私の世界には音楽とポケモンと、幼なじみさえいればいい。これが逃避であることはわかっている。けれども私にはそれしかいらなかった。欲しいとも、思わなかった。
ギターを弾く手を止めると、すぐにパチパチと拍手の音が響く。ヘッドホンを取ってその音の鳴る方を向けば案の定チリがそこにいた。スタジオの壁にもたれていた幼なじみは「ほんまうまいなぁ」といつものように笑った。
「声、かけてくれたらよかったのに」
「ムリムリ。チリちゃん、チクマのギターが好きやもん。中断なんてできひんて」
でも、とチリはゆっくりとこちらに向かう。空いた椅子を示せば「おおきに」とそこへ座った。長い足を持て余しながらも、チリは静かに口を開く。
「だいぶ、音、荒れとるやん」
「……チリには敵わないな」
「ソウブレイズ、まだ調子戻らんの?」
「……うん」
出かけたため息を飲み込んだ。だって私が落ち込んでいる場合じゃないから。
私の一番のパートナーであるソウブレイズは、この前から調子を崩している。どうにも具合が悪そうで彼の美しい炎にも翳りが見えていた。病気ではないのが救いだけれど、同時に原因がわからないのも事実。ジュンサーさんが首を傾げる姿は記憶に新しい。
だから、最近の私はずっとそのことばかり考えていた。ギターを弾いていても、歌っていても、頭の片隅に相棒の姿が過り続けている。
「ごめん。チリも四天王やリーグの仕事で忙しいのに、弱音ばかりで」
「逆に隠された方がチリちゃん怒るで。……はよ治るとええな」
「ありがとう。ツアーも始まるしね。ソウブレイズも楽しみにしていたツアーっていうのもあるけど、ファンのみんなもあの子のこと待っているだろうから……」
私は歌手として活動をしている。得意なギターの弾き語りと、手持ちのポケモンたちのパフォーマンスでステージを盛りあげるのだが――そのメインを担うのが一番の相棒であるソウブレイズだった。
けれども今の状況ではソウブレイズをステージに上げるわけにはいかない。私だってソウブレイズがいてくれたほうがいい。そのほうがリラックスして歌えるから。でも一番大事なのはあの子の体調だ。無理してまでパフォーマンスをしてほしくない。今だって具合が悪いのに、そこからさらに悪化したら……。想像するだけでおそろしい。
無意識のうちに私は思い詰めた表情をしていたのだろう。チリは私に近づき、そっと頭を撫でてきた。
「一人で思い悩むクセだけは、昔っから治らんなぁ」
「チリ……」
「あんな、もしかしたらソウブレイズのこと、わかるかもしれんねん」
「え!? どういうこと!?」
「チリちゃん、四天王しとるやろ? うちんとこの大将に軽く相談したんよ。『幼なじみの手持ちポケモンが参ってる』って。そしたら、ポケモンの生態に詳しい人を紹介してくれはるってさ」
病気ではないのなら。そもそもソウブレイズ≠ニいうポケモンが持つ特有のなにか≠ゥもしれない。たしかにその可能性はありうる。しかもチリが言うには、その人は以前、ポケモン研究をしていた人だというのだ。
暗い闇の中、一筋の光が見える気持ちだった。
ツアーに間に合わなくてもいい。ただソウブレイズが元気になってくれたら、それでいい。その想いだけで私は「お願い!」と叫んでいた。
しかし、チリの表情は晴れない。それどころか何かを言い渋っているようだった。さすがに長い付き合いだ。彼女は不安になっている。でもなんで?
「チリ?」
「……紹介するのはかまへんねん。ただ、その人がなぁ。ガッコの先生なんよ」
「!」
「っ、チクマ!」
「だ、だいじょうぶ。大丈夫だから」
浅くなる呼吸を意識して深く繰り返す。
いやな跳ね方をする心臓を必死に落ち着かせていると、チリは背中をゆっくりとさすってくれた。そしてゆっくりと説明をはじめる。
その人はアカデミーの先生なのだという。元はポケモン研究をしていたから実力は折り紙付き。ただどうしても『先生』であるから、あまり教室を空けられないとのこと。
なので、もしも。もしも、その人に会うのなら。私から行かなくてはいけない。『学校』に。
「どないする?」
「……行く。少しでもソウブレイズがよくなるのなら」
「わかった。チリちゃん、ほんまはすっごく心配やけど、チクマの気持ちを優先したる。諸々はこっちから連絡しとくわ。いつ空いとる?」
私たちはスケジュールを確認すべく、スマホロトムを呼び出した。
*
パルデア地方が誇る歴史あるアカデミー。なんだかんだ私はここに初めて来た。広いエントランスには所狭しと本が詰められている。そのはじっこ。なるべく目立たないところで私は件の人――ジニアさん――を待っていた。
本当はチリも付き添ってくれると言ってくれたのだが、私が断った。忙しいチリを私用に付き合わせるわけにはいかない。
「え!? うそ、チクマのツアー当たったの!?」
「そうなの! 後ろの方の席だけどね。観られるだけラッキーだよ」
急に出された自分の名前に思わず肩が跳ねた。
ちらりとそちらを伺えば女子生徒が二人、おしゃべりをしている。今の内容からすると、私のファンだったり? なら、嬉しい。重かった心が少し軽くなる。話しかけたいけれど、今の私はオフ。それにチリから「チクマがいることで周りがパニックになったら、ガッコにも迷惑かかるやろ」と釘を刺されている。慣れない変装もそのためだ。いつもと違う髪色のウィッグはどうにも変に思えてしまう。
しばらくすると一人の男性が近づいてきた。くたびれたシャツと白衣。ふわふわに跳ねた髪の毛と印象的な眼鏡。予め教えられていた特徴と一致する。彼がジニアさんだろう。
ジニアさんは私に迷うことなく一直線に向かってきて、ふわりと笑った。
「どおも、お待たせしましたあ」
「あ、いえ」
「とりあえず場所を移動しましょうかあ。会議室を借りていますから、そこで」
案内しますね、と先導するジニアさんの後ろを着いていく。
そしてわかった。どうやらこの人はすごく生徒に慕われている先生らしいことに。「せんせー、あとで図鑑を見せに行くね」「わあ、楽しみにしてまあす」なんて会話を何度聞いたかわからない。そもそも生徒たちはみんないい子のようで、ジニアさんに挨拶するだけではなく、私にだって丁寧に挨拶をしてくれる。
――私が学生のときも、この子たちのような生徒ばかりだったらよかったのに、なんて。
通された会議室は想像以上にがらんとしていた。大きな機械が設置されているのが目を引く。あれがソウブレイズのことを診てくれる機械なのかもしれない。
ジニアさんは私を会議室に案内してから、また出ていってしまった。来る途中で相談に来ていた生徒の話を聞くために。けれども彼はすぐに帰ってきて「すみません」と頭を掻いた。
「みんなにはお客様が来るから、今日は忙しいって伝えてはいたんですけどお」
「お気遣いいただきありがとうございます。でもお邪魔しているのは私のほうですから」
「えへへ、そう言っていただけると助かりまあす」
こほんとジニアさんは咳払いをして、改めて私に向き直る。
「改めまして。生物学を担当しています、ジニアです」
「チクマです。この度はお時間を取っていただきありがとうございます」
「いえいえ! ぼくでお力になれることがあればいいんですが。では早速、ソウブレイズを拝見してもよろしいでしょうかあ?」
ソウブレイズの入ったボールを渡す。途端に先ほどの柔和な雰囲気は一変し、緊張感が走った。彼は真剣な眼差しでボール越しに観察すると「失礼します」と私に断りを入れ、ソウブレイズを出した。
「ゆっくりでいいですから、こちらに座ってもらえますかあ?」
機械に備え付けられた椅子にソウブレイズが座る。ジニアさんは機械を操作し、モニターに表示される数値をメモしているようだった。その内容は私にはわからない。ただ彼が時折呟く「ああ」や「ここが……」の声を聞きながら、ハラハラと見守ることしかできなかった。
長い時間――少なくとも私はそう感じた――を経て、ソウブレイズの検査が終わったらしい。ボールを戻したジニアさんが「チクマさん」と声をかけてくる。
「なんでしょうか」
「ポケモン勝負をしましょう!」
「……え? でもソウブレイズは調子が悪くて」
「グラウンドのコートは生徒がいるから難しいかなあ。生徒にも大人気なチクマさんが学園に来ているなんてことがバレてしまったら、みんなが会いに来ちゃいますからねえ。いくらチクマさんが変装をしてきたとしても、ソウブレイズでバレちゃうだろうしなあ」
「じ、ジニアさん!」
「屋内コートでやってもいいかなあ。今の時間ならそんなに生徒もいないはず」
私の呼びかけが聞こえていないのか、ジニアさんは会議室の内線で誰かに電話をかけはじめる。何度かやりとりをしたのち、受話器を置いた。
「屋内コートの許可がおりました。さ、行きましょうかあ! 使用ポケモンはソウブレイズのみで。ぼくも一匹だけにしますねえ」
「ちょ、ちょっと! ソウブレイズは調子が悪いって何度も――」
「大丈夫です」
にこりと、ジニアさんは笑う。その笑みは自信に満ちていて、私を説得するには充分なほどだった。
そしてどこか優しさまで感じる。
「ぼくを信じてください」
結果として。強制的に行われたポケモン勝負は私が勝った。「いやあ、チクマさん、おつよいんですねえ」とにこにこ顔のジニアさんも充分強くて、いくどもひやりとさせられた。そしてソウブレイズはというと――
「げ、元気になってる……?」
まだ本調子ではなさそうだけれど。勝負をする前よりずっと体調がよさそうだ。自慢の炎も美しくゆらめいている。ソウブレイズ自身もなぜかわからないようで、じっとジニアさんを見つめていた。
「ああ、やっぱり。ソウブレイズは少し負のエネルギーを吸収しすぎちゃったのかあ」
「負のエネルギー?」
「たまに起きるんです。ソウブレイズが纏う鎧は怨念が染みこんでいるのはご存知ですよね?」
「はい。進化条件ですから……」
「だから、というわけではないんですけど、さまざな負の感情をためこんじゃうんです。ソウブレイズ自身も気づかないうちに。そうした感情が積み重なって、いつの間にかキャパオーバーしてしまったんでしょう」
まだ研究段階の生態ですけど、とジニアさんはソウブレイズの身体、もとい炎を観察する。
「炎の出力も改善していますねえ。これなら大丈夫。今後は定期的にガス抜きをしてあげてください。ポケモン自身も制御できないチカラの放出は、ポケモン勝負で発散させてあげるのが早くて確実ですから」
確かに言われてみれば。ポケモン勝負をしたのはだいぶ前のことだ。たまにチリと勝負することはあったが、最近はお互いに忙しく、私もツアーのことがあったからすっかりご無沙汰にしていた。学生時代の延長のあれがまさかソウブレイズのためになっていたなんて。
肩の力が抜けていく。原因がわかるだけでこんなに安心するなんて。詰めていた息を吐きだしてジニアさんに頭を下げた。
「本当にありがとうございます!」
「いえいえ、お力になれてよかったです! それにしても、がんばりましたねえ」
「はい。負のエネルギーだなんて辛かったでしょうに。よく今まで耐えてくれました」
「ソウブレイズももちろんですけど、チクマさんも」
「え? 私ですか?」
「はい。そうです。チクマさん、今までよく頑張りました。学園にいるのも、来るのも、本当はすごくしんどかったんでしょう?」
「っ、なんで、知って……」
思わず声が震えた。チリが教えたとは思えない。そういったプライベートなことを私に確認せず、誰かに話すような幼なじみじゃないから。
ジニアさんは優しい光を瞳に宿しながら「わかりますよ」と微笑んだ。
「ぼくは先生≠ナすから。ちゃあんとわかります。チクマさんがずうっと頑張っていたことぐらい」
「…………!」
もう耐えられなかった。私の中で堰き止めていたナニカが決壊し、涙となってあふれでる。
そうだ。そうだったんだ。自分自身でも気づかなかったけれど、私はずっと先生≠ノそう言ってほしかった。「よく頑張ったね」と。
――きっかけは今思い返しても幼稚なことだと思う。でも子供の世界にはそれが全てで。「かわいいから」「スタイルがいいから」「珍しいポケモンを連れているから」「勝負が強いから」。なんてことはない、ちょっとした理由で私はいじめられていた。味方をしてくれたのは幼なじみのチリだけ。クラスメートも先生もみんな、私の敵。チリだけが唯一の味方。私の学生時代は思い出したくもない暗い色で染められている。
「あれからだいぶ経っても学校≠ニいう場所にトラウマがあって。この学園でいじめられたわけではないとわかっていても、どうにも……」
「それでもチクマさんはここに来ました。ソウブレイズのために。そういう行動はなかなかできるものではないですよ」
泣き続ける私にジニアさんは言う。
「あなたはとても強い女性です。そんなあなただからこそ、ポケモンたちも応えてくれたんですねえ」
そうなのだろうか。そうだったらいい。ボールに戻ることをしないソウブレイズは美しい炎を揺らめかせ、私を見つめる。そして静かに頷いた。
それからジニアさんは丁寧に「これから気をつけなければいけないこと」「起こるかもしれないこと」を丁寧に教えてくれた。迎えのタクシーを待つ、ほんの少しの空いた時間。それを使って私はジニアさんにずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「そういえば、よく私だってわかりましたね」
「最初のときですかあ?」
「ええ。我ながらぱっと見ではわからない変装をしていたと思ったんですが」
けれどジニアさんにはすぐにばれてしまった。彼はまっすぐ私に向かっていた。つまりそれは『私』が『チクマ』であることに気づいていたことに他ならない。
「そうですねえ。仕事柄、観察力が鍛えられているからかもしれませんけど……」
チクマさんがとても素敵な方だから、自然と惹かれちゃったのかも。
「なんて、ね」
「え……?」
「あ、タクシーがきましたよお! 運転手さーん、こっちでえす!」
聞き返したくてもタクシーを待たせるわけにもいかず、なにより彼が思いの外強い力で私をタクシーに押し込むものだから、私は大人しく帰路につくことしかできなかった。
***
アンコールの声が響く。額から流れる汗をぬぐい、ソウブレイズに笑いかける。
「いこっか、ソウブレイズ! ツアー最終日、本当の本当にラストの一曲!」
応えるように彼の炎が揺らめいたのを確認し、私たちは再びステージにあがる。途端に割れんばかりの歓声に包まれた。あれからソウブレイズはすっかり調子を取り戻し、他のポケモンたちのコンディションも別格。ツアーも無事最終日を迎えることができた。
最後の一曲はツアー用に書き下ろした曲だ。いわゆる新曲である。ギターの前奏を奏でると、ソウブレイズが大きく跳躍をし、美しい炎を揺らめかせた。それを合図に四方からポケモンたちが飛び出す。
私はポケモンたちが揃ったのを確認し、大きく息を吸って、歌う。想いの全てを込めて。このツアーにわずかな悔いも残したくなかった。
だからきっと、見つけられたのだろう。招待席にいるあの人の姿を。見つけたい、と強く思っていたから。
私はお世話になった人をいつもライブに招待する。チリは言わずもがな。今回は彼女に加え、チリの同僚の四天王さんとジニアさんも。チリの隣にいる金髪の男性がチリの言う『うちらの大将』さんなのだろう。なんか号泣しているように見えるけれど、まさかね。
その横にはジニアさんがいる。よれた白衣ではなく、ちゃんとジャケットを着ている。けれどあのふわふわな髪の毛はそのまま。そのギャップがなんだかかわいくて――
「(好き、かも)」
うん、そうだ。私、ジニアさんのこと、好きなんだ。好きになっちゃったんだ。
私の世界には音楽とポケモンと、幼なじみさえいればいい。ずっとそう思っていた。それでいいと思っていた。でも今は。
ジニアさんのことを私は知りたい。あの人が見えている世界を私も見たい。
ぱちりと目が合った気がした。もちろん、彼と。ううん、気のせいじゃない。だってジニアさんもちょっとびっくりした表情をしていたから。
ジニアさんははにかんで、小さく私に手を振る。ちゃんと伝わっているよ、と意味を込めて頷けば、彼はまた嬉しそうに頬を緩めた。心臓がどきどきとメロディを奏ではじめる。
ああ、どうしよう。今なら最高のラブソングが歌えそう!