識は明瞭になり、脚はもうしっかりと地面に立つようになっていた。暑い日にはこまめな水分補給が大事だと言われているが、正にその通りだ。

「急げ。もう随分と時間を無駄にしてしまった。敵部隊に先を越される前に目的地へ向かうぞ」
「うんっ。走って行こう、ブラッド」

気付けば休憩を挟んだことにより数分のタイムロスを起こしている。エマとブラッドハウンドはマップに指されたピンを頼りに、そこまで脚を走らせた。
目的地へ向かう途中、ふとエマは考える。そう言えばブラッドハウンドから差し出された水筒を何気なく飲んでしまったが、よく考えてみればそれは普段からブラッドハウンドが使用している物だ。つまり、ブラッドハウンドが飲んでいる水筒を自分も飲んだという事になる。その人が口付けた箇所に自分も口付けたのなら、それは……それは……。

「エマ、今度はどうした?」

エマの脚が止まる。先導していたブラッドハウンドはすぐにそれに気付き、怪訝そうに背後を振り向いた。エマはその場に立ち止まったまま俯き、よく見れば肩を小刻みに震わせている。

「ねえ、さっきの事なんだけど。あの水筒は、ブラッドの物なんだよね?」
「水筒? もちろん私の物だが。中身を気にしているのなら案ずる必要は無い。今朝汲んだばかりの川の水を入れて――」
「あ、中身はいいの! それよりブラッドの物なら、そう言うことになるのかなって……その、つまり」

エマの肩がさらに強張る。髪の毛の間から覗いた耳は先っぽまで赤くなっていた。
「エマ、何が言いたい?」彼女の異様な様子を見てブラッドハウンドも首を傾げる。
「つまり、私……」エマは俯いていた顔を勢いよく上げた。「ブラッドと、か、間接キスをしたって事だよねっ?」そう声を張り上げた彼女の頬は、耳と同じように真っ赤に染まっていた。
「カンセツキス?」何の事やら分からず目を丸くさせたブラッドハウンドは、思わずエマの言葉を復唱する。エマは頭を抱えると、そのまま恥ずかしそうに唸り声を上げた。

「ああ、やっぱりそうだ。何で気付かなかったのかな。暑さのせいで何も考えられなかった」
「エマ、何をそんなに気負う必要がある?」
「だから、間接キスだよ! ブラッドが飲んだ水筒を私も飲んだら、間接的に二人の唇が交わされたことに……」

エマは早口で捲し立てるが、途中から自分でも説明をするのが恥ずかしくなったのか口を噤んでしまった。赤くなった頬で瞳を震わせてエマはブラッドハウンドを見つめる。また顔に汗が滲んできたが、今回は陽射しのせいでは無かった。
「ああ、もうっ。何で気付かなかったのよ、私!」そのままエマは自分の頭を叩きそうな勢いで身悶える。
ブラッドハウンドは少しエマの様子を眺めると、深くため息を吐いた。

「お主が何を言いたいのかは分からないが、私のせいでお主を取り乱させてしまったのなら謝ろう。それほど嫌だったのか」
「あ、違うの嫌って訳じゃ。むしろ嬉しい……じゃなくて、とってもありがたい」
「なら、良いのではないか?」
「だ、だめっ。いや、だめじゃないけど、何て言うか……」

再び俯いてエマはもじもじと自分の指をいじる。もはや自分自身ですらなぜここまで羞恥心を感じているのかも分からなくなっていた。だが少なくとも、以前からエマはブラッドハウンドを意識しており、それが今回の件で顕著に現れてしまっている事は明らかだった。残念ながら当の本人へそれが伝わることは無いらしい。

「全く。お主は謎かけが得意だな。とにかく話が済んだのならもう行くぞ」

そう言ってブラッドハウンドはエマを手招きながら歩き出す。しかし彼女は相変わらず納得しないままその場に留まり続けていた。
ブラッドハウンドの背後でエマの悶えあえぐ声が聞こえる。それにブラッドハウンドは呆れたように首を振ると、今度こそエマを置いて行ってしまうのだった。キングスキャニオンの荒野には、それからしばらくの間リヴァイアサンのような唸り声が響いていた。

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