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最後の落ち葉を掃き終わり、エマはふぅと息を吐いた。
今日の庭掃除はこれで完了だ。冬場は庭に植えられた木から舞い落ちる枯れ葉が多く、掃除も毎回時間がかかってしまう。
エマは箒を石灯籠に立て掛け、凝り固まった体をほぐすように両手を空に伸ばして軽くストレッチをした。
見上げた冬の空はどこまでも青く晴れて澄み渡っている。こんな日はきっと散歩に最適だろう。ふと、エマは寺院の聖堂で瞑想をしているゼニヤッタが一緒に行ってくれないだろうかと思った。
ゼニヤッタはこの小さな寺院にエマと住んでいるオムニックの僧侶で、エマの師にあたる。他にはゲンジという青年も時々寺院へ顔を見せては、同じ屋根の下でエマと共にゼニヤッタの教えを受けていた。
師とは言っても実際、エマとゼニヤッタは単なる師弟関係にはとどまらない絆を育んでいた。師弟を超えて、種族の壁を超えて、二人は互いに互いを深く慕い合っている。端的に言えば恋人同士だ。
しかしゼニヤッタは日々己の精神統一のために聖堂で瞑想を続けており、修行以外でエマと時間を過ごす事は滅多に無い。重要な任務でもないのに一緒に出掛けるとなれば尚更だ。
それでもこんなに天気が良いのに一日中寺院に籠っているのはもったいない。普段ゼニヤッタとゆっくり過ごす機会が得られない事も災いして、エマはなんとか今日だけでも自分の願いを叶えられないだろうかと考えた。
エマは掃除用具を片付けると勇気を出してゼニヤッタのいる聖堂に向かった。
「瞑想中に失礼致しますゼニヤッタ様……」扉の無い開け放たれた聖堂の入り口からエマはいそいそと声をかける。「庭の掃除が終わりました」
寺院の中でもひときわ広い聖堂はいくつもの窓から差し込む日差しで薄ら明るく、神聖な空気に包まれている。その中央でこちらに背を向け宙に浮かびながら座禅するゼニヤッタは、エマの声を聞いても微動だにしなかった。
「ご苦労」穏やかだが厳格な口調でそれだけ言って、ゼニヤッタはまた瞑想に戻る。
エマは普段ならば彼の邪魔などしないのだが、今日だけはまだ何か言いたげにその場に立ち尽くしていた。

「あの、ゼニヤッタ様……」
「うん?」

おずおずとエマは口を開く。ゼニヤッタは振り向かず、先程から一切体勢を変えないまま返事をした。

「今日はよく晴れています。空気がとても美味しかったです」
「そうか」
「はい。本当に雲一つ無いくらいで、空は青く澄み渡っていて。まるで磨かれた鏡のようでした」
「エマ、すまないが今は瞑想中だ。世間話ならばこれが終わってからにして欲しい」
「あ、す、すみませんっ」

ぎこちなく会話を続けていたエマだが、とうとうゼニヤッタから叱られてしまい咄嗟に口をつぐんだ。
すぐにエマはゼニヤッタへ頭を下げる。ゼニヤッタはそんな彼女には気にも止めずまた瞑想へ戻った。
少ししてエマはゆっくりと顔を上げた。ゼニヤッタの様子を伺い、いつものように静かに佇んでいる背中を見て悲しげに表情を曇らせる。
「ゼニヤッタ様……」それでもどうにも諦めのつかないエマはもう一度彼に声をかけると、聖堂内へ足を踏み入れた。

「あの……大事な瞑想をお邪魔してすみません。でも、どうしてもお願いがあって」
「ほう。それは何だ?」
「今日だけでいいので私と散歩に行きませんか?」
「散歩?」

エマの言葉を反復し、ゼニヤッタはとうとう背後を振り向いた。
エマはいつにもまして体を小さく縮こまらせながら、こくりと頷いた。それからゼニヤッタの前に正座した。

「今日、庭から空を見て思ったんです。こんなにいい天気なのにどこかへ出掛けないのはもったいないって。ゼニヤッタ様とはあまり長い時間一緒に過ごせないし、修行があって息抜きする事も出来ないから……せめて今日だけでもお暇を作って貰えないかと思って。どうかお願いできませんか?」
「ふむ……汝の要望は実に真っ当だな」

そう言うとゼニヤッタは悩ましげに顎に指を添える。彼が答えを考えている間、エマはまばたきすら忘れてじっとゼニヤッタの顔を見つめていた。
エマの心臓は止まない不安から忙しなく鼓動を繰り返している。聖堂内に音は無く、その激しい高鳴りだけがエマの頭の中で大きく鳴り響いていた。もしかするとゼニヤッタにも聞こえているのだろうか、とエマは一瞬考えた。
そんな息も詰まるような緊張がどれほど続いただろうか。やがてエマの目にはふとゼニヤッタが微笑んだように映った。その直後、ゼニヤッタは顎から指を離すと顔を上げてエマを見つめた。

「いいだろう。修行の合間にも休息は必要だ。散歩に行こう、エマ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。汝と共に私もこの清々しい午後を楽しみたい」
「わあ……嬉しいっ。ありがとうございます、ゼニヤッタ様!」

エマはそれまで張り詰めていた表情を途端に緩ませると、満面の笑みではしゃいだ。そんな彼女の喜ぶ姿を見てゼニヤッタも嬉しそうに笑う。
ゼニヤッタにとってエマはこの世で最も尊く愛おしい存在だ。そんな彼女の頼みをどうして無下にできようか。
エマもまた、例えゼニヤッタが語らずともそんな彼の気持ちをひしひしと感じる事ができるのだった。
エマはすぐに支度を済ませ、一足早く寺院の玄関口で心踊らせていた。こうして幼子のようにゼニヤッタを待つ時間ですらエマには楽しくて仕方がない。
しばらくして外出用の僧服に着替えたゼニヤッタも姿を現した。
左上半身が露出する黄色の僧服を着たゼニヤッタは、着物の厚みもあっていつもよりも少しだけ体格が大柄だ。加えてエマと出掛ける際のゼニヤッタはなるべく彼女と目線を合わせたいからと、いつもの胡座をかいたまま宙に浮く移動法は使わず文字通り地に足を付けて歩く。
エマはゼニヤッタが自分よりも背丈が高かった事を久々に思い出した。滅多に見ないそんな彼の姿にエマはつい見惚れてしまう。

「じゃあ、行きましょう! ゼニヤッタ様」

エマはそう言うとはやる気持ちを抑えきれず、スキップすらしてしまいそうな足取りで歩き出した。

「エマ、待ちなさい」

しかしそんな彼女をゼニヤッタはすぐに呼び止める。ゼニヤッタの先頭を行っていたエマはその声に足を止めると怪訝そうな顔で振り向いた。

「そう急がなくとも良いだろう。それに、大事な事を忘れているぞ」

そう言ったゼニヤッタは静かにエマへ片手を差し出した。こちらへ広げられた金属製の掌を見た瞬間、すぐにエマはその意味を悟る。
エマは頬を赤らめると、恥ずかしそうに微笑みながら差し出された手に自身の手を重ねた。ゼニヤッタはそれを優しく握り、「では、行こうか」とエマを見やる。エマが頷くと、二人は歩幅を合わせてゆっくりと歩き出した。
握ったゼニヤッタの手はすぐにエマの体温で温かくなった。エマがゼニヤッタに笑顔を向けるとゼニヤッタもエマを優しく見つめ返した。
冬の穏やかな陽を浴びながら二人は手を繋いで歩く。ゼニヤッタの隣でエマは無邪気に心臓をときめかせ、彼と過ごすこのいっときに幸せを感じながらそっと腕を絡めるのだった。

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