※原型…夢…?
※海に関するトラウマがある方はご注意ください。



私はかつてルギアに会ったことがある。

海のそばに住む私は昔からルギアの伝説を聞いて育っていた。
ルギアの強さ、恐ろしさ、美しさ、優しさ。ありとあらゆることが語り継がれている。いつか私もそれを子孫に語り継ぐことになることが想像できるぐらいに、誰もがルギアのことを話す。だから「ルギアにあってみたい!」なんてことは、近辺の子供たちが必ず抱く願望だ。もちろん、私もその一人。友人たちと海へ向かって「ルギアー!」と叫んでは、返ってくる潮騒にきゃあきゃあと騒いでいた。

その日は前触れもなく訪れた。忘れもしない、ひどく風の強く吹いていた日のこと。校外学習の一環で船に乗っていた私は、己の不注意から海へ落ちた。きゃあっ! とクラスメイトの悲鳴が木霊する。急いで船に戻ろうともがくが、海水を吸った服はどんどん重くなって動きを阻害する。
加えて波が高かったこともあり、あっという間に船から遠く離れた沖へ流されてしまった。しかも、そのタイミングで天候までひどく崩れてくる始末。ごろごろと嵐の音が近づいてくる。荒れ始める高波に攫われれば、自力で船へ戻るのが不可能な距離になってしまった。唯一の幸運はライフジャケットを着ていたことだろうか。
泣きわめく私へ全速力で船が近づいてくる。しかし無情にも大きく海がうねった。

ざぶん。

あ、と声をあげる前に私は海へとのまれる。頼みの綱であるライフジャケットも、今の拍子でベルトが緩んでしまったのか私を置いて、遠くへ。幼心に「もうだめだ」と確信した。
海の中は苦しくて暗い。わずかな明かりといえば、メノクラゲたちの赤い灯火だけだ。じわじわとそれが増えてくることに恐怖を覚える。目を凝らせばすとプルリルたちの姿もあった。青と桃が赤く照らされ、場違いにも「きれいだな」と感じる。同時に気づくのだ。ああ、こうして人は海へ堕ちていくのか、と。
肺は酸素の代わりに水を満たしていく。私の薄れゆく意識を感じ取った彼らは、ためらいもなくその触手をのばしてくる。私を海の底へ誘うために。

それが身体に触れる瞬間だった。私がルギアと出会ったのは。
今まで特定の色しかなかった視界の端に銀色の光が横切る。それは眩くて、冷たくて、優しい。絶望しかなかった胸の内に、差し込む光のようだった。
思わずそちらへ手を伸ばす。こぽりと酸素が出ていくことも厭わず、呟いた。

「たすけて」

すべてを葬りさるような咆哮が響く。海の中だから鈍い音しか聞こえなかったが、それはひときわ大きなものだったのだろう。あっという間にメノクラゲたちが逃げていく。銀色は私の前で、大きな腕を動かした。それにより生み出された水圧が私の身体を翻弄する。渦に巻き込まれ、揺さぶられた。ぐあんぐあんとただでさえか細い意識が消えていく。まるで洗濯機の中にいるような渦潮の中で、わずかな一瞬だけ私と銀色は目が合った。鋭い眼差しが私と交差する。
その美しさといったら。心臓がぎゅうと鳴る。ああ、あなたは――

「るぎあ」

とっくに無い酸素を完全に吐き出して、私は完全に意識を失った。

次に目に映ったのは病院の天井だ。
意識を取り戻した私に気づいた両親はぎゅっと私を抱きしめたのちに、すごくすごく怒った。海の怖さがなぜわからないのかと。二人にかけた心配を猛省しながらも、頭の片隅には常にあの銀色がちらついて仕方ない。でもなぜか「私、ルギアに会ったんだよ」とは言えずにいた。

その日以来、私は海に潜ってはルギアを探すようになった。周りが「海に魅入られた」と噂するようになっても気にしなかった。そんなことよりもルギアに会いたかったのだ。でもあの銀色は見つからない。何度も、何度も、潜ったのに。
ルギアは海を回遊していると知ったのはずいぶん経ってからだった。言われてみれば納得する。空が遠い果てまで繋がっているように、海もまた世界と繋がっているのだから。

***

「チクマ! こっちこっち!」

飛び跳ねるホルビーをぼんやり眺めていると名を呼ばれた。顔をあげれば友人であるトオルが私へ向かって手招いている。彼の足元にはイーブイやムーランドがいて、私をきょとんとした表情で見つめている。彼は私に駆け寄って、さわやかに笑った。

「久しぶりだね。元気にしていた?」
「まあ、ぼちぼち。トオルは――とても元気そう」
「はは、それだけが取り柄だからね」

彼はおかしそうにしながら「博士とメンバーのみんなを紹介するよ」と研究室へと私を案内する。ログハウス調のそこへ行くとカガミ博士と思わしき男性と三人の少年少女がいた。特に女の子からの視線が注がれるものだから、思わず髪を撫でる。寝癖とかあるのだろうか。
男性は手にしていた機械をテーブルへ置いて、私のほうへ歩み寄る。

「やあ、この研究所の責任者であるカガミだ。よろしく」
「チクマです。どうぞ、よろしくお願いします。あの、今回は本当にありがとうございます」
「はは、これぐらいお安いごようさ!」

大人になった私は未だにあの銀色を探していた。
故郷を出てからもルギアに出会うべく、さまざまな海を潜り続けている。そのおかげでみずポケモンの生息域や分布に詳しくなり、どこからか噂を聞いた研究者のフィールドワークにも呼ばれるようにもなった。トオルと出会ったのも、そのフィールドワークでのこと。彼はカメラマンとしてさまざまな場所に行っているとのことで話が合ったのだ。特に幻のポケモンを撮ったことがあると聞けば前のめりにならざるをえない。

しかし、そんなトオルでもルギアは目にしたことがないらしい。明らかに落ち込んだ私を見て彼は言う。何か手かがりを見つけたら教えるよ、と。「期待して待っていて」と胸を叩いていた姿をよく覚えている。

いつものように海へ潜り、銀色を探していた私へ届いた一通のメール。
トオルが現在滞在しているレンティル地方の海底で、ルギアの目撃情報があったのだという。なんでも彼のチームメイトが写真を撮ったらしい。添付されていたそれはブレていて焦点はあっていないものだったが、片隅にあの銀色を確かに映していた。つまり、些細な口約束をちゃんとトオルは覚えて、守ってくれたのだ。
あわててトオルへ通話を繋げれば、彼は私の行動をお見通しだったのだろう。すでにレンティル地方の調査を任せている博士へ話を通してくれていた。博士もまた快く私を受け入れ、来訪と滞在を許可してくれた。しかも専用のポッドも貸してくれるという。

曰く「夢を追い求めている人を放ってはおけない」とのこと。実際目にしたカガミ博士を見れば、その人柄にも納得がいった。博士はとても優しくて、いい人だ。

「ネオワン号は基本的に丈夫な作りになっているから大丈夫! あ、ここが緊急通信スイッチで……」

博士の助手だというリタちゃんからネオワン号の説明を受ける。今回はゲスト用のものを貸してくれるそうだ。通常のネオワン号とは異なり、いくつかの機能を削いだ代わりにとても丈夫らしい。リタちゃんは一通りの説明を終えると、あたりをきょろきょろと見渡し誰もいないことを確認する。背伸びをして、私の耳元へこそりと囁いた。その内容を聞いて思わずとびあがる。

「私とトオルが恋人!? ないない!」
「しーっ! 声が大きいよぉ!」
「あ、ご、ごめん」

でもなぜそんなことを……。こほん、と咳払いをして、疑惑の眼差しを向ける少女へ答える。

「トオルとは友達! それ以上でもそれ以下でもありません」
「ええ、本当にぃ? だってチクマさんが来たときとか、すごく嬉しそうな顔をしていたよ?」
「久しぶりに会ったからじゃない? ほら、トオルってフレンドリーな性格でしょ?」
「たしかに言われてみれば……」

なにより彼はカメラ一筋だ。これからはわからないが、今は恋愛よりも撮影をしていることのほうが楽しいだろう。私を案内したらお役御免だとばかりに、写真の整理を始めた姿を思い出す。なんとも言えない気持ちになったが、お互い様なので特にツッコミもしなかった。しかし、それが余計に「気安い仲」としてリタちゃんには見えたらしい。

「私はいま、ルギアのことしか考えられないから、そういうのはいいかな」

苦笑気味にそう伝えれば、リタちゃんは大きな瞳をぱちくりと瞬かせて、ぽつりと声をもらす。

「チクマさん、ルギアに恋しているみたい」

――なるほどそれは的を射ている。すとんとその言葉が落ちてきた。
意味と響きを咀嚼して飲みこむ。とてもしっくりきて、これ以上相応しい言葉はないように思えた。あの銀色を目にした瞬間から。真っ暗な海に輝くあの光に、色に、ポケモンに、神様に。私は心を奪われている。
だから会いにきた。愛しい銀色へ。もし、今回がだめだとしても諦めない。何度だって会いに行こう。私が海に潜り続ける限り、チャンスはきっと訪れるはず。

この恋はとっくに私を沈めている。



拝啓、深海のあなた
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