溶けたアイスが手首を伝う。
ぽかんと口を開いて、私は目の前の男を凝視する。なにしろ今、言われた言葉を理解すること脳が拒否しているのだ。そんな呆けた私を見て、彼はやれやれと首を振る。まるで手のかかる妹だ、と言わんばかりに。

「ほら」
「あ、ありがとう」

渡されたウェットティッシュを受け取り、べたべたとしたミルクの滴を拭う。乳成分が多い棒付きアイスは冷房の効いた室内であっても容赦無く溶けていく。それを横目で見て「早く食べないからだ」と彼は私を諫めた。
なんだ、無駄に世話焼きないつものネズじゃないか。さっき変なことを言われたような気がするけど、この暑さで幻を見たのかもしれない。

「それで、チクマからのファンレターはいつくれるんです?」
「オエッ」
「きたねーですよ。嘔吐くんじゃなか」

変なことを言っているのはお前だろ! と怒鳴りたくなるのを我慢して、私は溶けかかっているミルクアイスを舐め、無視を決め込んだ。アイスを早く食べないといけないから、と心の中で言い訳をして。

ネズと私はいわゆる幼なじみである。あの寂れたスパイクタウンで生まれた子供は同年代であれば、自然と仲良くなっていくのが当たり前だった。特に私は彼とウマがあったのか、大人になった今でもこうしてつるんでいる。腐れ縁という言葉がぴったりの関係が、私とネズなのだ。

しかし子供と大人では感情の置き方は異なるもので――正直にいうと、私はこの男に惚れていた。きっかけはとうの昔に忘れてしまったけれど。そして幼なじみ≠ニいう都合のいいポジションから抜け出せない、弱虫な女でもある。
今日も彼が新曲の制作にスタジオへ籠もるというので差し入れにアイスを持ってきたのだが、そこには「二人きりになれるかな」という邪な気持ちがあるわけで。でもこの話題になるのならば、来るんじゃなかった。数時間前の自分にみらいよち≠ェできればよかったのに。

「忘れたとは言わせませんよ。チクマが自分で、昔に言っていたでしょうが」

無視するな、とばかりにネズは追撃をしてくる。思いたる節があるせいで、つい視線が泳ぐ。

「え、えーと、ワスレチャッタ」
「相変わらずお前は嘘が下手ですね」
「うぐ」

大げさにため息を吐いて、ネズは自分のソーダ味のアイスをかじる。知覚過敏になって苦しめ! と怨念を送るがあいにくと効果は無いらしい。

ネズの言うファンレターについて、覚えがないわけじゃない。あれはいつだっただろう。ああ、彼にはじめての彼女ができたときのことだ。
彼としては幼なじみの親友に自身の恋人の紹介をする程度の気軽さで――もしかしたら彼女に「こいつとはそういう♀ヨ係ではない」と伝えるためだったのかも――私に紹介してきた。

ふわふわとしたフェアリータイプのような笑顔がかわいいお嬢さん。レースのスカートがよく似合っていたっけ。フェアリーは苦手じゃないのかよ! と荒れたことさえ、今はいい思い出だ。

そのときからネズのことが好きだった私は失恋を経験し、すっぱりと彼への気持ちを諦めようとしたのだ。良くも悪くも思い切りがいいのは私の長所であると自負している。
しかし、残念ながらこじらせた初恋はそんな簡単に消えてくれることは無かった。そのため、代わりに思いの丈をネズではなく紙にぶつけることにした。よくストレス発散方法で紹介される方法を試してみようとしたというわけ。

けれど彼への気持ちを紙に書き出せば書き出すほど、やっぱり諦めることはできなくて。
せっかくだからと用意したちょっといい便せんを何枚も消費することになってしまった。
でも、もうネズには恋人がいる。だから、この気持ちを少しでも消えるようにと一心不乱にペンを走らせた。自分から溢れる彼への想いの海に潜っていたせいか、ネズがいつの間にか背後にいたことに気づかなかったのだ。

「なに書いてんですか。手紙か?」
「うわっ!? ね、ネズ!?」
「言っておきますけど、チャイムは鳴らしたからな」

家族ぐるみの付き合いとなっている彼はうちの合鍵を持っている。だから、勝手に入ってきて、そうしたら私がいた。だから声をかけたのだろう。いつも通りの日常。実際、彼は紙袋を抱えている。

「マリィがスコーンを焼いたのでお裾分けに」
「やった! マリィちゃんの手作り嬉しい!」
「それでオレのチャイムも電話も無視して、何をしていやがるんです?」

くそ、リビングじゃなくて自室で書いていればよかった。家族みんな出払っているからって油断した。そうしたら気づかれること無く、彼はリビングの机の上にマリィちゃんのスコーンを置いて去ったというのに。
なかなか答えない私に、彼は「まさか」と声をあげた。

「……ラブレターば、書いてたと?」

速攻で答えを当てやがった! いや、厳密に言えばそうではないけれど、実質似たようなものだ。複雑な心境がそのまま顔に出ていたのだろう。ネズはみるみるうちに驚愕の色を表情に宿し、少しいらついたように言った。

「相手は?」

お前だよとは言えない。
相変わらず口をつぐんでいる私に、彼はさらに苛立ちながら詰め寄る。

「まさかオレに言えない相手じゃねーだろうな」

まるで尋問のようなそれに、カチンと頭にきたのは仕方のないことだった。なんだその妹に接するような態度は。私はあんたの妹でもないし、あんたは兄でもない。
――ネズは私の唯一好きな人なのに。

「……ネズには関係ないじゃん」
「は?」
「たとえこれがラブレターだとしても、ネズには関係ないじゃん!」

叫ぶように反論すれば、彼は虚を突かれたように浮かべていた表情を消す。そんな彼を放って、続けて「私が誰を好きであろうと、恋人のいるネズには関係ないことでしょ!」と言い放つ。リビングに残った声が静かになるころ、視線を彷徨わせた彼がぽつりと呟く。

「…………そうですね」

その声がなんとも寂しそうで悲しそうで。私の頭は急激に冷めていく。やってしまった。ここはしおらしくなるところなのに。ギャップを見せれば、少しは異性として意識してもらえるチャンスだったのに。
しかし彼だって、プライベートなことを突いてきたのだから、こうなることは仕方ないとも思える。怒鳴られたってお相子だろう。お相子なのだけれど……これが惚れた弱みというやつか。
次に口から出たのは、彼をフォローするような嘘だった。

「……ネズへのファンレターだよ」
「は」
「ネズがCDデビューして、ガラル中で有名になったら、この私からファンレター出してあげようと思って! 誰からももらえないなんてかわいそうじゃん? その練習をしていたの! 1通ももらえなかったら悲しいでしょ?」
「……別に今でもいいんじゃなか?」
「それだとつまらないじゃん! むしろ、いい目標ができたって喜びなさいよ!」

そんな嘘でその場を取り繕った。上手く誤魔化すことができたのか、彼も納得をし(渋い顔をしつつも)特にその話題に触れられることもなく、今日にいたる。
でも結局、どんなに紙に想いを書き連ねたところで私の恋は消えることは無かった。むしろこうして会う度に育っていくというもの。

彼の恋人になれる権利を持つあのふわふわなお嬢さんがうらやましくてたまらない。でも幼なじみ≠ナあれば、少なくともそばにはいることができる。だから、私はまだこのスパイクタウンから離れることができないでいた。

そして、なにより彼も歌手にジムリーダーにと忙しくなっていた。だからすっかり忘れているのだと……思ったのに……! 今ここでその話出す!?
頭をかきむしりたくなる衝動を必死に押さえ、ふと過ぎった疑問を尋ねた。

「そういえば彼女さんは? 最近、彼女さんを理由に私の誘いを断らなくなったよね?」
「いつの話をしているんです。……とっくに別れましたよ」

え、そうなの。降って湧いた事実にちょっとだけ気持ちが晴れやかになる。現金な女と呆れられてしまうかもしれないけれど、年を重ねていれば甘酸っぱいものだけが恋ではないのだと知っていた。

「話題を逸らすんじゃねーですよ。オレはチクマの言うとおりデビューもして、ありがたいことにガラルで有名になりました。条件はちゃんと満たしています」
「ええ、そんなに欲しいの? 山ほど貰ってるじゃん」
「お前からは貰ってなか」
「仕方ないなぁ。はいはい、わかった。書いてあげるよ。ファンレター」
「……オレはあの時、チクマが書いたのをもらいてーんですが」

無理だよ、と言いかけて、口をつぐんだ。いや、これはいい機会だ。渡してしまおう。
実を言うと、あの手紙は捨てていないのだ。あれが私のネズへの素直な気持ちなのだと思うと――なかなかゴミ箱へ落とすことができないでいたから。

手紙を渡すついでにこの恋心もぶつけてしまおう。それで玉砕するのならば、もうそれで彼への想いを諦める。でないと私は、ずっとこの寂れた街で蹲ったままだ。ぱーっと砕けて、ばらばらになったほうが次の恋を見つけられることだろう。他の地方へ行ってもいいかもしれない。運命の出会いが待っていたりして。

「いいよ。この後、うちに来て。渡すから」
「そうですか。嬉しいですね」
「うん。私もようやく渡せるかと思うと、嬉しいよ」

あの時の手紙がやっと活躍することができるのだ。受け取ったネズの驚きの顔が目に浮かぶ。そして私の恋の終わりも。彼は私に対して、そういう想いを抱いていないだろうから。
あーあ、幼なじみもう終わりか。ちょっとだけ悲しくなりながら、食べ終わった棒の先を確認する。こういうときだけ当たる≠だよなぁ。

しかし、そんな私の気持ちがたっぷり詰まった手紙を受け取ったネズが、それを読んで「オレも同じ気持ちだって言ったらどうします?」という、とびっきりの答えを返してくることを、当たり前だがこのときの私は予想できないでいた。
もし彼の心が読み取れたのならば、直接言葉でぶつけていたであろうから。

私たちの新しい関係を築く出番を待ちながら、そのときの手紙は未だ大切にしまわれている。



診断メーカーより「溶けたアイスが手首を伝う」で始まり「そのときの手紙は未だ大切にしまわれている」で終わるお話


机の引き出し、その奥に
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