「よ、チクマ。ツバっさんと勝負しようぜぃ」
へらりと笑って、ひらりと手を振るカキツバタ。彼はまっすぐ私に向かってくる。気の抜けた足音を響かせて。いつもと同じような空気を纏っているのにどことなく怖いプレッシャーを感じ、ロッカーを整理していた手を思わず止めた。カキツバタの異様な雰囲気は他の部員たちも感じ取っているようで、彼らからの視線もひしひし刺さる。居心地の悪さに返答が詰まった。
「それとも忙しいかねえ? まだだいぶかかるか?」
向けられていた視線がロッカーに移る。ほとんど片付けを終えて、空っぽになっているそこに。
……これはちょっと逃げられない。そう悟るには充分。まさにとおせんぼう=Bいやくろいまなざし≠ゥも。カキツバタの瞳は金色だけど。
私はわざとらしくロッカーを閉めて「わかった」と頷いて、彼に向き直る。私より背の高い、その瞳から視線をそらさずに。
「やろう、ポケモン勝負」
「へっへっへ。そうこなくっちゃな」
——最後にとびきりの勝負、しようぜぃ。
こっそりと、私にだけ聞こえるような声量で添えられた一言に思わず息をのんだ。知ってたの? と尋ねれるけれど、彼はなにも返事をせず、意味深な笑みを浮かべるだけ。「早く行こうや」と私を催促するばかりだった。
私がブルーベリー学園を途中退学することはごく一部の親しい友人にしか話していない。もともと私は目立つタイプではないし、言いふらす理由も見つからないから。
ブルべリーグでも中の位。平々凡々を地でいく、そういう存在であると自負している。いつの間にか消えても誰も気づかない。そんな考えもあったことは否定しない。
だからこそ。どこから彼に漏れたのかわからないのだ。友人たちは秘密を漏らすタイプでは決してないから。
「この前、職員室に呼び出された時によ。たまたま書類が目にはいっちまってさ」
問いただすまでもなくカキツバタは答えてくれた。私たち以外には誰もいないポーラエリアのバトルコート。ここなら他の生徒たちに聞かれる心配もないからだろう。開口一番、そう言った。
「ありがとう。気使ってくれて」
「いやいや。ほんとに気ィ使ってんなら、そもそも部室で誘わねえよ」
「……それもそうかも」
「そうそう。オイラのこと買い被りすぎだって。重い荷を背負わせないでくれよーう」
「背負うつもりなんてさらさらないくせに」
「ははっ、そりゃちがいねえや。一本取られちまったな。——さて」
瞬く間に気の抜けた表情が瞬く間に鋭いものへと変わる。先程とは比にならないプレッシャーが肌に刺さった。ただでさえ寒いというのに、さらに背筋が凍えた。白くたなびく息を飲みこみ、私もモンスターボールに手をかける。かじかむ指でしっかりとボールを握った。
「いつもどおりに6対6のフルメンバーでいいよな?」
「もちろん」
バチンと音を立てて視線がぶつかる。目と目があったら勝負の合図。
私たちの手からボールが放たれた。彼の先発はジュカインとオノノクス。いつもと違う選出に面食らうが、驚いている暇は無い。ただでさえ彼と私とでは力量に差があるのだ。一瞬でも気を抜いたら最後。あっという間にストレート負けをしてしまう。それだけは絶対にいや。わずかばかりのプライドが叫ぶ。
私が繰り出したのはアローラキュウコンとラプラス。いつも先陣を切ってくれる頼もしい二匹。
とりあえず先発は私のほうが有利。キュウコンが降らせた粉雪が視界を飾る。その合間からカキツバタの様子を探った。不利な状況というのに狼狽えた様子は見えない。こちらの射殺す視線が突き刺さるばかり。
「キュウコン、オーロラベール! ラプラス、れいとうビーム!」
「ジュカイン、ドラゴンエール! オノノクス、アイアンヘッド!」
指示が飛ぶ。ポケモンたちが我先にと動きだす。
私がこの学園でする、最後のポケモン勝負が始まった。
——まあジャイアントキリングなんて起きるはずもなく。私はカキツバタにこてんぱんにされてしまった。それでも今までの中で一番良かった戦績を残せたから悔いはない。うそ、結構悔しい。格上だろうがなんだろうが、負ければ悔しいのがポケモン勝負だから。ゼンリョクで戦ったからこその悔しさだってある。
「おつかれーい」
「その軽さ腹立つなぁ……」
「身軽でお手軽なのがオイラのいいところよ」
ほら、と渡されたのはあたたかいエネココアの缶。自販機には売っていないのに、ともらせば「ポーラは寒いから特別に入れてんだわ。表には出してねえけど」とのこと。私の横に腰を下ろしたカキツバタは早速エネココアを飲んでいる。私も甘えてココアをいただくことにした。パキンとタブをあげて、くちびるに熱い缶をふれさせる。ふわりとした舌触りと甘い香りが口の中に広がり、落ちていく。うん、おいしい。疲れた身体と脳にエネココアはぴったりだ。
バトルコートのすみっこ。比較的寒さもやわらぐ場所で私たちは並んで座って、エネココアを飲んでいる。なんだか不思議な図だ。
遠くからラプラスの歌が聞こえてくる。軽やかで澄んでいて、美しい歌声。
「惜しいって思ってるぐらいなら撤回すりゃいいだろ」
なにを、なんて確かめなくてもわかる。
「……しないよ」
撤回、しない。
呟くように繰り返す。カキツバタはそれ以上なにも言わなかった。エネココアの缶を傾けるだけ。
私もぎゅっと缶を握る。かじかんだ指先だと缶の熱さ程度でも痛いほどだった。
打って変わってきまずくなってしまった。ラプラスの歌も、いまはちょっと不気味に聞こえるほど。
沈黙に耐えられなくて、そしてずっとカキツバタに訊きたかったことを私は口にした。
「留学生さんは留学期間が終わっても学園に来られるの?」
「本来なら期間終えたらオシマイだろうけど、キョーダイはちくっと特別枠に入っちまってるからなあ」
「ブルべリーグチャンピオンだもんね」
「部の運営はタロやネリネに任せられっけど、トップ不在ってのはかっこがつかねえし。ま、おいおいそこらはどうにかするんじゃねえかな」
「……早くカキツバタがチャンピオンに戻ればいいのに」
「いやいや。ツバっさんはあいにくと負けっぱなしよ? それにキョーダイだって簡単には白星をくれねえだろうさ」
カキツバタはケラケラと笑い、ふっと表情を引き締めた。その真剣な眼差しにドキリと心臓が鳴る。変な緊張感に身体が強張った。まるで最後の一匹になりながら細い勝ち筋を探すような——油断が一切できないあの息のしにくさを味わっているかのよう。もう勝負は終わったはずなのに。つま先から頭のてっぺんまで固まっていく。
「退学に、キョーダイが関係してんのか?」
「……留学生さんは関係ないよ。むしろちょっと感謝しているぐらい。——全部、私のわがまま」
別に学校生活が嫌になったとか、人間関係に問題があるからとかではない。なによりも留学生さんは関係ない。うそ、ちょっとだけ関係あるかも。でも、これだけははっきりと言える。退学理由は本当に私のわがままなのだ。両親もよく許してくれたとずっと思っている。
「スグリくんがさ、ちょっと悩んでた時期あったじゃない? 留学生さんやどっかの誰かがいろいろ手を回してくれたおかげで、スグリくんもふっきれたみたいだけど。そのとき思ったの。『私、なにもできなかったな』って」
私とスグリくんは特段仲のいい間柄ってわけじゃない。ただのリーグ部の先輩と後輩。でもおしゃべりをしたことだってあるし、ポケモン勝負だってしたことがある。まったく関係のない相手ではない。
林間学校から帰って、まさしく人の変わったスグリくんが心配だった。なにか話でも聞けたら、と思って話しかけようとしても彼の纏う閉鎖的な空気に怖気づいて、なにもできなかった。
——そう。私はなにもできなかったのだ。たった「後輩に声をかけること」さえ、ためらった。
パルデアから来た留学生さんのおかげで、スグリくんは元来の彼らしさから一回り成長して戻ってきたように思う。二人が友達であることは後から知った。そうだよね、仲いい相手でないと解決できなかったよね。だから仕方ないよね。そんな言い訳で自分を守ったすぐあと、その裏でカキツバタがいろいろとやっていたことを知った。
やっぱり、私は、なにもできなかった。その事実を突きつけられ、目の前が真っ暗になった気持ちを忘れられない。
「私がでしゃぱったところでスグリくんの気持ちに寄り添えたわけじゃないと思うし、なにか解決につながったとは今でも思えない。でも先輩として、スグリくんに『なにもできなかった』のは違いないと思うの」
「気にしすぎだろ。チクマと同じ立場の人間なんてごまんといる」
「そうだとしても。——それに『気づいた』ことからは目をそらしたくない」
みんなもそうだったから、なんて理由で甘えたくはない。私にはスーパースターなチカラも才能もないけれど、だからこそ停滞をしてはいけないと思うから。凡人だって歩き続けることはできる。
少なくとも私は、歩みを止めたくない。
「だからね、いろいろ考えて旅をしたくなったの。イッシュ地方をぐるりと回る旅」
よくよく振り返ってみれば、私は生まれたこの土地のことを知らない。ドラゴンポケモンたちの神話は知っていても、吹く風のにおいや、砕かれる波の音、踏みしめる大地のことはわからない。
だからまずはイッシュ地方のことを知りたいと思ったのだ。そうしたらきっと、いろんなことに気づけるはずだから。
「……って、あれ、これって結構恥ずかしいこと言ってる?」
「オイラからすりゃ『自分探しの旅のために中退します』宣言に聞こえたぜい」
「ちょっと!」
違くないかもしれないけど、違う! というかカキツバタに言われると余計に恥ずかしい!
そりゃあ休学して旅をすることも考えた。けれど、私の性格上、旅に満足したら学園には戻ってこれない気がしてしまって。だからいっそのこと退学するべきだと思ったのだ。本当、許してくれた両親に感謝しかない。
カキツバタは話を一通り聞いた後「そっか」と呟き、エネココアの缶を傾けた。
「チクマがそこまでいろいろと考えてたってんなら、ツバっさんはなんも言えねえや」
「逆にカキツバタが私のことを気にしてくれるなんて思わなかった。意外って感じ」
「おっと、伝わってなかったか」
「?」
「オイラはチクマとやるポケモン勝負、けっこー気に入ってんのよ。自分から誘うぐらいには」
言われてみればカキツバタとの勝負はいつも彼から誘ってくれていたような……?
でも一応彼は元チャンピオンで現四天王なわけで、いくら個人的なポケモン勝負とはいえ、私から誘うのは憚られるし……? あれ、よくわからなくなってきた。
「あーあ。次にチクマとやれんのはソウリュウかぁ。それはちと気がすすまねえなァ」
「え?」
「ん? だってイッシュ回ってんなら、もちろんソウリュウにも来るだろい?」
「そりゃ行くだろうけど……カキツバタって卒業する気あるの? 今のって『ソウリュウで会おう』ってことだよね?」
「うーん。ぼちぼち?」
これはダメそう。思わず乾いた笑いが出てしまう。
どのくらい時間がかかるかはわからないけれど、私がソウリュウに行く頃に彼が卒業していると思えない。そのころもきっと、このリーグ部のジャージを着ているカキツバタの姿が目に浮かぶ。
「まあ、ツバっさんはやるときはやる男ですから? 期待半分、楽しみに待っててくれーい」
そう言って彼は固まっていた身体をぐっと伸ばして息を吐く。目を細めて、やわらかく微笑んだ。初めて見る種類のカキツバタの笑顔。私の心臓も知らない感覚で跳ねた。
「またな、チクマ」
***
なんて会話をしたのはもうずいぶんと前になる。
ブルーベリー学園を退学し、宣言どおり私はイッシュ地方を旅してまわった。せっかくだからとジム戦にもチャレンジしたのだけれど、順調だったりそうでなかったり。まさしく前途多難の日々といっても過言ではない。なにしろジムリーダーのみなさんは私がブルーベリー学園の元生徒だと知ると「なら手加減はいらない」とばかりに本気のポケモンたちを繰り出すのだ。シングルバトルが不慣れだと言っても聞き入れてくれない。何度ぼこぼこにされたことか。バトルスタイルもチャレンジャーに選ばせてくれればいいのに。
あとはそう。バトルサブウェイもいけなかった。ちょっと覗いてみよう、なんて好奇心で立ち寄ったはいいものの、数ヶ月はそこに入り浸ってしまう羽目になったのだ。久しぶりのダブルバトルやタッグバトルが楽しすぎたのがいけない。私は悪くない。
もちろん勝負のことばかりではない。本物のでんきいしのほらあなは感動したし、セイガイハシティでふれた波は想像よりもずっと優しかった。山登りは大変で、でもそこから見える景色は忘れられないほど美しくて——そんな旅をずっとしていた。出会う人、ポケモン、訪れる場所。全てが私に「気づき」をもたらしてくれた。
そしてついに、たくさんの時間をかけて私はソウリュウシティに辿り着いたのだ。会えるかもしれない、少しの期待と共に。
「カキツバタは卒業したのかな」
学園時代の友人たちとは今もなお連絡を取っている。彼女たちがちゃんと進学し、卒業をしたのは言うまでもない。けれどもカキツバタは。あの留年上等な彼はどうなったのだろう。気になってはいるけれど、わざわざ友人たちに訊くのもためらってしまって。いまだに学生をしていたらどうしよう、なんて気持ちもある。もし本当に学園にいるのなら……拗ねた気持ちが顔を出してしまいそうで怖い。「またな」って言っていたのに。
ともあれジムに行ってみよう。ジム戦もさることながら、おじいさんのシャガさんならカキツバタについても知っているだろうし。カキツバタは嫌がりそうだけど、シャガさんに尋ねるのが一番無難で自然な流れだから、そこは許してほしい。彼の信用がないのがいけないのだ。
あ、でもまずはポケモセンターに——
「チクマ」
私の行く手を遮るように影がかかる。呼ばれた名前、聞こえる声。どれも知っている。なにしろ視界に映るその姿はまさしく先ほどまで浮かべていたその人で。ただ記憶の彼より背が伸びていた。顔立ちも大人っぽくなったような。時間の経過を感じる変化を伴って、彼が立っていた。
「カキツバタ?」
「こんな色男、ツバっさん以外にいないだろーい」
気の抜けたような口調は変わらない。見慣れたリーグ部のジャージを脱いでいるということは、もしかして彼は卒業ができたのだろうか。
尋ねるために口を開きかけ、すぐに噤んでしまった。カキツバタがぐっとこちらに腕を伸ばしてきたことに驚いたから。そのまま彼は私の額を、そこそこ強い力で弾いた。
「あいたっ」
デコピンされた箇所がジンジンと痛む。混乱する私にカキツバタはじとりとした視線を向けるのみだ。そしてこれまた不機嫌そうな声で一言。
「遅い。チクマの実力ならもっと早く来れたよな?」
どこで道草食ってたんだか、なんて文句まで飛んでくる。なんだかその表情は不貞腐れた子供のように見えた。だから私もつい言ってしまったのだ。痛む額を擦りつつ。「もしかして私を待ってたの?」なんて一言を。あの日の「また」を忘れないでいてくれたのかと。
途端にカキツバタは「でなけりゃわざわざ卒業なんてしねえよ」と気だるげに大きく息を吐いた。
つまりそれはやっぱり。私とソウリュウで会うためにちゃんと卒業したことになるわけで……?
「ど、どうして?」
状況も彼の言葉も飲み込めない私は辛うじてそれを発するのが精一杯。カキツバタが意図的に留年をしているのはわかっていた。口約束にも満たない、忘れてもおかしくないもののために、本当にソウリュウで待っていてくれたなんて。
そこまで彼がしてくれる明確な理由が見つからなくて、やっぱり私の頭はぐるぐると渦巻くばかり。
カキツバタは「んー」と言葉を探したのち、そっと私の手を取った。初めてのふれかただ。こんな丁寧なふれかた、私は知らない。戸惑いで指先が震えた。それさえも彼は掬い取る。
「ツバっさんも気づいた≠アとを、今更ナシにはできなかったみてえでさ」
彼の指が私の指を撫でる。まるでここに私がいることを確かめるような手つきだ。どうしたんだろう。いま、目の前にいるカキツバタは知らない男の人≠セ。
「付き合わせてくれよ。チクマの『自分探しの旅』に」
なーんてな、と添えたカキツバタが浮かべていたのはいつも軽い調子笑みではなく、いつだかのエネココアのように優しくて甘くてあたたかくて。なぜだか胸の奥でじくじくと響いた。