ペパーとチクマが放課後に勉強会をするようになってしばらくが経つ。
生徒会副会長でもあり同じクラスの秀才、授業の出席率も二重丸、加えてクラス委員長。そんな真面目を絵に描いたようなチクマに先日、ペパーが「勉強を見てほしい」と頭を下げてきたのだ。彼の単位の危うさを知っていたチクマは二つ返事で了承。そうして放課後に勉強会が始まった。現在は目下、タイム先生の補修テストに向けて勉強中である。

「……うん、これも合ってる」
「本当か!? よっしゃあ!」
「けど次の問題が間違ってるかな」
「はあ!? なんだよ、ぬか喜びちゃんかよぉ」

がくんと落ち込み、項垂れるペパーにチクマは「少し休憩しようか」と声をかけた。間違った問題の復習は休憩後ということにしよう。気分転換も重要だ。
窓の外からはゆるやかな風が吹き込んでくる。それに乗って生徒やポケモンたちの声も。風のせいで少し乱れた髪を手櫛で整え、チクマはペパーに尋ねた。彼女がずっと気になっていたことを。

「ネモさんじゃないんだね」
「……? ああ、勉強のことか」
「そう。ネモさんだって優秀だし、二人は仲がいいでしょう?」

生徒会のつながりもあってチクマはネモのことをよく知っている。数少ないチャンピオンクラスのトレーナーであり、成績も優秀。なにしろ一年生で生徒会長に抜擢されるほどだ。チクマもネモの聡明さ、思慮深さはよく知っている。行動力がありすぎるのと、思い込み一直線なところがたまにキズだが。

そしてここ一年様子がおかしかったペパーが、ネモをはじめとした一年生たち(しかもさまざまな意味で目立つ)と交流を深めるようになってから、明るい表情を取り戻してきたことにもチクマは気づいていた。同じクラスの一員として彼を心配していたし、実際に声をかけたこともある。その時は軽くあしらわれてしまったが。

だから、というわけではないけれど。勉強を頼むのだって、仲のいい彼女たちのほうがいいのではないか、自分ではなく。だってその方がいろいろと質問だってしやすいだろうし、リラックスして勉強できるはず。そんな思いがずっとチクマの心にあった。声をかけたあの時、ペパーが瞳に宿していた冷たい光が忘れられずにいるから、余計に。

ペパーはチクマの問いに視線をさまよわせ、ぶっきらぼうに答えた。

「ちょっと前にオレ、委員長にひどい態度取っただろ」
「そんなこと」
「いいよ、気ぃ遣わなくて」

机に項垂れていた彼は居ずまいを正す。つられて、チクマの背筋も伸びた。先ほどとは打って変わって、まっすぐな視線が彼女を射抜く。「言い訳になるけど」とペパーは言った。

「オレ、あの時余裕なくてさ」
「うん」
「でも声かけてもらったのはスゲー嬉しくて。だから勉強しなくちゃって思った時に、委員長のことが一番に浮かんだんだ。委員長ならきっと助けてくれるって。我ながら都合のいいこと、言ってるのはわかってるんだけど……」
「嬉しいよ」
「え?」
「私、ペパーくんに頼ってもらえて嬉しい。力になれて嬉しいよ」

チクマの本心だった。
同じクラスメイトとしてペパーが心配だったけれど、自分はなにもできないだろうことはなんとなくわかっていた。しかも彼が抱えている問題は話を聞くだけでは解決できないことも、同時に。あいにくと自分はポケモンの腕は芳しくない。一緒に行動できるような強さは無かったのだ。
けれども、代わりに。こうして勉強の方面で彼の力になれた。それが嬉しい。

「委員長……」
「でもそうだよね。一年生のネモさんに勉強教わるのはちょっと気まずいよね」
「まあ、それも、ちょっと……アリマス」
「だよねぇ。『これがわからないなんて』とか言われたら、すごい落ち込むもん」
「うっわ、ボタンが言う姿が目に浮かぶちゃんだぜ」
「なら言われないように頑張らないとね」

それが休憩終わりの合図になり、二人は再び勉強を始めた。
夕陽が落ち、夜の静けさが訪れるころ。閉校のチャイムがなる間際、ようやく本日の勉強会が終わった。解放感からか、ペパーは大きく息を吐く。一方で、チクマは教科書をペラペラと捲っていた。

「テスト範囲はばっちりだね。明日は次の範囲も予習しておく? 念のためもう一回復習しておく?」

それとも授業に追いつくための予習にしたほうがいいのだろうか。悩みながらペパーの返事をチクマは待つが、なかなかその答えが返ってこない。あれ? と彼女が教科書から顔をあげると、ペパーはぽかんと目を丸くしているばかりだった。

「委員長、明日は休みだぜ?」
「……え、え!? あれ、明日ってそうだっけ!?」

毎日勉強していたら気も滅入るし続かない。だから授業が休みの日には勉強会も休もう。
それは最初にチクマから提案したことだった。ちゃんと毎週、そうやって休息日を設けて繰り返している。だからペパーもメリハリをつけて勉強ができた。けれど先ほどの自分の頭からそれがすっぽりと抜けて落ちていたのだ。途端に羞恥で顔が熱くなる。ペパーのじっとした視線を感じ、さらにチクマの中で恥ずかしさが増していった。

「ご、ごめん! なんかペパーくんと放課後いつもいるのが当たり前になっていたというか」
「――当たり前?」
「やだ、そこ拾わないでよ! だって、こうしてほとんど毎日一緒にいたらさ、つい当たり前に思っちゃうでしょ!?」

本当に、本当にぽろっともれでた言葉だったのだ。明日も明後日も、これからも。少なくとも補修テストが全部終わって、単位取得が落ち着くまで。ペパーとの勉強会は続くのだ。それがチクマの日常になっていた。だから気の緩んだタイミングで言ってしまった。ただそれだけのこと。

「――いいな、それ」
「え?」
「なんでもない。委員長がやる気マンマンちゃんなら、明日も勉強会するかぁ」
「っ! お休み! 明日はお休みです!」
「はは、委員長、顔まっかじゃん」
「もう、ほら帰るよ! 明日はお休みなんだから!」

てきぱきと勉強道具を片付け、さっさと教室を出ていこうとする後ろ姿をペパーは慌てて追いかける。声をかけてもわざとらしいツンとした表情を崩さない、でも耳は赤いままのチクマを見てペパーは笑い、またチクマに怒られるのだった。





「はあ……」

重いため息がペパーの口からもれた。くるりと回すペンはいっこうにノートを走らない。今日の勉強会にチクマがいない。それだけでやる気が落ちている。最初こそチクマがいない間に勉強を進め、彼女に成果を見せようと息巻いていたのだが、そう長くは続かなかった。

チクマは生徒会室の整理だか、掃除だかに行ってしまった。ネモもその予定だったがリーグからの呼び出しが来たようで、チクマに平謝りしていたっけ。学園最強大会をはじめ、学園の行事は生徒会が中心に開催される。その片付けや準備があるのかもしれない。いつものお礼に手伝おうか、と提案したが「すぐに終わるから、大丈夫」と断られてしまった。

「頼ってくれりゃいいのに……」

そうすれば今日も一緒にいられたのに、なんて言葉を吐き出す前に飲み込む。
ちらりと、本来はチクマがいる場所にペパーは視線を向けた。そこにいつもの姿はない。寂しさとはまた違う感情が身体の奥にたまっていくようだった。『いるのが当たり前』と言ったのはチクマのほうだ。けれど彼女から今日は離れていった。「すぐに終わるから、大丈夫」チクマの声を思い出すたびに、無意識に胸が燻っていく。

何度目かわからないため息が彼の口から出た。なんとなく暗い気持ちになっていると、さすがにペパー自身も自覚があった。気分転換に購買にでも行くか。ついでにチクマに何か差し入れでも、とペパーが席を立とうとした、そのとき。音を立てて教室のドアが開く。

「おや、貴様だけか? チクマは?」
「レホールせんせ?」


アカデミーに通ってからペパーは初めて生徒会室に来た。教室より一回りほど狭いそこからは、うっすらと話し声がする。チクマの声だ。
ペパーは軽くベストの襟を整え、ドアのノックをする。「はーい」の声と共にドアが開く。

「あれ? ペパーくん?」
「よ、よう。委員長」
「どうかしたの? もしかしてわからない問題でもあった?」
「さすがにそれだけでここには来ないちゃんだぜ……。そうじゃなくて、レホールせんせが探してたんだ」
「私を?」
「提出物、出てねえってよ」

そこまで伝えるとチクマも思い至ることがあったのだろう。「あ!」と声をあげた。
教室に来たレホールはチクマを探していたのだ。この時間は教室でペパーと勉強会をしていると知っていたらしい。しかし肝心のチクマはいない。「なら、いい」と立ち去ろうとしたレホールを呼び止めたのはペパーだった。ちょうどチクマのところに行くから伝言する、と。

「今日提出だっけ、すっかり忘れてた……」
「委員長、たまに間抜けちゃんにするよな」
「いつもは期日守っています! ともかく、ありがとうペパーくん」

チクマはペパーに礼を言うと背を向け、生徒会室内に戻る。その動きにつられ、彼女の行く先にペパーも視線を向けた。室内にいたのは一人の男子生徒だけ。二人は「ごめん、少し出てきます。すぐ戻るから」
「了解です」と会話をしている。その様子から男子生徒も生徒会メンバーであろうことが伺える。

けれどペパーにとってそんなことはどうでもよかった。胸に燻っていたなにかが、身体の奥に積もっていた感情が、自身に迫ってくるようだった。

――オレはチクマと一緒にいられなかったのに、オマエはいられたんだな。

チクマはバッグから取り出したノートを片手に「ペパーくん、本当にありがとうね」と再度礼を口にしながらペパーの横を抜けていく、その腕をペパーは衝動のまま掴んだ。

「チクマ」

驚き、自分を見つめる。そのチクマの新鮮な表情にペパーはそっと目を細めた。
じわりと心に滲む感情。独占欲という名のそれにまだペパーは気づかない。

「職員室だぜ。間違えるなよ」
「う、うん……」
「チクマはたまにお間抜けちゃんになるからな!」
「な、ならないから!」

チクマは今度こそ、職員室に向かう。少し駆け足なのはレホールを待たせているせいか、それとも別の理由があるのか。その背を見送って、ペパーは生徒会室にいる男子生徒に声をかけた。

「なあ、頼みがあるんだけど」



レホール先生からは少し注意をもらいながらも、提出物を渡せたチクマは生徒会室に戻るべく、廊下を歩く。急がなくては、と思いつつも、なんだか足が上手く動かせないでいた。

「名前、びっくりしたな……」

だって、いつも『委員長』と呼ばれていたから。
チクマとしては別にそれで構わなかった。他のクラスメイトだって同じように呼ぶ。学生の間だけに許された愛称をチクマは気に入っていた。
だからこそ。ペパーが名前を呼んだことに驚いた。聞きなれた響きが少し特別に感じるほどに。

「チクマ」

噂をすればカゲボウズ。ペパーがこちらに向かってきている。彼の手にはチクマのバッグがあった。生徒会室にそれは置いてきたはずなのに。

「片づけ終わったから、アイツと解散してきた」
「終わった!? もしかしてペパーくん、手伝ってくれたの!?」
「ああ。あと少しだってアイツから聞いてさ。ならチクマを待っている間に片しちまおうって」

はいこれ、とバッグを渡す。気づけばペパーもいつものリュックを背負っていた。雑誌とのコラボグッズだとチクマに教えてくれた、あの大きなリュックを。

「今日はさ、このまま一緒にテーブルシティで買い食いちゃんしようぜ」
「え、ええ?」
「勉強は明日、今日の分も頑張るからさ! チクマがいたほうが捗るんだ、オレ」

返事を聞かず、ペパーは彼女の手を取る。急に握られた手に驚いているチクマにペパーは目を細め、そっと指を絡めた。離さないと、言わんばかりに。





先日の補修テストを終えて、ペパーとチクマの放課後勉強会は終わりを告げた。
今日はテストお疲れ様会を開く予定である。主催はもちろんネモをはじめとした彼の友人たち。それにチクマも誘われたが彼女は丁重にお断りした。仲のいいメンバーの中に入るのは憚られるから、と。それと理由がもう一つ。ちょうどペパーのテストが終わったその日、チクマの引き出しの中に一通の手紙が入っていたのだ。

そこには日時とグラウンドに来てほしいという一言だけが、簡潔に書かれていた。用件は一切ない。
見慣れない字とアナログな方法。あいにくとチクマに差出人の心当たりはない。かといってすっぽかすつもりもチクマにはなかった。ただ万が一のことを考えてモンスターボールだけは持っていくことにはするが。

グラウンドはほどよく生徒がいて、バトルコートではポケモンバトルをしているようだった。技の熱波、応援の声がチクマにまで届いてくる。

「まさか勝負しようってことじゃないよね……」

あいにくとチクマはポケモンバトルが苦手だ。その挑戦だとしたら断ろう。というか果し合い状なんて、ネモでもしないだろう。でも他の候補はいったい? まさか、と思いつくことがあったが、首を振ってその考えを追い出す。

「こ、告白なんて、私に限ってそんなこと」

チクマだって年頃の女子生徒。流行りの恋愛ドラマはチェックしているし、友人に勧められた少女マンガだって読む。手紙で呼び出して愛の告白なんて使い古された、けれども王道のパターンだ。
どちらにしろあと少しでそれもわかる。ドキドキと鳴る胸を深呼吸で必死に落ち着けた。

ガサリ、と芝を踏む音が耳に届く。思わずチクマは振り返った。え、と声がもれる。

「ペパーくん?」

そこにいたのはペパーだった。今頃、打ち上げをしているはずの。そっと目を細めた彼は当たり前のようにチクマの前に立っていた。
なぜここに? その疑問を口にしようと、一歩、チクマは近づいた。
それを待っていたかのように、ペパーは動く。

「!?」

抱きしめられている。ペパーに。そのことをチクマが気づくのに時間はかからなかった。
慌てる彼女を閉じ込めるようにペパーは抱きしめる力を強める。離さないと、言わんばかりに。
しばらくして、ようやくチクマは解放された。頬を染めながら言葉を探すその様子を見て、ペパーは嬉しそうに笑った。

「チクマ、顔、まっか」

すげぇかわいいちゃんだな、とペパーは赤くなっている彼女の耳もとに囁いた。
びくりと身体を震わせるチクマにまた「かわいい」と呟く。吐息がふれる距離。異性とそこまで近づいたことのないチクマはパニックだった。体温も、呼吸も、耳をくすぐる髪の先も、近すぎる。視界は全てペパーで埋まっている。
ペパーはそっと目を細めた。

「行こうぜ。オレ、やっぱりチクマが一緒にいないといやでさ」
「――て、てがみは」
「ん?」
「手紙はペパーくんがくれたの?」

でもあの字はペパーのものじゃなかった。彼の字は傍で見ていたからわかる。
となると、この手紙の持ち主を自分は待たなくてはならない。ふらふらの頭で辛うじて考えたそれに、ペパーは「ああ、あの手紙」と何かを思いだしたようだった。

「あれはもうすんだから大丈夫だ。それよりも、ほら、行こうぜ。アイツらもお待ちかねでさ!」
「え、ちょ、ちょっと!」

先ほどペパーは「もうすんだ」と言っていた。
つまりこの手紙は自分を呼び出すことが目的だったのだろうか。でもなぜ? 打ち上げの参加を断ることを予想されて、先に根回しされた? 確かに、こんな風に呼び出されたのなら、自分は確実に捕まってしまう。――抱きしめる必要があるかは別として。
けれどももし。もしもこの手紙の送り主が別にいるのなら。チクマは視線をグラウンドに走らせようとした。しかしその前にペパーが一歩、歩き出す。当たり前のようにチクマの手を引いて。

「あいつら腹ペコちゃんたちだからな。サンドウィッチもスナックも食われちまってるかも。でもチクマの分は別にわけてるからな。オレ特製サンドウィッチ! うまいから期待してくれよな!」
「それはありがとう……?」

出口へ真っ直ぐ進む、その足取りに淀みは無い。
最後にこっそり。グラウンドを出る間際、チクマは自身の背後をちらりと盗み見た。
その視界には遠くで一人、ぽつんと佇む男子生徒がいた。――いたのだが。チクマがその男子生徒を認識する前に、グラウンドへ続くドアは閉ざされてしまった。

ペパーの手によって。



視界にいれるは一人だけ
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