SSS(超短編)

クトゥルフ神話



「好きだよ」

耳元に贈られた甘い囁き。
顔を上げれば、ナイアーラトテップは既に形作られた人間の顔で笑顔を現し、私を見下ろしていた。
真っ黒な痩せた肌に不釣り合いな程美しく光る二つのガラス玉に、はっきりと私が映っている。瞳の中の私はこの上なく満足げな呆け面を晒していた。

「エマが好きだ」

ナイアーラトテップは言葉を浸透させるようにもう一度愛を伝えてきた。

「私もです、ナイアーラトテップ様」

愛おしい主の逞しい胸板に頬をスリ寄せた。

ナイアーラトテップは私が一番求める言葉が何かをよくわかっていた。
しかしそれは互いを少しずつ知り合った恋人達の苦労からではなく、騙しを得意とする邪神の能力からである。
私はそれを悲しいかな十分承知している。世界を混沌に陥れるのを最大の快楽とする邪神が、たかだか人間の小さな娘と弱く儚い愛を結ぶ気などさらさら無いことも。

しかし、私には彼から決して逃れることのできない呪縛がかけられていた。恋心だった。
私は本気でナイアーラトテップを愛し、彼は詐欺師の手口で私の心を人質に私に様々な汚れ仕事をさせてきた。
そして褒美として、時にはこのようなあたかも愛を謳う抱擁をしてくれるのだ。
これが私の呪縛に扱われる重い呪いである。霊媒師の家や精神科医を訪れようと決して体からほどけることのない呪いである。

しかし私は、それを望んでいた。
こうしてナイアーラトテップの胸の中で息をしている時、私は彼と一心同体になったかのような優越感を感じられた。硫酸で心臓を溶かされる時、私は彼の下僕でありたいと願った。
ナイアーラトテップは私の気持ち全てを見透かして、鉤爪でそれに言葉を削り入れようとも、私はそれで良いと思う。

「私が愛するのはエマ、お前だけだよ」

今みたいに薄っぺらい愛の言葉を囁かれようとも。
こんなにも胸が苦しくなって、涙が溢れようとも。
私はナイアーラトテップの教えに従って、これからも命ある限り彼に魂を陵辱されようと誓った。

Back to main Nobel list