ホリデーシーズンはリーグも休暇に入る。忙しい職場だけれど、なんだかんだ福利厚生はしっかりしていると思う。……一部を除いて。四天王兼ジムリーダーであるあの人の顔が、ついつい浮かんでしまうのは悪い癖だ。
そんな(一部を除いて)福利厚生がしっかりしているとしても、さすがにリーグ本部をからっぽにすることはできない。結局、持ち回りで誰かが待機できるようにしている。その分手当も出るけれど、カレンダー通りのお休みというわけではない。
それはホリデー当日にもあてはまる。「今年は誰が当番をするか」なんて話があがったのが先月のこと。誰が……と目配せが始まる前に、恋人も自身の家族も持たない私は自ら立候補した。こうして毎年すんなりと私の当番で決まるのだけれど――さすがにここ数年、毎回この日に私が当番になるものだから、上司や同僚が「今年はチクマは休んでいいんだぞ」と声をかけてくれた。
気遣いはありがたい。ありがたいけれども! この日ばかりは私に出勤させてほしいのだ。「大丈夫ですから! むしろ出たいです!」と半ば無理矢理にでも出勤をもぎ取ることになってしまった。
「チクマ、いいのか? 今からでも変わるぞ」
「本当に大丈夫ですって! 私の都合ですから、気にしないでください!」
最後まで気にする上司を送り出したのは昨日のこと。苦難を乗り越えてなんとかもぎとったホリデー当日の出勤。いつも人が多いフロアには私しかいない。がらんとしていて、どこか寂しげだ。けれども私の気持ちは軽やか。自身のデスクに座って、パソコンを立ち上げる。
――実のところ、私が毎年この日に出社したがるのは理由がある。しかも超個人的な。だからあそこまで上司に気を使ってもらうことはないのだ。むしろ、あんなに申し訳なさそうにさせてしまったことに、罪悪感さえ抱くぐらい。
そろそろかも、とメールを打つ手を止める。ちらりとモニターの端に映る時刻を確認。うん、毎年この時間あたりからだし、ちょうどいいはず。
席を立って、まず向かうのはお手洗い。大きな鏡で髪とメイクを整える。跳ねた毛先と格闘していると、ふいにピアノの旋律が届いた。まずい、もう始まった! 仕方ない、この毛先は諦めよう。
私の足は迷うこと無く目的地へと進んでいく。比例して、聞こえる旋律がどんどん近づいてきた。ドキドキと心臓がうるさいのは早足になっただけじゃないことは、私が一番よく知っている。
ようやく着いた目的の部屋。息を整えるが、中には入らない。ドアの近くの壁に寄りかかり、流れるピアノの音に耳を傾けるだけ。
奏でられるホリデーソング。音楽のことはよくわからないけれど、響く音は力強く、どこか繊細にも感じる。それはまるで――
「ハッサクさんみたい」
奏者をそのまま表現するような音色。毎年、ハッサクさんはこの日だけ、この倉庫にしまわれているピアノでホリデーソングを弾く。ちゃんと自分で調律もしているようだ。その演奏を聴くのが、密かな私の楽しみであり、ホリデー当日に出勤をする理由。この日にしか聞けない特別な人が奏でる、特別なピアノの音が聴けるのなら、仕事なんて楽勝だ。
何曲か奏でられたのち、ふいに音が止んだ。……なにかあったのだろうか? わずかな不安が胸を過ぎる。迷ったがやっぱり中を確認しようと決めた、そのとき。立て付けの悪いドアが軋みながら、勢いよく開いた。驚いた私の喉がヒュッと鳴る。
「まったく、あなたはまたそんなところで聴いていたんですか」
「は、ハッサクさん……!」
「小生が気づいていないとでも?」
眉根を寄せ、トントンとこめかみを叩く、いつもの彼の動作。まるで怒られているようだ。……いや、実際怒られているのかもしれないけれど。申し訳なさについ身体が縮こまる。
「こっそり聴いていて、すみません」
頭を下げ謝罪すると「ええ。まったくです」と重い声が降ってくる。ますます申し訳なさが募ってしまった。迷惑になっているなんて、思いもしなかった。自分のことばかり考えていた。
叱られても、怒られても仕方ない。次に来る言葉に身構える。
「聴くのなら、近くでお聴きなさい」
今年はチクマさんの分の椅子も用意していますですよ。
「え?」
「毎年、こんな寒い廊下で聴いているぐらいなら中に入りなさいと常々思っていたのですよ。小生には女性をほったらかしにする趣味は無いものでしてね。――さあ、手を」
先ほどまでの重い雰囲気はどこへやら。ハッサクさんは表情を緩め、私に中へ入るよう促してくる。重ねられた手。自然なエスコートについ背筋が伸びた。
少しほこり臭い部屋の中には先客であるコロボーシが。本当に用意されていた椅子に私を優しく座らせると、ハッサクさんはピアノの前へと戻り、鍵盤に指を置く。
「リクエストは?」
「え、えっと……」
「無ければ小生が決めても?」
「はい! よろしくお願いします!」
「では」
真剣な眼差しと年齢を重ねた横顔。揺れる金の髪。長い指が鍵盤の上を踊る。ハッサクさんの姿に私は目が離せない。ピアノに合わせコロボーシもコロンコロンと優しい音色を響かせはじめた。穏やかで優しい音楽が部屋に満ちていく。
――私は来年も、この日の仕事に立候補してしまうだろうな。だってこんな贅沢、誰にも渡したくないんだもの。