※ワタルさんに特殊設定有り

「あのぉ……暑くないんですか?」

明日の予定確認も終わり、落ち着いたところでつい尋ねてしまった。だって本当に暑そうなんだもの。
彼はタブレットから顔をあげ、少し悩んだ後、己の格好のことだと気づいて「ああ」と自身の服装を見る。

「まあ別に。慣れたかな」
「ここセキエイじゃないんですよ? 天下の南国、アローラなのに!?」
「言っただろう? 慣れたって」

慣れたって……そんな……。
不服そうな表情を浮かべた私に、ワタルさんはタブレットの端で口元を隠しながら笑う。だって絶対、暑いに決まっているのに。

今回の出張はアローラリーグの視察である。リーグ本部トップのワタルさんはもちろんのこと、運営課に所属する私も同行することとなった。ここだけの話、仕事とはいえアローラへの出張は楽しみにしていた。なにせアローラはバカンス人気ナンバーワン。穏やかな南国諸島。この響きだけでわくわくしてしまう。しかもほんのり憧れているワタルさんと一緒。
気を引き締めないと、と気合いを入れつつも、この出張はきっと幸せな思い出になると思って……いたのに……。
ただでさえ暑い場所なのに、それを加速するような格好が目の前にいるなんて思わなかった! 余計に茹だってしまうのも仕方ないというもの。

「熱中症になってもしりませんよ」

じとりとした視線を向けると、彼はさらりとした表情で答えるのみ。

「ここは冷房が効いているし大丈夫」
「そりゃあホテルのロビーですもん。私が言っているのは日中の話です。明日は朝からアーカラ島へ行くんですからね?」

アローラリーグで四天王も務めるライチさんとお会いする予定だ。先ほどその話をしたばかりだというのに、忘れたのかと咎めるように言えば、彼は「もちろん覚えているさ」と肩をすくめた。

「でもチクマくんだって、おれと似たような格好じゃないか」
「私のはサマースーツですし、通気性もいいので涼しいんです」

それにジャケットは七分丈だし、カラーもホワイトにしてきた。見た目だけでもなるべく涼しさを、と思ったからだ。
なのにワタルさんはいつもの格好のまま。こだわりがあるのは知っているけれど、紺色のバトルスーツは見ているこっちが暑い。加えてマントもある。籠もる熱は私の比じゃないはずだ。日中、この人がいつ熱中症で倒れるのかとひやひやしたほど。

……そういえばこの人、日中もそんなに汗をかいていた記憶がない。確かにバトルトレーナーはポケモンと一緒にいることもあり、暑さや寒さに耐性ができやすいと言うけれど、あの焼けるような日差しで汗をかかないなんて嘘だ。私はなんど額をぬぐったかわからないのに。まさか、と顔が青くなる。

「もうなっているんですか!? 気分は!? 気持ち悪いとかないです!?」

熱中症症状の一つに『汗をかかなくなる』というのがある。慌ててバッグから小分けにされた塩タブレットを取り出し、彼に押しつけた。同僚から「アローラとワタルさんの熱で倒れるなよ〜」と冗談めかしでもらったものである。こんなところで役に立つなんて思わなかった。
一方ワタルさんは私の剣幕を見て、しぶしぶと受け取ったそれの封をやぶり白いタブレットを口に入れた。おそらく食べないと私が落ち着かないと見込んだのだろう。実際、無理にでもそうするつもりだった。

「……しょっぱいよ」
「よかったぁ」

味がわかるならまだ大丈夫だ。私がほっと胸を撫で下ろした瞬間、彼はガリガリとタブレットをかみ砕く。満足したか? というように。

「きみが心配してくれているのは嬉しいけれど、本当に大丈夫なんだ。暑さには慣れている」

その一言に息が詰まった。突き放すような声に、やってしまったと頭から血の気が引いていく。熱くなっていたのは私の方だ。彼が自身の服装に拘りや誇りを持っていることも知っているし、薄着ができない事情があるのかもしれない。そういうことを放って私だけの気持ちを押しつけてしまった。

「……すみません。私も無理を言い過ぎました。最後に一つだけ言わせてください」
「構わない」
「ありがとうございます。私、ワタルさんがその格好に誇りを持っているのは知っています。でもやっぱり見ていて不安なのも事実です」

あなたが倒れたらとても怖い、と震える声で伝えると、ワタルさんはバツの悪そうな顔で頭を掻いた。そして降参だといわんばかりに、手を挙げる。参ったな、と弱った声も聞こえてきた。

「別にこの服装にこだわっているから薄着をしないわけじゃないんだ」
「え? じゃあどうして……」
「きみはきっと怖がってしまうよ」

私を射貫く瞳はどこか切なげで、そして試すような光を帯びている。瞳孔が細くなり、鋭く刺さる。いつもの彼の――あの優しくて途方も無いと感じるような――瞳じゃないみたいだ。大きく心臓が跳ねる。憧れていた男の人に見つめられたからじゃない。本能的なものだ。私の目の前にいるのは本当にワタルさんなのだろうか。彼の後ろに竜を幻視する。弱い私を捕食せんとする強い存在。

「っ!」

勢いよく自分の頬を叩く。じんわり痛むそれに目が覚めた。

「受けて立ちます。私もバトルトレーナーの端くれですから」
「……ふは、うん、いいね。チクマくんがおれに挑戦してきたときのことを思い出すよ」
「うぐ」

もう何年も前のことだ。私はバトルトレーナーとして彼に挑戦したことがある。結果は目も当てられないものだったけれど。

「そのあと君がスタッフとしてやってきたときは驚いた」
「思い出話はいいですから!」

ああ、そうだった、とワタルさんは笑いながら、自身の袖をインナーごとまくり上げる。肘ほどまで肌を露出し、筋肉の乗った腕を私に見せるように突き出した。

「おれが長袖ばかり着ている理由はこれだよ」
「いれ、ずみ……?」

彼の腕に走る紋様。黒のそれが手首あたりから肘まで埋め尽くす。いや、肘までじゃない。その奥、二の腕まで続いている。これはもしかしたら肩まで――。私の瞳の動きに気づいて「肩だけじゃない。背中にも腹にも、足にだって入っている」と軽い口調で彼は言った。

「おれの出身の話は知っているね?」
「はい。フスベの、由緒ある一族のお生まれということは」
「そう。歴史が長い一族だ」

歴史ある由緒正しい一族の本家に産まれ、長男である彼。そんな彼に求められ、課せられたものは多い。その一つがこの刺青であるという。

「代々一族の紋様に自身の紋を足して、また次代へ継いでく。おれの身体には一族全ての歴史が、文字通り刻まれているんだ」

そのことに誇りを持っている。しかし、身体中に刻まれた刺青に普通の人はたじろいでしまうだろう。加えて、チャンピオンという地位にいる以上、変な先入観は持たれたくない。だからこうして肌を隠しているという。他にも理由は多々あるが、これがどんなときでも頑なに長袖を着ているワケ。

「気づいたら暑さなんて気にならなくなっていったよ。――ああ、すまない。やはり怖がらせてしまったかな」

眉を下げ、困ったように微笑む彼に首を振る。怖いなんて思っていない。ただ、彼に流れる血の重さと深さに驚いただけだ。あとほんの少しの興味も。

「……ワタルさん、私のエースポケモン覚えていますか?」
「ああ。ドーブルだろ? チクマくんの戦法はトリッキーだったからすごくよく覚えているよ」
「さすがです。だからそのあの……」

ごくりとつばを飲んで、意を決して言った。

「その刺青、全部見せてくれませんか!?」
「……は?」
「私、小さいころからそういうデザイン系にすごく興味あるんです! ドーブルがパートナーなのも、あの子のスケッチ°Zが好きだからで! 今もネットでデザイン依頼を受けていたり、勉強したりしているんです。この腕の部分だけでもすごく緻密で繊細で、ドラゴンの意匠が一目でわかって……! ああ、もう全部見たい!」
「……うち、副業禁止なんだけど」
「あっ、やっば。え、ええと……受けているっていっても、そんなに多くないし趣味の範囲でその……ええと……」
「まあ、いいよ。聞かなかったことにする」

そう言いながら彼は袖を下げた。隠れていく刺青に惜しむ声をあげると、重いため息が聞こえてくる。ついでに「予想外だ」という呟きも。

「そんな反応だとは思わなかった」
「でもすごいとも思いましたよ。深い歴史を感じられましたし、なによりあなたの心遣いを」

でもやっぱり少しは熱さ対策をしてほしいです、と付け加えると、彼は「そうだな。人の目を気にしているといいながら、怠っていた」と頷いた。



「そ、それで、刺青の写真とかっていただけたりします……?」

それぞれの部屋に帰る途中、どうしても我慢できなくなった私はもう一度ねだってみる。さすがに直接見せてもらうのは憚られるので、写真ならと提案した。ワタルさんは「ふは、君は本当にトリッキーだ」と褒めたのか貶したのか微妙なことを言った後、大袈裟に悩んで(正しくは悩むようなふりをして)、どことなく弾むような声で答えた。

「見せるのはいいんだけれど」
「本当ですか!?」
「そうなるとチクマくん、おれに嫁入りすることになるんだよな」
「…………は?」

よくわからない。今、彼はなんと? 彼の口から飛び出た言葉に理解ができず、フリーズする。そんな私を置いて、彼は話を続けた。

「腕だけならいいか、って思って見せたけれど、本当はこの紋様は一族以外の目に触れさせてはいけないんだ。自分の紋様は特に」

言うやいなや、強い力でワタルさんは私の手を引く。抵抗する間も無く、私の指先は彼の胸――ちょうど心臓のあたりに触れた。

「おれのはちょうどここにあってね」
「え、えっと……」
「だから他人に――おれの伴侶になる人が見るとしたら、まあそういう夜≠迎えるときと一族で決められているんだ」
「あ、あの、その」
「それでも、君は見たい?」

とろりと蕩けた低い声。あの時と同じ細くなる瞳孔。私を喰らわんとする捕食者の瞳。どくんと心臓が跳ね、身体中が熱くなる。
これ以上はヤバい、と警報が脳内で鳴り響く。私は大慌てて首を横に振った。それはもう取れるかのように。

「なんだ残念」

彼は案外すんなりと手を放してくれた。これ幸いと「部屋に戻ります!」と自分に宛がわれた部屋へと競歩並のスピードで向かっていく。早くベッドに入って寝よう。そうすればきっと忘れられるはずだ。

「チクマくん」

無視しよう、と思う。思うのだけれど、私の身体はぴたりと止まってしまった。操られるかのように、振り返ってしまう。ドアに背を預け、腕組みをしながらこちらを見つめる彼の姿が視界に入る。

「おやすみ。いい夢を」

微笑むワタルさんに震える声で「おやすみなさい……」と辛うじて返して、私は今度こそ自室へと駆け込むのだった。
明日から、まともにあの人の顔を見られる気がしない!



刻まれるモノ
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