「カクレオン? どこにいるのー?」
……って、そう簡単に出てきてくれたら誰も苦労しないのだけれど。乾いた笑いがつい出てしまう。しかも誰もいない廊下にそれが響いて、余計に虚しくなった。
カクレオン、いろへんげポケモン。主にホウエン地方に生息するそのポケモンは、パルデア地方において珍しいポケモンの一匹である。そんなカクレオンをなぜアカデミーの一般職員である私が探しているのか。答えはとても簡単。ジニア先生が逃がしてしまったのだ。
なんでも研究仲間から預かっていたその子を、せっかくなので生徒たちに見せた――まではよかったのだけれど。生徒たちの質問に答えていたわずかな時間。ちょっと目を離した隙にカクレオンはジニア先生の元から逃げ出してしまったらしい。
カクレオンは比較的おとなしいポケモンだからむやみに暴れたりはしない、とのこと。けれどもカクレオンだからこそ困ることもある。カクレオンは周りの風景と身体を溶け込ませ、いわゆる透明になれるポケモンだからだ。この広い学園でかくれんぼはちょっと……ううん、かなり困る。だって確実に私たちが負けてしまうから。
カクレオンの本場――という言い方もおかしいけれど――であるホウエン地方にはデボンスコープという道具があって、それがカクレオン探しにはもってこいらしい。……なんでも揃うデリバードポーチにもさすがにその道具はなかった。
残された手掛かりは唯一カクレオン自身も消すことのできないお腹の模様。完全に透明にならないのはまだよかった。とはいえ、どちらにしたって骨が折れること自体に間違いはなくて。
かくしてアカデミーの教師もスタッフも総出でカクレオンを探すことになった。人海戦術でなんとかする作戦しか取ることができなかったとも言う。クラベル校長にこってりしぼられたジニア先生は「よろしくおねがいしまあす」としおしお顔になりつつも、私たちに頭を下げた。
生徒たちも今日ばかりは早々に帰宅させ、最後の生徒が帰宅したのを合図に教職員たちVSカクレオンのかくれんぼが始まった。
いつもは生徒たちの声があふれるアカデミーも今日ばかりはシンとしている。
ジニア先生に教えてもらったお腹の模様を思い出しながら、私は周囲を見て回っていた。先ほどサワロ先生にお会いしたが話を聞くに、どうも状況は芳しくなさそうだ。さすがに夜中まで探すのは避けたいところ。空に浮かぶ太陽はすでに傾き始めていて、あたたかな日差しが廊下をオレンジ色に染めている。
……そういえばホウエン地方はだいぶ暖かい気候だって聞いたことがある。
比較的温暖な気候にめぐまれ自然が豊か、なんて内容を旅行動画で見たような。同じくホウエン地方で多く生息し、パルデアでも姿を見るトロピウスを思いだせば、なんとなくその理由もわかるような。
まさか、でももしかして。
私の足は迷わず進む。この廊下は日当たりがいい。ホウエン地方のようなあたたかさを求め、この付近にいたりして。
カクレオンがどうして逃げたのかはわからないけれど、ただの好奇心だけではなく、あたたかさを求めているのなら。この予想だってあながち間違いじゃないのかもしれない。
「なーんて、そんなことジニア先生ならすぐに思いついているよね。……え?」
角を曲がった瞬間、ぱちりと目が合った。点のような黒い目と。
緑色の身体に黄色の模様。ぽかんと開いた口。間違いないカクレオンだ。
たまたま擬態を解いていた瞬間に私は遭遇してしまったらしい。思いがけない出会いに私とカクレオンは顔を見合せたまま、呆けてしまう。
「あ、あ、いたー! いました、カクレオン!」
先に動いたのは私だった。
私の叫び声のせいか、カクレオンも我に返ったのだろう。ぴょんと飛びあがり、慌てて逃げだした。それを追いかける私。これじゃあかくれんぼじゃなくて追いかけっこだ。しかも、こういうときに限って誰とも会わない。
もつれそうになる足を必死に動かして、なんとかカクレオンに追いつく。あと少し。あと少し近づけば、手が届くはず。ラストスパートをかけるべく足に力をこめる。どうしよう、明日は絶対に筋肉痛になる。
痛みと引き換えにしたかいもあってカクレオンとの距離はだいぶ縮まった。いまだ! と手をのばす。
「ひゃあっ!?」
一瞬にして視界が光に包まれる。まぶしくて目があけていられない。光を直視してしまったせいか意識が揺れ、立っていられなくなってしまった。転ぶ、と認識する前に私の身体が床に叩きつけられる。かといって痛みで覚醒することもなく、私の意識はぷつんと電源が切るかのように落ちていった。かろうじてわかったのは、この光がカクレオンの身体から出ていることだけ。
――きっと私はポケモンのわざを喰らってしまったのだろう。
「……! ……さん! チクマさん!」
「…………?」
ぼんやりとした頭と視界が、傍らにいる誰かの姿を捉える。相手も私が目を覚ましたことに気づいたのか、わかりやすく安堵の息を吐いた。
「小生の声が聞こえますか? 言っている言葉がわかりますか?」
「……わかり、ます」
「よろしい。小生のことは?」
もちろん、わかる。ハッサク先生だ。ふわふわな口調と思考で彼の名前を呼べば「ええ、そうです。ハッサクですよ」とその人は優しく微笑んだ。
「身体はゆっくり起こして。頭を打っていたら一大事ですからね。頭部に痛みは?」
「ない、です」
痛いのは身体だけだ。幸運にも頭をぶつけてはいなかったらしい。自分の反射神経も捨てたもんじゃないな、なんて強がりを言ってみる。ハッサク先生は私の様子を見て「失礼しますですよ」と断りを入れ、ふれてきた。そこに深い意味はない。身体を起こしてもなおふらつく私を支えてくれるだけ。でもその大きな手と体温に安心感を覚えたのも、また事実。深く息を吐いた私に、先生はゆっくりと話しかけた。
「驚きましたですよ。チクマさんが倒れていたのですから。なにがあったか訊いても? そもそも覚えていますですか?」
「カクレオンを見つけました。手が届くまであと少しってところで、カクレオンが光ったんです……。そうしたら急にものすごく眩しくなっちゃって」
「ふむ。それはフラッシュ≠ニいうポケモンのわざかもしれませんね。パルデアでは見かけないわざの一種です。なんでも洞窟さえ眩しく照らすとか。そんな光を至近距離で目にしたのなら、気を失うのも当然です」
ハッサク先生の推察はまさにそのとおりなのだと思う。あれだけ眩しかったのだ。洞窟だって簡単に照らせてしまうに違いない。なにしろいまだに視界はチカチカと眩しくて、意識もふらふらと定まらない。吐き気だってする。気を抜けばあっという間に倒れてしまいそうだ。
――けれども。ぐっとお腹に力を入れ、意識して声を張った。目の前にいる普段のこの人みたいに。
「ハッサク先生、私なら大丈夫ですから。カクレオンを見つけてください。きっとまだ近くにいるはずです」
カクレオンがそばにいないことなんて、とっくに気づいていた。透明になって様子を窺っているのか、それともとっくに逃げてしまったのかはわからない。少なくとも、私から見える範囲にあの緑色の姿は無かった。私がどれほど意識を失っていて、ハッサク先生がどのタイミングで見つけてくれたのかはわからない。でもそこまで時間は経っていないと思うのだ。なにしろ私の身体はまだ全身痛くてたまらないから。
「先生、私なら大丈夫です」
「いえ、行きません」
きっぱりと彼は告げた。
「いまここで、あなたを放っておくことは小生にはできません」
「でも……」
「でも、ではありません。いいですか、チクマさん。カクレオンを探すのなら他のみなさんがいます。しかし、いまあなたに寄り添えるのは小生しかいないのですよ。いえ、小生ではだいぶ力不足かもしれませんが」
こんなおじさんですしね、とハッサク先生はおどけるように笑った。
「小生は、あなたを放ってカクレオンを追いかけることのほうが難しい。せめてもう少し。落ち着くまで、このハッサクをそばに置いてくれませんか?」
なにも答えられなかった。支えてくれる手のあたたかさと安心感に離れがたいと思っていたのは、他ならぬ私自身だったから。結んだままのくちびるの奥、私の言いたかったことをちゃんとハッサク先生は気づいてくれたらしい。優しい笑みが向けられる。
「抵抗がなければ小生に寄りかかってください。いくぶんか楽になりますですよ」
お言葉に甘えて彼の肩に寄りかかる。私が体重をかけてもびくともしない。それどころか「そんなに遠慮せずに」とまで言われるほど。ハッサク先生にとっては私の重さなんて、わずかなものなのかもしれない。
ハッサク先生に寄りかかってしばらく。だいぶ体調が戻ってきた。吐き気も、眩暈も、ほとんど治まった。誰かがそばにいる。たったそれだけのことで、こんなにも心が落ち着くなんて。
「ハッサク先生、ありがとうございます。もう大丈夫です」
「ならよかった。とはいえ、油断は禁物ですからね。念のため保健室までお送りいたしますですよ」
「そこまでお世話になるわけには」
「油断は禁物、と言ったでしょう? ここは年長者の言葉に従っておきなさい」
ゆっくり立ちましょうね、と彼は私の身体に手を添えながら、一緒に立ち上がってくれた。一人で保健室ぐらい行かれるぐらいには回復しているのに、わざわざ付き添ってもらうなんて。申し訳なさが募るけれど同時にその優しさが嬉しかったりもするのだから、我ながら現金な性格をしている。
今度はふらつくことなく立ち上がることができた。それでもハッサク先生は私を支えることをやめない。重ねられた手から、なんだかエスコートされている気分になってしまって、こんな時だというのに胸がくすぐったくなってしまう。
「――先生、あれ」
「しーっ。しばらく気づかぬふりをしておきましょう」
立ち上がったことで目に入った、壁の隅にある変な模様。どうみてもあれはカクレオンのお腹の模様に違いなくて。ハッサク先生はとっくに気づいていたらしい。ずっとそばにいたのだろうか。それとも戻ってきた?
「うおっほん! 時にチクマさん」
「は、はい」
「あなたをこんな目に合わせたカクレオンのことを怒っていますですか?」
「え?」
横目でカクレオンを見れば、あからさまに模様が動いた。続いてハッサク先生に視線を向ければ、彼はぱちんとウインクを飛ばす。なるほど、先生の言いたいことがなんとなくわかった気がする。
「いえ、全然。そもそも私がおどかしちゃったのがいけないので」
「そうでしたか。チクマさんはカクレオンのことは全く怒っていない、ということですね?」
「もちろんです。だから出てきてくれないかなぁと思いますね」
わざとらしい会話だけれど、カクレオンにはこうかばつぐん≠セったようだ。
模様がこちらに近づくにつれ、あの緑色の身体が現れる。しょぼんと項垂れるカクレオンは私にフラッシュ≠オてしまったことを悔いている様子だった。
「気にしてないよ。びっくりさせてごめんね」
手を差しだしても今度は逃げなかったカクレオンを抱きかかえる。暴れもせず大人しく丸くなるカクレオンはなんだかかわいい。つるりとしたウロコもキュートだ。
「保健室の前にジニア先生のところに寄ってもいいですか?」
「ええ、もちろんです。小生はどちらもお供しますですよ」
その言葉どおり、ハッサク先生はどちらにも付き添ってくれた。
声も動きも大きい先生が私とカクレオンを気遣い、最後まで丁寧にエスコートしてくれた姿はなんだかとっても特別に思えて――私はこっそりとカクレオンにお礼を呟く。ハッサク先生にバレるわけにはいかないから、内緒にしてほしい旨もそっと添えて。