SSS(超短編)

OFF



「うぐっ…ひくっ…」

オフィスがある。血なまぐさい、肉をぶちまけたような物が広がるオフィス。その中心で私はうずくまり、両手で顔を塞いで泣いていた。

「どうして泣くんだ」

傍らの男は私を見下ろしながら言った。彼の右手には血の染みたバットが握られている。
その血がどこから来たのか私は知っている。なぜ泣いているのかもわかっている。
深い傷をえぐり出す質問に私の目からはまた大粒の涙が溢れ出した。

「エマ」

私と目線を合わせようと男は膝を曲げ、顔をのぞき込んできた。
深く被ったキャップ越しに男の視線が送られてきた。何が間違いなのかわからない、全く持って無知な視線だ。

男が手を伸ばしてきた時、私はとっさにそれを振り払った。

「バッター、あなたは怪物です…」

懸命に絞り出した言葉。
バッターと呼んだ男は驚きもせず、黙り込んだ。そしてしばしして再び手を伸ばし、私の頬を優しく撫で下ろして言う。

「私はエマの居場所を浄化した」

「こんなの、浄化なんて言えません…ただの…」

言い終わる直前、シーッ、とバッターの指先に唇を塞がれる。

「お前は混乱しているんだ。これは人殺しでも何でもない、神聖な行いだ」

何だそれは。まるで怖がる子供をあやす警官のように。

「エマのために、やったんだ」

「…違う、私のためじゃない。あなたの欲望のためです。あなただけのためだったんです」

「エマ、私は」

「何が浄化ですか!何が神聖ですか!あなたはただ私を束縛できない口実を作り、その元にバットを振るっていただけです!」

「聞いてくれ」

「あなたは怪物です、とても醜い怪物です!…怪、物…うっ」

せり上がる嘔吐感に口を抑え、バッターから顔を逸らした。
ふらりと揺らいだ感覚に従えば、自然とバッターに抱き留められる。ゆっくりと顔を上げると、バッターの瞳が涙で歪んだ私を映し出している。
恥じらいに眉をひそめ、バッターから離れようと胸元を押しのけたが、バッターはそんな私をさらに強く引き寄せて、硬い胸板に埋めさせた。一瞬全身が誇張したが、しばらくすると馴れた感覚に安心感を取り戻し、つい素直にバッターへ身を預けてしまう。

「私が嫌いか、エマ」

バッターが耳元に囁く。
私はすぐに首を横に振り、バッターの背中へ手を回し強く抱きしめ返した。

嫌いになんてなれるわけない。こんなに大好きなんだもの。
そう言うとバッターは小さく笑み、「ありがとう。私もエマが大好きだ」と私の頭を撫で下ろした。
数分ぶりの愛おしい時間。周りで崩れ落ちたエルセンや血生臭さなど捉えず、一室が私達二人だけに満たされる。

バッターを否定する事など本当はできるわけなかった。
答えは極単純に、彼を愛していたから。
エルセン達を撲殺した時も、本当は心の片隅で喜びを感じた。バッターを嫉妬させた自分に酔っていた。
なのに上辺では彼を叱ったのは、そうしたら怪物は私になってしまうからだ。自分が怪物ということを許せなかったからだ。

しかしきっと、そう考えてしまう私は既に、バッターよりも冷徹で、黒い粘液をしたたらせる醜い怪物だったのだろう。

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