※TVアニメ時で登場した「放送委員」とは別の設定です。
※水戸くんの家庭事情を捏造しています。
夏の盛りだというのに、あたりはすっかり暗くなっていた。
しまったなぁ、なんてぼやいたところで時間が戻るわけでもなく。でもついつい口からこぼれてしまう。なんでもう少し早く時計を見なかったのだろう。せめてもう三十分、早く帰ることができたのなら、こんなに暗くはなっていなかっただろうに。
気持ち早歩きになりながら、私は急いで校門を目指す。
こんな暗くなっているというのに、まだまだ運動部は部活を続けているみたいで、遠くのグラウンドからは野球部の声が聞こえてきた。そして、それらに混じるのは体育館から響くドリブルの音。音だけで、それがバスケ部のものだとわかるようになるなんて、少し前の私には想像がつかなかった。ルール、頑張って勉強してよかったなぁ。たくさん取材したかいがあったなぁ、なんて。
「まだ練習してるのかな」
夏の決勝大会まであと数日。まさに追い込みの時期だ。残っているのはやっぱり桜木くんかな。
大会に向けた放送部が作る壮行ビデオの取材撮影は先日終えてしまった。あとは編集をして、昼の放送で流すのみ。だから最近、バスケ部には行っていない。そもそも行く必要が無くなってしまったのだけれど。
大会とか、個人的に応援に行ってもいいものなのだろうか。流川くんのファンの人とかが練習を観に来ていたから、だめってことはないはず。赤木さんなら教えてくれるかもしれない。明日、訊いてみよう。
……ちょっと覗くなら、いまでもいいかな? でもやっぱり邪魔になっちゃうかな。
「七篠さん?」
「あれ、水戸くん」
悩んで立ち止まっていた私の名前を呼ぶ声。振り向けば水戸くんがいた。ぺちゃんこの通学カバンを脇に抱え、こちらに歩いてくる。
「こんな遅くまで部活?」
「うん、編集してたの。バスケ部のVTR」
「へえ。七篠さんがやるんだ」
「バスケ部担当だからね。頑張って作ってるんだ」
口ではそう言いつつも実は四苦八苦をしていたり。パソコンなんて全然さわったことがないし、編集ソフトもよくわからない。先輩に聞きつつ部室にある本を片手に、なんとか編集をしている。こんな時間に帰る羽目になったのはそんな理由だ。
「水戸くんは……桜木くんを待っていたの?」
部活に入っていない彼がこんな時間まで学校にいるのは桜木くんのためだろう。そう思って尋ねてみる。水戸くんは「マア、そんなところ」と肩を竦めた。
「でもまだ練習続けるみたいでさ」
「気合、入ってるね」
「今は三井さんにしごかれてるよ。だから先に帰れって」
すると水戸くんは周囲を見渡す。
「もしかして一人?」
部室は私が最後。他に残っている部員はいない。一人で帰ることを伝えれば、水戸くんはごく当たり前のように言った。
「送る」
「えっ、そんな気にしないでいいよ」
「こんな時間に女の子を一人で帰せないって」
「大丈夫だよ。それに水戸くんはバイクでしょ?」
「さすがに謹慎明けですぐには乗ってこれないから。歩きだし、送る」
「でも……」
遠回りになっちゃったらいけない。ただでさえ、普通の下校時刻はとっくに過ぎている時間なのだから。おうちの人が心配するはず。
私がそれを伝えれば水戸くんは「七篠さんも同じだろ」と難しい表情になった。
「実を言うとさ、もう少しだけ時間を潰して帰りたいんだよ」
「どういうこと?」
「ウチ、親が看護師でさ。今日、夜勤当番なワケ」
家に帰っても一人。夕飯は自分で作るのも億劫だから、スーパーのお弁当や惣菜の特売を狙っているという。
「もうちょいしたら、あそこのスーパー、割引の時間になるだろ? でも惣菜コーナーの前で待ち構えてるのも恥ずかしいし」
つまり私を送ることで、ちょうど時間も潰せるというわけだ。
「オレを助けると思って頼むよ」
水戸くんはぐっと背中を丸め、こちらの顔を覗き込んでくる。その距離の近さにびっくりして、つい頷いてしまった。
「じゃ、帰ろーか」
右と左どっち? とさっそく校門に向かう彼の後ろを私は慌てて追いかけた。
⸺水戸くんとの帰り道は楽しかった。
彼は聞き上手だし、話し上手で、そこそこ距離のある帰り道があっという間だった。
水戸くんは当たり前のように車道側を歩き、車や自転車が来たときには庇ってくれる。男の子にそんな風に優しくされたことのない私は、照れる顔を隠すのに必死で。なのに水戸くんはなんてことのない様子だったから、きっとこういうことに慣れているんだろう。経験の差、というヤツかもしれない。
とにかく家が見えたとき、ちょっと残念に思ってしまうほどには、この帰り道は素敵なものになっていた。ふわふわとした気持ちも、家を見た瞬間なんだか萎んでしまった。
「じゃ、七篠さん。また明日」
家の玄関まで送ってくれた水戸くんはひらりと手を振って、すぐに来た道を戻ろうとする。その背中の学ランを思わず掴んでしまった。
私の行動に彼は「どうかした?」と驚いた表情を浮かべている。でもその声は優しく、落ち着いていて。なんだかすごく大人びて聞こえた。咄嗟に動いた私はすごく子供ぽく見えているかも。
でもちゃんと理由もあるのですよ、水戸くん。
「あ、あのさ、ご飯食べていかない? うちで!」
おうちの人がいなくて、ご飯をスーパーで買うのなら。送ってくれたお礼に夕食ぐらい、ごちそうしたいと思ったのだ。お母さんにお願いすれば、一人分ぐらいきっとなんとかなる。
水戸くんは私の提案に目を瞬かせ、苦笑した。
「さすがにそれは遠慮するよ。七篠さんの家族もオレなんかが急にお邪魔したら迷惑だろうし」
「迷惑じゃないよ! 送ってくれたお礼に、と思って……私……」
「七篠さんの、その気持ちだけで充分だって」
水戸くんは自分が不良だから、と言っている。だけど水戸くんはいい不良なのだ。優しくて頼りになる、私の素敵な友達なのに。お母さんもお父さんともわかってくれる。
なにより、そんな素敵な友達がこれから一人で夕飯を食べると思うと、私はすごく寂しい気持ちになってしまうのだ。
「じゃあ、十分! ううん、五分待ってて、ここで!」
「は?」
「待っててね! 絶対だよ!」
水戸くんの返事も聞かず、私は家の中に飛び込んだ。ただいまも言わずに、駆け足でキッチンへ。ちょうどお母さんがそこにはいて、驚いたように私を見る。「どうしたの?」と訊かれる前に、叫んだ。
「お母さん、タッパー貸して!」
約束の五分はとっくに過ぎていて。慌てて私は外へと飛び出した。水戸くんはちゃんと待っていてくれて⸺でもちょうど帰ろうともしていて⸺申し訳無さで泣きそうになりながら、私は彼に駆け寄った。
「ごめんね、水戸くん。あの、これ、よかったら」
水戸くんに巾着を押し付ける。うさぎ柄のそれを彼は戸惑いながらも受け取ってくれた。
「あ、あのね、もしよかったら食べて」
「……オレに?」
「送ってくれたお礼にもならないだろうけど」
巾着の中、タッパーにはおかずを詰め、おにぎりを二つ握って入れてある。巾着の重さと布を越して伝わる熱から中身を悟ったのだろう。水戸くんは「わざわざ用意してくれたんだ?」と驚きで目を丸くしている。
「たいしたものじゃなくてごめんって、お母さんが。あとおにぎりね、梅とこんぶなんだけど大丈夫? 食べられそう?」
「ん、大丈夫。すげー嬉しいよ」
水戸くんは丁寧に、大切そうに、通学カバンに巾着をしまった。ぺちゃんこのそれが、少し厚みを持つ。
「気をつけて帰ってね」
「七篠さんこそ。早く中に入りなよ」
「うん、わかった。おやすみ、水戸くん。また明日。送ってくれて、ありがとう!」
「……おやすみ、七篠さん」
今度こそ水戸くんは帰っていった。ひらりと手を振って。
「七篠さん」
翌日のお昼休み、クラスに水戸くんがやってきた。手には昨日渡したうさぎ柄の巾着がある。タッパー、洗ってあるから、と返された。
「昨日はありがと。ハンバーグ、うまかったよ。お礼、言っといて。でも七篠さんのをオレが半分もらっちゃったよな?」
慌てて詰めたおかずたちは私の夕飯のおかずを分けたものばかりだった。バレてしまったことに、なんとなく気恥ずかしさを覚える。半分だけのハンバーグはやっぱりかっこがつかなかったかな。
「でも一番、うまかったのはおにぎりだったな」
「え?」
「七篠さんが握ってくれたんだろ? すぐわかった」
そっと目を細め笑う水戸くん。声と表情のやわらかさは、なんだか私がふれてはいけないような気がしてドキドキしてしまう。背筋をそわそわとしたものが駆けていった。
それに、なんでわかったんだろう。確かにおにぎりを握ったのは私だ。お母さんにおかずを詰めてもらっている間に、私が二つとも用意した。
「お、おにぎりで失敗するほうが難しいよ。誰でも美味しく作れるし……」
「そう? オレはなんかいつもでかくなっちゃうけど。なんだか、中身も出てくるんだよな」
「よくばりすぎだよ、それは」
「⸺はは、そうかも。オレ、結構よくばりなんだよなぁ」
水戸くんはクスクスと笑う。その笑い方はいつもどおりの彼に戻っていて、少しほっとした。さっきの水戸くんはちょっと心臓に悪い気がしたから。
「七篠さん。今度、改めてお礼するよ」
「え、そんな」
だってあれは送ってくれたお礼なのだ。これではお礼の堂々巡りになってしまう。
それを伝えると、水戸くんはなぜかバツの悪そうな表情になり、気まずそうに私から目をそらした。
「実はさ、七篠さんに一つ嘘ついてて」
「嘘?」
「そう。あのとき花道を待っていた、ってのは嘘なんだ」
本当は七篠さんを待っていたんだ。
「……え?」
「放送部に電気が点いているのが見えて。七篠さんが残っているなら、一緒に帰れんじゃねーかなって考えてさ」
そうしたらビンゴだったってワケ、と彼は言う。
私はそれどころじゃなくなってしまった。水戸くんは私と帰りたかった? それはどうして? 考えれば考えるほどよくわからなくなってくる。だってそんな、まさか。
混乱する私に気づいたのか、水戸くんはフッと笑って、一歩私に近づく。距離を縮めた彼は、ぐっとわざとらしく顔を覗き込んで、囁いた。
「な? オレはよくばりなんだよ」