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 フォゼは濡れるのが苦手なのか風呂場までは入ってこない。いつも扉の外で待っている。
 頭を洗う時にふと視線を感じ、扉を見るとフォゼがベタッとくっついていた。その姿を見てビクッとなったのは不可抗力だ。
 心臓が激しく動いているのを悟られないように浴室を出て、夕飯の支度に取り掛かる。


「ほら、お前の分だぞ。」

 フォゼ用の夕飯を目の前に置いてやると余程お腹が空いていたのか、ガツガツと食べ始めた。

「ははぁ、そんな慌てて食べなくてもお前の分を取ったりしねーよ。」

 顎についた屑を取りながら言うもまだまだ勢いよく食べているフォゼに苦笑しながら、そういえばとぶつかってきた女の事を思い出す。
 ぶつかったシャツの場所を確認すると確かに口紅らしき色がついていた。よりによって白いシャツの時に……と思わないでもないが、こればかりはよく見ていなかった自分も悪い。
 漂白剤に浸けておくかと洗面所へ行き、容器を傾けるも一滴も出てこなかった。しかもいつもならちゃんと用意しておくストックもここ最近の忙しさで用意ができてなかった。
 チッと舌打ちを一つして、嫌々ながらコンビニに向かう準備をする。

「おい、コンビニまで行ってくるからな。」

 そうフォゼに声をかけると、また出掛けるのかと言わんばかりに目を見開かれ、スウェットの裾にしがみついた。

「すぐ帰ってくる。だから離せ。」
「んー!!」

 いつもは聞き分けがいいくせに何故かその時ばかりは嫌々と言うことを聞いてはくれなかった。
 しょうがないとヒョイとフォゼを抱きかかえ、スタスタと玄関へ向かう。

「いいか、漂白剤買いに行くだけだからな。」
「キュイ♪」

 さっきまでの不機嫌さはどこへやら、腕から肩に移ったフォゼはご機嫌な返事をした。


 コンビニまで歩いて5分。
 ついでにビールもなかったな、と思い出しよく冷蔵ケースから何本か冷えたビールを取り出しカゴへ入れる。
 横には同じようにガツガツとビールやハイボールをカゴに入れる女がいた。最近は女でも気にせずガツガツ買うんだな、と何気なく見た。
 上下スエットに飾り気のないメガネ、某ネコのサンダルを履き、前髪は邪魔だと言わんばかりにヘアクリップで止められていた。
 地元にはこんなやつがザラにいたな、と思いながら、その雰囲気にふと気付く。

「……お前」
「え?」

 そこにいたのは昼間の姿とは髪型や服装が全然違うが、確かにぶつかった女だった。呼ぶと案の定反応してこちらを見て目を丸くしている。

「……もしかして、尾形、さんですか?」
「なんで疑問系なんだよ。」
「いや、だって髪型いつもと違うし、肩にはフォゼちゃん乗ってるし。」

 そう言われてフォゼが乗っていたのことを思い出す。しまったと思ったが、誤魔化すようにコンビニに来た理由を伝える。

「……まぁなんだ、昼間のアレを落とそうと思ったんだが漂白剤を切らしていてな」
「あぁ、その節は本当にすみませんでした。」

 ペコリと謝る姿はやはり昼間と同じ。

「あの、少し時間が経っちゃってるので、もしかしたら漂白剤では落ちないかも。クレンジングオイルをつけると良いかも、です。」
「ほう。」
「お家に、あります?」
「ねぇな。」

 男の俺が持ってるわけがないだろうというと、彼女さんの置いてないんですか?と聞いてくる。
 ない、ときっぱり言い切ると、彼女はそのままスタスタとコーナーを移動してオイルクレンジングを手に取った。

「……じゃあ私買うんで使ってください。」
「それじゃあ悪いだろ。」
「いやいや、元は私がぶつかったのが悪いから」
「いや。周りを見てなかった俺が悪いだろ」

 お互いにどちらも譲らず、同時にため息をついた時、フォゼがまだかと一鳴きした。

「あ、ごめんね、フォゼちゃん。……私、メイク落とし切らしてて買いに来たんです。だからコレ使って残りは持って帰らせてください。で、いいですね?」
「お、おぅ」

 酒と一緒にそれをかごに入れる。勢いよく話す女の勢いに負け、思わず頷いてしまった。
 それを確認するや否や、スタスタとレジに向かい会計を済ましてしまった。慌てて自分の買い物も済ませると外で女が待っていた。

「待たせたな。」
「いえ、全然。」
「というか名前。」
「あぁ、私だけ知ってるのはフェアじゃないですね」

 そうニコッと笑った後、夢野です、と名乗った。
 宇佐美から聞いたその名前は、女の口から聞くとまた違う響きで聞こえた気がする。

「総務にいるので顔と名前は一応一通り覚えているんです。」

 なんて事ないようにサラリというが、うちの会社はザッと数えても従業員の数は3000人は超えている。
 入って間もない彼女が覚えられる数じゃない。やはり優秀なのだろう。
 そんな話をしていると手に持っているエコバッグが見えてサッと取る。

「ははぁ、随分と買い込んだな。」
「あ、まぁ。」

 思いの外重かったエコバッグを肩にかけるとフォゼはピョンと夢野の方へ飛び移った。

「わわっ」
「フォゼ、お前が気に入ったみたいだな。」
「そうなの?」

 夢野がフォゼを撫でながら聞くと、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「それにしても昼間と全然違うな。」

 改めて見ると昼間綺麗に整えられていた前髪も服装も、だいぶラフな格好になっていた。

「会社だとやはりちゃんとした格好が良いかと。そういう尾形さんもだいぶ違いますね。」
「お互い様だな」
「……会社の人には言わないでくださいね。」
「何をだ。」
「この格好も、お酒も。」
「ははぁ。」

 なんの躊躇いもなく男の家に来るものだから余程鈍いか恥じらい知らずかと思っていたが、人並みに恥じらいはあったらしい。

「言わねえよ。その代わりソイツの事、会社の奴らに言いふらすなよ。」
「……分かりました。」

 そうやって互いの秘密を交換し、家に着く。
 どうせここまで来たのだからと、家に上がり込み、クレンジングオイルを使ってシャツのシミを取るところも有無を言わさずやり始めたのには、さすがに驚愕した。

 見た目の割には強引なところがある。

「はい。終わりました。」

 なんとか落ちたと言ってリビングに戻ってきた夢野にビールを手渡す。

「ん。」
「ありがとうございます。」

 良い仕事をしたと言いながら一気にビールを飲む夢野に、今までの女どもとは違うものを感じた。

「じゃ、これ一本飲んだら帰りますね。」
「シャツ悪かったな」
「いえいえ、これでチャラって事で。」

 手に持つビールの缶を少しだけ上げて笑う姿にいつもより少しだけ心臓が早く動いた気がした。
 宣言通り、ビール一本を飲み終え、帰り支度をする。

「にゃ……」
「フォゼちゃん、またね。」
「ぴゃ」

 フォゼは本格的に夢野のことが気に入ったようで、玄関へ向かう夢野の後を追いかけた。

「じゃあ尾形さん、これで失礼しますね。あの約束守ってくださいね」
「分かってるよ。お前も守れよ」
「はい」

 またバイバイとフォゼに手を振り、夢野は去っていった。

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