First
Anniversary



かんたんにしあわせになる


「今から少し出るのだけど、良かったらどう?」
「どこに行くの? コンビニかなにか?」
「君がこの世界に来て一年経つだろう。お祝いだよ」

夜遅く訪ねて来た太宰は、にっこり笑っておれの部屋を外から閉めているカードキーをひらひらと指で弄んだ。
たしかに、おれが"この世界"に来てから一年が経った。帰れる目処も立たないまま一年も経ってしまった日だからお祝いとはまた違うのかもしれないけど。
以前漫画で見た通り絶世の男前である太宰は世界をとびこえた迷子をとても心配しているらしく、今日みたいによく声をかけてくれる。こんな夜に会いに来てくれるぐらいだし仲良くなれている、と個人的には思っているが、何でここまでしてくれるのかはわからない。でもいつでもおれを部屋から連れ出してくれる太宰を待ってしまっていることもたしかだ。彼だけがおれに優しくしてくれることに、ずっと前に気づいてしまった。

おれの世界では、おれはただの学生だった。今だって何か特別な力を授かったわけじゃないけど、前例のない異世界人もしくは頭のおかしいヤバい奴としてそれなりに護られている。でも本当に、おれはこの世界のことを少しだけ知っている。
言葉通り少しだけだからこれからの展開も何が起こるかもよく知らない。でも一応この世界を知っているということは黙ったままにしている。たまに挙動がおかしくなっちゃってる自覚はあるが仕方ない。万が一おれが戦争の火種にでもなったらそっちのほうが問題だ。太宰がこのことに気づいているのか、それはわからない。死ぬほど頭のいいキャラクターだし、何か思われていてもおかしくないかも。これ以上怪しまれないように、おれにできることは大人しく帰る方法を探すため、どこにあるかも知らされていないこのマンションの一角で思案を巡らせることだけである。
それにしても、太宰がおれを外に連れていこうとするなんて珍しい。場所は教えてくれないようだけど、ちょっと誘いに乗ってみようかな。

「本当? ありがとう。嬉しいな」
「気にしないで。では行こうか。少し歩く場所なんだ」

部屋からおれを連れ出しおれの指を絡めとった太宰はゆったりと日の暮れた横浜を歩き出した。太宰はぺらぺらと止めることなく口を動かし続けて、二十分を超えたぐらいでようやくその足を止めた。灰色の建物を見上げると中々の高さの廃ビルだった。周りにはほかに高い建物がないから余計に存在感がある。でも随分古くて、人が立ち入った痕跡はまるでない。夜ということもあって幽霊が出そうな雰囲気のあるそこに太宰がなんの抵抗もなく入っていくから、おれは慌ててその手を引いて止める。

「何してるの危ないって!」
「まあまあ、私は何度も来たことがあるから落ち着いてついてきてくれ」
「そうは言ってもさ……」

もう一度全貌を見上げる。ガラスはあちこち割れているし、全体的に汚れているし、三階ぐらいに取り付けられている看板の文字なんかひとつも読めない。おれは知ってるんだ。こういうところに好奇心だけで立ち入ると痛い目に会うって。主にオバケとかで。というか普通に犯罪じゃないのか?

「私が居るのだから。何を心配することがあるのさ」
「……おれの考えぐらいすぐ読めるでしょ。やめとこうよ」
「あーあ、君に見せたかったのに。君は来てくれないって言うのかい」

がっくり肩を落としてちらりと上目遣いでおれを見上げてくるその顔に、おれはとても弱い。顔がいい上に自分がどう見えているかも全て理解している太宰は、おれが太宰の何に弱いかなんて全てお見通しだ。この変人め。自殺嗜好め。口には出せないけど。
抵抗に最早意味が無いとわかったおれはこれみよがしにため息を吐いて腕から手を離してやる。太宰はにっこり笑って中へずかずか入っていった。入口でも一人になるのが怖くて、慌ててついて歩く。
中は蜘蛛の巣も埃もあって、空気も悪かった。うへえと漏れた声を無視して、太宰は設置されている階段を上り一番上へと歩き続ける。四階あたりから足が疲れてきたのに太宰は一度も止まってくれなくて、おれは埃っぽい空気を過剰に肺を行き来させながら必死について行った。頭脳派と見せて太宰は運動もできるからずるすぎると思う。
着いたよと声を掛けられた時にはおれはもうヘトヘトだった。ここは何階ぐらいだろうか、途中から数えるのを諦めてしまった。行き止まりの錆びついたドアノブを回せば、ぶわりと都会の風が吹き込んできた。そのまま太宰は中に足を踏み入れる。どうやらここは屋上らしい。おれも一緒に入る。くるりと太宰が振り返って言った。「ほら、観てみたまえ」その向こう側には、横浜の美しい夜景が広がっていた。

「…………すごく、綺麗だね……」
「でしょう? ここには私しか来ないから、私と君だけの景色さ」

だから写真は撮っちゃ駄目だよ。スマホを取り出そうとしていたおれの手をやんわり押さえ、太宰は言い聞かせるような顔で笑った。その顔があまりにも美しいから、おれはただ頷いてスマホから手を離した。熱い頬のまま、もう一度夜景を観る。

「こんな夜景を観ても、太宰は死にたくなっちゃうの?」

頭が良すぎると、いちいち感動しなくなるのだろうか。そう考えると少し寂しい気がする。太宰は一歩前に踏み出して、おれの気の抜けた返事相手に喋り始めた。

「昔は何とも思わなかったからね」
「ふぅん」
「でも、今は違う。今の世界には色がある。もう退屈じゃないんだ」

横浜の明るいビル灯で逆光になっているが、その顔はきっと優しい表情をしている。こんなに優しい顔ができる太宰が元マフィアだなんて、やっぱりおれには信じられない。
ふと、今にも飛び降りてしまいそうな儚さを太宰の優しい横顔に見つけてしまったおれはなにも悟らせないように、明るい声で冗談を言う。

「なーに、もしかしてそれっておれのおかげ?」
「さあ、どうかな」

否定をしない答えが返ってきたから少しびっくりした。どうしてそんなに優しい声なんだ。そこらの俳優なんか目じゃないその顔に言われたからか動揺する心臓を隠すためにまた冗談を返す。

「えー。おれじゃないなら病んじゃうかもなー」
「それは困るな」

太宰は返事をしたきり夜景ばかり観て動かなくなってしまった。なんだか放って置かれている気分だ。光たちはしっかり堪能したし、もうここに用はないはずだし、おれのお祝いだって言ってるし、少しぐらいわがままを言ってもいいかな。

「太宰! 早く帰ろう」
「どうしたんだい、急ぎの用でも思い出したの?」
「そんなところ。はい、手ェ貸して」

太宰の手が高い場所に吹く乱暴な風のせいで冷えきっていたから、と理由をつけて手を繋いて駆け足で階段を下りる。太宰が夜景に唆されてついうっかり死にたくなったりしたらおれだって困ってしまうし。振り返った太宰は、とてもしあわせそうな顔をしていた。こんなのでそんな顔を見せるなんて、太宰ってやっぱり変わってる。







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