「それなら、チクマさんのほうが適任だな」

きゅうりとハムのサンドイッチをちょうど食べ終わったテルは、ホップが彼にした「ヒスイ地方って、どんなところだったんだ?」の問いかけにさらりと答えた。
パシオアカデミーの屋上でくつろぐ彼らの間を風が吹き抜けていく。ちょうど晴れた雲の切れ間から差し込んだ太陽の陽射しにホップは眩しそうに目を細め、首を傾げた。

「チクマ、さん?」
「そう。ほら、おれやショウ先輩と一緒にパシオにやってきただろ?」
「……ああ、あの女の子か!」

あやふやな像がゆっくりと形になっていく。確かに一度、ホップはチクマと出会ったことがあった。
テルやショウと同じ、調査隊の服を着た女の子。ただ単に人見知りなのか、それとも彼女にとって「未知の世界」であるパシオが怖いのか……テルたちの後ろに隠れている印象しか残っていない。こちらが自己紹介をしても、か細い声で「チクマ、です」としか返ってこず、俯いてしまった姿を思い出す。だからすぐに、あの少女の姿と一致ができなかった。

「おれとショウ先輩がヒスイ地方ではポケモンの調査をしていたっていうのは、前に話したよな?」
「そのせいで驚かされたのも、忘れていないんだぞ」

背後から気配無く、急に声を掛けてきたテルのせいで悲鳴にも近い声をあげ、買ったばかりのきのみを辺りにぶちまけてしまった光景は今でも鮮明にホップの脳裏に刻まれている。友人が渋い顔をしはじめたことに気づいたテルは「あの時は本当にごめん」と苦笑を溢した。

「話を戻すと、ヒスイ地方のギンガ団ではおれ達のような『ポケモンの調査』をしていた団員の他に、地形や生息している植物の調査を任された団員がいるんだ。あの時代のヒスイ地方は人もポケモンも限られていたから、調べることは盛り沢山でさ」
「ああ、なるほど。チクマさんはその『地形調査』を担当していたわけだな?」
「そういうこと。『どんなところ?』の答えは、もちろんおれだって持っている。でもホップが知りたいのってそういうのじゃないだろ? さっきの授業、担当はジニア先生だったもんな」

まさしくテルの言うとおり。ホップが求めているのは主観な感想≠ニいうよりも、客観視された情報≠セった。

今日のアカデミーで生物学のジニアが行ったのは「リージョンフォーム」についての授業。
ホップの出身であるガラル地方にもリージョンフォームと定義されたポケモンは生息している。だからジニアの授業にはとても興味が惹かれた。
「リージョンフォームのポケモンは、これからもたくさん発見されると思いまあす。実際に見つけるだけでなく『ここには、どんなリージョンフォームのポケモンがいるかな?』と想像することも楽しいので、ぜひお友達とやってみてくださいねえ!」なんてジニアの言葉で授業は締めくくられた。

これから発見されるリージョンフォームの想像。――確かにそれは面白そう。実際に自分が調査をしたら、発見してしまったりして。興味とほんの少しの妄想がホップの心に広がっていく。

ならばまず、リージョンフォームをさらに学ばなければ。
リージョンフォームはその土地に影響されることが多い。ガラル地方でいえば、特に顕著なのがガラルポニータだろう。分布図を見れば一目瞭然。ルミナスメイズの森が与える影響は大きい。

なら、他の地方も同じような特徴的な土地があるかもしれない。そう考えたホップは、ちょうど昼食を取る約束をしていたテルに訊いたのだ。ヒスイ地方について。かの土地にもリージョンフォームのポケモンが発見されているし(ヒスイ地方のポケモンこそ原種では? という意見もあるが、それはそれ)、テルのバディは他でもないヒスイ地方のリージョンフォームだ。

テルは喉が渇いたのか、ミックスオレのペットボトルを手に取った。

「ホップが知りたいことは、ここじゃチクマさんが一番の適任だ。おれがあとで連絡しとくよ。放課後、二階の学習室に集合でいいか?」
「もちろんだぞ! ありがとうな、テル!」
「どういたしまして。これでこの前、驚かせたことは水に流してくれるといいんだけど……」
「うーん、どうしようかなぁ……」

すぐさま、わざとらしく悩むふりをする。
大げさな仕草にテルは堪えきれなくなったのか、ニヤニヤと笑いながら「いじわるすんなって!」とホップを小突く。
二人と同じようにじゃれあうピカチュウとイーブイが描かれたラベルのミックスオレの中身が、ちゃぽんと軽やかに響いた。




「えーっと……」

これはいったい、どうすればいいんだぞ……。
目の前にはおろおろと視線を泳がせるチクマ。その後ろにはボディガードよろしく、彼女とは打って変わってこちらをじっと見つめてくるチクマのヒスイニューラ。
窓の外や廊下から聞こえる和やかな空気とは正反対に、二人と一匹がいる学習室は冷え切っていた。
漏れ出そうになったため息をぐっとホップは堪える。少しでもマイナスな行動をしたら最後、ヒスイニューラから鋭いツメが飛んできそうだったからだ。

てっきり仲立ちしてくれたテルが同席してくれると思ったのに。
ここにはいない友人に悪態をつく。彼は二人を引き合わせたかと思えば、すぐにヒスイウォーグルに乗っていってしまったのだ。呼び止める間もなく。
あの時だけはチクマも同じ心境だっただろう。「え!? 行っちゃうの!?」と叫び出しそうになったに違いない。

「とりあえず、座って話そうぜ。立ってばっかりだと、疲れちゃうんだぞ」

備え付けられた学習椅子を勧めれば、チクマはこくんと頷き、座った。
ホップも同じく――一つ分、彼女からスペースを空けて――椅子を引く。気を使ったおかげか、大きな音は立たずにすんだ。

「まずは自己紹介だよな。テルから話を聞いているかもしれないけど、オレは――」
「ホップさん、ですよね」
「オレのこと知っているのか?」

先程と同じように小さくチクマは頷いた。
兄やライバルたちならまだしも、とまで考えて、思い直す。自身もネオチャンピオンとして大勢の前でポケモン勝負をしたり、パシオで開かれるイベントには結構な頻度で参加している。そんな姿を彼女が目にしていてもおかしくはない。
ジムチャレンジのときとは違う注目のされかたに気づき、身体を走るむず痒さから意識を逸らすべく、ホップは僅かに身体を揺らした。

「テルさんからお話を伺っています。ヒスイ地方の土地について知りたいって……」

そう言ってチクマは抱えていた荷物から、なにかを取り出した。
紐で綴じられた紙の束――ホップにはある種のノートにも見えた――を、数冊ほど積み上げる。
ふわりと甘いような香ばしいような、独特な紙のにおいが辺りに広がった。

「私が作成したヒスイ地方の植物と地形の調査資料です。急にパシオに来たから、これぐらいしか無いですけど……」
「充分だぞ! さわっても平気か?」
「はい。もちろんです」

どうぞ、と促されるままにホップは紙の束を慎重に持つ。当たり前だが、普通のノートよりもずっと心許なく見えてしまって「壊したらどうしよう」だなんて、考えがつい過ぎってしまう。
けれども、紙の束は自身の想像よりもずっとしっかりした作りをしているらしい。ページをめくっても、紐はまったく緩まず、紙もまた簡単にちぎれる様子は無かった。

屋外で描いたであろうページには、急いでいたのか掠れのようなものがいくつかあって、それらが「チクマの手作り」感を加速させていた。一枚、一枚、ゆっくりとページを捲る。
知らない植物や鉱石のスケッチを目にする度にホップの瞳は輝きを増していく。
それらが採取できる場所の様子、土の手触り、水のにおい――想像以上に細かに記されているその内容からは、数メールおきに地質の調査をしていることが窺えた。

「この鉄分の多い水って、どんなのなんだ? 飲料水?」
「はい。人が生活する上で欠かせないのが水ですから、まっさきにヒスイ地方の水を調べたんです。そうしたら、博士の出身地より鉄分の含有が多かったらしくて」

人やポケモンが飲む分には問題は無く、生活用水としても利用は可能。
かの土地で調査をしていたポケモン博士はそう結論を出したとチクマは言う。

「そこからいろいろと調べたんです。そうしたら山岳地帯は、特に含有量が多くって」
「それがポケモンにも影響与えたってことか?」
「そうだと思います。水質の影響を受けやすいヌメラたちが、今の時代と私たちの時代で姿が異なっているのは、そのせいかもしれません」

水質のページに横に書き添えられたヒスイヌメイルとヒスイヌメルゴンのスケッチを、彼女は指差した。

「でも、水の影響で言ったらシャワーズとかにも影響しそうなんだぞ。でもヒスイのシャワーズはリージョンフォームしないよな?」
「そう、ですね……。変わりは無いように見えます」

遺伝子が不安定だからこそ、進化先が多岐にわたるイーブイ。特にシャワーズは細胞が水の分子と酷似している。水質の影響を真っ先に受けてもおかしくはないはずだ。だというのに「ヒスイシャワーズ」は存在していない。

「進化方法が『みずのいし』を使うからか? でもアローラナッシーも似たような進化をするし……」

であるのならば、アローラナッシーと同じくらいシャワーズだってヒスイ地方の影響を受けてもおかしくはない。今度ククイ博士に会ったら話を聞こう、とホップは頭の片隅にメモを残す。
そこまで考えて、はたとホップは気づいた。いつの間にかチクマの視線が紙の束ではなく、自分へ注がれていることに。

「すごい、ですね」

呟き声が学習室に響く。落ち込んだような、悲しげな、自分自身に裏切られたような――さまざまな感情がまぜこぜになった不安げな音を孕むそれを拾い、ホップは思わずくちびるを強く結んだ。

「私、考えもしませんでした。水がなぜヌメラには影響して、シャワーズには影響しなかったのか、なんて。そこから考えられること、調べられること、いろいろあるのに……ホップさんに言われるまで、ただの一度も浮かびもしなかった」

俯いたチクマの横顔を隠すように、彼女の髪がはらりと落ちた。

「調査隊、失格ですね」
「そっ……!」

そんなことはない。そう言い切れたらよかった。
しかしホップがそう言い切るには彼女の仕事を知らなさすぎた。数ページ読んだだけでも、彼女は優秀な調査員だっただろうことは窺える。しかし、これは彼女の仕事の一片にすぎない。
仕事に誇りを持ち、大切にしているからこそ、些細なきっかけで落ち込んだっておかしくはないのだ。

何も知らないからこその言葉が励ましになることもある。けれど、同時にそれが毒になることだって、十二分にある。その尊さも危うさも、自分はよく知っている。
ホップはすぐに言葉がこぼれないように細心の注意を払いながら、ゆっくりと口を開いた。

「――じゃあ、一緒に勉強しないか?」
「……え?」
「オレがシャワーズのことに気づいたのは知識があったからなんだぞ。だからチクマさんもシャワーズのことをちゃんと知っていれば、オレと同じことを絶対に思いついていた」
「そんなこと……」
「あるんだぞ!」

これは言い切れた。だってこんなにも丁寧なスケッチをして、こんなにも詳しく観察ができるのだ。それに伴う知識さえ手に入れれば、あっという間に自分だって追い越してしまう。――なんてことは悔しいから、まだ言えないけれど。

「ちょうどパシオアカデミーここがあることだしさ! オレもまだまだ勉強中なんだ。一緒に授業を受けないか?」
「わ、私でもできるものでしょうか……」
「もちろん! それにチクマさんは一人じゃ無い。オレもいるし、テルもいる。他にもいっぱい仲間ができる。みんな、チクマさんを助けてくれるし、チクマさんにもみんなを助けてもらいたい。オレ、こんなうまくスケッチできないからさ、コツとか教えてほしいんだぞ」
「っ、私でよければ……!」
「じゃあ、さっそく入学手続きだ! まだクラベル先生は職員室にいるだろうし、早速行こうぜ!」
「はいっ!」

頷くや否や、チクマは広げていた紙の束を片付けはじめた。もちろんホップもそれを手伝うべく、空いた一人分のスペースを詰める。念のため彼女の横顔を盗み見た。急に距離を縮めたせいでチクマが怯えないか不安に思ったのだ。

しかし、ホップの心配とは裏腹にチクマは近づいた距離にさえ、気づかない。
それどころか、表情は晴れやかだった。落ちていた髪はいつの間にか耳にかけられており、まるいやわらかそうな頬がほんのりと色づいている。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、ホップは慌てて目を逸らした。
その視線の先にいたヒスイニューラと目が合う。学習室のライトに反射したのか、鋭いツメ先の輝きがホップを貫く。ひやりと、彼の背筋に寒気が走った。

「ホップさん?」
「な、なんでもないんだぞ!」

挙動不審だったが、なんとかチクマは誤魔化されてくれたらしい。首を傾げながらも、ホップのあとに続いて部屋を出る。
パチンと電気が消えた学習室。誰もいないはずなのに、どこか温かな空気がそこには満ちていた。

***

パシオアカデミーに入学したチクマは当初こそ借りてきたニャースのように丸まり、テルやホップがいない教室では、ぽつんと隅の席で授業を受けることが多かった。しかし、次第に交友関係も広がってきたのか、今では一人でいる姿を探す方が難しい。
勢いで誘った手前、どうなることやらと気揉みしていたホップだったが、マリィやアイリスと共にラウンジでお菓子を食べるチクマの笑顔を見て、そっと胸を撫で下ろした。

そんな日々がしばらく続いたある日のこと。ホップはその日、午後からアカデミーへ登校していた。
アカデミー≠ニいえど、そこまで出席率は重視されていない。好きな授業を好きなときに受ける。それがパシオアカデミーの方針だ。ホップも同様に、朝から登校するときもあれば、こうして午後の授業だけを受けるなんてことも多い。

「やっと来た」

だからこうして、マリィがわざわざ声をかけてくるとは思わなかった。しかも自分を待っていたような口ぶりで。彼女はパシオアカデミーの制服であるオフホワイトのスカートを揺らしながら、いつもより少し早足でこちらに近づいてくる。
わざわざ校門にいたあたり、よっぽど自分の到着を待ち望んでいたのだろう。若干の申し訳無さを感じながらも、ホップは尋ねる。

「オレに用事? 急ぎならポリゴンフォンで連絡してくれればよかったのに」
「あたしが連絡したら意味なかったからね。今も、代理で待っていたのようなもんだし」
「代理? 誰の?」
「チクマの」

ああ、と合点がいく。チクマなら確かにポリゴンフォンでの連絡はしてこないだろう。自分にとっては身近で扱いに慣れていても、彼女はそうでもないらしい。支給されてだいぶ経つが未だに操作が覚束ないのか、彼女からのメッセージは数えるほどしか送られたことが無かった。

「今、チクマは授業中。ホップは次の時間から?」
「その予定なんだぞ。ハッサク先生の美術を受けようと思って。クリスから話を聞いたら、興味が湧いてさ」

その答えを聞くやいなや、マリィは取り出したポリゴンを操作する。ピロンと小気味いい音を合図に、彼女の瞳が画面に向けて忙しなく動く。

「ちょうどよかった。チクマも同じ授業だから、教室で先に待っていて」
「……? わかったんだぞ」

とにかくチクマは自分に用事があって、次の授業で会えるというわけだ。
ただ、わざわざそれを自分にマリィが伝えに来たというのが引っかかる。いくらポリゴンフォンの操作が不慣れだとしても、それこそマリィに操作を教えてもらうことはいくらでもできたはずなのに。
そんなホップの疑問をマリィは見抜いたのか、優しげに目を細めると「これはあたしたちのお節介ったい」と口元をわずかに緩めた。

「とにかく、よろしく。あとは任せるけんね」

マリィはひらりと手を振り、帰ってしまった。
残されたホップは彼女の背で目立つモトトカゲの刺繍を見送ることしかできない。呼び止めて説明を求めても、はぐらかされてしまうことがわかっていたからだ。

まったくもって状況が掴めないまま、ハッサクの授業が行なわれる教室を目指す。
チクマに関連することぐらいしか、今はわからない。そのことが少しもどかしい。

チクマには笑っていてほしい、とホップは思っていた。不安げに揺れる瞳も、くちびるをきゅっと結び耐える表情も彼女には似合わない。
できれば、あの日のように、頬を染めた晴れやかな笑顔がいいのだけれど。

マリィが絡んでいるから悪いことは無いはずだ。いったい彼女に何が起きたのだろう?

答え合わせはあっという間だった。チクマが教室にやってきた瞬間、すぐにわかったから。
メイと共にやってきたチクマは制服を着ていたのだ。ヒスイの調査隊のものではなく、パシオアカデミーの制服を。

グレーのブレザーと赤いカーディガン、胸元に揺れるのは控えめなイエローのリボン。オフホワイトのスカートはダイヤ柄のデザインが差し込まれ、パシオアカデミーのエンブレムが輝いている。足元は赤いラインの入ったホワイトの靴下と、ピカピカなダークブラウンのローファー。
マリィのようなアレンジもない、模範的とも言える制服の着こなしだ。この服装の生徒はパシオアカデミーでは当たり前。
でもなぜか。ホップにとってはその中の誰よりも――

「……かわいい」

漏れ出た言葉は無意識だったのか。ホップは呆然とチクマを見つめたままだった。同じく自分の制服姿を見られていると気づいているチクマは、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めている。俯く仕草は、最初に出会ったときと同じ。

顔、あげてほしい。
椅子に座っていたホップは思わず立ち上がりかける。今すぐ彼女の元に駆け寄って、その顔を見たくなった。

「ホップさん! チクマさんの制服、似合ってますよね!
「も、もちろんなんだぞ!」

ぼんやりと飛んでいた意識がメイの声で戻ってくる。浮かしていた腰を落ち着かせ、空いた隣の席を勧めれば、おずおずとチクマは座った。続けてメイも椅子を引いた。

「びっくりしたんだぞ。制服、頼んでいたのか?」
「せっかくだから、着てみたらってメイさんとマリィさんに勧められて。私も新しいことに挑戦したかったので、いい機会だなと思ったんですが……」
「スカートを履くのが初めてだったらしくって。こんなにかわいいのに、もう着替えたいってずっと言っていたんですよ」
「だってなんだか心許なくて……」

確かに言われてみれば、テルもショウも、そしてチクマも。調査隊の制服は首から足元まできっちりと布で覆われている。それが急に軽装になれば(制服は決して軽装とも言えないが)、不安にもなるだろう。

「でも着替えていないよな? どうしてなんだぞ?」

せっかく用意された制服は勿体ないけれど、居心地の悪さを優先するほどではないだろう。元から私服登校が可能なのだ。無理して着る必要はない。ホップとしてもチクマには無理をしてほしくなった。
純粋な疑問を口にした瞬間、彼女を挟んで奥にいるメイが目を丸くした。「嘘でしょ!」と言わんばかりの表情に変わっていく。

チクマは小さくくちびるを動かし、震えたか細い声を出した。

「――ホップさんに」
「オレに?」
「ホップさんに見て、もらいたくて」
「!」

ホップはようやくすべての合点がいった。
マリィがわざわざ校門で待っていた理由。それはいち早く自分が登校したことをチクマに伝えるために他ならない。そうすれば慣れない制服だって、もう少しだけ着ていようと頑張れる。

もしも今日登校しなかったら、チクマはこの授業を受ける前に制服を脱いでいたに違いない。この時間が彼女にとって、デッドラインだったのだろう。仮に少しでも遅れていたら、マリィからチクマヘの連絡はなく――自分はこのかわいい姿を見られなかった。
お腹の奥がぐるんとひっくり返ったような恐怖がホップを襲う。早めに来てよかった、と過去の自分を褒め称えた。

「似合う! すっごく似合っているんだぞ!」
「……本当、ですか?」
「一番! 一番似合ってる!」
「アカデミーに誘ってもらったホップさんに、できれば見ていただきたくて……。そう言ってもらえて、本当に嬉しいです」

これからも勉強、頑張れそうです。
頬を淡く染め、安心しきったようにふにゃりと笑う。
チクマのそんな笑顔は初めてで。ホップの心臓が大きく跳ねた。ドキドキと波打つ鼓動が耳の奥でうるさくて、彼女の頬の赤さが移ってくるようだった。

なんとか授業を終えたホップは、改めて制服姿のチクマを目の当たりにすることになる。
お披露目するかのようにくるりと一周回る軽やかで可憐な動きと照れくさそうな彼女の笑みが、ホップの気持ちを加速させる。つまり自覚をせざるを得なかった。
チクマへの恋心を。

「こんなの誰も教えてくれなかったんだぞ……」

チクマとメイの二人と別れたアカデミーの帰り道、ようやく落ち着いてきた心臓の音をBGMにホップは一人ごちる。
明日からどんな顔をして彼女と会えばいいのか。平常心でいられる自信は無い。となれば、周りの友人たちにはあっという間にバレるだろう。特にユウキあたりはこれ見よがしにからかってきそうだ。
しかし、そうだとしても「チクマと会わない」という選択肢は無いわけで――

「チクマ、かわいかったな……」

終ぞ言えなかったその一言を口にすれば、また心臓がうるさくなっていくのがわかった。
明日、ちゃんと言おう。きっとチクマは喜んでくれるはず。今日と同じ、嬉しそうにはにかんでくれるに違いない。

――なんて決意したのはいいものの、結局ホップがそれが言えたのは、チクマが制服の着こなしに慣れるほどに時間が経ってからだった。
実はチクマも自分に恋をしていて、二人が両片想いであることを知ってから、ようやく。
「チクマが一番かわいいんだぞ!」と叫んだのは。


よろしく、青春!
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