セキと出会ったのは少し風の強い、でもよく晴れた日だった。
ひなたぼっこが好きなフシギダネのためにパシオを散歩していた最中のこと。風に乗って聞こえてきたのは子供のか細い泣き声。慌ててそちらに向かえば、涙をぽろぽろ流す男の子と木の枝と枝の間で困り顔のままこちらを見下ろすハネッコがいた。
風が強い日に木の上にいるハネッコ。そしてその近くで泣くトレーナーとおぼしき男の子。なんとなく、状況は察した。
男の子を宥め、なんとか話を聞けば案の定。風に流された彼のハネッコが木の枝に挟まってしまったらしい。なんとか一人でいろいろと頑張ってみたものの、ぴったりと挟まったハネッコは子供の力ではどうにもこうにも動かない。どうしようもできずに困り果て、ついに心細くて泣いてしまったのだという。
確かに彼の周りには奮闘したであろう木の棒が散乱している。
「よく頑張ったね。あとは私に任せて」
いくよ、フシギダネ! と相棒に声をかけ、困り顔のハネッコを見上げる。
はっぱカッター≠ナ枝を切るのが一番に思いついたけれど、これはハネッコも傷つけてしまいそうだ。ならばとつるのムチ≠ハネッコに巻き付け引っ張る。けれどもこれも失敗に終わってしまった。私とフシギダネの想像以上にハネッコは枝の間にジャストフィットしているみたいだ。フシギダネの力だけでは動かせない。
――となると残る手段で思い浮かぶのはあと一つだけ。私が木に登ってハネッコを救出すること。
フシギダネが「本当にするのか?」と不安そうな視線を向けてくる。相棒の心配ももっともだ。私はそこまで、ううん、あんまり運動が得意ではない。でもこの子を見捨てることもできなければ、誰か他の人を呼びに行くまで一人きりにもしたくなかった。もうこれ以上心細い思いはしてほしくない。
それになぜだか、なんとかなるような気がする。そんな予感があるのだ。
「危ないから離れていてね」と男の子に伝える。彼が離れたことを確認してから木肌にふれた。思ったよりツルツルしているな……。それでも多少は足を引っ掛ける場所がありそうだ。いくつかのくぼみに目星をつけ、足をかけるべく踏み込もうとした矢先のこと。
「待った!」
焦ったような、怒ったような、呆れたような。
それらがまぜこぜになった声が飛んでくる。声からして男の人だ。その証拠にこちらに駆け寄ってくる足音も重さがある。
驚いてそちらへ顔を向ければ、まず蒼い衣が目に入った。続いて焦った表情。彼は――たしかセキさんだっけ? 「すごく遠くから来た人の一人」なんてうわさを聞いた覚えがある。
「あんた、そんなへっぴり腰で木に登ろうってのか?」
「へ!? え、ええと、まあ」
そのつもりですけど、とは言えなかった。私を睨む強い眼力に負けたから。「それ以上愚かな言葉は聞きたくない」そう言いたげな彼は私の次に涙目の男の子と枝に挟まれたハネッコ、そしてハネッコにつるを伸ばしたままのフシギダネをそれぞれ見て、片眉をあげる。
「なるほどな。合点がいったぜ」
彼は私を退かしたかと思うと、私が目星をつけていたくぼみに軽々と足をかけた。そのまま瞬く間にハネッコの元まで登っていってしまった。しかもハネッコを驚かせないように「ちょいとさわるぜ」なんて優しく声をかけるほど。余裕しかないその姿に私はぽかんと口を開けてしまう。唖然とするとはまさにこのことなのだろう。
「そこのあんた」
「は、はい!」
「フシギダネにこいつが流れて行かないようにつるのムチ≠ナ支えるよう頼んでくれ」
「わかりました!」
未だに風は強い。たしかに助けた矢先にまた風に流されてしまう……なんてことも充分にありえる。フシギダネもそれがわかっているらしい。こくんと頷いて、つるをハネッコへさらに巻きつけた。これで飛んでいってしまうことはほぼないだろう。
セキさんがハネッコを枝の間から外す。ふわりと浮きかけるピンク色の身体をフシギダネはしっかりと摑まえ、そのままそっと男の子の腕の中へと戻した。
「うわーん! ハネッコ! 心配したよ!」
ぎゅむぎゅむと抱きしめ合う男の子とハネッコ。どうやら見た限りではハネッコに怪我は無さそうだ。一応、念のためにきずぐすりを渡しておこうかな。
そういえばセキさんは大丈夫かな、と木を見上げれば、ちょうど彼は下りてくるところだった。行きと同様に帰りも軽々と身体を動かし、真隣に落ちてきた。驚いて、思わず声がもれる。それはばっちりセキさんにも聞こえていたらしい。私を見てバツの悪そうな苦い表情を浮かべたかと思うと、勢いよく頭を下げた。
「先ほどは強い言葉を使ったこと、謝罪する。わるかった」
「え? あ、ああ……別にいいですよ。正直、あなたの指摘の通りというか……」
というか、彼の言葉は正論でしかないのだ。冷静になって考えれば子供のころでさえ数えるほどしか木登りしてこなかった私が、あんな難易度の高い木を登るべきではない。子供の手前、かっこつけてみたけれど、結果的に新しい怪我人を生み出していたかもしれなかった。だから止めるのが正解で、当たり前。
「ちょっと無謀でした。私も反省しています。それに一番大切なのはハネッコを助けられたことですしね」
「――だな」
男の子とハネッコはお互いの無事を確かめあったのだろう。こちらに向かって笑顔で手を振り、大きな声でお礼を言っている。それに二人で手を振り返す。ぴったり揃った行動に思わず吹き出せば、彼も同じように肩を震わせていた。
「これもなにかの縁だ。仲良くしてくれ。オレはセキ。あんたは?」
「チクマです。よろしくお願い――」
「おっと、堅苦しいのは勘弁だ。むず痒くてかなわねぇ」
「なら、うん。わかった。よろしくね。セキ」
「おう。よろしくな、チクマ」
向けられた笑顔はまるでおひさまのようで。強い風が運んできた草の香りと共に私の心に刻まれた。
――多分、きっと。私はもうこのときからセキに惹かれていたのだろうな。なんとなく、そう思うのだ。
*
「んで? オレさまを呼び出してなんの用だよ」
こう見えて結構忙しいんだぜ、とキバナは大きな口でハンバーガーにかぶりつく。ランチを奢るっていたらすぐにOKのスタンプを送ってきたくせに。出かけた文句を同じくハンバーガーを食べることで我慢する。大きなバンズとジューシーなパティ。新鮮なレタスとみずみずしいトマト。辛めのオニオンにたっぷりのソースが挟まれているここのハンバーガーはパシオの中でも特に私のお気に入りだ。大きすぎてちょっと食べるのが大変だけれど。
それらをごくんと飲み込んで、さて本題へ。
「キバナってセキと仲いいよね」
「そうだな。よく話すぜ」
「あ、あのさあ……」
「チクマにしては歯切れが悪いな。どうしたんだよ、本当に」
うるさいな、心の準備をさせてよ。
二つ目の文句もぐっと飲みこむ。今はキバナだけが頼りなのだから、ここは下手に出るしかない。
「セキってさ、甘いものがどこまで大丈夫か知ってる?」
「ああ、サンクスデイか」
「察しがよすぎる!」
「そりゃあオレさまだし?」
「言い方変える。これだからバトルトレーナーは!」
勝負の合間に一瞬の隙を見極めるバトルトレーナーは頭の回転が速い。そうでなくともただでさえ、キバナは地頭がいい。私の一言だけですぐさまサンクスデイを見抜くぐらいには。
感謝の気持ちや、人によってはそれ以上の気持ちを伝える日。それがサンクスデイ。間近に迫ったパシオでは有志のお菓子教室が開かれ、期間限定のスイーツスタンドがメイン通りを埋めている。パシオ全体が甘い香りに包まれる今日この頃。私も去年に引き続きサンクスデイのお菓子を配るつもりだ。しかし決定的に異なる点が今年にはあるのもまた事実。
セキにはちょっと特別なお菓子を贈りたいのだ。彼に片想いする身としては。
けれども彼の好みはいまいちわからない。なにしろ私たち、一緒に食事はしたことが一度たりともない。友達になった日から交流はあるし、時間を合わせて出かけたりだってする。でもその中身はフシギダネとリーフィアのためにひなたぼっこやお散歩ばかり。
私はそれだけで楽しいし満足だ。嘘じゃない。だってセキとパシオを歩いておしゃべりするのは大好きだから。でも今はちょっと後悔している。こうしてサンクスデイのお菓子一つ選ぶのにも、彼の好みがまったくわからないのだから。
――菓子は好きだぜ。でもオレにとっちゃ、驚くぐらい甘いモンが多いな。今はだいぶ慣れたが、少し前までは口に入れるたびに噎せちまっていた。
以前、苦笑を浮かべ、そうぼやいていたのは覚えている。そのときは「ならコーヒーや紅茶と合わせたらいいんじゃない? でもあんこなら断然煎茶! 試してみて!」なんてカビゴンやヨクバリスみたいな答え方をしてしまった。思い返すだけで恥ずかしい。
とにかくセキは甘いもの自体は好きだけど、それには程度があって、しかもハードルはだいぶ高い。となればサンクスデイ定番のチョコレートは避けたほうがよさそう。でもチョコチップクッキーなら? マフィンなら大丈夫? そもそもビターならチョコレート自体も大丈夫? ぐるぐると悩み、いまだにお菓子は買えていない。
だからキバナに訊くことにした。古くからの友人に私の恋心がバレるのは恥ずかしいけれど、背に腹は代えられない。二人がよく食事に行くことはキバナのSNSから把握済み。私よりよっぽどセキの「甘いもの」の程度を知っているだろう。ちょっぴり寂しい気もするけれど。
とにかくサンクスデイまではもう時間もない。焦った私は「奢るから」とキバナをランチに誘い、こうして聞き出しているわけだ。
「それで、どうなの」
「苦手ってほどのモンは無さそうだけどな」
私が食べるのに一苦労するサイズのハンバーガーだとしても、キバナの前では二口で終わる。彼は続いてポテトに手を伸ばし、ケチャップを掬った。
「そういやこの前、一緒にアローラのパンケーキ食べたんだけどよ」
「アローラのパンケーキ!?」
あのふわふわでクリームとフルーツたっぷりなアレ!? 私だって食べたいんだけど!?
「バニラクリームは苦手そうにしていたぜ」
「というとバニラは得意じゃない感じだ?」
「どっちかっていうとその店のクリームはバニラの香りが強めだったから、そっちが理由かもな。他の店でバニラアイス食べたときはうまそうにしてたし」
「となるとフレーバー系は避けておいたほうが無難か……」
でもパンケーキを食べるぐらいだからミルクチョコレートぐらいの甘さは平気そう。ならサンクスデイは定番であるチョコ系のお菓子にしようかな。ガナッシュ入りやボンボン系の奇を衒ったものではなく、シンプルな王道チョコレートがよさそう。そうだ、洋酒ぐらいなら平気かも。そうしたらパシオでも買えるおいしい生チョコがあるんだよなあ。
ふいに視線に気がついた。もちろん目の前のキバナから。
「……なに?」
「いやぁ」
キバナはなぜかニヤニヤと笑みを深め、セットドリンクでついてきたコーラのストローを咥える。
「こっちのハナシ」
彼のグラスの中身が勢いよく減っていく。そんな一度に炭酸を飲んで喉がピリピリしないのだろうか。気をつけなよ、と言っても、彼はやはり笑みを深くするだけ。
まあいいや。そんなことよりも私はセキになにを贈ろうかで頭をいっぱいにしなければ。第一候補はやはり生チョコ。でももうちょっと探してみよう。せっかく贈るのなら、美味しいものを選びたい。
喜んでくれるかな、セキ。そうだったら嬉しいな。
あのおひさまのような笑顔を想像して、私は自分と頬が緩むのを感じた。
――そうこうして迎えたサンクスデイ。私はとてつもなく緊張をしている。セキにサンクスデイのお菓子を渡すからではない。いや、それもある。あるにはあるけれど。
「セキ!」
「応、チクマ。こっちだ」
「待たせてごめん!」
「言うほど待っちゃいねぇよ。オレこそ急に呼び出して悪かったな」
「全然! 大丈夫!」
「はは。そう言ってくれると助かるぜ」
ゆるく笑うセキにキュンとときめく。今の私に彼の笑顔は毒だ。心臓が爆発しそうなほどうるさく鳴って、全身の血が沸騰しそう。ううん、もうしているのかもしれない。
「明日どこかで時間をもらえない? セキにサンクスデイのお菓子を渡したいんだよね」ポリゴンフォンの前で悩むこと数時間。書いては消し、書いては消しで完成したメッセージ。なるべくいつもどおりを装ったその内容を送る直前、まさしくセキ本人からメッセージが届いたのだ。明日、会えないか? と。
つまりこれはセキからのサンクスデイの呼び出しに他ならなくて。もしかしたらなんともない、いつもの日向ぼっこやお散歩のお誘いかもしれないけれど、私にとっては渡りに船。二つ返事で了承したのは言うまでもない。
待ち合わせ場所はいつものはらっぱの近くにある大きな木。どこからか漂うやわらかい花の香りが漂う木漏れ日が気持ちいいそこは、ポケモンたちも含め私たちのお気に入りの場所だ。
いつも待ち合わせに使うそこを指定されたことにちょっと落胆したのは否めない。やっぱりいつものお散歩コースなのかも、って。
でもセキの顔を見ればそんな暗い気持ちは吹き飛んだ。期待していたのは私だけの都合。それを勝手に抱いて、そして勝手に落ち込むのは彼に悪い。それよりもサンクスデイ当日に一緒にいられることを喜ぼう。バッグにはちゃんとお菓子も入れてきた。悩みに悩んで選んだとっておきのお菓子を。どこかで折を見て渡そうと決意する。
さて、お散歩ならフシギダネを呼ばないと。そう思ってモンスターボールを取り出したときだった。
セキが「待った」をかけたのは。え? と思わず彼の顔を見る。そういえばリーフィアもいない。いつもなら一緒に待っているというのに。
「セキ?」
「いつも通りの散歩もいいんだけどよ。今日はチクマに渡すものがあるから、ここに呼んだんだ」
胸の奥が締めつけられた。もしかして、と淡い期待がみるみるうちに広がっていく。なによりも。セキの真剣な眼差しが私の鼓動を逸らせた。バッグの中で出番を待つお菓子の存在に意識が向く。これを笑顔で渡せたりするの?
「チクマ」
「は、はい」
セキからそっと差し出されたのは小さな花束だった。小ぶりだから見えないようにうまく隠していたんだろう。こうして目の前に出されるまで気づかなかった。私の好きな色でまとめられた花束はあしらわれたリボンも相まってとてもかわいい。思わず見惚れてしまうほどには私好みの花束だ。
「好きだ」
「――!」
「もしあんたが同じ気持ちなら、受け取ってくれねぇか」
じわと滲む視界。胸の奥が締めつけられ、鼓動が高鳴る。こんな幸せなことがあってよいのだろうか。私の答えなんて一つしかないというのに。
嬉しさで震える手を彼の手に重ねる。セキの息をのむ音が聞こえた。
「私もセキが好き」
受け取った花束からはお菓子よりもずっと温かな甘い香りがして。深く息を吸い込めば、幸福感に満たされる。思わずもう一度「好き」と呟いてしまうには、私の心はその感情でいっぱいだった。
そしてそれはちゃんと彼にも届いていたらしい。近づいてきたセキは私を優しく抱きしめる。体温が、ぬくもりが伝わる。うるさいくらいに聞こえる鼓動の音は、私と彼のどちらのものかわからない。
「応、オレもだ」
囁きが耳を擽る。思わず笑い声をこぼせば、セキも笑った。あのおひさまのような笑顔で。