※ネームレス
「失礼、いま、お時間よろしいでしょうか?」
固い男性の声。大きな声を出さない気づかいは、あいにくと私以外に向けられていた。
つまり、待ち構えていたのだろう。他でもない、私を。駅から出た途端に、彼は巨体に似合わず俊敏な動きで一直線にこちらにやってきた。降りる乗客を一人一人チェックしていたに違いない。
いったい何者なのか。その疑問はすぐに解決した。胸元に輝く特徴的なエンブレムに気づいたからだ。思わず顔を顰めてしまう。
良くも悪くも今のミアレでサビ組は有名だ。あのプリズムタワー半壊にも関わっていると聞くし。
「ツアーなら間に合っています。私、観光客じゃないんで」
「存じております」
……顔と名前がばれている。ますますわからない。私、こんな人たちに関わるような生き方をしていた覚えは無いのだけれど。とはいえ、逃げるのはもう得策では無さそう。このまま追いかけられ、自宅まで突き止められるほうが困る。
「ならご用件を伺えます?」
「もちろんです。よろしければこちらへ」
そう言って彼は巨体をズラし、黒塗りの車を私に見せた。警戒レベルを一段階さらにあげる。なにが飛び出してくるかわからない。いざという時のために腰のボールに意識を向ける。最低でも二人以上、相手にする必要があるのなら、初動は重要だ。
――まあ、多少遅れを取ったとて、そう簡単に負けるつもりはないけれど。
「結構です。できれば、ここで言ってもらえますか?」
「…………」
「なにしろ、私、仕事終わりで疲れているんです。見ての通り、ミアレの外まで行ってきたもので。早く帰って寝たいんですよね」
わざと強めの大きな声を出す。行き交う人々の視線が刺さるが、むしろ好都合。注目を集めたくは無いが、その視線が抑止力になるのも事実。下手に彼らの拠点に行くぐらいなら、明日のゴシップ誌を飾るほうがずっとマシ。
男性は答えを探すように眉を顰め、後方の車に視線を向けた。それに応えたのか、窓ガラスが音もなく降りていく。
案の定、現われたのはサビ組のボス、カラスバだった。バトルエリアでも何回か見かけたことがあるから、間違いない。となると、話しかけてきたのは彼の右腕と名高いジプソ氏かも。
カラスバは車から降りること無く、口を開く。
「オレはかまへんで。ここでお話してもな」
含みを感じる声音と言い回しに、思わず「……どういう?」と訊き返してしまった。カラスバは目を細め、わざとらしく周囲に目配せをした。
「そちらさんが気にするやろと思ってなあ。優しさで
ご提案させてもろたつもりやったけど。いらん世話みたいやね」
言っている意味がわからない。仕事はおろかプライベートだって、聞かれて困るようなこと、心当たりが無さ過ぎる。無視して帰ろうか、と思い始めた矢先、カラスバの低い笑い声が私を引き止めた。
「仕事を頼みたいんや」
「断る」
「まあ、最後まで聞いたってえな。お互いに、ええ話なのは保証するさかい」
「結構で――」
「報酬はミアレジム」
瞬間、喉の奥が狭まった。浅い呼吸に変わり、くらりと視界が揺れる。心臓がうるさく動き、じわりと汗が滲む。
なぜそれを。声にならなかったはずなのに、カラスバには聞こえていたらしい。その口角が上がっていく。節ばった指が窓ガラスを叩いた。
「こっちでゆっくりお話したなったやろ? ミアレジムのジムトレーナーさん?」
彼と反対側にある後部座席のドアが開く。「さあ、こちらへ」とジプソは私を促した。躊躇いが未だに足を引き止める。しかし、ここに留まったところで、話は始まらないこともわかっていた。それに先程まで味方だったはずの視線は、すっかり意味を変えてしまっている。
結局、私は自らの意志で足を踏み入れた。彼らのテリトリーへと。
車内では本題を切り出されること無く、ただ無言のまま、寄り道することもなくサビ組事務所に向かった。
通された部屋は高そうな調度品が並べられており、よく見れば奥にはバトルコートもあった。良くも悪くも開放的なそこは戦うのに向いていないような気もする。いざといときにはホロで囲うのかもしれないけど、屋内で戦うのならやっぱりジムくらいの広さが無いと心許なく感じてしまう。
「ええバトルコートやろ。広さも充分、きったはったの勝負を繰り広げた神聖なバトルコートやさかい。これから、きっと気に入ると思うで」
「本題を」
「せっかちやなあ。ま、なあなあ喋るのも時間の無駄に感じるのは同意や。お望みどおり、仕事の話でもしよか」
そう言ってカラスバは部屋の奥にある応接用のソファに座った。向かいの席を勧められたが、もちろん断る。いざという時に逃げられるよう立っていたいから。
しかしカラスバは再び私に座るよう求めてきた。しかも「客人を立たせたまま、お話できるほど、オレは神経図太くないねん」と、わざとらしい言い方もして。
「……これでいいんでしょ」
示された位置、彼の真正面に座る。これ以上の文句は受け付けないつもりで、目の前にある顔を睨んだ。
「上出来や。さっさと座ってくれたら、もっと花丸やったけどな」
まるで「聞き分けのない子供を相手にするのは大変だ」と言わんばかりの態度に言い返したくなるが、ここは我慢。こうして感情を逆なでして、自分のペースに持ち込もうとしていることはお見通しだ。現に彼の瞳は私を探るように鋭い。
意識して、深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。こんな安い挑発で感情を乱れされたら、ジムトレーナーなんて務まらない。
私が平常心を取り戻したことに気づいたのか、カラスバは「なんや、つまらん」と眼鏡のレンズをあげた。
「頼みたい仕事はな、オレのコーチやねん」
「コーチ? ポケモン勝負の?」
「さすが。察しが良くて助かるわあ。――勝ちたいヤツがおんねん。一度でいい。あいつに勝ちたい」
……こいつ、本気だ。
すぐにわかった。何度も経験している。本当に勝ちたくて、たまらないトレーナーは独特の気配を纏うのだ。それは殺気と呼ぶものかもしれないし、他の名称があるかもしれない。ただ皆、特有の「勝ちたい」という本気だけが、痛いほど伝わってくる。そんなプレッシャーを放つ。
……なるほど、私に声を掛けた理由がわかった。
自慢じゃないけれど、私のランクはB。そして本業はジムトレーナー。ジムリーダーほどではないけれど、挑戦者の力量を見極め「ちょうどいい勝負」をするのは十八番、逆に本気を出して戦えば、私に勝てる相手はそうそういない。
実力をつけるにも、彼の想定トレーナーの代わりとしても、私は適任だ。
「タダとは言わん。報酬は次のミアレジムとして機能できるような物件の紹介。悪い話やないやろ?」
そしてご丁寧に「報酬」という名のエサも用意されている。しかもその報酬は喉から手が出るほど欲しいモノ。
「よく、そこまで……」
「あのプリズムタワー見て、ジムが戻れるなんて考える人間を探す方が難しいさかい。順当やろ。そちらさんがミアレジム関係者で、唯一ここに残ってること考えれば、なおさらや」
この口ぶりから察するに、私はクエーサー社とのジム物件の交渉をしていることも、とっくに知っているのだろう。そしてAランクになったときに叶えて欲しかった願いも。
プリズムタワーはあんなことになってしまったし、Aランクの賞品も、もう望めない。カラスバの提案は渡りに船に違いなかった。
ミアレジムの再開にあたって一番のネックは建物だ。新しく建設する土地はミアレに無いし、今ある建物を改修するしか道は残されていない。その物件探しが難航しているのは言わずもがな。
けれど、それよりも。
ジムトレーナーとして、彼の「勝ちたい」を無視できない。
「……わかった。引き受けます」
「話が早くて助かるわあ。ほな、これからよろしく頼んます」
言うや否や、彼は後方に控えていたジプソから書面を受け取り、差し出してきた。契約書と書かれているそれは、私が了承することを前提として用意していたに違いなくて。
思わずカラスバの顔を見てしまう。にっこりと向けられる笑みからは「早くサインしろ」以外の感情は読み取れない。
……本当、抜け目のない男だ。気を引き締めていかないと、いつ足元を掬われるかわかったもんじゃない。報酬のジムも反故にされそう。
同じく差し出されたペンを取り、書面の下部、線で示された空白のサイン欄をインクで汚した。
*
「トレーナーもポケモンも、よく動けている。判断も悪くない。今のあなたに正直欠点らしいところはない。最初のころよりずっとよくなった」
ライボルトをボールに戻しながら、戦った所感を伝える。それをいつも通り、真面目な顔をしてカラスバは聞いていた。たったいま私に負けたというのに「悔しい」という感情は、そこにない。何度戦っても同じ。私もよりも「倒したい相手」とやらを見据えているから、私なんて眼中にないのだろう。
少しは目の前の相手に集中しなさいよ、と最初のころは不満だった。でもこれだけ回数を重ねれば、感情も薄れる。すっかり慣れてしまった。向上心があるのはいいことだ、と思うことにしている。
「強いて言うなら?」
「やっぱり弱点対策かな。エスパータイプに出せるポケモンが、実質ギャラドスしかいないのは大きい」
いくら他のポケモンがむしタイプやゴーストタイプのわざを覚えていとしても、エスパータイプが弱点な時点で、対面では出しにくい。実質、ギャラドスかガメノデスに頼らざるを得ないのが現状だ。
残りのパーティーメンバー、そして彼らが覚えているわざを思い浮かべ、軽くシミュレーション。
「わざ構成、変えてみる? あくタイプのわざを増やすか、動きを縛らせるあたり」
「ガメノデスがステルスロック♀oえるさかい。これは?」
「後続に繋げる前提ならありかな」
「ほな、試してみよ。次回までにわざマシン用意しとくわ」
「よろしく」
なら今日はこれで終わりにしよう、と伝えれば、彼はすぐに頷いた。時間もだいぶ経ったし、ポケモンたちも連戦だったから休ませないと。人もポケモンもメリハリが大事。
カラスバへのコーチを始めて、だいぶ時間が過ぎた。元々上位ランカーに名を連ねるぐらいには実力があったこともあり、教えるとしたら立ち回りや判断の取捨選択ぐらいだった。
最近はひやりとさせられることも増えたから、ランク戦を今やったらBランク近いところまで食い込めるだろう。倒したい相手とやらが誰だかわからないけれど、そう負けることも無いはず。
でもカラスバとしてはまだ足りないらしい。少しでも強くなりたいと、私と勝負を繰り返している。
「次は明後日――ごめん、少し時間ずらしてもいい? リーグの定例会議があるの、忘れてた」
「かまへんよ。ほんま大変やなあ、リーグ所属のトレーナーさんは。次期ミアレジムリーダーって噂も、あながち間違いとも言えへん仕事量やん」
「それとこれとは別の話。私はジムトレーナーでもあるけど、運営部にも所属しているから、そのあたりの仕事もしているだけ。ジムリーダー云々の話は根も葉もない噂。ミアレジムのジムリーダーはシトロンくんだもの」
シトロンくんがいて、ユリーカちゃんがいて、みんながいる。それが私の取り戻したいミアレジム。カロス地方でも一番の都市にジムが無いなんて、ありえない。
「じゃあ、また連絡するから」
「下まで見送ったるわ」
「いらないって。いつもそう言っているじゃない」
「ええから、ええから」
無理矢理エレベーターに押し込められる。少しの時間とはいえ、密室に二人きりなのは緊張する。毎回、なんとなく機嫌がいいのも怖いし。
「……ねえ、なんで私なの?」
ずっと気になっていたことも、今のタイミングなら訊けるかもしれない。無言の時間を破れば、彼は笑い声をもらす。
「カラスバ?」
「いや、なんでもない。わかっとったことを、改めて目の当たりにしただけや」
大きく息をはいた彼は眼鏡のブリッジに指を伸ばす。カチャリと冷たい金属音が聞こえた。
「ナイショ」
その表情がどこか寂しげに見えたような。その理由がわからないことに、なぜか心の奥にじわりと罪悪感が広がっていく。そんな気がしなくもなかった。
「……降っとるか?」
事務所の外に出れば、遠くで雷が鳴っていた。今にもポワルンが姿を変えそうなほど、どんよりとした空模様が目に飛び込んでくる。
「まだみたいだけど……」
雨が降る直前の独特な空気のにおいを感じた。これは時間の問題かも。
「傘、用意させるわ。待っとき」
「いいよ。そこまで遠くないし」
仮に降られたとしても、すぐにシャワーを浴びればいいだけの話。
「じゃあ、また明後日に」
まだ何かを言いたげなカラスバから逃げるように背を向けた。
事務所が見えなくなるころ、ぽつんと頬に当たった雨粒。これは大雨になりそうな予感がする。本格的に降る前に帰らないと。気合いを入れて、駆け出そうととした瞬間のこと。
「……着信?」
ロトムの入っていない端末は勝手に飛び出してこない。ポケットの中で震えるだけだ。当たり前のことなのにバイブレーションの低い音が、いつもよりやけに耳に障った。嫌な予感に胸がざわめく。
画面には「カロスリーグ」の文字。あれ、定例会議って今日だったっけ。時間、間違えていた? でもわざわざ電話で連絡をしてくるのも珍しい。
チャットでもメッセージでも無く、電話。……いつもと違う手段。そんなに緊急性が高い?
画面をスライドさせる。「ああ、繋がった」と電話の先から先輩が安堵の声を溢す。
「すみません、私、時間勘違いしていましたか?」
「時間は間違ってないわ。独断で、あなたには先に話しておこうって思って」
「?」
「いい? 落ち着いて聞いてね。ミアレジムの廃止がきまったわ」
「……え?」
聞き返しても先輩は同じ言葉を言った。
ミアレジムの廃止が決まった、と。
「――やっぱり、傘。いるやろ」
雨粒の代わりに降ってきた声に顔をあげる。大きな傘を傾けるカラスバがそこにいた。
「自暴自棄になって、傘も差さず雨に濡れるとか……ガキのテンプレートをかます年齢ちゃうやろ。しかも人も通らんこんな場所で座り込んで」
「うるさい。そっちだって濡れているじゃない」
「そらそうや。オマエに傘、貸しとるからな」
カラスバは私に傘を押しつけると、無理矢理腕を引っ張ってきた。強制的に立ち上がらされたことに、つい文句が出たが、彼は素知らぬ顔をするばかり。「行くで」とだけ言って、歩き出す。
――どうしてジムのこと知っているの、なぜ私が泣いているってわかったの。
いろいろと尋ねたいことはあったけれど、どうせ訊いても教えてはくれない。止まらない歩みがその証拠。どこへ連れて行かれるんだろう。どこでもいいけど。
繋がった手が、痛いほど熱かった。
「入り」
小さなアパルトマン。古びた鍵で扉を開けた彼は私の手から傘を奪い取り、背中を押してきた。仕方なく中に入れば、すぐにリビングが見えるほどの狭い部屋。外と同じぐらいの湿度を感じ、つい顔を顰めてしまう。
「左のドア」
「……」
「早くせぇや。ナマケロちゃうやろ」
先程よりも強く背中を押される。仕方なしに左のドアを開ければ、温かな空気が流れ込んできた。
……バスルームだ。リフォームをされているのだろうか。部屋の雰囲気とは打って変わって、白いタイルで統一され、新しさを感じる。一人用のバスタブにはもうお湯が張っているらしく、じんわりとした熱をこちらに伝えていた。
「濡れた服はこっち。着替えはこれ。ええな?」
「どうして」
ここまでしてくれるの、と尋ねた声は、自分でもおどろくほど小さく、そして震えていた。わざわざ雨の中探して、部屋に案内して、しかもお風呂まで。こんなにしてもらうほど、私たちは親密では無いはずだ。
あくまでビジネスの関係、なのに。
「ミアレの男はな、泣いた女を放っておかんねん」
ゆっくり浸かり、と微笑みだけ残し、カラスバはバスルームを出た。
ぽつんと残された私。なんだか一周回って諦めが勝ってしまった。私の負け。有り難く使わせてもらおう。
濡れた服は指定されたカゴへ。そろりと足先でふれたお湯は熱めで、全身を滑り込ませれば思わず息がもれた。冷えた身体に心地よくて、つい頬が緩む。
「……わかってたのになあ」
ツンと鼻の奥が痛む。
ミアレジムがプリズムタワーありきなのはわかっていた。そしてリーグとしてはジムの場所はミアレに拘る理由も無い。だからタワーが半壊した時点で、もうミアレにジムは置けないことを心のどこかでは覚悟していた。他の物件では意味がないのだ。
それでも私が足掻いていたのは、ミアレジムが好きだったから。たとえプリズムタワーじゃなくても、ミアレジムのジムトレーナーが私の居場所だと思っていた。
「さみしいなあ」
うん、本当に。本当に寂しい。
ちゃぷんとお湯に沈む。腫れた目は冷やした方がいいと聞くけど、今はこの温かさにひたっていたかった。
用意された服を着て、バスルームをおそるおそる出る。すぐにカラスバは私に気づき、座っているソファの隣のスペースを叩いた。拒否する権利が今の私には無い。
大人しく隣に座る。カラスバが「濡れたままやん」と私の髪先に指を伸ばしてきた。
「そういや置いておかんかったな。悪かったわ。お詫びにオレが乾かしたる」
「い、いいよ。自然乾燥で」
「風邪引いたら意味無いやろ」
立ち上がり、隣の部屋へ向かう彼は、いつものきっちりとしたスーツ姿では無い。私のせいで服も濡れたし、着替えたのかも。知らない格好になんとな気まずさを覚える。
グレーの重そうなドライヤーを持って戻ってきたカラスバはスイッチを入れる。見た目に反して音がうるさくない。「ほら、後ろ向き」と私に言う声もちゃんと聞こえた。
背を向ければすぐに髪に風が当たる。少し熱めのそれと、指が通るくすぐったさに身を捩れば「動くな」とお叱りが飛んできた。
「だってくすぐったいんだもの」
「大事にしとる証拠やろ」
大事にって、なにを?
そう問いかけてやめた。きっと今は答えてくれない気がしたから。
代わりに「ありがとう」とお礼を伝えれば、低い笑い声が返ってくる。
「高くつくで」
「私、払えるかな」
ごう、とドライヤーの音が響く。熱風がわずかに耳をかすめた。カラスバの指が私の首元を撫でる。
「――オマエなら、余裕やろ」
特別に、利子はまけといたるわ。
ドライヤーの音が止む。自分の髪からは、知らないシャンプーのにおいがした。