※ネタバレはないと思いますが、気になる方はご注意ください。
※諸々捏造ありです。予めご承知おきください。


ぱちり、と火が爆ぜる音で目が覚めた。
机に伏せていた身体を起こし、ぼんやりとした頭を振る。ああ、いけない。いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。昨日も遅かったから、ついつい眠気に負けてしまった。部屋に満ちる温かな空気は心地よくて、私の瞼がまた閉じかけていく。
このままではだめだ。いま寝たら、夜は目が冴えて眠れなくなる。ヒスイの夜は怖くて寂しい。ゴーストポケモンが集落のすぐそばまで近づくし、女の人によく似た声もどこからか風に乗って聞こえてくる。そんなじわじわとした恐怖と共に、長い夜を耐えるのは私にとって難しい。

空気の入れ換えでもしよう。シンジュ団の集落がある純白の凍土は冷気に事欠かない。少し扉を開けるだけで、あっという間に寒さで私の眠気も吹き飛ぶに違いない。
こぼれる欠伸を噛み殺しながら、立ち上がった。床に散らかしたままの紙片たちを踏まないように、出入り口へ向かう。墨はとっくに乾いているから片付けなくちゃ、なんてことを考える。
ふと気づけば扉の向こう。磨りガラスを隔てたそこに影があることを気がついた。集落の奥までポケモンが来たのかと一瞬身構えたが、よく見ればそれは人間の形をしている。
もしかして。淡い期待に胸が弾む。声をかける前に、その人影が動いた。

「チクマさん、ウォロです。いらっしゃいますか?」

やっぱり! そわそわとしたくすぐったさが背筋に走る。火に熱せられた暖かさとは違った温度を持った空気が私の身体を包むようだった。

「は、はい! います!」
「ああ、よかった。こちらにいらっしゃると聞いたのですが人の気配が無かったもので、どうしたのかなと悩んでいて」

もしかしたらウォロさんは私が寝ている間にも、ずっと呼びかけてくれていたのかもしれない。嬉しさの反面、申し訳なさが募っていく。慌てて扉まで駆け寄った。音を立てて開けると、そこにはいつものように金糸の前髪で顔の半分を隠し、にっこりと微笑を浮かべるウォロさん。想像通りのその人の姿を見て、胸がきゅうと鳴った。

「すみません。寒かったでしょう」
「いえいえ。仕事ですから」

吹き込んでくる風は冷たくて、一瞬にして部屋の温度を下げていった。なのに彼の息は白く凍らない。ウォロさんは気にしていないと言わんばかりだが、ずいぶんと待たせてしまっていたように思えた。きっと彼の身体は芯から冷えているに違いない。鼻の頭が赤くなっているのもその証拠。律儀に何度も、諦めずに私を呼んでいてくれたのかも。けれどそれが、彼を呼び止める口実になることを私は知っている。感じる嬉しさとときめき。そして迫る罪悪感。

「お茶、淹れますから入ってください。あたたまらないと」
「――じゃあ、お言葉に甘えて。いつもすみません。お邪魔しちゃって」
「そんな! わ、私がしたくてしているんですから」

ウォロさんを部屋に招き入れまずしたことは、散らかしたままの紙片をまとめて布団へ放ることだった。順番がバラバラになってしまっただろうけれど、あとで私が苦労すればいい。片付けた、とは言い難いが、なんとか用意できた空間に来客用の座布団を敷く。下がった部屋の温度をあげるため、ストーブへ薪をくべた。ついでにお湯を沸かす準備も整える。

その頃には、ウォロさんも背負っていた荷物を下ろしていた。促すと「ありがとうございます」と彼は座布団へ座りこむ。雑にまとめられた紙片の束が目に入ったのだろう。それを見つめ、しみじみとウォロさんは呟く。

「いやぁ、いつ見てもすごいですね」
「お見苦しくてすみません……」

弱々しい声しか出てこない。ウォロさんが来るのはわかっていたはずなのに、なんで片付けておかなかったのだろう。寝ていなければちゃんと綺麗な部屋で、この人を迎え入れることができたはずなのに。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。落ち込む私に気づいたのか、ウォロさんは「ああ、すみません!」と声をあげた。

「ジブンとしては褒めているんですよ! 口伝を書き記そうだなんて、なかなか大変ですから」
「……そう言ってくださると嬉しいです」
「本当にそう思っているんですよ。それにジブンの部屋も褒められたものじゃないですからね……。セトカさんの十倍、いや百倍は散らかっています」
「そんなにですか?」
「そんなにです!」

自信満々に言い切ったウォロさんと顔を見合わせ笑い合う。その様子が想像できるような、できないような。ちょっと意外に抜けているところがあるのかも。彼の新たな一面を垣間見ることができて、散らかしたままでよかったなんて現金にも思ってしまう。

ウォロさんは紙の山を見つめながら「よければ見ていいですか?」と尋ねてきた。断る理由もないので肯定を返し。お茶の準備を始める。
ウォロさんは歴史に興味があると常々言っていた。シンオウ様についての伝承は特に熱心な様子を見せている。だから私も彼と交流が持てているようなものなのだ。


シンジュ団にはシンオウ様の伝承がたくさん残っている。そして、それらの大半は口伝によって受け継がれていく。親から子へ、子から孫へ。これから生まれる子孫へ。時には歌となり、物語となり、私たちの信じるシンオウ様は伝えられていく。けれど残念ながら口伝というものには、どうしてもズレが生じてしまう。
ただでさえ、コンゴウ団には誤ったシンオウ様の伝承が伝わってしまっている。それがシンジュ団内でも起きる可能性は否めない。なので私はいつしか「口伝を書物としてまとめよう」と考えを持ち始めた。ヒスイ地方にギンガ団がやってきた頃から、良質な紙も筆も手に入るようになったから余計に。

しかし、今まで口伝されてきたものを改めて記すとなると反感を買う可能性も否めない。人から人へ伝えていくのも、また一つの伝統だからだ。けれどコンゴウ団のように、誤ったシンオウ様を信じられてしまうのも困る。ヒスイという雄大な空間を創世したシンオウ様を、正しく後世に伝えていきたい。
かといって「書物にしましょう」とカイさんに提案する勇気も私にはなかった。シンジュ団の長である彼女に否定されてしまったら、私の居場所はここになくなってしまうかもしれない。そんな恐怖を振り払えないでいた。けれどやっぱり諦めきれない。
なのでこっそりとすることにした。私は幸運なことに一人部屋なため、誰かにバレる心配もない。

ただ唯一ウォロさんだけが、この秘密を知っている。
いろいろと準備を重ねていたが、やはりどうしても大量の用紙を手に入れることが難しい。どうしようかと悩んでいた矢先、ちょうどシンジュ集落に商いをしにやってきた彼へ紙の手配について相談をしたのだ。
「用紙を手配することはできます。でもそんな大量に、しかもシンジュ団でなはくチクマさん個人として仕入れたいとなると……」と断られかけたため、打ち明けざるを得なくなってしまった。
ウォロさんを巻き込みたくなくて、まごつく私へいつもと変わらない笑みを向けて彼は言う。

「商人として、秘密は守りますよ!」

胸を叩くウォロさんを信じて、全てを話した。時折相槌を打つ彼は私のたどたどしい言葉を最後まで聞いた上で、個人的に紙を卸してくれると約束をしてくれた。ただし条件が一つ。

「ジブンも歴史や遺跡について興味がありまして。工面する代わりにといってはなんですが、いろいろと教えてもらえませんか? シンジュ団の伝承を」
「え、そんなことでいいんですか?」
「そんなことだなんて、とんでもない! こちらからお願いしたいくらいですよ! とりあえず明日、商会で手に入れられる用紙をいくつか持って行きますね。質などを見ていただいてから、また詳細を詰めていきましょう。値段もありますし」

翌日、ウォロさんは約束通りに用紙を持ってきてくれた。純白の凍土は険しく寒い場所なのにも関わらず。それからも定期的に集落を訪れてくれている。私のためだけに。時には他の商いをしつつ、時にはこっそりと。
――正直なところ、それにときめかないわけがなく。いつの間にか私は彼に恋をしてしまっていた。「差し入れです」なんて美味しいきのみを持ってきてくれたり。書き終わった口伝を読んで「興味深いですねぇ!」と子供のように喜んでくれたり。共犯にして申し訳ないと謝った時には「お得意様を贔屓にするのは当たり前ですよ」なんて私を気遣ってくれた。

それらの全てに私の心はときめきを抱く。好きだなぁ、と彼とおしゃべりをするたびに恋の味を噛みしめた。


コンゴウ団でよく飲まれている身体を温める薬草茶を淹れた湯飲みを二つ持って、彼の隣へ座る。前よりちょっと近づけた距離がバレないようにと祈りながら。熱心に伝承を読むウォロさんのそばへ「熱いので気をつけてください」と声をかけ、湯飲みを置いた。

「ありがとうございます。チクマさんの淹れるお茶は特にあたたまりますからね」

お世辞だとしても嬉しい。舞い上がりそうな気持ちを抑え、普段通りを装う。

「他のみんなと代わりない淹れ方ですよ?」
「ジブンはそうは思わないですね。確かにコンゴウ団特製のこのお茶は本当に温まりますけれど、チクマさんのものは特別です! あと単純に味がいいです」
「あはは、確かにあまり飲み慣れない味ですよね。……あ、乾燥させたナナシのみも混ぜているからかも」

身体を温める薬草茶は純白の凍土に住むシンジュ団でよく飲まれている。小さな子供からお年寄りまで、みんなこれを飲む。一口でお腹からじんわりと温めてくれるが独特の香味があって、正直なところ私もそこまで得意じゃない。少しでも飲みやすくなるよう工夫した結果が、乾燥させたきのみを混ぜることだった。ナナシのみは純白の凍土で自生しているから手に入りやすい。
……そっか、私の作ったお茶を美味しいとウォロさんは思ってくれるんだ。ゆるみそうになる頬を隠すように私も湯飲みを傾けた。

「っと、忘れていました。今週分の用紙です。いつもより量が少なくて。このところ規定量を納品できず申し訳ないです」

ウォロさんは荷物の中から紙の束を取り出した。確かに彼の言うとおり、最近は取り決めた量以下の納品となっている。その代わり用紙が入る度にわざわざ持ってきてもらっているので、ここを訪れる頻度はあがっていた。私としてはそちらのほうが申し訳ない――うそ、ちょっと嬉しい。たくさんウォロさんに会えるということは、たくさん話ができるということだから。わずかな時間でも二人きりになれる時間は貴重だ。けれどやっぱりここは何度も来るには苦労する場所でもある。

「もう少しまとまってからでもいいですよ? ここまで来るの大変ですし」

恋心は隠しながら、素直にそれを口にする。「そんなことないですよぉ」なんて、いつものようににこにこ顔のウォロさんを期待して。
しかし、そんなことはなかった。ウォロさんの顔からはすっと笑みが消えていて、じっと真剣な眼差しが私に注がれている。普段とはあまりにも違う様子に、心臓が跳ねた。この人、こんな顔、できるんだ。湯飲みをぎゅっと握る。

「だめですか?」

純白の凍土の吹雪のような声。いつもの朗らかで優しい声とは違う、あまりにもまっすぐな声。

「来てはだめですか? 苦になりませんので」
「え、えっと……」

言葉が詰まる。どこからか冷たい風が吹き込んでいるような気さえしてきた。

「――知りたいんですよねぇ! コンゴウ団におけるシンオウ様の伝承! いやぁ、続きが気になって仕方ない!」

何を言われるか身構えていた私に、なんとも彼らしい言葉が返ってくる。いつものようににこにこと笑う。

「あ、これまだ読んでいませんね。ふーむ、なるほどなるほど」

ウォロさんはまた紙片に視線を落とし食い入るように読み始めた。その横顔にときめきを感じつつも、なんだかざらついた感情が心に残る。なんだ、来る理由はあくまで伝承のことを気になっているだけか。私のことは彼の心に欠片も跡を残していないのだろう。あれ、ということは、つまり――

「シンオウ様が最大の恋敵ってそんなぁ……!」
「おや? チクマさん、なにか言いましたか?」
「なんでもないです!」

そう、なんでもない。なんでもないけれど、この悔しさはそう簡単に拭えないわけで。
こうなったら読み切れないほどの量を書いて、ウォロさんをずっと引き留めてしまおうか。
ぱちり、と火が爆ぜる音を聞きながら、私は独特の香味がするお茶を喉に流し込んだ。



くべる薪はいかほどか
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