※水戸くんをはじめSDキャラが人外なパロディ設定です。
十八歳の誕生日、よりにもよってなんでこの日に私はこんなにも必死に逃げているんだろうか。
足はとっくに悲鳴をあげていて、息だってまともにできていない。なのに頭のどこかで「これが『火事場の馬鹿力』かぁ」なんて冷静に分析する自分がいる。もちろん、そんな場合じゃないのは百も承知で。
どれもこれも、ひとえに背後から迫ってくる恐怖≠ゥら逃げるため。後ろを振り向く余裕なんてものはとっくに空になっていた。なんとか曲がり角のカーブミラーを利用してチラ見する。——やっぱりいる。よくわからないけど、もやもやしたなにか≠ェ。
たぶん、あれはきっと幽霊みたいなモノだろう。でも幽霊なんて生まれこのかた見たこと無い。霊感だって自分にあるとは思っていない。
けれど振り返ってみれば、高校入学からそんな予感はあったように思う。風邪でもないのに異様な寒気がしたり、視線を感じたり。今のように夕方の住宅街だというのに人影が無いようなことだって度々あった。そのときは烏の鳴き声にびっくりしていたら、いつの間にか人通りも戻っていたっけ。
どちらにしろ、こんな顕著になにか≠ェ追いかけてくることなんてなかった。いつだって「気のせい」で終わらせられたのに。
委員会が長引いて、だいぶ陽が傾いたころに学校を出た帰り道。いつの間にか私の背後にそれがいた。迫りくるぞわっとした寒気と恐怖。それに捕まったら終わるという確信。気づかないふりをしたらよかったのかもしれない。でも私には耐えきれなかった。そこにわずかでもいたくなかった。
思わず走って逃げれば、そいつは当たり前のように追いかけてきて、この鬼ごっこが始まった。おそらく完全にこちらが不利な鬼ごっこが。
家に帰りたい。でもこのまま真っ直ぐ帰ったらいけないような気がする。かといって逃げ込めるようなところもすぐには浮かばない。
どうしたらいいんだろうなんて迷っているうちに、あたりには誰もいなくなっていた。こんな住宅街で誰にも会わないほうが難しいというのに。
「わっ!」
ついに火事場の馬鹿力も限界が来たらしい。足がもつれた。立て直すこともできない。
あ、コケる。やっぱりどこか冷静な自分が近づく地面を前にして思った。思わず目を瞑ってしまう。痛みが来ること、後ろのなにかに捕まること。二つの恐怖が私を襲う。
——でも衝撃も痛みもやってこない。それどころかぐっとお腹のあたりから身体が引き上げられた。
じんわりと体温を感じる。これは腕?
「ごめんな。遅くなって」
「へ? え?」
足も身体も空中に浮いたまま。宙ぶらりんな私は聞こえてきた声に驚いて目を開ける。そこには学ラン姿の男の子がいた。私と同じくらいの男の子だ。
ばっちり決めたリーゼントに違う先ほどとはまた恐怖が背筋を駆ける。え? これはもしかして、かなりの不良さんでいらっしゃる?
でも彼はたった今、謝罪を口にしていたような。なにがなにやら分からず混乱する私を置いて、不良さんは追いかけてくるなにか≠ノ気づいたようだった。小さく声をあげた。
やば、突然の不良さん登場にすっかり存在を忘れていた。彼の腕は未だに私のお腹のあたりに回っている。不安定な姿勢を起き上がらせてくれてから、ずっと。離してくれる様子は見えなかった。助けてくれたのはありがたいけれど、この人を巻き込むわけにはいかない。
「あ、あの!」
「ん?」
「早く逃げないといけなくて! このままいたら、あなたを巻き込んじゃうから!」
「ああ、あれね」
——まァ、あれぐらいなら一人でいいか。
そんな言葉が聞こえた気がした。
けれど彼はにっこりと私に笑みを向けるだけで、こちらの聞き返す暇を与えてくれない。
「高いところ平気?」
「えっ、あ、はい」
「ジェットコースター……じゃねーか。フリーフォール、ってやつは?」
「だ、大丈夫」
「お、絶叫系平気なタイプか。ならヨユーだな」
問われる内容の意味がまったくわからない。再び混乱する私に不良さんは「ちょっとごめんね」と言って——
「ひぃっ!?」
「しっかり掴まっててな。あと舌噛むかもしれねーから、そこも気をつけて」
荷物ごと私を抱きあげた。フィクションの中でしか見たことのない『お姫様抱っこ』というやつで。
小さい頃は憧れていたことでも実際にやられたら結構怖いし、なにより状況が状況だ。ときめく前に説明を求めたくなってしまう。
「なにしてんの!?」
「マジで舌噛むから黙っておいたほうがいいぜ」
「意味わからな——」
次の瞬間、視線が高くなった。そして襲い掛かる浮遊感。思わず不良さんに抱きつく。ケラケラ笑う声が降っては、通り過ぎていく。
抱きあげられただけじゃない。さらにその上へ。地面も、家の屋根たちも気づけば眼下にあった。あのよくわからないなにかも遠くなっていく。ここらで一番高い、電柱柱さえもう遠い。
ばさりばさりと羽ばたく音、不良さんの存在だけが近い。
「え、え?」
飛んでる。不良さんが私を抱えて。気づけば彼の背中には黒々として大きな翼が生えていた。さっきまで無かったのに。およそ人の背から生えるものではない。
もしかして。私は最初から夢を見ているのでは? 学校にも行ったのも夢で、目が覚めたら家のベッドで起きるところから始まったりするんじゃ?
「追いかけてはこねーな。つっても念には念を、か」
不良さんは「マジでここから絶叫マシンだから。気をつけて」と私に言う。
「落とすつもりはねーけど、万が一もあるし」
「あるの!?」
「だからしっかり掴まっていてほしーんだよね。な、お願い」
私の返事を待つ間も無く、彼は飛行を開始する。
ジェットコースターほどスピードはないけれど、「空を飛んでいる」という事実が恐怖を煽る。感動なんて、これっぽっちもなくて、ただただ怖い。絶叫マシンの比じゃない。
とにもかくにも落ちたくなくて、不良さんの服を必死に掴む。私の様子に彼は「もうちょっとだから」と苦笑した。
「ど、どこに行くの」
「はぐれ桜の神社。わかるだろ?」
「わかる、けど」
はぐれ桜の神社。それは住宅地の外れにある無人の神社のことだ。管理は他の神社の神主さんが持ち回りでしてくれていると聞く。大きな桜がご神木としてあって、春には他よりもちょっと色が濃い、赤めな色の桜を咲かすことで有名だ。だから毎年、町内会で花見祭りがあるぐらい。みんなでレジャーシートを並べて、食事やお酒を持ち寄ってお花見をするのだ。高校に入ってからは部活に忙しくて行かれていなかったけれど、それまでは私も毎年参加していた。花見祭りに参加したら一年健康でいられるから、というのはここらへんでは有名だし。実際、私も含めた家族全員、風邪とかめったにひいたことがない。
飛んでいるうちにあたりはすっかり暗くなっていた。でも眼下の住宅街に光が灯ることはない。真っ暗な闇が広がっている。私はいったいどこにいるんだろう。忍び寄る恐怖から目を逸らしたくなって、つい話しかけてしまう。
「どうしてそこに?」
「あの神社がオレたちのねぐらだからね」
不良さんはクスリと笑って、私を抱きかかえる腕の力を強めた。彼の体温が伝わってくる。なんとなく強張った気持ちがほぐれていくような。どことない寒さが薄らいだ気がした。
「そんな不安そうなカオしなくても大丈夫だって。見た目は怖いかもしれねーけど、いいやつらばっかりだしさ。コトが落ち着いたらすぐにお家に帰してやるよ」
……え、誰かいるんですか。
不良さん自身はさっきのなにか≠ニは違って怖い感じも不安な感じもしなかったから警戒していなかったけれど(なにより助けてくれたし)、やっぱり危ない人だったのかもしれない。家に帰してくれると言ってはくれていたけど、このまままっすぐ向かわないのには理由があるのだろうか。
結局、抱きかかえられたまま、共にはぐれ桜の神社まで向かうことになった。
不良さんは神社の鳥居前で私を下ろすと「ついてきて」と腕を引いた。改めて見た彼の背中にはやっぱり大きな黒い翼が生えている。なんとなく烏の羽を連想させる、まっくろな羽だ。こういうのが濡羽色というんだろうか。
……人間じゃないんだろうな、この人。そう思い至るのは必然で。でも強い力で結ばれた手を振り払って逃げることもできず、彼と一緒に鳥居をくぐった。一歩、中に入る。
「……え?」
目に映ったのは桜の花。ご神木に花が咲いている。いまは桜の季節ではないというのに。花見祭りのときでさえ、見たことのないほどの満開の桜。
それと灯りがつく境内に灯篭。先程までの暗闇を忘れさせるように眩い。なによりも——
「ご神木が光ってる?」
まるでおひさまのようにご神木自体が光っていた。
この桜の木が光っているから、境内にも灯篭にも灯りがあるのだろう。原理とかはわからないけれど、そんな確信が頭をよぎる。神社全体を包む灯りは電気とか、そういう類いのものではないように思えた。
「きれいだろ?」
「……うん」
灯る木にさわってみたくなって、幹に近付こうとつい手をのばす。けれども、それは不良さんに阻止されてしまった。
「それはだめ」
「どうして——」
「オレが妬いちゃうから」
「……?」
なにを「焼く」のか尋ねようとした瞬間だった。
「よーへー!」
突如聞こえた大きな声にとびあがる。心臓がドッドッとうるさく動いて頭が揺れた。思わず隣にある学ランの裾を掴んでしまう。
不良さんは表情も変えず「花道」と手を振った。花道、と呼ばれた赤と白の和服を着たその男の人は不良さんよりもずっと大きくて、顔を見るためには首が痛くなるほど見上げないといけなかった。赤い髪が特徴的なその人は私の存在に気づいたようで目を見開き、猛スピードで近づいてくる。い、一歩がとてつもなく大きいなこの人……。
「洋平! このお方が!」
「そう。梢ちゃん」
え、なんで名前を?
にこっと笑みを浮かべたまま不良さんは「七篠梢ちゃん。合ってるだろ?」と私の名前を呼んだ。頷き返すと、続いて彼は自身を指さす。
「オレは水戸洋平。よろしくね」
「まだ名乗ってなかったのかよ」
「それどころじゃなかったんだよ。とりあえず梢ちゃん任せていいか? あっち、片付けてくる」
「ふぬ、梢さんへのカゴが足りんかったか?」
「花道のせいじゃねーよ。ここ数年は梢ちゃんも花見に来てなかったし、オレだってもうちょい大丈夫だろって思って、気も回してなかったし」
「言われてみりゃ最近見てねーカオかも……」
「だろ? とりあえず梢ちゃんは任せたぜ」
不良さん——もとい水戸さんは再び空へと舞い上がる。黒い羽はやっぱり烏のようで、夜にも負けない黒を宿していた。
「一人で平気か? 必要ならアイツら呼んでくるぞ。オレも行く」
「あんな雑魚、オレ一人でジューブン。準備運動にもなりゃしないさ」
それだけを言い残した彼の姿はみるみるうちに闇夜に消えていく。あっという間に消えた姿になんだか不安さえ覚える。大丈夫かな、水戸さん。
「洋平なら大丈夫っすよ。あいつ、すげー強いんで」
「そう、なんですか」
「ここで立って待っているのも疲れちまうし、あっちに行きましょーか。メシ……はだめか。酒は……イケるか?」
まあとにかく、他のヤツらもいますので!
花道さんの後ろを着いていく。決して広くない神社なので目的地にはすぐついた。ご神木の裏手のほうでゴザを広げている鼠色をした和服姿の人影が三つ。そんな彼らの背には水戸さんと同じような黒い羽がついていた。
つまりきっと。一見して普通の「人」に見えるけど、花道さんも「ヒト」じゃないのだろう。
「お、その子が梢ちゃん?」
「こっち座りな。座布団あるからさ」
「あれ、洋平は?」
「相手しにいった。ちょっかい出してきたヤツ」
わいわいがやがや。そんな言葉がぴったりな光景にぽかんとしているのは私だけのようだった。
目の前にあるごちそうたちはどこから持ってきたのだろう? 一升瓶があるけれど、私と同じくらいに見えるから君たちって未成年じゃないの? とか。この状況と、口々に名乗られる名前に目を回してしまう。でも一つ、ちゃんと確かめておきたいことがあった。
「あの、みなさんって人間じゃないですよね……?」
「ありゃ。洋平から聞いてねーの?」
野間さんの問いに頷くと彼らは顔を見合わせた。
「別にオレたちから言っても構いやしねーか」
「梢ちゃんの言うとおり。オレたちは梢ちゃんみたいなヒトじゃない」
「花道はこのご神木のカミサマで」
「オレらのその神使だな。元はカラスだよ」
「か、神様!?」
花道さんは「そう、なにを隠そう大天才神・桜木花道とはオレのこと!」と胸を張ってふんぞり返っている。すごい。桜のご神木として名前ぴったりだ。——じゃなくて!
本当に私がなにも知らないことを察したのだろう。四人はいろいろなことを教えてくれた。私を追っていたあれもヒトではないし、彼らとも違う存在であること。あれは正直に言って、よくないものであること。それに追われるうちに私は幽世≠ニいう場所に迷いこんでしまったということ。そこを水戸さん助けてもらったこと。目の前にあるごちそうを私は食べてはいけないこと。口にしていいのは水とお酒のみということ。
最後のは、なんとなく知っていた。前に観たホラー映画でやっていたヨモツヘグイというやつかもしれない。
「梢ちゃん、三年前から花見祭りに来なかっただろ? そのせいで花道の加護が薄くなってたんだ。だから目をつけられちまったんだな」
「実を言うと『花見祭りに参加したら一年健康でいられる』ってのも、あながち嘘じゃねーんだわ、これが。祭りで花道の加護を分けてもらえるからな」
「オレたちはお供え物のメシも食えるし、いいこと尽くしなんだよなァ。毎月やってほしいぐらいだぜ」
「やろーと思えばオレの力で花を咲かすこともできっけど、ゴリに怒られんだよ。おめーらが代わりに怒られてくれんならいーけど」
やなこった! と一斉に声があがる。いま名前があがった「ゴリさん」も神様なんだろうか。
「花道の先輩だな。向こうの山にいるゴリラみてーな神様」
「ご、ゴリラみたいな神様?」
「そのうち見られると思うから楽しみにしておけばいいよ」
「そのうち見られる? 私が?」
お酒を舐めていた野間さんはわずかにきょとんと目を丸くし、すぐさまバツが悪そうに頬を掻いた。
その顔には「しまったな」なんて文字がありありと浮かんでいる。
「あの、どういう——」
「それはオレが説明するよ」
落ちてきた声に振り替える。やっぱりそこには水戸さんがいた。
でも先ほどまでの学ラン姿ではなく、他のみんなと同じ鼠色の和服を着ている。多分、こっちが彼のいつもの姿なんだろうな。
学ランは私に合わせてくれたのだろうか、なんて都合のいい考えが頭を過ぎる。まさかね。
「梢ちゃん、大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
「敬語、いいよ。くすぐったくてしゃーねーや」
隣に座った水戸さんは私の前にペットボトルのお茶とコンビニのおにぎりを置いた。『片付け』ついでに買ってきたのだという。
「これは梢ちゃんが食べても平気なヤツだから。腹減っただろ?」
言われてみれば、確かに。いろいろと目まぐるしくてすっかり忘れていたけれど、もう夕食を取っていてもおかしくない時間だ。途端にお腹が減ってくる。
「……ありがとう。おにぎりも、助けてくれたことも」
「どういたしまして」
封を開け、おにぎりを頬張る。パリッとした海苔と少し硬めのご飯が美味しい。具のたらこが持つ塩っ気のおかげもあって、あっという間に食べてしまった。乾いた喉をお茶で潤せば、本当の意味で気持ちが落ち着いた。ずっと張り詰めていた緊張の糸がほどけていく。重い息を吐きだせば、心の仕えが着ていくようだった。
そこでようやく、いまさらに気づいたのだ。私が席についてから、彼らは一口も食事を取っていなかったことに。こんなにもたくさんのごちそうが並んでいるというのに、私が口にできる水やお酒ばかりを飲んでいた。それを当たり前だという顔をして。なにも言わずにおにぎりを食べてしまった自分が恥ずかしい。
改めて、気を使ってくれたことに感謝を伝えても四人はとぼけるばかり。優しい人たちだ。正しくは神様だけど。
「つーか洋平。まず梢さんにお伝えしなきゃいけねーことがあんだろ」
「花道の言うとおりだぜ。なんのためにこんなメシを用意したんだと思ってんだよ」
「早くしろー!」
「そーだそーだ!」
「うるせーよ、おめーら!」
え、ちょっと待って。このごちそうは普段のご飯じゃないの? 神様だから毎日宴会ってわけじゃないの? しかも今の口ぶりからして、水戸さんは私に元々用事があった?
思わず彼を見る。するとぱちりと視線が合った。まっすぐな瞳が向けられていることにたじろいでしまう。
「……なんとなく察しているかと思うんだけどさ」
「は、はい」
「タイミングよく助けられたのは元々今日、梢ちゃんを迎えにいくつもりだったからなんだよ。だから帰り道で待ってた」
「迎え? なんで?」
答えが返ってこない。代わりに大きく息を吐きだしたかと思うと、水戸さんはわずかにヨレていた襟元を整え、居ずまいを正す。そのままそっと私の手を取り——
「梢ちゃん、オレと結婚してください」