※ネームレス
言い訳をするのならば。今日(正しくは昨日だけれど)が、ガラルで仕事が始まる前に羽目を外せる最終日だった、の一言に尽きる。
「だからって羽目外しすぎでしょうが……!」
大型のポケモンが眠るためのクッションやラグが転々と置かれている広々とした部屋には、私が三人ぐらい寝転がっても平気なほどに大きなベッドが一つ。そして眠りを妨げない程度にオレンジ色を灯している間接照明。まるで絵に描いたような理想の部屋。ここがホテルだったら、私だって一分一秒でも長く居座っていただろう。
――そう、ホテルだったのなら。
悪態をつきながらも、荷物をまとめる手は止めない。怠い身体と痛む頭に鞭打って、くしゃくしゃに丸められたブラウスとスカートを史上最速で着る。寝坊したときだって、こんなに早く身支度を整えたことは無い。その間も意識は後方に向け「まだ出るなよ!」とシャワーの音が続くことを祈り続けた。
昨夜奢ってもらった食事代のつもりでテーブルの上に財布に入っていた全財産を残し、最後にざっと忘れ物チェック。「私」という人間の痕跡を残すわけにはいかない。
そしてゆっくり、音を立てないよう、慎重にドアを開けた。まだシャワーの音は響いている。入ったばっかりだったのかな。それともポケモンを洗っているのだろうか。どちらにしろ、運がいい。
抜き足差し足忍び足。息も潜めて、私は玄関ドアまで一直線。
他の部屋に続くドアの数々に一瞬目眩がしたが、間取りの構図自体はシンプルなものなようで、すぐに玄関ドアは見つかった。ドアノブに手を掛け、はたと気づく。私が出て行ったら、誰が鍵をかけるんだろう。そのまま開けておくのはさすがに良心が咎めた。でも悩んではいられない。部屋の主が私の記憶どおりなら――まあ、なんとかなるでしょう。なんでも解決できそうなフィジカルも地位も持っているし。……まあ、そのせいで今頭を抱える羽目になっているわけだけれど。
ごめんなさい、と謝りつつ、私は部屋を飛び出した。
幸運にもエレベーターにすぐ乗り込むこともできて、私は彼の部屋もといシュートシティでも指折りの高層マンションから脱出することができた。
朝焼けに霞む街の空気は想像よりずっと澄んでいて、冷たい。焦る気持ちが少し楽になる。とはいえ、まだ油断はできない。早く帰らなくちゃ。ここであの人に捕まったら意味が無い。あと、私も早くシャワーを浴びたい。
モンスターボールから相棒を出す。スンと無表情な瞳はいつもより呆れを含んでいるように見えた。
「反省会はあと! ネイティオ、そらをと―んじゃダメなんだった! ごめん、忘れてた!」
ガラルは
ジョウトと違ってそらをとぶ≠ナの移動は許されていない。短距離なら目を瞑ってくれるらしいけれど、シュートシティからブラッシータウンはどう考えても「短距離」とは言い難い。
大人しく空飛ぶタクシーを拾おうとして、気づく。
財布にお金、入ってないや。
「……クレジットカード、さすがに使えるよね?」
私の問いにネイティオは無表情のまま、翼を広げた。それがこの子の肯定の表現であることはもちろん知っている。
♛
ガラル地方に行くことになった。
そう両親に告げたとき、二人が不安そうに表情を曇らせたのをよく覚えている。「そんな遠いところに一人で大丈夫?」と続けて尋ねられ「子供じゃないんだから平気だよ。ネイティオもいるし。それに支店立ち上げのヘルプが理由だから、行くっていっても一年間だけなんだよね。落ち着いたら戻りも早まる予定」なんて、笑って返したことも。
実際、ネイティオは私のガラル行きを止めはしなかった。未来を見通す力を持つと言われるこの子がなにも言わないのだ。きっと悪いことは起きないはず。
それに正直ワクワクもしていたのだ。だって初めて訪れる場所で一人暮らし。しかもジョウトとは文化も住むポケモンも何もかも違う。もうとっくに終えた冒険がまた再び訪れたような、そんな気持ちが無かったといったら嘘になる。たとえ仕事で忙殺されるとしても、だ。
会社が用意してくれた部屋は日当たりもよく、ネイティオも気に入ってくれたようだったし、のどかな空気が漂うブラッシータウンは住み心地がよかった。ハロンタウンから聞こえてくるウールーの鳴き声もかわいい。それに電車に乗れば、エンジンシティまで一本で行かれるのも高評価。こんな素敵なスタートを切れたのだ、これからの日々に期待が膨らまないほうがおかしい。
新生活の高揚した気分に押され、元々少なかった荷ほどきもすぐに終わった。ならやることは一つ。
「明後日から仕事だし、今日の内に遊んでおくかぁ!」
せっかくだし、と向かったのは、ガラルでも指折りの都会であるシュートシティ。ジムチャレンジ開催中ではないから、有名なスタジアムで試合こそ開催されていなかったけれど、街は新旧チャンピオンのフラッグやらポスターが所狭しと並べられていた。
前チャンピオンのダンデ。彼はついこの間、守り抜いていた玉座を明け渡したようだ。そういえばネットニュースの記事で読んだ気がする。その時は「お、殿堂入りじゃん」ぐらいの気持ちだったけれど、ガラルではかなりのビックイベントだったらしい。
ポスターに映るダンデの横顔を、改めてじっくりと眺める。靡く深い色の髪も陽だまりを溶かしたような色の瞳も綺麗。なんだか不思議な勇ましささえ感じる。この人が戦っている姿を見てみたかったなぁ、なんて叶わない夢を願ったみたりして――
「だからって、こんなにすぐにダンデが見られるなんて思わないじゃん」
「しーっ、ダメだよ、おねえちゃん。ダンデはね、おしのびってやつなんだよ。だから、ダンデって言っちゃダメなんだって」
「ごめんね、気をつけるね」
いや、忍べてないけど。もう言われちゃってるし、バレてるじゃん「ダンデ」って。
野外のバトルコートで行なわれている勝負を眺めながら、思わずつっこむ。
帽子を目深に被り、ジーパンとTシャツというラフな格好をしているが、一つにくくられた髪色や、影の隙間からちらりと覗く特徴的な瞳は隠しきれていない。というか、変装なら髭を隠すようにマスクとかしたほうがいいんじゃ。って、ぐしゃぐしゃに握りつぶしている白いのが、まさかマスク? ああ、自分で取っちゃったの……。
しかしガラルの人々にとってはこんな光景は日常茶飯事なのかもしれない。どうやら大人も子供も「気づかないフリ」をしているようだった。声援も、どちらかというとダンデというより、相手トレーナーへ向けられたもののほうが多い。
しばらくして勝敗が決まった。やはりというべきか、ダンデが勝った。出していたポケモンもガマゲロゲ一体のみ。お互いに真剣勝負であったようだけれど、彼のほうはだいぶ余裕があったみたいに見えた。
序盤の戦い方を見るに、相手のマシェードの特性は『あめうけざら』だろう。通常のマシェードが持つには珍しい特性だから、対戦のためにちゃんと育ててきたに違いない。
もしかしたらダブルバトルを見据えていたのかも。
あの特性ならガマゲロゲが初手であまごい≠したときには、トレーナーも嬉しかっただろうなぁ。なんならガマゲロゲ対面の時点で、飛び跳ねそうになったはず。
タイプ相性だって完全に有利だ。
でも、すぐにいえき≠ナ切り返したダンデのほうが一枚上手だったみたい。勝負全体を通してみても、不利対面なのにピンチになって焦った様子は全く無かった。
でも、なんであまごい≠オたんだろう。相手はくさ・フェアリータイプ。あまごい≠オたところで、相手のわざの威力が落ちるわけもない。
「……もしかして、わざとあまごい≠オた?」
まさか特性を判断するためだけに? さすがに対戦で『はっこう』にする意味は無いから、残されているのは『ほうし』か『あめうけざら』の二択。どちらかを見極めるため、わざと雨を降らせたのだとしたら。
――それは、ちょっと、いやだいぶ怖い。特性を確認するためだけに、大事な攻撃の一手を捨てるなんて、私にはできない。
「キミ!」
大きな声に身体が跳ねる。爛々とした瞳がこちらに向けられていた。私の独り言を肯定するかのように、ダンデは笑う。
「オレと勝負をしないか?」
首を横に振りたくとも、周りの空気がそれを許さない。なによりも、他ならぬダンデから逃げられる気がしなかった。
……ええい、やってやろうじゃない。私だってジョウトじゃ、そらをとぶ≠使えるぐらいにはジムバッジを集めたトレーナーだったんだ。一矢程度は報いられるはず。
それにガマゲロゲ相手なら、こちらのネイティオのほうがタイプ相性がいい。少なくともマッドショット≠ヘ封じこめる。
一歩踏み出せば歓声が私を包んだ。バトルフィールドの端と端。公式の規格よりは少し狭いそこで私たちは対峙する。
目と目が合えばポケモン勝負。ボールを構え、ポケモンを繰り出す。私はネイティオ。ダンデはオノノクス。
……ガマゲロゲじゃないんかい! ドラゴンタイプだなんて、聞いていない!
案の定、こてんぱんにされた。ネイティオも善戦はしてくれたけれど、そこはトレーナーの力量が出てしまったかのように思う。いや、振り返ってみれば一矢ぐらいは報いられたか?
終わったばかりの勝負を振り返りつつ、交わした握手。
楽しそうに煌めく瞳に「綺麗だな」としみじみ感じたのも束の間、私にしか聞こえない声量で囁かれた。
「キミと話がしたいんだ。時間を改めてゆっくり。今夜、食事に行かないか?」と。
わずかな時間で早口に指定された場所は、路地裏にあるほどよく賑わいの見せるバーだった。まさしく「ガラル地方の飲み処」という門構えに思わずたじろぐ。ジョウトの居酒屋とは雰囲気が違う。彼はまだ来ていないようで、かといって先に入っている勇気はどうにも出ない。形態は違えど飲み屋は飲み屋。なのになぜか敷居が高く感じる。
仕方なしに店の近くで待っていれば、ダンデは約束の時間から少し遅れてやってきた。リザードンに「助かったぜ!」と笑いかけ、私には「遅れてすまなかった。詫びにここは奢らせてくれ」と眉を下げた。そして自然な流れでエスコート。ドアを先に開け、わずかな段差だというのに私に手を差し出し、フォローする体勢を取る。
昼間のラフな姿と違ってフォーマルなジャケットを着ているせいか、第一印象がガラガラと音を立てて崩れていく。マスクをくしゃくしゃに丸めていた彼はどこにもいない。ちゃんと大人の人だ、なんて当たり前のことを再認識。差し出された手を取れば、わかりやすく男性のそれで少し気まずくなるほど。
オススメという食事とお酒をオーダーし、乾杯。大人しくグラスを傾けていたのは最初ばかりで、彼のグラスはいつしかジョッキに、そして瓶へと変わっていった。それにつられ、私もいつもより多く飲んでしまった。その自覚がありつつも、止められない。
「キミはガラル地方のトレーナーじゃないだろう?」
戦い方が『ダイマックス』前提の動きをしていなかった。興味深かったぜ、とダンデはエールビールの王冠を開ける。私もやってきたばかりの新しいグラスに口をつけた。
もう何杯目かわからない。アルコールのせいで体温は急上昇中。次は水にしておこう。
「ガラルにはなぜ来たんだ? 観光か?」
「仕事」
「いつから?」
「あさって」
「なら、今夜はまだ付き合えるな」
そう言って彼は勢いよく瓶を煽る。こっちの人がお酒に強いのは本当なんだな、と思うと同時に、盛大に動く喉仏に目に入って思わず胸が高鳴った。
彼の仕草の一つ一つが、先程からずっと私のときめきを刺激している。くらくらと頭が揺れ、耳の奥で鼓動が響く。誤魔化すようにお酒を飲んだ。
「仕事はなにを?」
「バトルコートの整備会社。といっても、元チャンピオンが使うようなコートは担当しないだろうけれど」
ダンデは私の言葉に瞬きを数回。そして「オレを知っていたのか」と呟いた。
「本気で言っているの? ならアドバイス。もうちょっと『おしのび』って言葉の意味を学んだほうがいいよ」
「ああ、よく注意されているぜ」
「なら改善しなよ……でも、おかげでラッキーだったな」
オススメされたオレンジ味のカクテルが喉を通っていく。
「非公式とはいえ『チャンピオン』と戦えたんだもの」
私が持っているバッジは六つ。ヤナギさんにどうしても勝てず、諦めた。だから本来の私にチャンピオンへの挑戦権は無い。
「ジョウトじゃ公式戦以外でチャンピオンと戦えることなんて無いし」
「セキエイはリーグ本部だからな。ガラルでなくとも、他と比べても難しいだろうぜ」
「そう。だから、あなたと戦えて本当に嬉しかった! やっぱり強い相手とのポケモン勝負っていいね! 私も、もっと強くなりたいって思えるもの!」
こんなことなら、他のてもちの子たちも連れてくればよかった。トレーナーの都合に振り回すのもな、と思って、実家に預けてきてしまった。あの子たちがいればワンチャンあったかも、なんてね。
緩む頬のまま、残ったチップスを摘まもうと手を伸ばす。しかし私の指はチップスにふれることはなかった。代わりにダンデの指と絡み合う。切りそろえられた爪先が淡い色の照明に照らされた。
どうしたの? なんて尋ねようとして、顔をあげた。
次の瞬間、後悔。私を見つめる表情の奥にある感情に気づいたから。呼吸が止まる。先程とは違った意味で「どうしたの?」と訊きたくなった。
「よければなんだが」
待って、待って、待って。
「オレの家に来ないか? そしてキミが許してくれるのなら―朝まで一緒にいたい」
そんな気配、無かったじゃない!
言葉と瞳から注がれる
熱に、気づかないほど私は子供では無い。
私のなにが彼の琴線にふれたのかはわからない。たまたま勝負の後でお酒を飲んだら、そういった気分になって、ちょうど目の前にいた私を誘った。そんな軽い理由かもしれない。その可能性は多いにある。ダンデはきっと深く考えていない。
だから、これは私の問題。頭の奥では「やめておいたほうがいい」と理性が警告を鳴らしている。そして、アルコールがそれを抑えこみかけているのも、自覚している。
そう、今なら。今ならアルコールのせいにできるのだ。全部。
彼につられて、普段より多く飲んでいる。酔っている。大きな気持ちになっているのも、彼との夜に興味が沸くのも、きっとそのせい。
そして明日は休日だ。いくらでも、それこそ朝までだって一緒にいたって構わない。
誰にも迷惑はかからない。
男性的な指が私を誘うように動く。辛うじて出した言葉は震えていた。
「あ、あんまりよくないんじゃないの? こういうのって」
「オレの立場を気にしているのか? 見てのとおり、子供じゃないんだ。誰にだって咎められる理由が無い。ああ、違う。一人いるな。……止められるのはキミだけだぜ」
どうする? とこちらに選択肢を委ねてくるのだから始末が悪い。甘い囁き声、これからをねだる指先。アルコールに染まった血液がさらに熱くなって身体を巡る。
「キミがキミ自身を許してくれるのなら、」
オレに抱かれてほしい。
ダンデに連れてこられたのは見たことも無いような高層マンション。ラウンジにはドアマンが恭しく私たちに頭を下げる。エレベーターで押されたボタンの数字は上から数えたほうが早いほど。
自然と腰を抱かれ、距離が近づく。感じる体温に心臓が爆発しそうだった。
経験が無いわけじゃない。でもこんな――お酒と勢いに任せた夜の経験は無い。
「そんなに緊張しないでくれ。オレにも移る」
熱っぽい吐息と共に耳元で囁かれる。上ずる声があらがないよう必死に抑えた。
「むしろ、手慣れているように、見えるけれど」
「そう見えているのなら、取り繕っているかいがあるってもんだぜ」
ダンデはくちびるにだけ笑みを宿す。欲に濡れた眼差しが私に注がれる。
「こうして女性を誘うのは初めてだ」
嘘だぁ、なんて一言はエレベーターの到着音で消されてしまった。
――あとはもうなし崩し。部屋に入った瞬間から、くちびるごと食べられてしまった。軽々と抱えられて寝室に向かう間だって、息継ぎさえ与えられず「せめてシャワーを」と訴えても聞こえないフリをされ、無視。
大きなベッドに寝かされたかと思えば、あっという間に服も下着もどこへやら。熱い舌と太い指が、身体を撫で上げる。
次第に私が発する音は喘ぎ声だけになり、彼の全てを受け入れ続けた。文字どおり、朝まで。
鈍い快楽が全身を貫いたかと思えば、いつの間にやら私の意識は飛んでいた。意識と共に記憶だって飛んでくれればよかったのに。不幸にもアルコールの余韻と共にばっちり残っている。
気怠げな身体と遠くから聞こえるシャワー音に、己のしでかした失態を思いだし、一気に血の気が引いた。私は一刻も早く、この部屋を出なければならない。だってあのダンデとワンナイトだなんて。ここが私の
地元だったならまだしも、彼の
ホームでこれはまずい。先に起きていてくれたのが不幸中の幸い。彼はまだ私が目覚めないと思っているだろう。この間にこっそりと帰らなければ。
ウトウトとする間もなく、タクシーは淀みなく、ブラッシータウンのマンションに着いた。ダンデの部屋とは大違いの狭い1Kが今はひどく心地いい。
自然とあくびがこぼれた。今頃ダンデは私がいないことに気づいただろうか。良心がチクリと痛む。でも、あのまま部屋にいたほうが、お互いにデメリットのように思う。それこそダンデはお酒で記憶を飛ばすタイプかもしれない。……なら私を起こすか。
もうこれ以上深く考えることはよそう。羽目を外しすぎたのは反省。しばらくお酒は控えます。それでこの話は終わり。そもそも、もうダンデと会うことはないだろう。
良くも悪くも、ワンナイトってそういうものだ。
♛
「遅いぜ。いつもこの時間なのか?」
「ど、どうして」
惣菜が入ったエコバッグが音を立てて落ちる。その軌跡を煌めく瞳で追ったダンデは「落ちたぜ」なんて当たり前のことを言った。
仕事を終えて、職場近くのデリで売ってた半額のラザニアを買って帰宅した私の目の前にはいたのは、あの夜ぶりのダンデ本人。ドアの前に座りこんで、どこからか入り込んできたクスネを撫でていた。
「なんでここがわかったの!」
「……あの朝、キミがタクシーに乗り込み、ブラッシータウンのほうへ向かったのを、たまたま知り合いが見ていてな。ちょっとした会話から、それを知ったんだ」
あとは自然にわかったよ、と彼はさも当たり前に言う。
「オレの地元はすぐそこのハロンなんだ。ハロンもブラッシーも、小さな町だろ? 新しくやってきた人間はすぐわかる。しかも毎朝ネイティオを日光浴させていたら、イヤでも目立つぜ」
だってネイティオは日光浴が好きだから仕方ないじゃない!
「と、とにかく中に入って」
「入れてくるのか?」
「外で話していたら目立つでしょうが」
「キミに言われて、おしのびを勉強したつもりなんだが。これでも足りない?」
「前よりはずっといいけど、たった今、自分で言ったでしょうが。地元がすぐそこで、ブラッシーは小さな町だって。変装したところで、あなたが誰かなんて、みんなすぐにわかっちゃう」
「それもそうだ」
わかっているのなら、こんなところで待たないで欲しかった。
文句をぐっと飲み込んでエコバッグを拾う。中のラザニアは四角形を崩すこと無く、美味しそうな焦げ目をパックの中から覗かせていた。とはいえ食欲はほぼ消えた。
鍵を開け、ダンデを部屋に招く。律儀に「お邪魔します」と帽子を取ったのも束の間、私がドアを閉めた途端に表情を不機嫌そうに歪めた。
「なぜ勝手に帰ったんだ。キミがベッドから消えていたとき、オレがどんなにショックだったか!」
「……帰るでしょう、普通」
「普通?」
「だって、私たち――」
言うのを少し躊躇った。鍵をかける音をきっかけに、無理矢理声を絞り出す。
「たった一夜の関係でしょう」
彼に抱かれたことに後悔は無い。忘れられない夜だったのも事実。
だからこそ、後腐れ無く終わりにしなければ、とも思う。一夜の出来事として、最初で最後の関係。
私の言葉にダンデは訝しげに眉を顰めた後、「ああ」と思いついたような手を打った。
「『一度抱いたくらいで彼氏ヅラしないでよね』ってヤツだぜ?」
「言い方! というか、全然違うし!」
「オレにはそう聞こえたが?」
「逆に訊きたいんだけど、ダンデこそなんで私なんか気にするの? 普通逆でしょう⁉ 私が追いすがるならまだしも、誘ってきたあなたがなんで引き止めるの?」
「それこそ意味がわからないぜ。答えは一つだろう」
「……?」
「終わりにしたくないからだ。オレはキミとの関係を、あの一夜で終わりにするつもりは、さらさら無いぜ」
ダンデの表情は真剣そのもの。嘘を言っている欠片も見えない。混乱する私がおかしいと言わんばかりだ。
「ワンナイトのつもりだったんじゃないの?」
「……心外だ」
怒っている、呆れている、信じられない。そんな感情が混ぜこぜになったように、瞳を揺らした彼は大きく息を吐いた。一歩、私に近づく。距離を保とうと後退れば、冷たいドアが背中にふれた。
「どうやらキミは、とんでもなく鈍いらしい」
子供に言い聞かせるように、ゆっくりと。同時に子供には聞かせないような、甘えた声を出した。
「オレはずっと最初から、キミを口説いているんだぜ」
わずかな赤みを頬に宿し、まるで恋人に向けるかのようなとろりとした眼差しが私に注ぐ。切りそろえられた彼の爪先が、誘うように私の足を撫でた。
「それで、今夜はキミのベッドで一緒に寝ても?」
ガサリ。エコバッグが再び、この手から滑り落ちる。
今度こそ、あの綺麗な四角形は崩れてしまったに違いない。