「七篠さん、住所教えて」

夕方のホームルームが始まる少し前。ちょっとざわついた教室で、トンと背中をつつかれ、呼ばれた。そんなうしろの席の水戸くんが放った一言。最初、なにを言われたのかよくわからなくて、理解するのに時間がかかってしまった。
答えに戸惑う私へ頬杖をつく彼はゆるい笑みと共に「年賀状、交換しようよ」と続ける。

「だめ?」
「だめ、じゃないけど」
「じゃあ決まり。オレのも教えるからさ」

そういうやいなやノートを破った。カチカチとシャープペンシルのノック音が響く。こんなざわついた教室なのに、やけにそれが大きく聞こえた。
さらさらと書いていく文字は、角張っていて少し固そう。でも丁寧。まじまじと彼の書いた文字を見るのは初めてで、少し緊張してしまった。
しばらくして郵便番号から番地まで書かれた紙が渡される。わずかにふれた指につい意識が向かって、わずかに息をのんだ。この緊張が、伝わっていませんように。

「七篠さんのも教えて」

言外に「ほら早く」と催促されているような、そんなプレッシャーをひしひしと感じ、私は慌てて同じようにノートのはじっこを破く。少しでも丁寧な字で書こうとしたけれど、緊張で震えた字はお世辞にも綺麗とは思えなくて。渡すのが躊躇われた。
でも「後でいい?」なんて訊くのも難しいだろうから、結局観念し、てそのままのものを差し出した。

「さんきゅ」

水戸くんがちょうどそれを受け取ったタイミングで、先生が戻ってきた。「ホームルーム始めるぞ」の声でクラスメートたちが席に戻っていく。私も前を向くしか無くなってしまった。
尋ねるタイミングはもう無さそう。なんで私と年賀状を? とか、いろいろを。最後、嬉しいって言いかけた?

住所の交換自体は別におかしいことじゃない。彼の言ったとおり、もうすぐ年賀状シーズンだから。
あと少しで冬休みに入るので、忘れないうちにと私も高校から仲良くなった友達に住所を訊いて回っていたし、私も同じくらい教えていた。
でもまさか水戸くんから、その話をふられるなんて思わなかったのだ。申し訳ないけど、水戸くんは年賀状をこまめに出すタイプには見えない。女の子相手にはなおさら。

……すこし、期待しちゃってもいいのかな。我ながら自意識過剰なことは重々承知で。
先生の話す明日の全校集会の話とか、全部頭に入ってこない。後ろの水戸くんにばかり意識が向いてしまう。片想いする水戸くんと席が近くなっただけで嬉しかったのに、まさか年賀状交換までできるなんて。ふわふわとした心地が胸の奥からどんどん広がっていく。にやけ顔をしている自覚が私にはあった。新学期になったらこの席の近さともお別れなのがもう名残惜しい。でも最後にいい思い出を作れたかも。

――年賀状、楽しみだなぁ。

**


「なーんにも思いつかない! なに書けばいいの!?」

どんなに考えても文字が浮かんでくることは無くて、時間だけが過ぎていくことに焦りさえ覚える。午前中からずっとこの調子。年賀状は今日中に出さないといけないというのに。残り一枚のこれがどうしても私の前に立ちはだかっていた。

水戸くんへの年賀状。来年の干支のイラストが紙面の半分以上を飾っているから、まっしろな箇所は三分の一程度。通常ならここに手書きで一年の思い出的な一言を添えているのだけれど、水戸くん相手には何を書いていいかわからない。悩みに悩んで、一向に文字が埋まらないでいる。唯一書けたのは月並みな「今年もよろしくお願いします」だけ。
でもさすがにこれだけではそっけない。というか好きな男の子への年賀状なんだから、やっぱりもう少し追加で何かを書きたいところ。でもなにを書いていいのかわからない……途方に暮れている始末。

とは言うものの、まったく浮かんでいないわけじゃない。でもコレジャナイ°Cがしてしまうのだ。
「近くの席になれて嬉しかった」はなんだか告白をしているように思えるし、「また近くの席になれたらいいね」は慣れ慣れしい感じがする。「これからも仲良くしてくれると嬉しいです」とかは、なんだか距離があるみたいでしっくりこない。
なので当たり障りの無い「今年もよろしくお願いします」ぐらいしか、書けないでいるのだ。誤魔化すようにシールを貼ろうとしたけど、なんだか子供っぽくてそれもボツ。

気づけば窓の外の太陽はだいぶ傾き始めていた。郵便ポストは家から少し離れた場所にある。冬はあっという間に暗くなるから、そろそろ家を出ないと帰りは真っ暗になってしまう。家族の分まで投函を頼まれているから、なおさら。でも焦るばかりでやっぱり内容は全然浮かばない。

「……あきらめよ」

水戸くんの分はまた明日書こう。郵便局の人、遅れてしまってごめんなさい。明日には必ず投函しますから。
デスクライトを消して、出かける準備。コートのポケットに年賀状の束を突っ込んで、もう片方のポケットにはお財布を。帰りにコンビニで甘い物でも買おう。頭を使いすぎたような気がして疲れたから。

ポスト行ってくる、と家族に声をかけて玄関ドアを開ける。寒い空気がいっきに襲いかかってきて心がめげそうになった。マフラーも手袋も完備しているけれど、やっぱり寒いものは寒い。はいた息が白く消えていくのを見る度に冬だなぁとしみじみしてしまう。もう暦の上ではとっくに冬なのだけれど。

しばらく歩けば目当ての郵便ポストが見えた。ポストに書かれた集荷時間を確認すると、今からは明日の分になってしまいそうだ。でも今日までの投函ならセーフだとCMでも言っていたし、きっと大丈夫。
……やっぱり水戸くんの分もギリギリまで粘ればよかったかな。しっくりこなくても「これからも仲良くしてくれると嬉しいです」あたりにしておくべきだったかも。

「あれ、七篠さん」
「えっ!? 水戸くん!?」

ポケットから年賀状の束を取り出したその時。予期せぬ人の声。
水戸くんはいつものようにセットされた髪型と、いつもと違う私服姿でこちらに近づいてくる。まさかこんなところで私服姿を見られるなんて。耳の奥で心臓がうるさく鳴っている。うまく息ができなくて上ずった声しかでない。

水戸くんは私と――厳密に言えば私の持つハガキの束と――ポストを見比べて「ああ、年賀状」とだけ呟いた。
慌てて大きく頷いて、なんとか会話を繋げようと尋ねる。これだけでさよならはしたくなかった。

「水戸くんも年賀状、出しに来たの?」
「オレは違うよ。こっち通ると次のバイト先に近くてさ」

そういえばバイトを掛け持ちしていると言っていたっけ。こんな休みの日もなんだ。……むしろ休みの日だからかな? だったら名残惜しいけれど、あまり引き止めてちゃいけなさそうだ。せっかく学校じゃ無いところでおしゃべりができるのに。ちょっと寂しい気持ちもあるけれど、なんとかそれをふりほどく。

「バイト頑張ってね、水戸くん」
「ありがと」

さよならの雰囲気に流したつもりだったけれど、でも水戸くんは動こうとしない。それどころかじっと私を見つめてくる。細く揺れる白い息が紡がれては、消えていく。その視線の強さにいたたまれなくなって、逃れるように私は年賀状の束をポストにつっこんだ。

「あ」
「えっ!? なに!?」

ごとん、と年賀状がポストの奥に落ちていく音が聞こえた。

「いや、なんでもねーから気にしないで」
「そういう声じゃなかったよ!? なんか私やっちゃった!?」
「マジで気にしないで。オレの問題だから」
「水戸くんの、問題?」
「そ。オレの問題」

……それは逆に気になるような。
今度は逆に私がじっと彼を見つめれば、気まずそうに目を逸らされる。いつもの水戸くんが持つ余裕≠ウが全然無くて、反対に私に余裕が生まれていく。気になるなぁと呟けば、諦めたように頭をガシガシと掻く。そして彼は大きく息をはいた。寒さによって白く染められたそれが水戸くんの表情を隠していく。

「……オレの分だけ先に欲しかったなって」
「……年賀状?」
「年明けまで待ちなくねーなって思っちまったワケ」

ヘンなこと言ってる自覚はあるよ、と彼は続けて言った。

「だけど思わず声、出た」

これは訊いてもいいんだろうか。どうして? って尋ねても許されるだろうか。
なんで欲しくなったの、って。そもそもどうして年賀状を交換しようと思ったの、って。
それらをぐっと飲み込んだ。なんだか今、ここで答えを知るのは勿体ない気がしたから。
心臓がすごくうるさくて、痛くて、でも熱くてたまらなかった。

「月曜日、学校で交換ならいいよ」

声が震えていたのは緊張じゃなくて寒さのせいだと思ってほしかった。
水戸くんは一拍おいて「は?」と小さく返してくる。虚を突かれたようなぽかんとした声音に、つい笑ってしまった。かわいくて。水戸くん、こんな表情するんだ。

「あのね、実は水戸くんの分はまだ書き終わってないの」
「もしかして迷惑だった?」
「そうじゃなくて。なんて書いていいかわからなくなっちゃった。いろいろ考えすぎて」

水戸くんの身体が強ばったように見えた。

「――なんで、って訊いてもいい?」
「だめ」

だって私も我慢したんだから。「どうして?」って訊きたいのを。

「でも学校で交換するときにならいいよ。訊いても」
「……オレ、まだハガキさえ買ってねーんだけど」
「なら年明けまで待つ?」

途端に水戸くんの表情が曇った。眉根をぐっと寄せて、結んだくちびるが歪んでいく。悩んでいるな、とよくわかる。
そんな彼に比例して私はなんだか楽しくなってしまった。先程までの緊張はどこへやら。寒さも消えて、むしろあたたかいぐらい。ぽかぽかしてきた。

「このあとコンビニ行くの。まだバイトまで時間があるならさ、一緒に行かない?」
「……喜んでご一緒させていただきマス」
「やったぁ」

水戸くんはようやく歩き出した。その隣に並べば自然と私に歩調を合わせてくれる。その優しさにまたときめく。ああ、好きだなぁなんて噛みしめる。

「水戸くんの年賀状、私が選んでいい?」
「いいよ」
「やった。かわいいのにしよ」
「待って、普通のヤツにして。一応、バイト先の店長とかにも出す予定なんだから」
「どうしようかなぁ」

――なんて言っていたけれどコンビニにある年賀状は「賀正」と書かれた一般的なものしかなくて。私の目論見は大きく外れてしまった。水戸くんからもらう年賀状、かわいいのがよかったなぁ。

落ち込んでいた私を見かねたのか、それとも最初からそのつもりだったのか。
月曜日、彼からもらった賀正の年賀状には水戸くんお手製のイラストが描かれていた。線がゆるい、ふんにゃりとした干支の絵。「かわいい」なんて笑っていたら「これはもういいから」と不機嫌な声が返ってくる。

「それよりも七篠さんに訊きたいんだけど」

思わず身体が跳ねる。なんだっけ? ととぼけても、水戸くんは誤魔化されてくれない。

「交換するときなら訊いていいって言ったよね。なんでオレの年賀状を書くのに悩んだの?」
「そ、それは」
「まあ別に答えなくていいよ。でもコレには答えてね」

彼の指が年賀状の一部を指し示す。楽しげな笑い声と共に。
ゆるいイラストにすっかり魅了されていたせいで、指摘されるまで私は気づかなかったのだ。

『好きです。付き合ってください』と書かれた一言に。



お答えどーぞ
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