逃げることは不可能

一人暮らしの貸家の部屋で黙々と料理を作る

一人分にしてはやたらと量が多いのは招いた記憶の全くない客人がいるからだろう

私が休みの日の前の晩、殆ど毎回来る客人

客人は暇そうに部屋の主である私の私物である本を眺めていたのだが、飽きたのかキッチンにいる私の後ろに立ちつまみ食いを始めていた


「団長、邪魔です」

「こんな時までお前の団長じゃねぇよ」

「団長は団長です」


唐揚げをひとつ摘んで美味いと漏らす言葉とは裏腹に表情は苦々しく歪んでいて、いったいどうすればいいのだろうかとため息をつく

我が翠緑の蟷螂団の団長であるジャック・ザ リッパーとは別に恋仲という訳では無い

だが彼は時々こうして私のこの部屋に来ては飯と酒を食らい寝泊まりする

こうなった日のことを思い出して更に重々しくため息を吐いた

***

その日は長年付き合っていた恋人に振られた日だった

可愛らしい女の子を隣に置き「その娘と結婚するからお前とは付き合えない、まぁ可愛げも何も無い一人で生きていけそうなお前なら大丈夫だろ」と一言残され呆然とした私を置いて居なくなっていった

我に返った私はその足で黙々と無表情に酒を大量に買う

そんな私を珍しく思ったのかたまたま通りがかった団長が私をからかう為に絡んできた

だが心中荒ぶっていた私は上司だろうが何だろうが関係無く、大口を開けてカカカと笑う団長を一瞥して口を開いたのだ

「うるさい、死ね」と

今思うと大人気ない所の話ではない

というかよく生きていたと思う

だが団長は怒りというより困惑に近い感情をその時抱いたようだ

普段から苛立ちを見せずに団長をサポートしたり軽口を叩く私からは想像出来なかったらしい

一瞬固まった団長を置いて会計を済ませ店を出ると意識を取り戻した団長がギャーギャー騒ぎながら着いてきた

とにかく無視を続けると団長の困惑は怒りに変わる

終始無言で帰路に着く私と騒ぐ団長は傍から見た滑稽だったろう

いや、ある意味恐怖だったのだろうか

とにかく振り払いたかった

部屋に逃げたかっので駆け足でドアに向かいドアを開けたのだが簡単に押さえられてしまった


「気に障ったのなら後日改めて謝罪しますので今日は見逃してください」

「ふざけんな、今俺の機嫌は劇的に下がってんだよ」

「本当に、もう、ねえ」


見られたくない

こんな情けない顔をしている自分をこの人には見られたくない

魔法を使ったところで返り討ちだろうし、力の差も歴然だ

そんな自分が惨めで仕方が無かった

何を思ったのかわからないが弱まった団長の手を解き胸を押す

ピクリとも動かないがそれでも無意味に押した


「客でも来る予定だったのかよ」

「・・・」


部屋の奥のテーブルにある一人分には多い量の料理の仕込みをみて言ったのだろう

そうだ、今日は記念日で、会う約束をしていて、それで、それで


「お前でも泣くことあんだな、面白ぇもん見せてもらったぜ」


カカカ、と笑い頭を撫でてくる団長に私は何も言えずただただ縋ることしか出来なかった

その後は元恋人の為に作る予定だった料理を団長の為に振る舞い、大量の酒とともに流し込む

延々と私の愚痴を聞くのは退屈だったろうに団長は何故か黙って優しい表情で聞いてくれた

こんな表情も出来るのか、とうつらうつらとした頭でそんなことを考えて、気づいたら朝だったのは覚えている

団長の姿は無く、私自身に何かされた様子はかった

次の日団長に会っても特に変わった様子はない

この人は私をそういう対象に見ていない

その時何故か落胆したのを覚えている

***

食事の所作が綺麗だとか、時々見せる穏やかな表情だとか

気づいたら私はどっぷりと団長に惚れ込んでいる

でも、何度同じ家で朝を迎えたとしてもいつも私がベッド、団長がソファーの上、何か過ちを犯す訳でも無い

そもそもお付き合いをしている訳ではないが男女がこんなにも共に過ごしていて何も無いものなのだろうか


「アリシア」

「へっ?あ、はいっ」


料理が全く手付かずだったから不審に思ったのだろう

団長は私を訝しげに見ている

何とか取り繕って笑ってみせるが団長の表情は変わらずだ


「俺さ、今惚れてる女いるんだわ」

「はい?」

「料理めっちゃ美味くて甘えるのめっちゃ下手くそででも多分あっちも脈はある、そんな相手にどう切り込めばいいと思うよ」


突然何で、とは思うがこんな相談されるということはやっぱり女としては見られていない

どうしようもない落胆した感情を抑えつつ相手の女性が誰なのか考える

団長レベルになるとやっぱりそれなりの女性だろう

あぁ、そう言えば最近碧の野薔薇の団長と親しげに話している所を見かける

あの完璧そうなお方だ、料理もお上手だろうしあの様子からして脈もありそうだ

団長という立場から人に甘えるのも苦手そうだし、きっと碧の野薔薇の団長なのだろう

でもきっと名前を伏せるということはそこは知られたくない事

何とか笑顔を作って私は声を出す


「女性は花とか好きですし、花束を渡してみればどうですか?薔薇とか」

「薔薇ぁ?それは中々重てぇだろ」

「でも、脈はあるんですよね?きっと喜ばれますよ」

「・・・なんか話噛み合ってねぇな、まぁいいか」


ごちそーさん、と言って立ち上がるとそのまま玄関へと向かう団長どこへ行くのか問うと善は急げだろ、と楽しそうに出ていく

行かないで、という言葉はグッと飲み込こんだ

***

気づけばもう昼だ

大して用事もなかったが家にいては気が滅入ると外に出た

のはいいのだがさっき薔薇の花束を持った団長と碧の野薔薇の団長を見てしまって更に気分が沈んでしまった

二日酔いとかもう関係ないと酒を買って家に帰ると見覚えのある男がいる

今日はなんてついてない日なのだろうか

私の存在に気づいた男・・・元カレは私の元に駆け寄るとすがりつくように服の裾を掴んで情けない声を上げる

要約するとよりを戻して欲しいという事だがどうでもよかった

適当にあしらい何とかコイツを中に入れずに私だけ部屋に入る方法は無いかと悩ませる

白昼堂々俺たち体の相性良かっただろと下品な話まで始めてきたので私は慌てて口を封じようと魔導書を取り出した

が、視界は真っ赤な薔薇で埋まる

蛙が潰されたような元カレの悲鳴が聞こえたが前が薔薇で見えない

ゆっくりと薔薇の持ち主の方に顔を向けると苛立ちを隠そうともせず元々凶悪な顔が3割増で怖くなっている


「体の相性が何だって?詳しく聞こうじゃねぇか」

「いや、聞かないでください」

「あ゛?減るもんじゃねぇだろうが」

「減ります、既にすり減ってる私の何かがゴリゴリに減ります」

「・・・そうかよ」


怪我はしてないのか、と団長らしくない、けど何処かこの人らしい気遣いに何時も自惚れてしまうのだと悲しくなる

そもそもその薔薇の花束は碧の野薔薇の団長に渡すはずでは・・・


「もうお前の入る隙間はねぇんだ、殺す前に失せろ」

「ふっ、巫山戯るな!ソイツは俺に惚れ込んでんだよ!!俺の所有物だ!!」

「貴族様らしい腐った考え方だな」


どうなんだ、と目配せされ頭を横に振るとだろうなと笑って魔導書を開いた

団長の腕から見慣れた刃が出てきてとうとう元カレは悲鳴を上げて逃げていった


「ケッ、つまんねーな」

「人の家の前で戦闘起こさないでくださいよ、ただでさえ大家に心配されてるんですから」

「文句じゃなくて心配かよ」

「ここに住んで10年以上になるんですけど一年前のアレを話したら私の男運の無さに泣きだしました」

「そうかよ、まぁお前の男運は確かに悪いな」

「五月蝿いですよ」

「まぁ、じっくり中で話そうや」

「いや、団長どう見てもこれからじっくり話せる様子では」


ない、と言う言葉は部屋に押し込められそのまま抱きしめられた事により発する事は出来なかった

この人はこんな事が出来る人だったのだろうか

薔薇の香りと団長の匂いで頭がくらくらしてくる


「お前が薔薇がいいって言ったんだからな」


耳元で聞こえた団長の声がやけに色っぽく背中がざわざわとしてたったこれだけで立てなくなるのでは無いかと錯覚してしまう

違う、自惚れるな、だって、そんなの有り得ない


「本当にか?」


顔を上げたら団長の顔がすぐ近くにあって、やっぱりニヤニヤとした表情で私を見ている


「本当に有り得ねぇのか?」


薔薇の持っていない手でゆっくりと頬から首筋、そしてまた頬へと撫でられ親指が唇に触れた

上手く呼吸が出来なくて、心拍数が上がっていくのがわかる


「本当は気づいてんだろ」


そうだ、気づいていた

この人が私をみる視線は何時もそういう意味が込められていた

それでも否定し続けてきたのはだって


「貴方みたいな素敵な方の隣に、私が立てるわけが無い」


涙が止まらなかった

情けねぇ顔だと笑われながらゆっくりゆっくり私の顔に口付けを落としてくる


「お前に手を出さないの苦労した」

「っ、はい」

「でもきっと、お前はそういうの嫌うから確実にお前が手に入るまでは出さないでやったんだ」

「は、い」

「お前と初めて任務行った時から惚れてた、だがテメェのは全く俺を見向きもしねぇ」

「す、すみません」

「今日は気分がいいから許してやる、だから俺の女になれ」


気づけば後ろにはソファーがあり押し倒された形で団長の頭は私の肩あたりに埋めてある


「俺もそろそろ限界だ」


返事を急かすように手を捕まれ擦り寄られ心臓は壊れるのではないかというぐらい高鳴っている


「団長、あの」

「おう」

「不束者ですが、お願いします」


緊張のあまりなんか間違った返答をしてしまった気がする

だが団長の表情が嬉しそうなものに変わったのでよしとしよう


「いいな、それ」


軽い口付けだったものだどんどん深くなり体をまさぐられ舌が這われる


「まずアリシアのする事は俺の名前を呼ぶことだな」

「う、えぇ?」

「名前呼べるようになるまで止めねぇからな」


ブラウスのボタンを外されながらゆっくりと肌が晒されるのを感じる

挑発的な笑顔もカッコよく見えてもう私は既に重症だったのだと理解した


「ジャック」

「!」

「って、呼んだら止めちゃうんですか・・・?」


何を言っているんだと自分で思ったが団長否、ジャック的には良かったらしい

表情が更に喜びに染まっていき、返事の代わりに唇に噛み付かれ、そのまま肌を絡み合わせる

昼間だったはずの外は気づけば夕日が落ちていて、腹が減ったと言う彼にクスクスと笑いが零れる

どうかこの人とはこのままで

甘えるように縋ってみせるとジャックは私の腕を引き口付けた

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