「ポピーちゃん迎えにきたでー」
リーグ内に設けられているカフェエリアにやってきたチリはポピーの姿を探す。鮮やかなビタミンカラーでまとめれたカフェエリアをぐるりと見渡すと、淡いサックスブルーのスカートが最奥のボックス席で揺れているのをチリは見つけた。真っ直ぐとそのボックス席に近付き、チリは中を覗きこむ。
ぱちりとそこにいた人物と目が合うが、その相手はポピーではなかった。けれどチリが知っている顔。
「……チクマ?」
「あ、どうも、チリさん」
そこにはポピーともう一人。ボックス席の壁際に座ってチリを振り向きながら見上げるリーグ職員のチクマがいた。彼女のことはよく知っている。よき友人の一人であるからだ。
動いた彼女にポピーから文句が飛ぶ。「チクマちゃん、前見てくださいの!」「あ、ごめんなさい」そんなやりとりが交わされる。
なぜチクマがここに? と尋ねる前に、チリは全てを把握した。チクマの髪を飾るヘアピン。鼻歌を歌いながら大きめのポーチから数々のリボンを取り出すポピー。テーブルにはヘアゴムとヘアブラシが散らばっている。極めつけは先ほどの会話。
「なるほどなぁ。ポピーちゃんセレクトで、おめかし中やんな?」
「そうなんです。ポピーさんがぜひに、と」
「チクマちゃんをマホイップにしたくて、ポピーは頑張りましたの!」
ふんす、と自慢げに胸を張るポピーに「マホイップはかわええしなぁ。さすがやわぁ」とチリはにこにこ顔で返し、向かいの席へと身を滑らせる。そしてヘアピン選びに夢中になるポピーに隠れて、こそりとチクマに囁いた。「ポピーちゃんに付きおうてくれて、ありがとうな」と。
パルデアリーグには残念ながら、なかなかに挑戦者が来ない。理由は簡単。八つのジムバッジを集め、加えてチリの面接をクリアしなければならないからだ。かといって決して暇というわけでもない。リーグ職員にはリーグ運営の通常業務があり、トップチャンピオンのオモダカをはじめ四天王たちも案外忙しい。チリは普段からリーグ業務を手伝っているし、ハッサクはそもそもアカデミーの教師。ジムリーダーと兼任するアオキは言わずもがな。そしてポピーも。
彼女は常日頃リーグ本部にいるわけではない。こうしてリーグに待機しているときでさえ、持参したドリルを埋めたり、本を読んだりと彼女なり忙しそうにしている。
けれども時に。「子供」ゆえに彼女は時間を持て余してしまうことがあった。それが今日、このタイミングだった。そしてポピーは敏い。他の大人たちには自分とは違い、忙しいとわかっている。自分をかまっている暇はないことも。なので彼女は一人、大人しくここでチリの迎えを待っていた。
ちょうどそこに通りかかったのが、遅めの休憩に来た名前だった。ぷらぷらと足を遊ばせ、ぼんやりとしているポピーに気づいたのが始まり。少しでも遊び相手になれれば、とポピーに話しかけたのだ。「よければ私のお話し相手になってくれませんか?」と。
もちろんポピーは顔を輝かせながら大きく頷く。こうして二人のおしゃべり会が始まった。ポピーはジュース、チクマはコーヒーをお伴に。
二人の共通の話題はやはりポケモンのこと。ポピーが得意とするはがねタイプの話に相槌を打ちながらチクマが聞き役に徹していると「チクマちゃんはどんなポケモンが好きなんですー?」と質問が飛んできた。
「そうですね。最近はドラゴンタイプとフェアリータイプに興味があります」
「あらら、相性が悪いのにです?」
「だからです。こう、なにかいい一撃を繰り出せないかと。いっぱつドカンができればいいなって」
そこまで言ってチクマは口を噤んだ。つい、しゃべりすぎた。きょとんとしたポピーの瞳から、彼女が言葉の裏に隠された意味に気づいていないことはわかる。けれどいつ察してしまうかわからない。幼いながらもポピーは四天王。人の心の機微を読むのは得意だ。
こほんと咳払いをして、仕切り直し。「ああ、そうだ。フェアリータイプといえば」とチクマはあからさまに話題をそらす。
「ガラル地方に生息するマホイップというポケモンをご存知ですか?」
「マホイップ……?」
「進化条件がちょっと特殊で。あめざいく≠ェ必要なんですが、たくさん種類があってかわいいんですよ。それと進化のタイミングで色も変わるんです」
こんな感じです、と端末を操作し、マホイップの画像をポピーに見せた。「ポピーのおともだちが簡単にふんじゃいそうですー」なんて感想が一番に出てくるあたり、はがねタイプ使いらしい。
けれどもポピーの琴線にマホイップは多少なりとも響いたらしい。じっとその画像を見つめた彼女は「そうだ!」と楽し気に顔をほころばせる。
「チクマちゃんもマホイップになりましょう!」
「え?」
「そうすればドラゴンタイプに『いっぱつドカン』ができますの!」
あ、変な言葉を教えてしまった。
チクマが慌てる横で素知らぬ顔のポピーは、バッグから大きめのポーチを取り出す。小さな指がファスナーを引くと、そこにはヘアブラシにヘアゴム、リボン、ヘアピンの――いわゆるおしゃれセットがずらりと入っていた。急な展開に目を白黒させるのはチクマだけだ。
「え、えっと、ポピーさん?」
「ポピーにおまかせくださいな! チクマちゃんを素敵なマホイップにしてあげますの! ささ、後ろを向いてほしいのです」
キラキラ輝く笑顔を向けられれば、チクマには頷く以外の選択肢は無くて。しかもまだ休憩が終わるまでには時間がある。諦めたチクマは「……お願いします」とポピーに言われるがままに、彼女へ背を向けた。
「ドラゴンタイプに『いっぱつドカン』ねぇ……」
意味深に言葉を繰り返すチリはニヤリとした笑みをチクマに向ける。その笑みの意味がわかるチクマは「チリさん」と釘を刺すように友人の名を呼んだ。
「いややわぁ、チリちゃんは『チクマってほんま健気でかわいらし』なーんて思っただけやで?」
「なら誤解を招くような言い方はやめてください」
「誤解って……ひどいなぁ、チクマは。チリちゃん、ほんまに傷ついたわ」
わざとらしく大袈裟に身振り手振りを交えがらも、チリの浮かべる愉しそうな表情は全く変わらない。
喰わせ者な友人にチクマはこっそりとため息を吐いた。
「チクマちゃん、チクマちゃん」
「はい、なんでしょう」
「チクマちゃんはどのおいろがいいです? ポピーはとても悩んでしまって……」
眼前に差し出されたリボンは鮮やかなものもあれば淡いものもあって、確かにこれは目移りしてしまうだろう。「チリちゃんは、チリちゃんカラーの深緑がええな」の声に対しては聞こえないふりを貫くチクマが選んだのは、淡いクリーム色のリボンだった。
「では、こちらで」
「わぁ! ポピーもこれがいいと思っていましたの!」
「本当ですか? 嬉しいです」
「えー? チリちゃんカラーがええやんかぁ。チクマにも似合うと思うんやけどぉ」
「チリちゃんのおいろは今日はおやすみなのです」
ポピーはチリをあしらいつつ、リボンを手に取る。カチューシャを作るようにリボンをチクマの頭へ器用に巻いた。ビビヨン結びがびょこんと頭上にあるのだろうか。頭を揺らすたびに、垂れたリボンの端が耳に当たる。
「マホイップチクマちゃんの完成ですの!」
「さすがポピーちゃんやなぁ。ほんまかわいく仕上がっとる」
「えっへん! さあさあ、チクマちゃんも見てくださいな」
渡された手鏡には前髪の両端が黄色のヘアピンで飾られ、選んだ淡いクリーム色のリボンが頭上で揺れるチクマが映っていた。なんとなく髪がキラキラしているように見えるのは、なにかラメ入りのヘアワックスもついているのだろうか。先ほど代わりに蓋を開けたのがそうだったのかも。ピンク色の容器をチクマはぼんやりと思いだした。
それにしても。たしかにチリの言うとおり、なんだかこの格好はかわいい気がしてきた。クリーム色のリボンだって案外自分によく似合う。この色を選んでよかったなんて、都合よく思ってしまうほどだ。
礼を言うべく、チクマはポピーに向き直る。
「ポピーさんのおかげで立派なマホイップに進化できたみたいです」
「これで『いっぱつドカン』が繰り出せますの!」
ぶはっ、とチリが噴き出した音を聞きながら、チクマは苦笑を浮かべることしかできなかった。
せっかくだからそのままにしておいてほしい、とポピーに乞われれば、当然、断ることはできなくて。
ヘアピンとリボンは明日返すと約束し、チクマはこのままポピーのマホイップアレンジで過ごすことに決めた。
「にしても、自分はほんまわかりやすいな」
「…………」
「そんなふくれっ面したらもったいないで? かわいいのはほんまなんやから。このままチリちゃんが攫ったろうかな? って思うぐらいには。ま、でも……」
あの人には見られんとええな? と今日何度目かわからない意味深な笑みを宿した。そしてスマホロトムで散々写真を撮ってチリは満足したのか、ポピーと共に帰っていった。今日はもう挑戦者が来ないから待機している意味もないとのこと。
二人の帰宅を見送ったチクマは、改めてちらりと視界に映るクリーム色のリボンに意識を向ける。
「ちょっとわかりやすすぎたかな……」
でも気になったのがこの色だから仕方ない。だってあの人を一番連想しやすい色だったんだもの。
誰に聞かせるわけでもない言い訳を胸中で重ねる。自分に対しての言い訳であることを自覚しながら、チクマは「とりあえず仕事に戻らないと」と頭を切り替える。
とはいえ、このヘアアレンジの説明はどうやってしようか。良くも悪くもポピーがしたことであるとわかりやすいから、下手に言い訳しないほうがいいかもしれないな。
そんなことを考えながら、自身のフロアに戻るべく振り返り――角から曲がってきた相手とばたりと出くわした。
「おや、チクマさん」
「は、ハッサクさん!」
誰だか認識した瞬間、思わず上ずる声。途端に身体中が熱を持つ。うるさいぐらいに胸が高鳴るのは驚きのせいだけじゃない。もっと別の、明確な理由があることをチクマ自身がいやというほど知っている。
挙動不審になったチクマに首を傾げながらも彼女を彩る、自身の髪色と同じリボンにハッサクは視線を移した。その瞳の動きに気づいたチクマは血の気が下がっていく。
「あ、あのこれは!」
「みなまで言わずともわかりますですよ。ポピーの作品ですね?」
あなたが業務を放り遊びに耽ることなどしないことはわかっていますから、とハッサクは優しく微笑んだ。
それだけでチクマは何も言えなくなってしまった。コクコクと頷くばかり。そのたびに頭上のリボンが揺れる感触が伝わってくるから、余計に恥ずかしくなってしまう。よりによって、この色をこの人に見られるなんて、チクマは露にも思わなかった。
「しかしその彼女の姿が見えませんが」
「ついさきほどチリさんと帰られました」
「おや、入れ違いでしたか……」
「追いかければ間に合うかもしれません」
「いえ、大丈夫です。そこまで急ぎの用事ではないもので」
その返事にチクマの心がにわかに弾む。もう少し一緒にいられるかも、と淡い期待が顔をのぞかせた。
わずかだけとはいえ、好きな人と二人きりになれるのは嬉しい。たとえ自分が彼を連想したリボンを身に着けていたとしてもだ。きっと目の前の男はこの色の本当の意味に気づかないだろうから。
「それにしても」
じっとハッサクの視線が自身に注がれる。緊張でチクマは身体を固くなった。ドキドキと高鳴る音が外に聞こえてしまうのでは、そんな錯覚さえするほどに耳の奥がうるさい。
「なんでしょうか」辛うじて出た声にハッサクは「ふぅむ」と感嘆をもらす。
「こちらの作品は、なにか法則性があるように見えましてですね」
「えっと、マホイップの話をポピーさんとしていまして」
「なるほど、あめざいくですか! ああ、たしかにこちらのピンがあめざいくの繊細さを表現していると。ならばリボンはマホイップのフレーバーリボンということでしょうか。さすがポピー、目のつけどころが素晴らしい!」
小生、感動しましたですよ! と拳を震わせるハッサクにチクマはこっそりと苦笑を浮かべた。
まあ、そうだよね、とチクマは落胆する。ハッサクが気になるところといえば、そういう芸術的観点なところだろう。似合っているとか、かわいいとかなんて言葉は求めてはいけない。いけないのだけれども――
彼に恋する自分としては、ちょっとは欲しかったりして。
ああ、これはいけないな、とあふれ出しそうになった気持ちを抑え込む。一方的に片想いしているだけなのに。期待して、勝手に落ち込んでいる。気づいてほしくないのに、気づいてほしい。なんて矛盾した気持ちだろうか。これが恋心というヤツなのだとしたら、とても厄介だ。
ちょっと冷静になろう。どちらにしろ、いい加減戻らないといけない時間だ。この場を離れるのにはいい理由だ。チクマは結んでいたくちびるをほどき、ハッサクに言う。
「私、そろそろ戻りますね」
「ああ、引き留めて申し訳ないのですよ。――ただ最後に一つだけ」
「なんでしょうか?」
「その色のリボンを選んだのはポピーでしょうか」
落ち着いていたはずの高鳴りが再び騒ぎ出す。どうしよう、本当のことを言ってもいいのだろうか。言ってしまったら、さすがにハッサクも気づいてしまうのではないだろうか。この気持ちのすべてが。
けれど、いつになくハッサクの瞳はまっすぐにチクマを見つめていたものだから。重なる視線に呼吸がおろそかになり、つい言葉が引き出されてしまった。
「わ、私が」
私が選びました。
さすがにあなたを想ってとまでは言えない。これが精一杯。
ハッサクはその言葉を受け、少し目を見開いたかと思うと「そうでしたか」と小さくつぶやいた。すると彼の指がリボンの端にふれる。指から伝わる体温の気配を間近に感じ、チクマは息をのんだ。自分たちの間に漂う空気に重さが含まれた。そんな感覚がチクマの肌をなめる。
「この色は、チクマさんの髪によく似合う」
静かな声だった。けれども熱い、ハッサクらしい声がチクマの耳に入りこむ。
「とてもお綺麗ですよ」
確かめるように男の指の腹が、リボンを撫でた。
細くなる金の瞳がチクマを捕らえる。注がれる熱いまなざしを受け取れば、チクマはもう降参だった。
「わ、私、戻ります! 怒られちゃいます!」
「ならばその時は小生を呼んでください。説明に伺いますですよ」
「はい」だか「わかりました」をしどろもどろに叫んで、チクマは走っていく。その背中に「廊下は走ってはいけませんですよ」とハッサクは声をかけた――が彼女には届いていないだろう。それほどまでに彼女が駆けていったスピードは速かった。臆病な野生ポケモンと遜色がないほどに。揺れたリボンの残像が、余計にそれを彷彿とさせた。
ハッサクは彼女の姿が消えたことを確認し、大きく息を吐きだす。てのひらで顔を覆い、眉根を寄せた。伺えるのは自身を責める後悔の色。喉奥から呻き声がもれる。
「小生もまだまだ未熟……」
もしも言い訳が許されるのならば。
チクマのまっすぐな好意はハッサクにとってあまりにも眩しくて。つられるように、手を伸ばしてしまったのだ。年上として、教師として、人生の先達として。その行動は決して褒められたものではなく、冷静になった自身の理性も『NO』を示している。
けれども彼女の持つ熱が、確かにハッサクの胸の内を焦がしたのも事実。チクマがハッサクの心を動かしたのだ。その胸に宿す想いだけで、ハッサクの奥底に眠る感情を揺さぶった。
「まったく、これだから若い方は油断ならないものですよ……」
揺れるリボンの軌跡を振り払うかのような苦しい声は、誰にも聞かれることなく静かにほどけ、消えていった。