おや? と気づいたのは彼との生活を始めて数年が経ったころだった。
もともとお酒は嗜む方ではあったし、ワインが好きとのことでこだわりを持っているのも知っていた。コレクションだって見せてもらって「今度の結婚記念日にはこのワインにしようか」と嬉しそうに選んでいるのも知っている。

だから、特別な日には彼のお気に入りのワインを開けることが多い。普通の日に楽しむ分には、そこまでこだわりが無いみたいなのに。だから私は気づくことができたのだろう。
彼は他に、しかも私に内緒の特別な日≠持っていることに――



「チクマも飲むよな?」

透き通り輝く2つのワイングラスを用意しながら彼は尋ねてきた。すでにボトルも用意してあるようで、どこかそわそわとした空気を纏っている。早く飲みたいんだろうな。置かれたボトルを見れば、今日は赤の気分らしい。ラベルは――ああ、この前手に入ったと喜んでいたやつだ。
私が「タオル片付けたらすぐ行きます」と答えると「待ってる」と先ほどまでドライヤーで乾かしていた髪へキスを落としてきた。――どうやらずいぶんとご機嫌らしい。

バスタオルを片しながら、考える。さて、今日はなんの日だろうか。
ワタルさんはマメで、記憶力もいい。だから毎年、記念日のお祝いは欠かしたことが無い。行事的な記念日はもちろん、結婚したというのに未だにお付き合いを始めた記念日だってお祝いしてくれる。当日は食事にプレゼント、そして最後は彼とっておきのワインを開けてその日を締めくくる。

そんな過ごし方を重ねたおかげだろうか。記念日とは違う日に、とっておきのワインを開ける日が必ずあるということに、私は気づいた。その日はワインだけを開ける。どんなに忙しくて、夜中に帰ってきたとしても、必ずワインだけは欠かさないでいた。

しかもそれは彼1人で楽しんでいる。もちろん今回のように一緒にいる場合にはその限りではないけれど、私が寝ていたり、ワタルさんの帰りが遅かったり――そういう時は彼1人でグラスを傾けている。決して無理に共有を求めない、でもいるなら一緒にというのがルールのようだ。

とっておきのワインを開けるのは記念日で、それを祝うことを私には求めない。不思議だなと感じた途端に好奇心はむくむくと湧き上がる。彼はなんの記念日をお祝いしているのだろうか。
私には内緒で、彼だけが持っている記念日。気にならないわけがない。

「でも、未だにわかんないんだよなぁ」

過去のアルバムや記憶の棚をひっくり返しても、その日について心当たりがないのだ。法則性も見えない。残念ながら私に探偵の素質は無いらしい。しゃべるピカチュウがいないせいかも。
なので、ずっと前から決めていた。次にこの内緒の記念日≠お祝いするタイミングで、私は尋ねてみようと。直球に、ストレートで。こうして私を誘うぐらいだから、変な日では無いはず。きっと、たぶん……!

リビングへ向かうとすでにワタルさんはワインを楽しんでいた。こういうところも珍しい。普段なら私のことを待っていてくれているのに。

「お待たせしました」
「おれこそ先に始めていてすまない」

ソファの隣へ座ると、すぐさま空いたグラスが赤へと染まる。手ずから淹れてくれたそれを受け取り、乾杯の言葉と共に彼のものと軽く合わせる。軽やかな音が心地いい。

「飲みやすいです! おいしい!」
「だろう? 気に入ってくれると思った」

一口飲んだワインは詳しくない私でも美味しく感じるほど。お高いんだろうな、と野暮なことは言わず、二口目を味わう。ワタルさんはお酒だけを楽しむタイプのため、肴はもっぱら私たちの声だ。今日起きたできごととか、ポケモンのことをお互いに話す。
そんな時間を重ね、グラスを何度も傾ける。ワタルさんはお酒に強いから、あまり顔色は変わらない。でも彼に合わせていたら私が潰れてしまう。ほどよく酔いが回ってきたところで、意を決して本題を切り込むことにした。

「ワタルさん」
「なんだい? そんなかしこまって」
「今日は何の特別な日≠ナすか?」
「…………」

真剣な顔を作った私とは裏腹に彼はきょとんと目を丸くする。私は一方的に、推理を披露した。このボトルだって、コレクションのなかの特別なくくりものだ。それを開けているのだから、単なる晩酌ではないこと。そんな特別なワインを開けるのは2人の記念日だけ。それなのに、なんでもない今日にそのワインを飲んでいるのは理由があるはず。あるはずなのだけれど――

「ふふ、そこまでわかって何の日かわからないのか」
「……忘れていてすみません」
「責めているわけじゃない。というか忘れていてくれていいし、普通覚えていないさ」

おれだけがわかっていればいいんだ、と彼は微笑む。本当に自分が知っていれば満足しているといった表情で。でもそんなに愛しい色で瞳を溶かせて訊いてほしそうにしているのに、彼は気づいていないのだろうか? 私はずいと彼との距離を近づけて、言った。

「教えてください」
「訊きたい?」
「どうしても」
「言っても、引かないでくれるか?」
「もちろんです」
「んー、じゃあ言おうかな」

彼は持っていたグラスをテーブルに置く。ついでに私のグラスも取り上げた。そして、その大きな両手でこちらの頬を包む。アルコールを含んだ吐息が、近づく。

「おれたちが始めてキスをした日なんだ、今日」

えっ、とあげかけた声を食べるかのように、ワタルさんのくちびるが降ってくる。何度も、何度も。熱くて、甘くて、クラクラしてくるようなそれに私は必死に応えた。ようやく彼の気がすんだころには、私がすっかり息を切らしていた。ワタルさんはキスをして満足したのか、彼はじゃれつくように額を合わせてきた。

「キスだけじゃない。手をつないだ日とか、初めてきみと出会った日とか、全部覚えている」
「それは、その……」
「重い?」
「まあ、すこし」
「だろうな。おれもそう思う」

でも忘れられないんだ。チクマのことを愛しているから。
その言葉と笑みに私の胸は甘く締め付けられた。そんなの、私だって同じなのに。

「今度は私もお祝いしますから、こっそり自分だけ楽しむのはやめてください」
「そんなこと言ったら毎日お祝いになりそうだ」
「だって、私もワタルさんのこと、あ、愛していますから、ちゃんと共有したいじゃないですか……」
「照れてる。かわいい。もっと言って」
「ま、また今度です!」

誤魔化すように叫べば、ワタルさんはまた「かわいい」と繰り返して、ぎゅうと抱きついてきた。いつもより熱い体温がこちらにも移ってくる。その熱にまた胸が締め付けられたものだから、私は言葉にはできないけれど、せめて気持ちは伝わるように彼の背中に腕を回すのだった。



内緒の記念日
back top

ALICE+