拝啓やさしくない世界へ
ざくざくざく。カルトは庭の方から聞こえる連続した音で目が覚めた。ベッドの横に置いた小さなあの子用のクッションには凹みすらない。なるほど、今日もやられた。理解したと同時にブランケットを蹴飛ばし、パジャマのまま家を飛び出した。

「ガバイト! いい加減にしなさいって言ったでしょう」
「ぴぃ?」
「はぁ……また大家に怒られるよ」

積み上がった砂山の横、平均よりも大きな体がすっぽり収まるくらいの穴から顔を出すガバイトは何度叱っても不思議そうに首を傾げるだけだった。
家の中は常に暖房が効いていて、寒さを凌ぐ必要も、ましてわざわざ外に出る必要もない。室温に合わせた薄手のパジャマでは日が上がりきっていない朝の気温に耐えられずカルトは身震いをする。早く戻りたかろうが、大家は近くに住んでいてよくカルトとガバイトが住むこの家の近くを散歩するのだ。バレる前にさっさと穴を埋めなければならない。
借家だからダメなんて人間が勝手に決めたルールをポケモンが理解できないのは当然だ。しかしこんなにも言い聞かせているのにやめないのは、ガバイトの性格に拠るものか。大して詳しくないカルトには知られざることだった。
ガバイトと目が合った。カルトと出会った時はまだフカマルだったガバイトは、その小さな体で森近いカルトの生家一帯を自らの縄張りとし次々とバトルに勝利してレベルを上げ、気づけば今の姿となった。授業を抜け出しその様子をずっと眺めていたカルトにとって、ガバイトが強くなるのは嬉しいことではあるが、こうも庭を泥まみれにされてはたまったものではない。バトルで発散させるという手もあるのだろうが、カルトはバトルについて何も知らなかった。

「埋め終わったら朝ご飯にしよう。ほら、手伝って」

毎朝のようにガバイトが穴を掘るからシャベルはいつの間にか庭に置きっぱなしになっている。それでもボールに閉じ込める気にはなれなかった。



珍しく遅くまでカルトが帰ってこないことをガバイトは不思議に思った。成長で肥大した胃袋がキュルキュルと音を立てるも、ガバイトにはどうしようもなかった。ガバイトにとって食事とはただ獲物に噛みつくことではなく、カルトの横でフードを食べることだからだ。
結局カルトが帰ってきたのは月が頂点を少し過ぎた頃だった。その姿はカルトの普段となんら変わりないが、なにもかも違うことがガバイトにはわかった。その視線にカルトは冷や汗を流す。何がおかしいんだろう。シャワーは浴びたのに。いや、仕方がないか。始末に随分時間が掛かって、自分と着ている服には生臭い匂いが染み付いているはずだ。
カルトは五感の優れたポケモン相手に誤魔化すよりいい案を思いついた。なんて最低なトレーナーだ。吐き気がする。でも他に方法は思いつかない。カルトは怖がらせないようにっこり笑ってガバイトに言った。

「さ、お前の得意分野だ。手伝ってくれるね」





優秀なポケモンのおかげで荷物が少なくて済んだとカルトは口角を上げてみせた。後部座席に一応のシャベルと財布を放り込み助手席のドアを開ければ、ガバイトはぴょんと飛び乗った。だいたい六十キログラムのお荷物はトランクに詰めっ放しで街から離れた森へ車を走らせる。勝手に始まったラジオはパーソナリティたちの笑い声が耳障りで直ぐに消した。その代わり訪れた沈黙を誤魔化すためにカルトが話し出す。ガバイトは流れていく景色が真新しいらしくカルトの話に殆ど気を払っていないようだ。

「急に呼びつけるから、てっきり母親が死んで、その遺産の相続問題とかそういう類の話だと思ったんだよ。まぁ、母親は死んでたんだけど、なんでか弟にとんでもなく恨まれてて。お前のせいで父さんと母さんは死んだんだーって。家出たのに何ができるんだよってな。はは、ざまあみろ」

一本道をハイビームが照らす。週末の買い物でしか車を使わないカルトにとってはありがたいことだった。
森に近づくにつれ少なくなる街灯に、カルトの表情も曇る。暗い景色はこっそり家を抜け出したあの時を思い出させて気分が悪い。迎えが来て、その度にいくらか殴られた。その痕はもうどこにも残っていないけれど。

「……まぁ、苦労はしたのかも。うちの家は体裁が何よりも大事だから。一番上が出来損ないで可哀想だよ」

てきとうに奥まで進んだところでカルトは車を停めた。揺れとカルトの声で眠っていたガバイトを起こし、ずるずるとトランクの中身を引き摺って森の中を進む。中身は幾分痩せているカルトには重すぎるようで、息を切らしながらそれでもカルトは話し続けた。足を止めた時には汗だくだったが気に留める素振りもなく、後ろを歩いていたガバイトを振り返る。「ここを掘って、うんと深くね」右手に持ったシャベルで地面をつつけば言葉を持たないガバイトは当然無言のままざくざくと大地に爪を立てた。
ポケモンたちはみな眠っているのか、森はとても静かだ。響く掘削音に、まさか目覚めやしないかと泥で汚れたシャベルで荷物の端をつついた。しかし死体はどこまでも死体だ。当然のことにカルトは自嘲しまた穴掘りを再開した。

「これが終わったら、お前はどこに行きたいかな。好きなだけ穴を掘って、好きなだけ戦える場所がいいね。そうしたら、いつかガブリアスになれるかもね。そうなったお前を見られないのは残念だな」

カルトは息を切らしながらシャベルを動かす。その間もガバイトは穴を掘り続けた。ガバイトの体がすっぽり収まる深さになるまでそう時間はかからなかった。
「もういいよ」その声にぴょんと穴を飛び出したガバイトは、大して貢献もしていないくせに随分疲れているカルトに不思議な顔をしながら、荷物を頭で押しやり、穴の中に落としてやった。

「あとは一人でできるから車で待ってて」

土を被せながらカルトが言うからガバイトは素直に従った。車のドアはガバイトの手には合っていなかったが、爪跡と引き換えにガバイトはドアを開け車に乗った。どれだけ傷がついたってガバイトには気づきもしないぐらい些細なことだ。そしてそれはカルトにとっても。
ドアを閉めていないこともあり、ガバイトの耳にはカルトの小さな声が聞こえた。ガバイトは知っている。あれは別れを告げるヒトの挨拶だと。
車へ戻ったカルトは再び街に出て、スタンドでガソリンをありったけ注いだ。そして家とは真逆の方向へまた車を出す。もう戻りはしない街を振り返ることはしなかった。カルトはこれから忙しくなる。流れる車窓に目もくれず、ひたすら何かを訴えるガバイトの視線とぶつかってしまわないように、カルトはただ前だけを見た。



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