些細なことでもすぐに頬を染め、耳まで赤くなるチクマのことがピーニャは好きだ。
授業中、落ちた消しゴムを拾おうとして二人の指がわずかにふれあったとき、同じライムの音楽が好きだとわかって笑顔をはじけさせていたときも、ピーニャがチクマをアカデミーの裏庭に呼び出し、告白したときも。そして晴れて恋人同士になった、と共通の友人たちに報告したときさえ、チクマは頬を淡く色づけていた。その表情にはわずかな羞恥だけではなく、たくさんの嬉しさが混じっていたことをピーニャはよく覚えている。

チクマはピーニャが生徒会長であったときのことを知らない。彼がその席を退いたのちに転校してきたからだ。
そのため最初こそスター団ボス≠ニしての自分にチクマが怯えているのかと思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。ピーニャのことはクラスメートの男の子≠ニしか思っていなかったと彼女自身がそう言っていた。
か細い声で「あのね、ひとめぼれだったの」とこれまた照れくさそうに話してくれた姿はピーニャの中でも甘酸っぱい記憶として強く刻まれている。

だから、といったわけではないけれど。ピーニャはチクマのことを「はずかしがり屋の女の子」であると理解していた。好きな男の子に話しかけられ、ふれて、告白されて舞いあがる。ただのかわいい女の子。そんな当たり前のことを改めてピーニャは突きつけられ、クラスメートから友人に、そして恋人となった彼女のことを大切にしようと心に決めた。
とにもかくにも、彼女のペースで。勇み足には決してならない。彼の生真面目な性格も相まって、それをいまでも守り続けている。

守り続けているからこそ、付き合って数ヶ月経ったいまでも二人は手さえつなげていない。
そういったムードが無かったわけではない。というか手を繋ぐことぐらいムードもなにもない。少なくともピーニャはそう考えて——でもチクマの気持ちを加味しつつ——ここならばとアカデミーの帰り道に手を繋ごうとした。アカデミーと寮の距離はわずかだ。少しの時間だけならチクマはそこまではずかしく思わないだろう、と考えての行動だった。

ピーニャは距離を縮め、まずは小指を彼女の小指に近づける。指先、爪のはじっこがほんの少しふれあった。

「ひゃっ」
「ご、ごめん!」

慌てたピーニャは急いで離れるも、すでにチクマの顔は真っ赤だった。耳だけではなく首まで赤くして、俯いてしまった。頭から湯気が出ている錯覚さえするほど。
しまった。途端に後悔がピーニャの胸に迫る。そのあと二人はぎくしゃくした空気のまま、それぞれの部屋に帰ったのは言うまでもない。
翌日、チクマがなんともない様子でいてくれたのが、彼の不幸中の幸い。

「どうしたらいいのかな……」

出された課題は一向に進まない。くるりくるりとペンを回し、ピーニャはため息をもらす。
はずかしがり屋なチクマのペースで進める。そう決めた。その気持ちに嘘はない。けれども、さすがに……手ぐらいは繋ぎたい。キスは自分にもハードルは高いので。まずはそこから慣れていきたい。

自身の手のひらを見つめ、閉じたり開いたり。数回それを繰り返し、またため息をつく。
本来ならば、格好なんてつけないでちゃんとチクマに訊いてみるべきなのだろう。「手を繋ぎたいです」と。けれど「はずかしいから」の理由以外で断られたりでもしたら。ちょっとへこんでしまう。
スター団あくタイプボスとして今でも一部生徒に恐れられているピーニャでも、好きな子の前ではただの男の子だった。

チクマのことが好きで、大切。だからちゃんと二人で歩んでいきたい。
それこそ手を取り合って。

規則を守るのは得意だ。それを決めるのも——仲間たちのおかげで克服できた。
だからチクマに訊いてみよう。ちゃんと話し合って、自分たちのルールを決めよう。
ようやく決心がついたピーニャが課題に取り掛かろうとしたタイミングで座っていた椅子が揺れた。

「……オーケー、マフィティフ。ブラッシングね」

マフィティフはかしこいポケモンだ。いつもなら課題に取り掛かるピーニャの邪魔をしない。しかしいまの様子は彼自身でさえも「課題に取り掛かっている」とは到底見えなかった。なのでマフィティフは専用のブラシを口にくわえ、日課のブラッシングをしてほしい、とねだりにきたのだろう。

ピーニャはブラシを受け取って、マフィティフのそばに座る。
集中力は切れていたし、課題は夕食後にでもやればいい。いまは甘えてくるマフィティフを優先するべきだ。

「キミはなかなか甘えてこないよね。そういうところがイカすんだけど」

あくタイプのポケモンはプライドの高い個体が多い。ピーニャのてもちたちも、そういったポケモンが多かった。マフィティフはその一匹でもある。他のポケモンやトレーナーがいるとかっこをつけたがるというのに、ピーニャの前だけでは甘えてくる。だから大好きなブラッシングも自分からねだってくるまで待つしかなかった。仮にピーニャ以外の誰かがいたらツンとすまし顔をして、ブラシにだって興味を占めそうとしない。その時は気を利かせたピーニャが呼んでようやく「仕方ないぜ」といった様子で、ブラッシングを受けるのだが。

長い毛を丁寧に梳かす。
気持ちよさそうに身を預け、脱力するマフィティフの重さに苦笑しながら、ピーニャは手を動かしていた。長い毛をブラッシングするのはなかなかに重労働。けれど手を抜くことはしない。マフィティフが唯一、ピーニャに甘えてくる時間と言っても過言ではないからだ。誰もいないからこそ、自分に全幅の信頼を置くその姿を見るのがピーニャは好きだった。

「…………」

唐突に、パチンとなにか、はじけたような気がした。耳の奥でリズムが刻まれる、そんな感覚。
いつの間にか手が止まっていたらしい。不服そうに鳴くマフィティフの声ではたと意識が戻る。

「ごめんごめん。ちょっと考えこんじゃったよ」

ブラッシングを再開しつつも、ピーニャは先ほど浮かんだ考えが消えないでいた。
もしかしてチクマはマフィティフと同じなのでは? そんな仮説が組み立てられていく。
てっきりチクマがはずかしがるのは行為≠フほうだと思っていた。ふれあうのがはずかしい。だから指先の接触でも驚いてしまっていた。

しかしそれは違うのではないだろうか。
ピーニャのことをスター団のボスとしてではなく、ただのクラスメートの男の子として接していたように。行為≠サのものに対して羞恥を覚えていないのでは——

「……いや、これは都合のいい考えだよね」

再び止まった手を諫めるようにマフィティフは不満げに吠えた。





翌日の放課後、STCの活動も終え、チクマを送る寮までの帰り道。ピーニャは改めて周囲を見渡した。
まばらだが生徒はいる。消灯までのわずかな時間ももったいないと、身軽な格好で外に出かけていく生徒とも何人かすれ違った。

「……チクマくん」
「なあに?」
「断ってくれてもいいんだけどさ……ボクの部屋に来ない?」

途端にチクマの頬が染まっていく。
だめだったかな、と様子を窺えば、意外と彼女の表情は曇ってはいなかった。それどころか、やわらかなまつげの奥に垣間見える瞳には嬉しさが滲んでいるようにさえ見えた。

コクン、と小さくチクマが頷いたのを確認して、ピーニャは自身の部屋——男子寮のほうに歩みを進める。本当はここで手を繋ぎたかったが我慢。

男子寮訪問表にチクマが名前を書く後ろ姿を目にしたときは、なんとも言えない気持ちになった。
異性間での寮の滞在時間は長くとも一時間。それ以上は再申請が必要になる。ピーニャが生徒会長時代に制定し、今でも残っている数少ない規則の一つだ。
まさか自分がそれの規則を利用するなんて。当時はまったく考えもしなかった。

「いらっしゃい」
「おじゃまします」

きょろりと部屋を見回すチクマはわずかに笑みを浮かべた。

「ピーニャくんらしい部屋だね」
「そう?」
「うん。かっこいい」

楽曲制作で使う機材やパソコンはきちんと整理整頓はされており、彼の几帳面さを垣間見せている。壁にかけられたコレクションレコードの選曲はどれも激しい曲調のものばかり。チクマも好きなライムの楽曲も飾られている。写真立てにはスター団ボスたち、チーム・セギンのメンバーと撮った写真があった。

チクマは促され、椅子に座る。
飲み物の一つや二つ、菓子の類をふるまうべきなのにそれをしなかった。それに気づいたのは、ピーニャが彼女の向かいのベッドに腰かけたタイミング。
今更立ち上がって取りに行くのは少し恥ずかしい。なにかのタイミングでそれとなく持ってこよう、と挫かれた出鼻を取り戻すように、彼は居ずまいを正した。

「あのね、チクマくん」
「うん」
「ボクはキミと手とか繋ぎたいなぁって思っているんだけど」
「!」
「ああ、ごめん! この前のことを責めているわけじゃなくて!」

青ざめるチクマに慌ててフォローを入れる。

「違ったら言ってほしいんだけど……誰かに見られるのがはずかしい?」

ピーニャと手をつなぐこと自体ではなく、誰かに見られることに羞恥を覚えるのなら。
帰り道、当たり前だが先ほども生徒は多かった。当時はどうだっただろう。おそらく誰かしら人がいたはずだ。いないわけがないのだ。ここはアカデミーに通う生徒の大半が住んでいる寮なのだから。

チクマは「誰かがいるという」事実にはずかしくなって、驚いてしまったのではないだろうか。マフィティフのように、周囲の視線が気になっている。ならば——

「こうして二人きりだったら……キミにふれてもいいかな?」

そっとチクマに手を差し出した。
これ以上、ピーニャから動くことは無い。あとは彼女の気持ち次第。
心臓が激しく鳴って、どうにかなりそうだった。ピーニャは自分の顔がチクマに負けず劣らず赤いのだろうな、と冷静な頭の片隅で考えた。

「……私も」

小さな声だった。震えていて、今にも消えそうな。しかしはっきりと聞こえる声。

「ピーニャくんと手を繋ぎたいって、思っていたの」

そっと指先が重ねられる。じわりとチクマの体温を感じ、ピーニャは息をのんだ。

「ありがとう。勇気、出してくれて」
「ピーニャくんこそ……ありがとう」

チクマはぽつぽつと話し始めた。
ずっと手を繋ぎたかった。恋人のようなふれあいをしてみたい。でも元来の性格に加え、ピーニャの予想通り「誰かに見られていたら」とはずかしさが勝って、なかなか行動に移せないでいた。
あの日、本当は嬉しかった。でもびっくりもして、やっぱりとてもはずかしくなって——

「全然気にしていないからさ。謝んないでよ」
「……うん」

何度も見慣れたチクマの染まる頬。やわくあかく色づいたそれはいつも以上に特別だ。
自分を見つめる瞳は熱に揺れていて、まっすぐ彼女の気持ちを伝えている。
ふれあう指先から、その先へ。二人は手を繋いでいた。俗にいう恋人繋ぎ≠ノなっていることに、お互いは気づかない。

「またこうして手を繋いでくれる?」

ピーニャの問いにチクマは頷き「一度繋いだら平気になったかも」とも呟いた。

「本当?」
「試してみないとわからないけど……多分、ピーニャくんとならはずかしさより、嬉しさの方が大きいかなって、いま、思ったの」

ふふ、と笑みこぼし、チクマは言う。

「あのね、ピクニックに行きたいな」
「もちろん」
「それでね、二人で写真も撮るの。あそこに飾ってくれる?」
「当たり前じゃん。そうだ。おそろいの写真立てでも買っちゃおうか」
「すてき! そうしたいな!」

二人の逢瀬はきっかり一時間。たったそれだけ。長くそして短い時間。
手は繋がれたまま、離れることはしなかった。



そめられる
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