※社会人な水戸くんです。
「うわっ、びっくりした」
家に帰ってきた瞬間、目に飛び込んできたのはすごい格好をして寝ている洋平くんだった。荷物が散らばり、布団だけではなくクッションや座布団さえも無い畳の上で寝息を立てている。
部屋着で髪のセットも解かれている様子から辛うじてお風呂には入ったみたい? となると、お風呂上がりに一息ついていたら、そのまま寝落ちしちゃったのかも。だったらまだ和室で寝ていてくれてよかった。廊下や隣の洋室だと畳よりもフローリングは冷えるだろうし、風邪だって引いちゃう。一番は寝室で寝てくれていることだったんだけど。
最近の洋平くんはかなりお疲れだ。
いわゆる繁忙期というヤツで朝早くに出て、夜遅くに帰ってくる。しかも日付が変わる前に帰れれば御の字というレベル。休日出勤だってデフォルト。だから洋平くんは「梢ちゃんを起こしたくないから」と寝室ではなく、わざわざ和室に布団を敷いて寝る始末。私は気にしないと言っているのに頑なに譲らなくて、結局こちらが折れた。
そんなこんなで一緒に住んでいるはずなのに、洋平くんとはすれ違いの日々が続いていた。こうして彼の姿を見るのが、なんだか久しぶりに感じてしまう。このところ一緒にご飯だって食べられてなかったし、顔も合わせていなかった。今日もこのままこっちで寝る予定だったみたいだし。そんな気遣い、いらないのになぁ。
下ろされた彼の前髪にふれるとまだ少し湿っていた。ドライヤーやらなかったな、これは。いつもちゃんとしなよって言っているのに。見れば、目の下にはわずかにクマもできている。顔色もあんまりよくなさそう。でもこうして今日は私より早く帰ってきているということは、繁忙期は抜けたのかもしれない。そろそろ落ち着きそう、と冷蔵庫の取り付けたホワイトボードにも書いてくれていたし。
洋平くんを起こさないように近くに畳まれていた布団を引っ張る。それを彼に掛けて、散らばった荷物を片付けた。こんなに私が動き回っていてもぴくりとも起きる気配を見せない。いつもならすぐに目を覚ましてちょっと寝ぼけた声で「どうかした?」と尋ねてくるというのに。本格的におつかれみたいだ。
とりあえず洋平くんはこれでよし。私もとっとと着替えてこよう。さすがにこのあとまた出勤なんてことはなさそうし、今日は一緒に夕食を食べられそう。そんな些細なことさえ久しぶりだから嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。
部屋着に着替えながら、メニューを考える。あたたかくて身体に優しいものにしようかな。ガツンとしたもののほうがいいかもだけど、それは明日、洋平くんのリクエストを聞いてから考えよう。
いつもなら私が作った次の日は洋平くんが作り、その次は私……と交代制だけれど、さすがに最近は私が作って、洋平くんのために取り分けていた。でもそれは仕方ない。へろへろな洋平くんに作らせるほうが酷。それに私の拙い料理が少しでも力になれるのなら……! いくらでも作りましょう!
なによりこうして大変なときに彼を支えられるのが私はすごく嬉しい。「二人で生活をしている」という気持ちになれるから。
私はこれからもこうして一緒に過ごせていけたらと思うけど、洋平くんはどう思っているのかな。お付き合いを始めて、同棲までして……こうして年月を重ねれば重ねるだけ、将来のことが度々過ぎってしまうことは否めない。だって洋平くんのこと好きなんだもの。
でもストレートに尋ねる勇気も私には無くて。まあ、まだいいよね、なんて、今日も私は自分を誤魔化した。
冷凍庫に冷凍うどんが残っていたので今夜のメニューは煮込みうどんにすることした。煮込まれてやわらかくなったうどんや野菜は寝起きでも食べやすいだろうから。
弱火で野菜を煮込みながら洗い物をしている最中、和室からわずかに物音が聞こえ始めた。起きたかな? と様子を見に行こうとすると、ふすまが開いて、ぼんやりとした顔の洋平くんが現れた。
もしかしたら料理のにおいにつられて起きたのかも。換気扇を回してはいるけれど、おしょうゆと出汁のいい匂いが先程からずっと鍋から溢れ出している。くうとお腹がなるぐらいには。
「起きた?」
「……ん」
どうやら、まだ半分寝ているみたい。珍しく気の抜けた返事をし、大きなあくびを繰り返す。
そのまま後ろから私に抱きついてきた。甘えたの洋平くんはレアなのでちょっと感動してしまった。野生動物がじわじわと近づいてきたときのような、あの感動。洗い物がしにくくなったことには、この際目をつむろう。
「メシ、ありがと」
「どういたしまして。これからうどん煮込むけど、半玉にしとく?」
「一玉食う」
「わかった」
冷凍庫からうどんを出すときも、それを鍋に入れるときも、洋平くんは離れない。さすがに火の近くは危ないと注意した時は拘束が緩んだけれど、すぐさま戻ってきた。ぎゅうと抱きしめ続けられるのは少しくすぐったい。思わず笑うと、洋平くんは気を良くしたのか肩に顔を埋めてきた。
「ねえ、ちょっと。くすぐったいって」
「梢ちゃん充電中」
「なにそれ」
「梢ちゃんは充電しなくていいの? オレのこと」
「またあとでね」
「今は?」
「今はご飯優先。お腹減ったし、洋平くんもちゃんとご飯たべなきゃでしょ」
ほら、目覚ますために顔でも洗ってきて。
お腹に回る腕をぽんぽんと叩きながら言えば、深いため息が聞こえてくる。本当に、珍しいぐらい甘えただな、今日の洋平くん。子供みたい。後ろ手で彼の頭を撫でる。見た目よりずっとやわらかで、ちょっと長めなこの髪が大好き。指でそれを梳き「ドライヤーしなかったでしょ」と言えば、しまったと言わんばかりに顔をふいと逸らされる。その横顔がかわいくて、思わず頬にキスをした。
「私も洋平くん充電しちゃお」
洋平くんは黙ったまま、先程よりもずっと大きく息を吐いたかと思うと、一際強く腕の力を込める。強すぎてちょっとバランスを崩すほどに。ふらついた私をびくともせずに支える彼はぽつりと呟いた。
「結婚してぇ……」
きっとそれは本人としても無意識の言葉だったのだろう。
え、とつい声がもれる。いま、なんて? 私が訊き返す前に洋平くんは離れ、まっすぐに洗面所へ向かっていった。取り残されたキッチンでくつくつとうどんが煮えていく音だけが響く。私の頭も煮えていく。
い、いまのはなに? ぷろぽーず? でも洋平くん、半分寝ていたし……ノーカンになっちゃう? むしろ幻聴だったりする? ぐるぐると疑問符が浮かんで消えていく。とにかく顔が火照って仕方なかった。――でも、もし。本当に言ってくれていたのなら。
もう一回聞き直していいのかな……? いま、なんて言ってくれたのって。彼の元へ駆け込んでも許されるだろうか。
そんなことを考えていた矢先、盛大に洗面所のドアが開く。飛び出してきたのはもちろん洋平くん。水が滴る赤い顔のまま、私に詰め寄ってきた。
「やりなおさせて!」
「へっ!?」
「今のナシ! いや、ナシじゃねーんだけど、違うんだって! マジで、ちゃんといろいろ考えてっから! 準備もして……!」
同じ言葉を――しかもちゃんと文章になっていないようなものばかり――繰り返したのち、崩れ落ちるように彼は座り込む。頭を抱えたその姿からは唸り声が聞こえてきた。
しくじった、なんて小さな後悔の声も。
……なんだか勝手に後悔されている。私は全然、こういうプロポーズでもいいんだけどなぁ。
洋平くんも二人の将来のことちゃんと考えてくれていた。私はそのことことが一番嬉しい。準備ってなんだろうなぁ。彼のことだから綿密な計画を立てていたのかも。それこそ数ヶ月単位で。
それらを全て、寝ぼけた自分自身で崩されてしまったなんて。洋平くんらしくない詰めの甘さだ。本当に疲れていたんだなぁ。ぽろっと本音が出ちゃうぐらいには。
でもごめんね。「忘れました」とは言うのはちょっと難しい。
「ねえ、洋平くん」
「…………なに」
「もう一回言ってほしいなぁ」
「……梢ちゃんのいじわる」
「洋平くんのが移ったのかも」
「まさか。オレ、梢ちゃんにいじわるなんかしたことないでしょ?」
「嘘おっしゃい」
私の反応にようやく洋平くんは笑った。
顔をあげ、姿勢を正す。私もつられて背筋が伸びた。
「梢さん」
「……はい」
「好きです。愛しています。オレと結婚してください」
「私でよければ、お願いします」
「梢ちゃんがいいんだよ。つーか、こっちこそオレでよければなんだけど」
「私も洋平くんがいい」
おしょうゆと出汁のにおいがいっぱいの、クツクツと煮える鍋の音が響くキッチンが私たちのプロポーズ場所。そのあと二人で食べた煮込みうどんの味も含めていい思い出だ。ちょっと煮詰まりすぎてしょっぱかったのもご愛敬といったところだろう。
「実を言うと指輪とかの用意も進めてたんだよな」
「え、そうなの」
「そーなの。だからリベンジさせて」
「さっきので充分なのに」
「かっこつけたい場面があるんだよ。男には」
「いつもかっこいいのに?」
「――梢ちゃんさぁ」
今日何度目かわからない深いため息。じとりとした視線と共に「あとで覚えておいてね」と投げられる。
……なんだかイヤな予感がしたので、今度は聞こえないふりをさせていただこう。
私はそっぽを向いてうどんを啜る。「聞こえてんじゃん」と笑う洋平くんの声も、もちろん聞こえないふりを決め込んだ。