ハヤトと私はいわゆる幼なじみ≠フ間柄。小さいころから家族ぐるみの付き合いがあって、彼がお父さんの跡を継いでジムリーダーになりたいことももちろん知っている。
でも私はハヤトの頑張る姿がいつもちょっと心配だった。ハヤトは歳の割に小柄だし、結構泣き虫なところがあるから。その分とっても負けず嫌いなのだけれど。
鳥ポケモンとの修行で作った怪我の手当をするのは私の日課になっていた。鋭い爪やくちばしで突かれた傷を消毒する。染みて痛むのかいつもくちびるを結んで涙目で耐える。その印象がどうにも強い。それが私にとってのハヤト。「大丈夫だよ、大丈夫。すぐに痛くなくなるよ」と何度も伝えて擦ってあげたのをよく覚えている。
年下の幼なじみ。幼い頃、よく世話をやいた男の子。少し頼りない、かわいい男の子。それが私にとってのハヤトだ。
「チクマ」
ポケモン塾の戸締まりをしている私にかかる声。振り替えらなくてもわかる。ハヤトだ。
ガチャンと最後の錠の音を確かめ、ドアをガチャガチャと閉まっていることを確認。ようやく「なあに?」と尋ねれば「迎えにきた」と返ってくる。
「またうちのお母さんに頼まれたの?」
「ここ最近遅いって聞いたからな」
その言葉どおり、遠くからホーホーの声がどこからともなく聞こえてくる。すっかり夜は更けていた。
ここのところずっとこの時間の帰宅になっているから、一緒に住む母親が心配するのも仕方ない。
もうすぐあるポケモン塾のイベントのため、私もジョバンニ先生も準備に追われていた。こういう準備って想定よりずっと時間がかかるのはなぜだろう。今日も途中で買い出しにいったほどだ。
ハヤトは肩に乗せていたヨルノズクを先導するかのように飛ばし、私に「行くぞ」と背を向ける。歩き出したその隣に並んだ。私より少し大きくなった身長。まだ彼は伸びるんだろうな。
「迎えに来てくれたにしては素っ気なくない? こういうときは手の一つや二つ、繋ぐものだよ」
「――チクマが繋いでほしいなら繋いでもいい」
「別にいらないかな」
「じゃあ言うなよ!」
「一般論だよ。一般論。これからハヤトに好きな子ができたときのアドバイス」
とはいえ彼にそういった気配が無いのはよく知っている。一時、セキチクのアンズさんと仲がいい感じだなぁ、と見守っていたのだけれど、わざわざ「彼女はただのライバルだ!」と念押しされて怒られたことがある。それ以降、私もそういったことに触れないでいたのだけれど……なんだか最近また二人が仲良くなっているようだから、ちょっと気になってしまったのだ。もしアンズさんが好きなら、ハヤトの初恋だろうから。
「そういうチクマはどうなんだよ」
「好きな人? いないよ。ハヤトもでしょ?」
ハヤトの息を吸う音が、やけに大きく聞こえた。
「――好きな人なら、いる」
「え!?」
「アンズじゃないからな」
あ、違うんだ。てっきりそうだと思っていたのに。
好きな子、いるんだ。なんとなくしっくりくるような。ようやく腑に落ちたような。
ジムリーダーになってから、ハヤトはモテるようになったのに誰からの想いにも応えないでいたのだ。彼らしいというか、なんというか。それも『好きな人がいる』のなら、納得ができる。好きな子がいるのに他の人とお付き合いをできるほど、ハヤトは器用じゃないから。
「ハヤトに好きな子かぁ」
「……なんだよ」
「べつにぃ?」
あのハヤトに好きな子かぁ。改めて、しみじみとその事実を噛みしめる。
私の知っている子? でも雰囲気的にキキョウに住む誰かという感じは無さそう。ハヤトは結構顔に出るタイプだから好きな子の前では挙動不審になってしまうだろう。となれば、近くにいる私がその相手に気づかないわけないだろうし。……やっぱりアンズさんのようなリーグの誰かだろうか。私の知らない誰かの前で、顔を赤くして照れるハヤトを想像してしまう。
――なんだかそれは、ちょっと寂しいな、なんて。小さい頃から知っているハヤトに好きな子ができた。ポケモンやジムリーダーになることばかりの彼に自分に割ける気持ちの余裕が生まれたことはシンプルに嬉しい。でもちょっと寂しい。教えてくれたってよかったのに。
ハヤトの横顔を盗み見る。月明かりに照らされた表情は私が思っているよりずっと大人びていて、少し驚いた。
……うん、なんというか。みんながハヤトのことを「かっこいい」と称することが少し分った気がする。
「相談、乗ってあげようか?」
「……いらない」
「そう? 遠慮しなくていいんだよ?」
「してない!」
すぐにムキになるところは私の記憶にある彼とそっくり。先ほどのかっこいい横顔はどこへやら
うん、なんだか安心した。やっぱりまだまだ私にとってはかわいい幼なじみだな、なんて思ってみたり。
無事にポケモン塾のイベントを終え、今日は片付けデー。生徒たちも今日はお休みで、私とジョバンニ先生は手分けして教室に飾り付けを閉まったり、受付の名簿を整理していた。
ジョバンニ先生と分かれると、急にどっと疲れが襲ってきた。明日は休日で私もお休み。今夜は目覚まし時計をつけないで寝ちゃおうかな。お気に入りの入浴剤も入れたりして。ああ、でもその前に夕食か。
「あまりお腹減ってないなぁ……」
それよりもずっと眠い。
ご飯も食べずに寝ちゃおうかな。でも自分のために用意された夕食を残すのはしのびない。
いろいろなことを考えながら帰り道を歩く足もなんとなく重たくて。ゆっくりゆっくり歩いていく。あくびは出ないのに、瞼が落ちてくるようだった。
「チクマ」
もうすっかり聞き慣れた声が私を呼ぶ。
「追いついてよかった。先に帰っていたのか――」
ハヤト、と名前を呼ぼうとして、声がでなかった。
その前に彼が近づいてきたから。無言で距離を詰める動きに驚きで目を丸くしていると、ハヤトはなぜか焦ったように私の額に手を当てる。
「熱、あるんじゃないのか」
「え?」
「熱い」
咳は? 喉の痛みは? 他に不調は?
矢継ぎ早に尋ねられたことに対して答えが出てこない。喉の奥で縺れ、考えがまとまらなかった。ただ指摘された瞬間から身体の中心からどんどん熱くなっていく。
眠気も、身体の重さも、たしかにハヤトの言うとおり、熱があるせいかも。自覚すればするほど身体の重さが増していく。
「咳も、喉の痛みも、ないです」
「本当か?」
「うん。ちょっと身体がだるいくらい」
「充分、大ごとじゃないか」
呆れたようにため息をつくハヤト。その態度に少しムッとする。なんだか子供扱いされているみたい。私のほうが年上なのに。熱を出すのもそっちのほうがずっと多かったのに。
ハヤトはそんなことお構いなしに私の前に立つと、そのまま屈んだ。彼の背中だけが向けられている。
「ほら、乗ってくれ」
「え?」
まさか、おんぶ?
そのまさかだったようで「早くしてくれ」と催促される始末。
「や、やだよ!」
「どうして」
「私重いし、ハヤトが潰れちゃうって!」
「――潰れない」
声ははっきりと私に届く。夜の空気を切り裂いて、まっすぐに。
「チクマ一人おぶったところで、おれは潰れない。それよりもチクマがふらふら歩かれるほうが心配だ」
しんどくなっているだろ、だいぶ。
ドキリと心臓が鳴った。図星だったからだ。身体の怠さはどんどん迫ってきていて。できることなら座り込みたいぐらいだった。
「チクマ」
「……お邪魔します」
恐る恐る身体を預けると「もっと寄りかかれ」と怒られた。危ないからちゃんと掴まれ、とも。
その指摘も最もなので、ハヤトの背中に体重をかける。しんどかった身体が少しだけ楽になった。
「立ち上がるぞ」
大丈夫かな。重くないかな。
そんな不安を払うようにハヤトは立ち上がる。ふらつきもせずにしっかりと私を抱えた。足取りは確かで、重いだなんて思ってもいないように感じた。
――なんだろう。とても、とても。ハヤトの背中が大きいような。
年下の男の子なのに。泣き虫で意地っ張りなハヤトは簡単に思い出せるのに。いま、目の前にいる幼なじみはなんだか男の人のように思えてしまって。
「……生意気」
じくじくと胸の奥が痛む。知らない感情が溢れ出しそうで、なんだか怖い感じもする。でもそれは恐怖とは違う、もっと違うもの。
「なにか言ったか?」
「……なにも」
「そうか」
ハヤトの息は切れていない。私を抱えて歩いているのに、顔色一つ変わっていなかった。
――私だけが知らなかったんだ。きっとそう。ハヤトはもうとっくに大人の男の人だったことに。
今更ながら思い出す。ハヤトに好きな子がいることに。
その相手は誰なんだろう。以前とは違う意味でその相手が気になってしまう。
なぜ違う意味≠ノなってしまったのか。その理由に目を背けながら、彼の背中に熱を持った身体を委ねた。
ハヤトのヨルノズクの鳴き声が聞こえてくる。夜はすっかり更けていた。