「バトルタワーで働いてみないか?」
幼馴染であるダンデが発した言葉にチクマはお手製のナポリタンを食べる手を止めた。
目の前に座る彼は赤いケチャップを着ている白いTシャツに飛ばすことなく、黙々と口に運んでいく。そのスピードは速いが、丁寧な動作のおかげだろうか。ダンデは白地に赤いシミを作ることなく、チクマお手製の大盛りナポリタンを具材の一つも残すことなく平らげた。くちびるの周りについたケチャップを分厚い舌が舐め取った。
「これうまいな」
最初こそ、ガラルには無い料理を出されて戸惑ったが、ケチャップの甘みと酸味でまとめられたスパゲティは素朴な味がする。その料理をダンデはとても気に入った。美味いことはもちろんだが、ケチャップとスパゲティ、そして適当な具で素早く作れるのも素晴らしい。レシピを教えてくれ、とダンデがチクマに強請ると「ああ、うん……」と彼女から気の抜けた声を返される。
「ってそうじゃなくて! 私、バトルできないこと、ダンデが一番知っているでしょ」
「もちろん」
頷きながら、ダンデは氷水を一気に飲み干す。残った氷を奥歯でかみ砕くと、改めて先ほどの言葉を正した。
ダンデ曰く、新設されたバトルタワーの認知度は残念ながらまだ低い。そしてそれが広まっていく様子も未だに見えない。バトルトレーナーならばすぐさま興味を示すだろうが普通のトレーナーは「バトル施設」というだけで、そもそもの感心を持てないからだ。「自分のポケモンはバトルに不向きだから」という理由は誰しもが抱きやすい。ジムチャレンジという、バトルがショービジネスになっているガラルでは特に。
そんな一般層に向けて努力を重ねていないわけではない。他地方では見られないレンタルパーティ制度を作ったり『ダンデ』に会える機会を作るため、本人が昇格バトルを行なったり――彼なりに工夫を凝らしていた。しかし、あいにくと結果は芳しくない。つまり他の戦略を考えなければいけないということ。悩んだ結果、「バトル以外のところを攻めたらどうたろうか?」と結論が出た。まずはバトルタワーという施設自体に興味を持ってもらうところから始めようというわけだ。
話を聞いてようやくチクマは彼が自分に求めているモノがわかった。少し冷めたナポリタンを食べるために、フォークにスパゲティを巻きつかせる。
「ポケモンマッサージで興味が引けるかな」
「ガラルでは珍しいだろう? きっと大丈夫だ」
ポケモンマッサージとはその名の通り、ポケモンへマッサージの施術をすることだ。ポケモンたちの筋肉をほぐし、最高のパフォーマンスを促したり、リラックス効果からトレーナーへのなつき度をあげたり――用途は様々。
チクマはホウエン地方でポケモンマッサージの資格を取り、しばらくそこで修行を重ねていた。ガラル地方ではポケモンマッサージはあまり普及していない。だからこそチクマは故郷で専門店を立ち上げようと、ずっと考えていた。そのためにハロンの実家へ戻ってきたのは三日前。幼なじみの一人であるソニアぐらいにしかまだ挨拶をしていないというのに、どこからか聞きつけてきたダンデが家へ押しかけ、こうして急遽二人でランチを取ることになったのだ。あり合わせのナポリタンを用意して。
ダンデは一通りの説明を終え、改めてチクマへ向き直る。
「キミを利用しているようで申し訳ない……。だが、しばらくの間でいいんだ。力を貸してくれないか! 頼む!」
勢い良くダンデの頭が下がった。その姿を見て、チクマの喉から思わず呻き声をあがる。
正直なところ、彼女にとっても悪い話ではないのだ。物件探しは難航していたし、ガラルで認知が低いポケモンマッサージをどう宣伝していくかも悩んでいた。話を聞く限りでは専用のテナントスペースも用意してもらえるうえに、バトルタワーなら訪れるトレーナーだって少なくはない。特にバトルをするトレーナーならマッサージにも興味を持ってもらいやすいだろう。そこから口コミが広がれば、お互いにWin-Winの関係になれるに違いない
しかし、すぐには頷くこともできなかった。せっかく一人の力でやってみようと独立を決意したにも関わらず、こうしてダンデの世話になるのは意味がないことではないだろうかと思ってしまったのだ。なにより彼の想定より己のマッサージで集客ができなかったら、元も子もない。
悩むチクマにダンデは「ならとりあえず一年……いや、半年契約でどうだろう?」と切り出した。
「半年ならお互いに方向転換がしやすい。チクマが望むなら早く切り上げても構わないし、もちろん延長だっていい」
「……半年かぁ」
それでもなかなか頷かないチクマの様子に、ダンデはしょぼんと眉を下げる。金色の大きな瞳はわずかに潤んで、じっと彼女を見つめた。大きな身体がしなしなと小さくなっていく。
「だめ、だろうか……。オレはチクマなら間違いないと思っていたんだぜ……」
「うっ」
今にも泣き出しそうなダンデの声は、チクマの良心へちくちくと刺さった。
実のところチクマはこの表情のダンデに弱い。幼い頃から、しょぼんと肩を落とすダンデを見るたびに彼女が折れていたのだ。まるで大きな瞳に宿す涙はメッソンが泣いているように思えて、心がしめつけられる。そのせいか喧嘩をしてもダンデがこの表情で謝りにくればすぐに許してしまっていた。
「……とりあえず半年ね」
「ああ! よろしく頼むぜ!」
そして今回もチクマの負け。
先程までのしょぼくれた様子はどこへやら。ダンデは嬉しそうに頬を染め、満面の笑みを浮かべる。その様子は記憶にある幼い頃のダンデと変わらないものだから、チクマはつい「かわいいなぁ」と許してしまうのだった。
*
ダンデから誘われたバトルタワーでのポケモンマッサージ業は特に大きな問題が起きることもなく、順調に業績を伸ばしていた。彼の見立てどおり、今ではマッサージを目的にバトルタワーへ訪れるトレーナーも増え、まさに描いたとおりのWin-Winの関係へとなっていた。
そんなとある日。ドアベルが来客を告げるように響く。チクマは受付カウンターで書類整理をしていたこともあり、すぐに落としていた視線をそちらへ向けた。今はランチタイムの「CLOSE」をしているから余計に来客が気になったのだ。
件のドアから顔を覗かせるのはリーグスタッフの男性。帽子を取って頭を下げたあと、申し訳なさそうに「あのぉ、ダンデさんは」と尋ねてきた。
「ここにはいませんよ」
「ええ!? いつもこの時間はチクマさんとランチをされているから、と思ったのに!」
「そんな毎日一緒に食べているわけじゃ……」
言いかけて、口を噤む。毎日のようにダンデと食事を取っていたことを思い出したからだ。昨日も一昨日も、その前も――気づけばバトルタワーに来てからほぼ毎日、食事を共にしている。
気を取り直すかのように咳払いして「とにかくいませんから」と伝えると、スタッフは頭を下げてすぐに出ていった。心当たりのある場所を探しにいくのだろう。早足で消えていく足音にちくりと良心が痛む。
それにしても、そんなにダンデと自分は一緒にいるだろうか? とチクマは考えた。確かに幼馴染同士であるから、普通の男女よりも距離が近いことは否めない。でも、こうしてダンデがいなくなるたびに「チクマさんのところにいると思って」「チクマさんが知っているかなと」なんてスタッフが訪ねてくるのは――少しおかしいのでは?
でも私が向こうの立場なら親しい人にまず話を聞きに行くかもしれないな、とチクマは思い直す。闇雲に探すよりは効率がいいことは間違いないし、手がかりを得られる可能性も高いからだ。
すっかりあたりが静かになったのを確認し、彼女は立ち上がって店舗の奥へ向かう。そして施術室に置かれたベッドで寝ている幼馴染を揺り起こした。臙脂色のオーナー服に少し皺の筋が出来ている。
「ダンデ、起きて。スタッフの人が探しにきてたよ」
「……書き置きはしてきたんだが」
「どこへ行くとは書いてなかったんでしょ」
「当たり前だぜ。休憩時間ぐらい、邪魔されたくはない。誰にもな。本当に緊急ならスマホロトムが鳴るが――」
「鳴っていないね」
「だろ? なら、もう少しだけ自由の時間だ」
ダンデは時折こうしてチクマのマッサージ店で仮眠を取る。彼専用の仮眠室が別に用意されているにも関わらず。最初こそ、チクマも追い出してはいたが、そのうち大きなクマを作ったダンデが「お願いだ」と弱った声を出して頼ってきたものだから、許してしまったのだ。そこからなし崩しで、今に至る。
彼が予約の入っていない時間を狙って、ここに来ているせいもあるのだろう。施術室はロズレイドやドレディアから取れるアロマの香りが満ちていて、こだわりのマットレスを使っているからダンデが好むのも仕方ないのかもしれない。トレーナーもポケモンもリラックスできるのはこの店のウリでもある。
なによりダンデの疲れた顔をチクマは見たくなかった。記憶の中の彼はいつだって元気溌剌で、当たってきた岩だって簡単にぶち壊すような人だ。加えて、慣れないオーナー業で疲弊した姿は自分の前でしか見せていないことに気づいてしまったせいで、チクマは彼にベッドを貸し出すことにした。幼馴染にしか甘えられないダンデはいじらしくて、かわいい。
しかし、こうして誰かに迷惑をかけているのなら話は別。そろそろ契約期間の半年を迎えることだし、ここから離れる頃合いかもしれない。
「いやだ」
自身の考えを伝えれば、ダンデはすぐさま否定を口にする。
「いやだって、そんな」
「……キミは知らないだろうさ。オレがキミのいない間、どんな思いを抱いていたのか」
ダンデはベッドに寝転んだまま、チクマの手を取った。チクマの細い指先が太く無骨なものと絡む。つるりとした彼女の爪をダンデは愛おしそうに撫でた。その感触に驚いたチクマが手を引っ込めようとするが、強い力が阻止する。
「チクマがホウエンに行っている間、オレはずっと考えていたんだぜ。キミは魅力的な人間だからな。きっと恋人の一人や二人いただろ? それがすごくいやだったんだ」
ダンデは金の瞳を熱に溶かしながら、チクマを見つめる。間接照明の灯りのせいか、その瞳は燃えているようだった。太陽のように、熱く、近づく相手を焦がす。――否、近づかせる。
「あんな思いを抱くのはたくさんだ。なあ、チクマいいだろ?」
これからはずっとそばにいてくれよ。
少し掠れたダンデの声は男≠フそれに相応しく、チクマの耳をじわりじわりと熱で犯していく。
彼女はもう、逃げられない。