無職な彼

 会社に行けば、本来ならしなくてもいい仕事まで同僚から押し付けられ、ミスをすれば上司からいつまでも愚痴愚痴と嫌味を言われ、かと言って手柄をあげようものならば、その手柄は上司に横取りされる。そんな毎日を繰り返し、流石に疲れてきた。
 けれどどんなに遅くなっても家には必ず帰る。だって約束したから。

「ただいまー…」
「おかえり。今日も遅かったな。」

 玄関横の棚に飾ってある時計は、てっぺんなんてとっくに過ぎた時刻を表していた。そんな時間なのに、私の彼氏、尾形はいつも起きて私のことを待ってくれている。何だったら終電逃した時には迎えにきてくれたりもする。
 無職じゃなければ私には勿体無いくらいスパダリ。そんな彼は、今日も今日とで私を優しい笑顔で出迎えてくれた。

「今日もやたらと仕事押し付けられてさ…」
「そんな会社辞めちまえばいいだろうに。」
「はは、それもそうだねぇ」

 なんていつもこんな感じの会話。尾形は私が本気で辞める気がないのを分かっていながら、毎日辞めればいいと言ってのける。けれど、働かなくなってしまったら、この先どうなってしまうのだろう。そんな不安が打ち勝ってしまい、辞めるに辞められなくなってズルズルとここまで来ている。
 尾形には本当迷惑をかけて申し訳ないと思うけれど、仕事は当分辞められそうにないから笑って誤魔化すことにしているのだった。
 しかし、そんな日々がずっと続いていると、流石の私も色々とボロボロになってきた。
 休みの日は尾形とどこかに行きたいと思っていても体は睡眠を欲して一日中寝てしまっている。気がついたら夕方だったなんて、最近では当たり前。なのに夜も尾形が作ってくれた夕飯を食べたらすぐに眠くなってしまい、早くに寝てしまう。
 それなのに目の下のクマは一向に良くならず、コンシーラーで隠す毎日だ。お陰でコンシーラーの減りがやたらと早く、余計な出費だ。
 それに、尾形がちゃんと彩りとか栄養とか考えて持してくれるお弁当も、日に日に美味しいと思えなくなってきた。食べきれず、残して帰ってくることが増え、尾形がお弁当箱を洗うたびに申し訳ないし、言葉にこそ出さないが、尾形が心配そうにしているのが痛いほど分かる。けれど会社を辞めるわけにはいかず、どうにもできなかった。
そんな毎日の繰り返しで、いささか私の体は限界だったようで、いつものように遅く帰ってきた私を、出迎えてくれた尾形を見た瞬間、目から勝手にポロポロと涙が流れた。

「あ、れ…?」

 いくら拭っても、涙は勝手に出てきて止まってはくれない。

「おい、目、あんま擦んな。」

 慌てた尾形は私の腕を取り、そして自分のシャツに化粧がつくことなんて気にせず、キツく私を抱きしめた。
 その時、何かぽそりと呟いたようだったが、久々に感じる尾形の体温に安心し、気を失うように夢の世界へと旅立った。



****



「こんなにボロボロになるまで働くなって。」

 その言葉がこいつに届いたかどうかは分からない。
 けれどそれよりもまずは力尽きたこいつをベッドで寝かせてやることが最優先だ。靴を脱がせ、スタスタと寝室へと向かった。
 こいつはどうしてこうも自身を粉にして働くのだろうか。
 ベッドにソッと寝かせてやるも、こいつは何の反応も見せない。まるで死んでいるかのようだったが、わずかに動く胸の動きに少しだけホッとする。
 洗面所からメイク落としを持ってきて、メイクを落としていくと、以前よりもクマがひどいことに気がついた。そんな姿を見て、言いたいことはいくらでもあったが、今はできるだけ寝かせてやりたかった。
 思えばあんなに静かに泣いたこいつを見るのは初めてかもしれない。

「さて、どうすっかなぁ…」

 しばらく考えた後、俺はソッと寝室から出て、とある場所へと連絡をした。



****



「ん…、」

 カーテンの隙間から漏れた光が眩しくて目が覚めた。あれ?今、何時?昨日化粧落としたっけ?ってかベッドまで行った記憶ない。
 様々なことを疑問に思いながらも、サイドテーブルに置いてある目覚まし時計を見ると、いつもの起床時間かれ1時間以上も経ってしまっていた。慌てて体を起こしてリビングへと向かうと、尾形がのんびりとコーヒーを入れていた。

「おはよ。」
「おはよう。ってそうじゃないよ!遅刻しちゃう!」

 慌てて髪の毛を手櫛で直し、え?まずはシャワー浴びなきゃダメじゃない?などとパニックになっていると、尾形は苦笑しながら言ったのだった。

「そうは言っても、なあ。ニュース見てみろ。」
「え?」

 テレビを付けると、ニュースはビル一棟全てが壊れてしまったという話題で持ちきりだった。
 どうやら爆発が起き、中にいた人たちは全員重症とのこと。と行っても、爆発が起きたのは私が帰った後だからだいぶ遅い時間で、中に残っていたのは数名だったと綺麗なお姉さんが説明している。
 現場リポーターと呼ばれ、その人のいる場所が映し出された時、がくりと膝から下の力が抜けた。
 数時間前まで私がいた場所だったからだ。その時、ソファに置いてあったカバンの中から通知音が聞こえ、慌ててスマホを取り出す。
 見るとすごい数の通知が来ており、内容を追うのが大変だったが、ともかく今日は会社に来なくていいと言うことらしい。

「……それにしても、なぜこのビルだけが爆発したのか、原因がわかっておりません。発火性のガスが漏れ出ている危険性もあるため…」

 レポーターは何かを言っていたようだったが何も頭に入ってこなかった。それよりも今日は会社に行かなくていいのか、という安堵の方が大きかった。
 ようやく私は冷静になれたようで、尾形が持ってきてくれたマグカップを受け取り、コーヒーのいい香りを堪能することができた。

「とりあえず、お前が無事で良かったよ。」
「本当だね。昨日家に帰れなかったらと思うとゾッとする。」
「……そうだな。」

 とりあえずシャワーでも浴びてくるといい、と尾形に促され、バスタオルと着替えを持ってバスルームへと向かった。
 その足取りは非常に軽く、久しぶりにまともな空気を吸えた気がしたのだった。



****



「……宇佐美か?あぁ。助かった。」
「これで貸し1だからね。」

 電話越しにギャンギャン喚いている男の姿が易々と想像できてゲンナリするも、これでしばらくはあいつと一緒にいれる喜びの方が大きかった。

「で、__とかいうやつの具合はどうなんだ?」

 俺は以前、話で聞いていたあいつの上司の名前を出した。

「__?あ、あいつなら仕事復帰出来ないくらい痛めつけといた。話せないだろうから僕がやったなんてこと言えないだろうし。
ってかこの会社マジでブラックだね。色々調べたらやばいやつばっかだったから、上の奴らは今鶴見さんが地下室で話し合いしてるよ♪」

 宇佐美は聞いてもいないことをペラペラと喋ってきた。いつもなら聞き流すも、中々に面白い情報だったのでつい聞いてしまった。
 そろそろあいつがシャワーを浴び終わる頃だろう。キリのいいところで話を切り上げ、電話を切った。
 あいつは俺のことを無職だと思っているようだが、それは大きな勘違いだ。
 第七コーポレーション。表面は普通の会社だが、実は政界を裏から牛耳るほど大きな力を持っている反社会組織だ。
 社長の鶴見さん曰く、脅せる要素は多ければ多いほどいいとのことで、普段は滅多なことがない限り会社に顔を出さないし、他の所で働いている奴もいる。俺はヒモ男を演じているが。
 アイツは完全に俺が無職だと信じ切っているようだが、しかし実態は好きな女のためなら、電話一つで会社一つを簡単にぶっ飛ばすことくらいできてしまう中々に偉い奴というやつだ。

「尾形ー、上がったよ〜。」
「ん。こっち来い。髪乾かすぞ。」

 まあ、暫くはこのままでもいい。こいつが何か気付いたのならその時は考えよう。とりあえず今までクソみたいな会社に取られてしまっていたこいつとの時間をたっぷり楽しもうじゃないか。

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