「……なにやってるの」
「シッ! ほら怖くないぜ。いい子なベイビーちゃんのキュートなお顔を見せてくれよ」

帰宅した私を待っていたのは大きな身体を窮屈そうに折り曲げて、リビングにある本棚の隙間へ話しかける恋人でした。おそらく手にはポケじゃらしを持っているのだろう。先ほどから鈴の音が聞こえてくる。ゆったりとした私服に着替えているのに、全然リラックスしていない。つい「何をしているんだろう」と冷めた視線を向けてしまう。

いつもなら私が帰ってきたら誰よりも先に玄関まで迎えに来てくれるというのにそれが無く、何かあったんじゃないかと不安に思った矢先のコレ。聞いたことのない甘ったるい声を出すキバナくんに説明を求めるのをやめ、少し離れたところで私たちをおろおろと見守るジュラルドンに声をかける。

「なにかあったの?」

ジュラルドンは独特な金属音を響かせながら、ソファの上を指し示す。そこにはベビーポケモン用のポケモンフーズの袋が無造作に置いてあった。しかもノーマルタイプの。新しい仲間でもゲットしたのだろうか。しかし彼はポケモンを増やすときは必ず私に予め説明をしてくれるし――

「急で悪いな」

考え込んでいた最中、ずしりと体重がかけられる。キバナくんは本棚の隙間へ語り掛けるのをやめたようで、いつの間にかこちらへ近付いていたらしい。背後から腰に手を回して、そのまま頬にキスを一つ。そしてようやく「おかえり、チクマ」と私の聞きたかった言葉が降ってきた。

「ただいま。別に構わないけど、どうしたの?」
「ジムで迷子になっていたベイビーちゃんを保護したんだ」

なんでも迷子のイーブイがナックルジムへ入り込んでいたらしい。どこからやってきたのか、野生なのかトレーナーの手持ちなのかは調査中。ただ、生まれたてであることだけがわかっているとのこと。そんな小さな命を放っておくわけにもいかない。ポケモンセンターに保護依頼することも考えたそうだが、紆余曲折を経て、この家で預かることになったという。キバナくんなら安心して任せられるとみんな考えた。しかし問題が一つ。

「おくびょう≠ネのか、ぜーんぜん出てきてくれねぇの」

元来の性格もさることながら、目まぐるしい環境の変化にイーブイ自身も戸惑っているのだろう。家に着いた途端、その子は一目散に本棚の小さな隙間に潜り込んでしまったらしい。着替えのため、ちょっと目を離した隙を狙ったあっという間のできごと。
慌ててエサで釣り、ポケじゃらしを振るが出てこない。同じポケモンなら、とジュラルドンに説得を依頼しても、さらに奥へ入り込む始末。(さすがにその人選もといポケ選は誤りだろうとは思う)
困り果てながらも必死にキバナくんが声をかけ、無害アピールをしてるところに私はちょうど帰宅したらしい。

「さすがのオレさまお手上げ。癒してくれよぉ」

はあ、と大きく息を吐き、彼は私の肩へ顔をうずめる。その頭を撫で「お疲れ様」と声をかけた。

「まあ、キバナくん大きいからね。ちっちゃなイーブイからしたら山でしょ。怖がるのも仕方ないというか」
「山って」
「大きいとそれだけで怖いものだよ。生まれたてなら、あまり人に触れあってこなかっただろうし」
「野生ならなおさらか」
「そういうこと」

複雑そうな顔をする恋人に「次は私の番ね」と言って、腕の中から出る。手に持っていた紙袋の中から、そっと目当ての箱を取り出した。パステルカラーに彩られた包装紙を丁寧に開く。そこに印刷された有名ブランドのロゴに目ざとく気づいたキバナくんは「なるほどな」と声をあげた。

「みんなへのお土産、と思って買ってきたんだけどグッドタイミングだったね」
「カロス物産展って今日までだったか」
「そうそう。ちょっとシュートのほうへ寄る用事があったからついでに覗いてみたの。そうしたらもうかわいくって!」

仕事のついでに寄ったカロス物産展で販売されていたポフレの詰め合わせ。それが本日のお土産だ。
シャラサブレと悩み、せっかくならキバナくんのポケモンたちへ買っていこうとポフレを選んだのが……我ながら第六感が働いたようで嬉しい。

箱さえも可愛いそれのシールを剥がす。蓋をあければ、ふわりと甘い香りが漂ってきた。色とりどりのポフレが並ぶ。きのみが乗ったものや、シュガーコーティングがされたもの。エネココアが練りこまれたものや、ホイップクリームで飾られたもの――見た目も味もたくさん用意してきた。
おくびょうな子なら、とびきり甘いのがいいだろうか。モモンの実が使われたそれを崩さないように取り出し、残りの箱をキバナくんへ押し付ける。
次は私の番だと、自信満々な私へ彼は言う。

「でも、フーズで出てこなかったんだよな……」
「ご飯とおやつは違うものだよ、キバナくん」

誰だってご飯の前におやつを食べすぎて怒られたことはあるだろう。それと同じ。
ご飯前の甘いものってなんであんなに魅力的なのだろうか。いや、ご飯あとの甘いものも充分罪なのですけれど。

まあ見ていなさい、と本棚の裏を覗き込む。目を凝らしてよく見れば、たしかにそこには耳が垂れ、ぷるぷると震える小さなイーブイがいた。かわいいその子は新しい人間が現れたことに、ぴゃっと飛び上がり丸まってしまう。しっぽに埃をつけ、さらに縮こまった。

「イーブイちゃん、ほら、甘いお菓子だよ。おいしいよ」

これ以上怯えさせないように、自分の中で最上級に優しい声を出す。手にしたポフレを見せるように近づけた。甘い香りを漂わせるお菓子に気づいたのかイーブイは少しだけ顔をあげ、鼻を動かす。瞳が迷いに揺れていた。興味はあるけれどやっぱり怖い、といった感じだろうか。

「ほら、そこは暗いでしょ? 出ておいで。甘いのだけじゃなくて、いろんな味があるよ」

そうやって誘うこと数分。いろいろな言葉でその子へ語りかけ――
最終的に私はポフレを床に置いて、立ち上がった。

「だめでした」
「ほら見ろ」
「ごめんなさい」

そもそもポケモンの扱いに長けたキバナくんがだめだったのだ。私でそう簡単に解決できるわけもない。楽観視していた自分が恥ずかしい。もう一度彼に謝罪する。
しかし、どうしようか。二人してここまで怯えられていると、もうお手上げだ。
キバナくんは少し唸ったあと、肩をすくめて言った。

「とりあえず様子見ようぜ。下手に構いすぎてもだめだしな」
「でもごはん、どうしようか。お腹減っているよね」
「隙間の近くにフーズと水、それとチクマが買ってきてくれたポフレをいくつか置いておこう。もしかしたら夜中に出てきて食べるかもしれない」
「そうだね」

そうと決まれば、まずは自分たちの支度から始めよう。なにせイーブイにかかりきりになりすぎて、自分たちも含めポケモンみんなのご飯もまだ食べていなかったのだ。そもそも私は外着のまま、着替えてさえしていない。落ち着いた途端にお腹が空腹を訴える音を出す。

「フフ、かわいい音出してんな」
「……だってお腹減ったもん」
「今日はラザニアだぜ」
「やった、キバナくんのラザニア大好き!」

嬉しさのあまり抱き着くと、彼は当たり前のように受け止めた。そのままくるくると回って二人で遊んでいると、しびれを切らしたジュラルドンが食事を催促するかのように鳴く。そうでした、みんなお腹が減っているんでした。


***


イーブイが我が家に来てから1週間がたった。結局、この子は野生だったようだ。
そのためすぐにでも保護を解除するという話もあがった。しかし、この子は標準よりも少し身体が弱いということが健診で判明し、ならば里親を探そうということで落ち着いた。引き続き、新しい家族が現れるまでの人慣れも兼ねてキバナくんの元で生活をしている。つまり私とも一緒ということだ。

「このままうちの子になってもいいのにね」

キバナくんが集めているコレクションのボールを磨く手を止め、すっかり本棚の後ろが定位置になったイーブイに声をかける。もちろん返事は返ってこない。それにショックは受けることはなかった。これももう日常としてすっかり溶け込んでいる。私はソファに深く座り込んで、次のボールを手に取った。

キバナくんはジムへ行っており、今日は私とイーブイだけがこの家にいる。人の気配には敏感のようだけれど、たまに顔を出すことが増えてきた。目があえば、すぐに引っ込んでしまうのだけれど。
この家には私しかいないのだし、いつもよりハードルは低いはず。ちょっぴりでもいいから出てきてくれないかな、と期待を込めて見つめるが、まだまだ難しいようだ。

私もキバナくんもわずかな時しかイーブイを目にしていないが、それでもあの可愛さにいつの間にか我が家はみんなメロメロになっている。「見守りカメラでも買うか?」とキバナくんは本気で検討していて、私もそれには賛成。他の手持ちポケモンも最初こそ遠慮をしていたようだが、もともとフレンドリーな子たちだから、早く仲良くなりたいとそわそわしている。
すなわち、最近の我が家はあの小さなかわい子ちゃんを中心に回っている。それがとても楽しくて仕方ない。


「いつか一緒にお菓子を食べられたらいいなぁ。お散歩兼ねてジムに行ってキバナくんを驚かしにいったら楽しいと思わない? きっとびっくりしてひっくり返っちゃうよ」

想像するだけで笑みがこぼれる。くすくすと笑う私の声はイーブイに届いているだろうか。
あの子ためにいつだって甘いお菓子は常備してある。いつか、今日みたいないい天気にキバナくんも含め、みんなでピクニックができたらいいな、なんて夢を見る。
そんなことを考えていると陽だまりのあたたかさに誘われて、あくびがもれた。少しだけお昼寝しようかな。キバナくんが帰ってくるまで時間もあるし、少しだけなら大丈夫。

磨いていたボールをテーブルに置く。そのままソファへ横になり、まどろみに意識を委ねた。




彼女が眠りに落ちたあと、人の気配が薄れたことに気づいたイーブイはいつものように怯えながらも隙間から出てきた。周囲を気にしながらも、水を飲んで、少し食事をとる。そして、寝息を立てるチクマを見つけた。身を固まらせたのは一瞬で、彼女が寝ていることに気づいたイーブイは――初めて自らチクマの元へ近づいた。

キバナもチクマもほどよい距離を自分と保っていてくれる。イーブイにとってそれが嬉しくもあり、申し訳なさもあった。自分だって仲良くなりたい。二人と、仲間のポケモンたちと。そう思っても身体は震えて、声は出なくなる。こわい、と思ってしまう。でもいまなら? いまならそばにいられるんじゃないだろうか。

陽だまりの中で目を瞑るチクマはまだまだ起きる気配が見えない。それになんだか、とてもそこはあたたかそうだ。イーブイは小さな身体で飛び跳ねて、チクマの腕の中にちょうどよく空いたスペースへもぐりこむ。甘い香りとあたたかさがイーブイを包み込んだ。

……もしかして思ったより怖くないのかもしれない。チクマも、キバナも。そんなことを考えながら、イーブイもチクマと同じように眠りに入っていく。

一人と一匹がすやすやと眠るころに帰宅したのがキバナだった。出迎えがなかったことはリビングを見れば一目瞭然で、しかも恋人の腕の中にはあのイーブイがいる。怯えてばかりで姿を見せなかったあのイーブイが。押し寄せる多幸感を味わいながらキバナはスマホロトムを呼びだし、幸せと形容する時間を切り取っていった。

響く音に気がついてイーブイは顔を上げる。少し寝ぼけているせいか今までの警戒心が嘘のように無防備だ。まだまだ眠くて、半分閉じたような瞳はこちらにスマホロトムを構えるキバナの姿を捕らえる。いつもならすぐに飛び上がって、定位置である本棚の後ろへ一目散に向かっていくだろう。しかし、そのときのイーブイはあまりにも眠くて、心地がよくて――ぼんやりと彼の顔を眺めるだけだった。

「へい、ベイビーちゃん、おねむか?」

キバナの指がイーブイを撫でる。逃げることなくそれを受け入れた姿に彼は歓喜に震えた。変な声を出しそうになるのを必死に抑え、優しく微笑む。

「チクマの隣は心地がいいよな。オレさまも大好きだ」

その言葉に同意するような、小さな鳴き声が聞こえてくる。イーブイが彼の手のひらへすり寄ってきた。甘えるように喉を鳴らし、気持ちよさそうに目を細めている。キバナは応えるように指の動きを巧みに変え、イーブイを撫で続けた。

「もう少し寝ていていいぜ。オレも隣に部屋にいるから」

そう言ってキバナは着ていたパーカーを脱ぎ、イーブイとチクマにかけた。大きなそれは愛しい二つの存在を包み込むのにちょうどいい。

「おやすみ、いい夢を」

チクマとイーブイにキスをそれぞれ落とし、彼はリビングを後にした。
イーブイはその背を見送る。そして大きくあくびをこぼしたのち、チクマの腕の中でまた丸くなって瞼を閉じた。


Andante
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