※バレンタインデー・ホワイトデーの文化がある世界線


セキエイリーグ、運営課。そこに所属する私の目に映ったのは普段見慣れない小さな箱。
明日やろう、とクリアファイルに入れていった書類や普段使っている文具が雑に散らかっている机の上には不釣り合いだ。しかも、わざわざキーボードを避けるように件の箱は置かれている。出勤してきた私に存在をアピールするかのように。

ラッピングされ、お上品な気品を纏っているそれはパステルブルーの包装紙にホワイトのリボンがかけられている。つい荷物を持ったまま、じっと観察した。よく見ればリボンの下に隠れるよう金インクでお店のロゴが印刷されている。リボンを崩さないようにそっと指で避ければ、それは私でも知っている有名な老舗パティスリーブランドのものが記されていた。

ええと、あのブランドはたしかマカロンが有名だっけ。よくテレビや雑誌で取り上げられているし、ネットニュースでも紹介されていた。とても美味しいけれど、比例してお値段も高め。私にはなかなか手が届かない。そんなブランドのお菓子がなぜここに?
ぽかんと立ちつくす私へ隣の席で始業の準備をしている同僚が見かねて「チクマ、いい加減座りなさいよ」と指摘する。彼女はビジネスチェアを軋ませ、私の机上を覗き込んだ。

「それ、あたしが来る前から置いてあったわよ。目立つ色だからつい目に入っちゃったの。ごめん」
「別に構わないんだけど……誰からなんてわからないよね?」
「あいにくと」

促されてようやく肩にかけていた荷物を置き、自分の席へ座る。彼女と同じようにビジネスチェアが軋んだ。このまま置きっぱなしにしておくわけにもいかない。恐る恐るそれを手に取れば、予想よりもずっと重たかった。きちりとしたラッピングはズレもヨレも無い。なんだかそれが逆に怖いだなんて。訝しげな表情をしていたせいか、隣の彼女から「爆弾じゃないんだから、そんな怖がらなくても」と呆れた声がやってくる。

「単純にホワイトデーが近いし、お返しじゃない?」
「……誰にもあげてないよ?」
「じゃあ他の人と間違えられたとか? でも贈り主がわからなければどうにもできないわね」

肩を竦めた同僚へ頷く。そうだね、なんて相槌をうちながら。その様子が困ったように見えたのだろう。
彼女は視線を私からお菓子の箱へ目を移し、言う。

「贈り主、探すなら協力するけど」
「ありがとう。でも、大丈夫。もしかしたら相手から声かけてくるかもしれないし、今日一日待ってみるよ」
「そう」

彼女は椅子を引き、パソコン画面へ向き直る。
一方で私は、その箱を丁寧に引き出しの中へ入れた。中のお菓子――おそらくマカロンを――壊さぬように。しかし、どうしよう。これは本当に『ホワイトデーのお返し』なのだろうか。そうだとしたらとても、困る。

――残念なことに私はこのお返しの贈り主に心当たりがあるからだ。




いくら電子化が推奨され進んでいるとはいえ、紙の文化はなかなか廃れない。ハンコやサインも。私は束ねた書類を抱えて、チャンピオン執務室の重い扉をノックする。返事が聞こえたので「失礼します」と声をかけ、開けた。

「書類をお持ちしました」
「ああ、チクマか。すまないな」
「こちらが目を通していただきたいもの、こちらがサインをいただきたいものです」

色のついた二種類のクリアファイルに分けてまとめたものを執務室に備えられた彼の机に置く。ワタルさんは落としていた視線をあげて「ありがとう」と微笑んだ。
チャレンジャーとのバトルだけではなく、有事の際には現場に駆けつけるワタルさんはいつも忙しい。そのため必要書類はまとめて一度に渡すのが常だ。そして今回の運搬係は私。ついでに何か持っていくものは無いか尋ねると、ワタルさんは少し考え込んで答える。

「少し待っていてくれ。先にサインのものだけでも始末してしまうから」
「わかりました」
「座っていてくれて構わないが」
「いえ、大丈夫です」

そうか、と彼は書類へ確認しはじめる。
正直なところ、受け取ってすぐに帰りたかったのだ。少なくとも今日はあまり、ここにいたくない。紙が擦れる音だけが部屋に響く。ふいに引き出しの中にしまったパステルブルーが脳裏を過ぎった。
――おそらく、あのお返しの贈り主は目の前のこの人だ。

ちょうど一ヶ月前、いわゆるバレンタインデー。何を隠そう私はワタルさんにチョコレートを渡している。とはいえ直接渡す勇気は無く、匿名でこっそりと。当日、リーグに届けられた彼宛の贈り物の中に忍ばせたのだ。我ながらなんてベタな行動だろうとは思うけれど、この気持ちを伝えたいわけではないから、これで充分。つまり自己満足だったわけだ。

それにリーグの中でも何人かはワタルさんに渡していたから、その一つとして紛れさせることもできた。重要なのは彼に渡すこと。義理チョコとして受け取ってもらえればそれでいい。だから、あのチョコレートを私のものだとイコールで結べるはずがないはず。そう思っていた。

「そういえば」

唐突に聞こえてきたワタルさんの声に、思考へ落ちていた意識が戻る。急に話しかけられて驚いていると、彼は動かしていた万年筆を止め、顔を上げた。挑戦的な笑みが私に向けられている。鋭い瞳の光が私を刺した。心にぐさりと楔を打ってくる。

「先月のチョコレート、美味しかったよ」
「……え」
「来年は手作りを頼む」

言葉を理解するのに数秒がかかる。ちょこれーと、おいしかった。らいねん……ええと、待って欲しい。
つまり、やっぱり私からのチョコレートに気づいていたということだ!

「な、なんのこと――」
「おっと誤魔化そうだなんて思わないでくれ。もう遅い」

すぐさま否定したら結果は違っていたのかも知れない。だが、もう言い繕えない。
すっかりこちらの手の内を見抜いているワタルさんは、じっと私を見つめている。彼は座っていて私は立っているから、必然的に私の方が見下ろしているはずなのに心境的には逆だ。じわりじわりと追い詰められているのがよくわかる。
答え合わせをするかのように、言葉が紡がれる。

「きみはよくもわるくも冒険をしない性格だ。だからあのチョコレートも同じ」

チクマがあれをよく食べているのを知っていてね、とワタルさんは笑みを深めた。
その通りだった。タマムシデパートの催事場に並んでいるような有名パティスリーのチョコレートを背伸びして買おうかな、と考えたけれど、せっかく贈るのなら美味しいとわかっているものがいい。そう思って私が一番美味しいと思う、決して有名とは言えない地元の菓子店のチョコレートにしたのだ。でもそのお店のお菓子は休憩中のおやつでもよく食べていて――それを見られていたということになる。

冷静に考えれば失策に違いない。食べたみんなが美味しいからお店を教えて欲しいと言うほどだから、ワタルさんに贈ってもはずれはないはずと思って選んだけれど……。そもそもそれが間違いだった。あの菓子店のものをワタルさんに贈ったのは私しかいないだろう。つまり、ワタルさんがあのチョコレートを見つけたときから、私のものだとバレていたということで――

「あ、え、えっと」

途端に顔が熱くなる。身体中が沸騰しそうで、どうしようもなく逃げ出したくなった。でも足は動かない。それは心の奥に、わずかな期待があるからに他ならない。バレンタインデーにチョコレートを渡して、ホワイトデーにそのお返しが届いた。それを意味するところは一つしか無い。
ワタルさんはそんな私の邪な気持ちさえも見抜いているのだろう。わざと音を立てて、立ち上がる。近づいて、耳元に吐息と共に囁いた。

「おれのお返しは受け取った?」
「……あの、まかろん、ですか?」
「マカロン。はは、そうだな」

あれはマカロンじゃないよ、と彼は意味深な言葉を落とす。

「そう見えるようにラッピングをしたけれど。カモフラージュしたくてね」
「ワタルさんがわざわざ包んだんですが?」
「ああ、慣れないおれにしては、なかなか上手かっただろう?」

むしろ既製品だと思ったのですが。
しかし言われてみれば、本来のラッピングならリボンの下にブランドロゴを隠すことはしないはず。そこで気づけばよかった――いやさすがに難易度が高いから無理では?
混乱する私にワタルさんは笑みをこぼし、確信的な一言を突き刺した。

「あれは義理?」

答えないという選択肢はとっくに消されている。
首を横に振って、絞り出すように「ほ、ほんめい……です……」と口にした。そんな私を見てワタルさんは表情を緩める。

「なら、ホワイトデーを受け取ってほしい。チクマにとっても、おれにとっても、悪いものは入っていない」
「は、はい……」
「ただ、家に帰って、一人で開けてくれ。できるな?」

辛うじて頷けば「いい子だ」と優しい声でさらに甘く囁かれる。変な声が喉から漏れそうになるのを必死に耐えた。

「さて、サインにはもう少しかかるが……今度は座って待っていたほうがよさそうだ」

足はふらふらで頭は茹だっている。まともに立っていられない。
ワタルさんに手を引かれ、ソファへいざなわれた。やわらかでふかふかのソファが私を受け入れ、包み込む。再び、万年筆が紙を引っ掻く音が流れ出す。しかし、それは先ほどよりもずっとゆっくりだ。
きっと私の熱が引くための時間稼ぎをしてくれているのだろう。その優しさにまた胸がときめいて、熱があがる。


その夜、ワタルさんの言いつけ通り、一人で箱を開けた。その中に入っていたのは――



White Day
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