First
Anniversary
天国へ帰還
ピリ、と肌が痺れる緊張感の中、誰かが耐え切れずに固唾を飲んだ。先に沈黙を破ったのはなまえだった。
「おれに鉄砲玉をやれって?」
「聞こえなかったんかこのダボ」
「あ?おれに命令していいのは親父だけに決まってんだろ」
「ハッ、俺より下っ端が何言ってやがる。とっとと下がれや」
青筋を立てて噛み付くのは若頭の左馬刻だ。負けじとなまえも口を開くが、左馬刻は気にも留めていないようで、もう既になまえから目を離していた。
これは火豹組の恒例行事である。何かと問題があると毎回起こって、毎回同じ結末を迎える。
「あーもう! ガチでムカつくんだけど!!」
少し子どもっぽい癇癪を起こしてなまえは左馬刻に掴みかかった。なまえとしては、自分よりもひとつ年の低くて自分よりも遅くに組に入った左馬刻がこんなに偉そうにしているのが気に食わないのだが、生来気位の高い左馬刻はいくら指摘されてもなまえに頭を下げる気はサラサラなかった。元は仲の良かった二人だが、左馬刻の圧倒的な昇進の速さになまえはついていけなかったようだ。
胸ぐらを掴まれた左馬刻は額に青筋を増やして応戦する。
「あークソうるせぇな! ボコられたくなかったらさっさと離せ」
「上等だよ! ラップでも殴り合いでもしてやるわ!」
「言ってろ、勝てたことなんて一回もねぇ癖に!」
「落ち着いてください。親父から連絡です」
組の古株の言葉で、二人はピタリと動きを止めた。未だに睨み合っているが、続く言葉をじっと待っている。
「親父は、若頭に従え、と」
その瞬間なまえの目はこれでもかと見開かれ、左馬刻は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。何度も繰り返していることだし傍から見ればいい加減諦めろと言いたくなるものだが、なまえはあんまり悔しくて泣きそうになりながら立ち上がった。
「くそ、帰る……今回だけだからな!」
「まあ、待てや。仲直りしようぜ、上等なのを飲ませてやるよ」
「あ!? よくもこのタイミングでいけると思ったな、お前なんかと飲んでたまるか!」
しかし何故か上機嫌になった左馬刻の力は強く、なまえはずるずると外に停めてある車まで引き摺られてしまった。その間もずっと喚き続けていたが他の構成員が助けられるはずもなく、無慈悲にリムジンのドアが閉められた。
空になった日本酒の瓶が二三転がっていて、その間に二人は座っていた。グラスを傾けながら左馬刻はあくどく笑う。
「酔っちまったか?」
「……いや、まだだいじょうぶ」
舌ったらずに答えたなまえは重たい瞼をなんとか持ち上げるしかできておらず、眠っているも同義だった。実は転がっている酒の瓶はほとんど左馬刻が開けたものだったが、なまえの少ない許容量はとっくに超えていた。左馬刻はうとうとと首を揺らし始めたなまえを支えながらその耳許で囁いた。
「今日も随分元気だったなァ」
「うん……うん、でも、んー」
「はっきり話せ」
「あれはね、ほんとうじゃないよ、んーでもね、ちょっとやだった」
そうかと返して、左馬刻は残りの酒を一気に煽り床にグラスを置いた。
「俺がなんて言いてェかわかるか」
「う……ん……」
「ハハ、おい寝んなよ」
左馬刻が上機嫌でなまえを飲みに誘ったのは、酒を飲んで酔っ払ったなまえがこんな風に素直になることを知っているからだ。酒を飲めばなまえは大概こうなるが、喧嘩をしたあとはいつもよりもよく本音を話す。しかもなまえは酔っ払った前後のことをまるで覚えていない。それは左馬刻にとって好都合で、最高に面白いことだった。
無理やり自分の家に連れ込んだから、きっと周りの奴らは荒っぽい仕打ちでもしていると思っているのだろうが、実際はこんなに優しくしてやっているのだと知ったらきっと目を見開いて驚くはずだ。そんな想像をして左馬刻はくつくつと笑った。
とうとう目を瞑ったなまえを自分に寄りかからせながら、新しい酒を探していると眠ったと思い込んでいたなまえが左馬刻の形のいい唇を弄り始めた。好きにさせていたら、ふとなまえが口を開く。
「……さまときは、なんで怒ってないの。あの時はあんなに怒ってたのに」
「別にあん時だって怒っちゃいねぇよ。お前のことなら全部わかってる」
なまえの子どもっぽい性質のことを左馬刻はとっくに知っていた。ラップも喧嘩も申し分なく、たかが一歳の差で兄貴のように振舞おうとするのに幼くて、馬鹿みたいに人が良いこの男のことを左馬刻は一等好んでいる。
本当に苛立つこともあれど、事を起こしやすい左馬刻からずっと離れないでいたのもなまえだった。だから左馬刻はなまえを離さない。そう、すべては決まっていることなのである。
「なまえ、眠いか?」
「んーん」
「じゃあもっと話せ」
「えっとね……おれ、さまときのことすきだよ、昼間はごめんねえ」
「おう」
「さまときは?」
左馬刻は返事の代わりになまえの唇に噛み付いた。あまりにも正直ななまえが面白くて、死ぬほど愛おしい。酔った自分のことをなまえが知ったら、きっとそれも面白いだろうが、まだこの微温湯を楽しんでいたいとも思う。左馬刻はなまえの舌を軽く噛んでから呼吸させるために口を離した。なまえは顔を赤くしながら、少しだけ目をギラつかせる。このギャップすらも左馬刻のものだ。愉快でしょうがない。
目の下にいくつものキスを受けながら、左馬刻が挑発するように笑った。
「おらよ、次はお前の番だぜ。キモチヨクしてもらったお返し、しねえとなぁ?」
「うん、わかった」
そうしてベッドになだれ込むのも、なまえは明日の朝にはすっかり忘れているだろう。翌朝バケツを抱えながら悩むなまえと、素知らぬ顔をする左馬刻。こうしてこの儀式じみた二人の茶番劇は、これからも続けられるのだ。