バラの花束を買う親分 01
誕生日だからといって、その日を弟と共に過ごしたことは少ない。統一した当初は国として大々的に祝っていたし、結束を強める意味も含めて共に過ごしていたが、近年は全くだ。上司たちはパーティなりしているだろうが、俺たち兄弟は誕生日の当日、共に暮らしている家を出て思い思いに過ごしていた。弟は大体じゃがいも野郎の家にいるし、俺は大体スペインの家にいる。なのでわざわざ、誕生日を誰と過ごすだなんて聞かないし、どんな祝い方をしたなんて報告もしない。興味もない。「……今なんて言った?」
だというのに、バカ弟はかわいらしく頬を染めて、聞いてもいないのにわざわざいらない報告をしてきた。十中八九聞いてほしかったのだろう。
「ドイツと付き合うことになったんだ〜」
スペインの家から帰ってきた俺に、バカ弟が最初に言った言葉が、それだった。
嬉しそうに目を細めるバカ弟は、祝ってほしいのか、手を広げて抱きしめてほしそうにしている。そんなヴェネチアーノを睨みつけつつ、スペインからもらった花束に視線を落とした。
これは面倒なことになった。しかし、いつかはこんな日が来る気はしていたのだ。言わずもがなバカ弟は筋肉バカのじゃがいも野郎のことを好いていたし、そのじゃがいも野郎だって、憎からず弟のことを想っていた。本人たちに確認したことはないが、正直見ていれば誰だって気付けたことだ。余程の鈍感でない限り。
どうやらあの堅物が服を着て歩いているようなじゃがいも野郎が、誕生日という絶好のタイミングで、弟に告白したらしい。以前にもプロポーズ紛いの事件があったと聞いたが、今回弟はじゃがいも野郎の申し出を、喜んで受けたようだった。
「それ、俺の他に誰が知ってる?」
ヴェネチアーノは腕を開いたまま、不思議そうに目を開いて首を傾げた。
「え?今のとこ兄ちゃんと日本にしか言ってないけど……」
「プロイセンは?」
「プロイセン?」
鸚鵡返しをしたヴェネチアーノは、顎に手を置いて考える素振りを取った。
「ドイツが伝えてたら知ってるかも」
それを聞き、手に持っていたプレゼントたちを机に置いた後、ヴェネチアーノの携帯をポケットから奪い取った。一瞬、何が起こったのかわかっていない様子でぼけっとしていたが、すぐハッと我に返ったヴェネチアーノがこちらに手を伸ばしてくる。
「ちょ、兄ちゃん!何する気?」
「うるせー!ちょっと黙ってろ!」
そう怒鳴りつけ、着信履歴を見るとそこはほとんどじゃがいも野郎の名前で埋まっていた。それに顔を歪めつつ、迷わずじゃがいも野郎に電話をかける。未だにうるさく騒いでいるヴェネチアーノを背に無視して携帯を耳に押し当てると、すぐじゃがいも野郎が電話に出た。その速さに寒気がし、更に顔が歪んだ。
『どうした、イタリア。無事家に着いたか?』
今まで聞いたことのないような、優しくて甘ったるいじゃがいも野郎の声に、抑えられなくなって思わず舌打ちをした。
「オイ、クソじゃがいも野郎。気色悪い声出してんじゃねーぞ」
『……ロマーノか』
俺だと気付いた瞬間、さっきの声帯はどこへ消えたのだと問い詰めたいほど、落胆の声が届いた。決してこのクソじゃがいも野郎に喜ばれたい訳ではなかったが、その態度の違いが癪に障る。
「テメェ、よくも俺の許しもなく俺の弟と付き合いやがったな」
『なっ、なぜそれを……!』
「バカ弟から聞かされたぞコンチクショーめ」
驚いているじゃがいも野郎の様子を思うと、この男は関係を周りに言うつもりはなかったのかもしれない。アッサリ俺にバラしたバカ弟は、「俺の弟」発言に喜んでいるようで、いつもの鳴き声を上げながら後ろから俺に抱きついている。
『いつかはお前にもきちんと話すつもりではいたのだが……』
「今はそんなことどうでもいい……いやよくねえ。次会ったら覚えてろよテメェ」
何やら言い訳を始めようとしていたじゃがいも野郎の言葉を遮った。何を言われたって許すつもりもないし認めるつもりもないが、俺にとって今重要なのはそこではない。
「お前、弟とのことプロイセンの野郎に言ったのか?」
『兄貴に?まだだが……』
少し疑問を覚えたような声色で、じゃがいも野郎は答えた。それを聞き、内心ほっと息をつく。正直なところ、弟たちが付き合い始めたことをプロイセンが知ろうが知らなかろうが、それによって傷つこうが傷つかなかろうが、どうでもいい。しかしプロイセンがそれを知ることによって、今まで危惧していた面倒な事態が起きてしまう気がする。それを避けたかった。
「いいか、プロイセンには言うな」
『兄貴だけ?何故だ』
「いや、プロイセンだけじゃなく今後一切誰にも言うな。わかったな」
『なっ、理由を……』
まだじゃがいも野郎が何か言っていたが、全て無視して通話を切った。言いたいことは言った。それに対してNoの返答は受け付けないし、これ以上あのじゃがいも野郎の声も聞きたくない。
まだ抱きついたままだったヴェネチアーノの腕を解き、無用になった携帯を放り投げた。ヴェネチアーノは難なく携帯をキャッチしている。
「お前も聞いてたな。これから誰にも言うなよ」
「えーなんで?」
テーブルに置いた荷物を手に持つ俺に、ヴェネチアーノは不満そうな声を上げた。そんな弟を鋭く睨みつける。
「なんでもだ!お前らが付き合ったって聞いて傷つくやつだっていんだよ」
予想外の答えだったのか、ヴェネチアーノは目を瞠って口を閉じた。じいっとこちらを見つめるブラウンの瞳は、まるで真意を探ろうとしているように感じて、それからそっと目を逸らす。怖かったわけじゃない。ただ知られたくないことを悟られたくなかっただけだ。
「それって俺かドイツのどっちかを、好きだと思ってる人がいるってこと?」
弟をバカだと思っているけれど、意外と鋭いところがあるのも知っている。あと自信もあるのだろう。自分が誰かから好意を向けられることがあるということを、しっかり自覚してそれを問うてくるのだから。自分には到底出来ない芸当だった。
「……そういうことだ」
否定することはない。事実なのだから。自然と、花束を持っていた手に力が籠った。
「でもさ、それって黙られてる方がもっと傷つかない?」
その言葉に、どきりとした。その通りな気がしたからだ。
何も知らされないまま、必死にアプローチして片想いに浸っている間に、相手には愛しい恋人が出来ていた。そしてそれは故意的に教えられないままだった。その事実を知ってしまった時、自分ならひどく傷つくだろう。浮かれていた自分自身が馬鹿馬鹿しく思えて、相手を憎みすらしそうだ。
けれどそれはあくまで捻くれた俺の話であって、全ての人間がそうとは限らない。ほとんどの人はただ失恋したんだな、と思う程度で済むのかもしれない。少なくとも俺が弟たちのことを知らせるべきではないと思っている相手は、教えられなかったことで弟たちを憎んだりはしないだろう。
「……そもそも付き合ってますなんて、誰それに言いまくるもんでもねえだろ。国同士なんだから」
「まあ、それもそうだけど……」
まだ何か言いたげなヴェネチアーノをリビングに残し、自室へと逃げた。自分の匂いで満たされる部屋で一度深呼吸をした後、ソファにドサッと音を立てて座った。整理されていない部屋で唯一、くつろげる場所だった。
スペインの家で受け取ったプレゼントをソファに置いて、花束だけを持ち上げた。毎年スペインは何かプレゼントを用意してくれていて、今年は花束と料理だった。花束は俺たちイタリアの国花であるデイジーをメインとしたもので、春を思わせる白と黄色の色合いで揃えられていた。その花束を見つめながら、ついに堪えきれなくなったため息が漏れる。
「うまくいかねーな……」
空港まで見送りに来て「気ぃつけて帰りや〜!」と手を振っていたスペインが頭に浮かぶ。弟たちのことを告げると、あの笑顔は曇ってしまうだろう。なんたって、スペインは弟のヴェネチアーノのことが好きなのだから。
そんな風に悲しんでるスペインを見たくないと、素直にそう思った。
隠し続けておくことが、果たして本当にスペインの為になるのか。それはわからないが、とにかくしばらくスペインには黙っておこうと決めた。最適なタイミングを見極め、その時そっと伝えてやればいい。その最適なタイミングが具体的にどういう時なのかは、全く見当もつかないが。
なので仕方なく、EUの会議に参加することにした。普段はヴェネチアーノに任せて自国でのんびりしているのだが、今回はそういう訳にはいなかい。なにせ弟とじゃがいも野郎が揃っているのだ。
普段からそうなのだが、あの二人はスキンシップが激しい。というより、主にヴェネチアーノのせいなのだが、あのじゃがいも野郎も長年の付き合いのせいか、過剰なスキンシップに慣れきっている節がある。最近は抵抗せず、好きなようにさせているのが現状だ。そしてついに恋人同士になったあの二人は、更に過剰なスキンシップを行う気がした。出来るだけ、それからスペインの目を逸らしたい。その為に会議に参加したのだ。
普段はヴェネチアーノしか参加しない会議に、珍しく俺が出席していることに気付き、周りが好き勝手絡んでくるが、一番喜んでいたのはスペインだった。
「ロマーノ!?ロマーノやんかあ!今日会議参加するんやったん?先に言うといてや〜親分びっくりして、嬉しくて泣いてまいそうやわあ!」
俺を見かけた瞬間、こちらに駆け寄ってきてぎゅうっとハグをしながら、べらべらと耳元でスペインが騒いでいる。こちらが口を挟む隙もない。いつも通りの光景に、内心ため息をつく。お気楽な野郎だと苛立つ気持ちと、まだ察していないことに安堵する気持ち、どちらもあった。
会議が始まってもスペインはどこかそわそわした様子で、ちらちらとこちらを伺っている。俺を見ているのもあるだろうが、おそらくスペインは俺の隣に座っているヴェネチアーノを見ているのだろう。しかし肝心のバカ弟は、進行役を務めているじゃがいも野郎の方ばかりを見ていた。浮かれた様子で。
スペインの報われなささに泣けてきて、顔を伏せて寝ることにした。育ての親同然の相手が、叶わぬ恋に浮かれている様など、見ていて気持ちのいいものではない。そもそもスペインをバカップルから遠ざけるために参加した会議だ。内容には興味がない。起きている意味はなかった。
寝る姿勢に入った俺の頬を、おそらく弟がつついてきたが、無視して寝入った。
目が覚めた頃には、会議は終わっており、席はまばらに埋まっている状態だった。
「おはようさん、ロマーノ」
顔を覗き込んできたスペインは、ゆるんだ笑顔で俺の頬をつついている。寝る前も同じようなことをされたなと思いつつ、座ったまま腕を上げて体を伸ばした。結構よく寝ていたようだ。
「有意義な会議だったな」
「お前寝てたやん」
笑いながら頭を撫でてくるスペインの手を払う。どうせこれから夕飯を食べに行くのだから、髪のセットを崩されたくはなかった。
「寝てたら腹減った。どっか行くぞ」
約束をしていた訳ではなかったが、当然夜を共にするのはスペインだ。というより、そのために来たようなものだ。スペインを見上げて言うと、相変わらずゆるい笑顔に迎えられる。
「今からみんなで何か食べに行こって言うてんねん。せやからロマーノも一緒に行こや」
「……みんな?」
「そう。みんなで」
部屋を見渡せば、席を立っていても参加国が全て部屋の中に残っているようだった。つまるところ、参加国全員今からどこかの店に移動するということだろう。会議でも顔を合わせているのに何故終わった後まで一緒にいたがるのか。理解に苦しむ。
「フランスが店予約してくれてんねんて。貸し切りらしいで」
今日の会議の開催国はフランスだ。親睦を深めるのが理由とかではなく、どうせ自国の料理を自慢したいだけだろう。髭野郎め、余計なことしやがって。
「ほら〜店に移動するよ!」
胸中で文句をあげつらっていたが、それを遮るように楽しそうなフランスの声が聞こえた。一度そちらを見たスペインが、またこちらに向き直って俺の腕を掴んでくる。
「ほら、行こや」
引かれるがままに立ち上がりつつ、部屋に視線を巡らす。するとじゃがいも野郎の腕に絡みつく弟の姿が見えた。二人もそろそろ移動しようとしているところらしい。以前からああいうことをしていた気もするが、じゃがいも野郎の表情がよくない。顔を赤くしつつ、愛おしそうに弟を見ているのだ。弟もいつも以上にデレデレして、喜びを隠しきれていない。
あの二人と並んで一緒に行くのはまずい。仕方なく、俺の腕を掴んでいたスペインを引っ張って、他のヤツらより先に議場を後にした。スペインは不思議そうにはしていたが、特に抵抗する様子もなく、俺に引っ張られるがままついてくる。
「ロマーノ、店の場所知ってるん?」
しばらく廊下をずんずん進んでいたところで、スペインが突然そんなことを言った。それに足を止めて、振り返る。
「……知る訳ねーだろ」
「せやんなあ。フランスに聞いてみるわ」
少し困ったように笑いながら、スペインは携帯を取り出した。いっそこのまま二人でどこかへ抜けようかと提案する前に、フランスに電話がかかってしまったので口を閉ざす。嫌な予感が胸を覆うのを感じつつ、窓の外の暮れ始めた空を睨みつけていた。
親睦会は最初こそ大人しく進んでいたが、酒が入ってからはひどかった。いつの間にか現れたプロイセンが騒ぎ出し、脱ぎだすやつもいれば、泣き出すやつまでいた。何故か俺はブルガリアから棒で叩かれるわ、フランスにキスされそうになるわで、既に散々な目に合っている。店の隅に寄ってちびちびワインを飲みつつ、店内にそっと視線を巡らせた。
スペインはポルトガルに絡まれていて、逃げたそうにしている。それは無視だ。どうでもいい。
問題はバカップルだ。あの二人、店に入ってからずっと席を動かず、隣に座って二人だけの世界を作り出している。隣り合って、密着して、話しているだけ。脱いでもないしキスもしていない。それなのに、今の二人には入れない空気が作り出されていた。砂を吐きたくなるような、甘ったるい空気だ。近づかなくても、それはわかった。
大人しくしているなら、無理にその空気を壊すことはない。幸いスペインは今のところ、あの二人を気にしている様子はなかった。俺に構うか、フランスとプロイセンの三人で騒いでいるか、その他と談笑しているかのどれかだ。どうせ鈍感なのだし、あの二人今日は静かやなあ、ぐらいにしか思っていないのだろう。バカでよかったと、こんな時ばかりは思う。
「なんや、今日はいつもより仲ええなあ。あの二人」
ふと、隣に誰かが座った。見なくとも、聞き慣れた声だけで誰かわかり、さあっと顔が青褪めた気がした。
スペインが今言った「あの二人」はもちろん、俺の視線の先にいる二人のことだろう。恐る恐る、隣に座ったスペインを盗み見る。スペインは先程の俺と同じように、じいっとバカップルのことを眺めていた。しかし細められたエメラルドの瞳が、普段の陽気そうなそれと違い、少し切なさを浮かべているように見える。
切なくて、羨んでいるような、そんな表情。覚えがあった。幼いころの俺が、よくヴェネチアーノに向けていた類のそれと同じ。
「スペイン」
咄嗟に立ち上がって、スペインの視界を塞ぐように前に立ちはだかった。きょとんと目を丸めたスペインが、まばたきをしつつこちらを見上げている。
「ん?どうしたん?」
首を傾げて問いかけてくるスペインに、慌てて言葉を探した。特に何かを考えて前に立った訳ではない。とにかくスペインの視界を遮らなくてはと思い、咄嗟に取った行動だった。しかしこれ以上ここにいるのも危険な気がする。いくら鈍感なスペインでも、いつまでもあの空気に当てられていたら、気付くかもしれない。
腕時計を見た。店に入ったのは六時を少し過ぎたころだったが、もう八時半になっている。いつまでこの店にいるつもりなのかは知らないが、そろそろ抜け出したって問題ないだろう。
屈んでスペインに顔を近付けると、心得ているようにスペインはこちらに耳を傾けた。
「……ここ抜けて二人で飲もうぜ」
勝算はあった。二時間以上もこの会に付き合ったのだし、何より今でもかつて子分だった俺を可愛がっているスペインだ。拒否される訳がない。卑屈で自分のことに自信はないが、スペインに関することだけは、自信があった。誇れることではないが。
「ほんまに!?」
「しっ!デケー声出すなバカ!」
出来れば周りに気付かれずに行きたい。慌ててスペインの足を蹴ったが、全く痛がる素振りもなく、スペインは嬉しそうに目を見開いてこちらを見ている。
「ロマーノから誘ってくれるなんて、親分めっちゃ嬉しいわ」
「……いいからとっとと行くぞ」
たかだか元子分から酒に誘われただけなのに、とてつもなく嬉しそうにしているスペインから、そっと顔を逸らす。酒以外の理由で赤くなっているのを、悟られたくなかった。普段からもう少し飯や酒に誘ってやろうと、そっと心の中で思う。
二人して静かに、バカ騒ぎしている連中に気付かれないよう、店を抜け出した。代金のことが頭を掠めたが、フランスが勝手に主催した会なので、あの髭野郎持ちだということにして、気付かなかった振りをした。おそらくスペインも。
先程の店からさほど離れていないバルに入り、カウンターの端の席に座った。スペインは終始嬉しそうにしていて、俺から誘ったというのに「親分が奢ったるからな」と太っ腹なことをほざいている。奢ってくれるというのなら、断る理由はない。喜んでそこそこいいワインを二人分、注文した。
「ほんま今日は嬉しいことばっかりや」
「はあ?会議だったのにか?」
浮ついた様子でワインを飲んでいるスペインを、訝し気に見る。嬉しいと言っている通り、スペインはいつも以上にへらへらとゆるい笑顔を浮かべていた。いっそ不自然に思えるほど。
「せやで。予想外にロマーノに会えたし、こうやって二人で抜け出してワイン飲んでるんやで?最高やわあ……」
「今まで二人で飲んだことなんか腐るほどあるだろうが」
何を言ってるのかと最初は呆れながら聞いていたが、スペインの笑顔をしばらく見つめていて、ハッと気が付いた。もしかしたらスペインは今、無理して笑っているのかもしれない。スペインは普段から陽気でよく笑っているやつではあったが、今みたいにずっとへらへらしていることはない。やっぱりさっきの店を出る前に見た、バカップルのことを気にしているのかもしれない。
そう思うと、頬を赤くしながら笑っているスペインが、ひどく哀れに見えてくる。辛いことがあっても、辛いと言えないのだろう。特に元子分である俺には。
こういう時、未だに子ども扱いされていると、強く感じる。失恋して苦しくて泣いたって、笑ったりしないのに。スペインはこういう時、決して俺を頼らない。
「……無理すんなよ。空元気なんてお前らしくもねえ」
へらへら笑っているスペインをじっと見つめて言うと、途端にスペインは不思議そうに目を丸くして首を傾げた。
「へ?空元気?」
「惚けるなよ。無理して笑ってんの、バレバレなんだからな」
「ええ?空元気なんかとちゃうよ」
またしても笑って、スペインは首を横に振った。
「お前に誘ってもらって、もう嬉しすぎて笑いが止まらんのや」
照れたようにぽりぽりと頬を掻きつつ、スペインは目尻を下げて俺を見つめてくる。こちらを安心させるような優しい眼差しに、ぐっと下唇を噛んだ。甘えていいと言っても、逆に俺を心配させないように振る舞う姿は、いっそ痛々しく思えた。
そんなスペインの手をぎゅうっと掴む。するとスペインは「ロ、ロマーノ……!」と、慌て始めた。少しでも落ち着かせるように、じいっと目を見つめて握りしめている手に力を込めた。何故か、スペインは先程よりも顔が赤くなっている。
「い、意外と強引やなあ……でも親分、嬉しいで」
「スペイン」
何かよくわからないことを言っているスペインを黙らせるため、名前を呼んだ。スペインは珍しく意図を悟ったのか、真剣な面持ちで頷いて口を結んでいる。
「俺はな……例え世間がおかしいって言っても、そう思わないからな」
「俺もお前のこと……え?何?」
「今時男同士なんて珍しいもんじゃねえだろ。そもそもお前の国は男同士でも結婚も出来るんだし、何も気にする必要はねえよ。俺はこれでも、一応お前の味方だからなコンチクショー」
だんだんと恥ずかしくなってきて早口で言い切ると、スペインは怪訝な表情で首を傾げていた。てっきり感動して抱きついてくるかと思っていたが、そんな素振りはない。
「男同士……?なんのことやろ……結婚?」
意味が分からないといった様子で首を傾げているスペインに、羞恥心が更に掻き立てられる。せっかく人が素直にお前の味方だと伝えているのに、この鈍感親分には伝わらないらしい。なんと腹立たしいことか。
「だから!お前が男好きでもおかしくねえっつってんだこのやろー!」
苛立ちと恥ずかしさから、店中に響くような大声を出してしまった。それに慌てたのはスペインだ。俺の声が聞こえていただろう店内の客たちの視線が、一斉に俺たちに集まる。スペインは俺と店内を交互に見つつ、慌てた様子で首を横に振っていた。
「ご、誤解や!男好きとちゃうよ!女の子が好きやで親分は!」
その言い訳もどうなのだと問いたくなるが、スペインは顔を青くしながら、客たちに向かって「誤解やねん」とか「ちゃうねん」を繰り返している。そんなスペインに顔を近付け、耳打ちした。
「でもお前……好きなやつ、男なんだろ?」
「なっ、な、なんで知っとんの……!?」
「しかも国」
「えええ!?そんなことまで……!」
驚愕に目を見開いたスペインが、体を固まらせた。図星らしい。
実際のところ、誰かに聞いたわけでも、本人が言っていたことを盗み聞きした訳でもない。ただ普段のスペインの言動から出来る予測と、長年の付き合いだからこそスペインにのみ高確率で発揮する己の勘、というやつだ。そしてそれは今の反応を見るに、間違いなく外れていない。
「だ、誰から聞いたん?フランス?それかプロイセン?」
「そんな慌てるなよ。俺だって男の一人や二人や三人ぐらいは好きになったことあるし」
それぐらい普通のことだろうと首を振った俺の肩を、がしりと何かが掴んだ。驚いて目を開くと、信じられないものを見たといった表情をしているスペインが、俺の肩を掴んでいる。
「はあ!?」
またしても店内に響くような大声に、視線が俺たちに集まるのを感じた。
「び、っくりした……急になんだよ」
「お前男もいけるん!?」
「え……ええと」
切羽詰まった様子で顔を近付けてくるスペインから遠ざかる。客たちの視線が痛く、ゲイの修羅場だろうかと囁かれている気がした。違うのだと大声で否定したい。俺は女の子が大好きで、決してゲイではない。恐らく目の前のスペインもそうだろう。きっと弟だったから好きになったのであって、他の相手なら女性が恋愛対象になるはずだ。
「というか今まで三人も男のこと好きになったことあるん!?誰やねんそれ!」
がくがくと肩を揺さぶられて、白旗の代わりに両手を上げた。こんなに揺すられては答えたくとも答えられない。それに気付いたのか、スペインはやっと手を離してくれた。しかし答えは聞くつもりなのか、何かを訴えるようにじいっとエメラルドの瞳がこちらを見つめている。
「なんでお前にそんなこと言わなきゃいけねーんだよ……」
「なんでもや!そいつら誰なん!?っていうか三人って……多いやないか!」
「い、いや……三人は言いすぎた。俺は普通に女の子が好きだぞちくしょう……」
良かれと思ってついた嘘が、スペインの親心に火をつけたようだ。離れて過ごしていても幼かった頃の姿が抜けないのか、今でも過保護さを発揮しているスペインだが、ここまで狼狽えるとは思っていなかった。
過保護さ故に、恋人が出来ればその相手を吟味することはあるかもしれないと思っていたが、相手が男であるということに、ここまで否定的な態度をとるとは。なにせスペイン自身も好きな相手が男であるし、スペインという国は同性愛者に寛容である。俺たち国体は国の影響を諸に受けるので、スペインも同性愛には抵抗がないのだと勝手に思い込んでいた。
「ほんならほんまは何人なん?」
ぐいっと顔を近付けてくるスペインから、そっと目を逸らした。いたたまれない気持ちになって、残り少なくなったワインに視線を落とした。
「……一人だけだ」
小さな声で答えたのだが、スペインはきちんと言葉を拾ったらしい。途端に顔色を悪くしながら、縋るようにこちらの目を見つめてきた。
「一人って、それ、そんなん……性別越えてほんまに好きになってもうたってこと?逆にあかんわ……」
何があかんのかはわからないが、言い当てられた事実に顔が赤くなった。そんな俺の態度が更に嫌だったのか、スペインは目に涙を浮かべている。
この涙はきっと、大事な子分が一歩大人の階段を登ったとかそういう、親心からの涙なんだろう。それがもっと違う理由なら、そう思いそうになって、慌ててその考えを打ち消した。鈍感スペイン野郎に期待はしない、自分の都合の良いような解釈はしない。そうすれば、自分が傷つかないとわかっているから。
「お、俺の話はいいんだよ!俺はお前の話を……」
「それこそどうでもええ!」
こちらの言葉を遮るように、スペインは大きな声を上げた。がっと俺の両肩を掴み、顔を近付けてくる。慌てて背をのけぞらせるが、後頭部が壁に当たって逃げ場がないことを悟った。
「なあ、誰なんそれ。もうこの世におらんやつ?それともまだおる?っていうか国?」
あまりの勢いに「ちぎ……」と小さな悲鳴が漏れた。スペインが怖いなんてことは思わないが、この男がたまに見せるとんでもない勢いには驚かされるものがある。今がそれだ。
「お、お前に関係ねえだろ……」
「ある!大ありや!関係ないとかなんでそんな悲しいこと言うねん!ひどいやん!」
教えてくれとせがんでくるスペインに対する言い訳をひたすら考えていた。スペインを励ますためだけに二人で抜け出したというのに、何故こんな状況になってしまったのか。そもそもどうしてスペインはそこまでして、俺の好きな相手を知りたがっているのだろう。過保護も大概にしてほしい。
(スペインは関係ない)
……訳がなかった。今まで誰にも口外したことはないし、一生誰にも、本人にも告げる気はない。一生この胸の内に留めたまま、いつか死んでいく想いにするつもりだった。その間にスペインが好きな相手と結ばれて、幸せそうに笑っているならそれでいいと、本気で思っていたのだ。
「なあ、ロマーノ。教えてや、お願いや」
教えられる訳ないだろう。好きな相手は、今目の前で涙を浮かべながらせがんでいるスペイン自身なのだから。
ヴェネチアーノのことが好きだとわかっている相手に、どうして言えようか。振られて気まずくなるのなんて嫌だし、ヴェネチアーノの代わりにされるのなんて真っ平だ。そんなことをされたら己の心が死ぬとわかっている。
「……詳しくは言わねえぞ」
どうにかこの場を切り抜けるには、何も言わないよりぼかして伝えた方が、早く解放される気がした。仕方なくそう言うと、スペインは「それでもええから」と先を促してくる。
「…………国だ、このやろー」
それ以上は言わないと口を閉ざすと、スペインは珍しく険しい顔つきで誰もいない空中を睨んだ。
「どこのどいつやそれ……!」
「じゃがいも野郎じゃねえよ!」
「いやまあドイツじゃないのは流石にわかるけど……」
じゃがいも兄弟を毛嫌いしていることを、もちろんスペインは知っている。スペインは最初からあの兄弟は視野にも入れていないのだろう。実際あのマッチョじゃがいものことを好きなのかと聞かれたら、それだけで怒鳴り散らしてしまうかもしれない。
「どこかは言わねえぞ!絶対だからな!」
「一文字目だけとか教えてくれへん?」
「ぜってー教えねー!」
そこまで言い合って、俺たちに視線が集まっていることを思い出した。店に視線を巡らせると、こちらを見ながらひそひそと耳打ちしている面々が見える。バーカウンターの向こう側にいる店員を見ても、内緒話はしていないにしても、迷惑そうな表情を隠しきれていなかった。間違いなく色々と勘違いされている。仕方なくスペインの財布を盗んでカウンターに金を置き、スペインの腕をとった。
「店出るぞ」
有無を言わさず腕を引っ張って、店を出た。スペインは抵抗せず着いてきたが、何やら考え込んでいるようで財布を取られたことにも気付いていなさそうだ。それはいいと財布をそっと元のポケットに戻したところで、スペインに腕を取られた。
「なあなあ。せめてどこらへんかは教えてくれへん?ヨーロッパのやつ?アジア?」
「だから言わねーって言ってんだろ!しつこいんだよハゲ!」
「ハゲてへんよう……」
振り払っても俺の腕を掴むスペインの手は離れなかったので、そのままスペインをホテルまで引きずって帰った。その間もずっと誰が好きなのか、どんなヤツなのか、どれぐらい好きなのか。そんなことを延々と聞いてきた。こちらはスペインの恋バナを聞いてやるぐらいの気持ちで誘ったというのに、どうして俺の話になっているのか。うんざりしながら、スペインをホテルの部屋に叩き込んで俺も自室にこもった。
意外にもスペインはその後何も言ってこなかったが、次の日も同じ状況にはなりたくなくて、朝食も取らずにひとりで自国へ帰った。二人部屋を取ったというのに、帰ってこなかったバカ弟を置いて。
くたばれヴァッファンクーロ!